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バッハ Bach,J.S.
平均率クラヴィーア曲集
第1集BWV.846-869, 第2集BWV.870-893
19世紀の指揮者ハンス・フォン・ビューローは,バッハの平均率クラヴィーア曲集を「旧約聖書」に,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を「新約聖書」にたとえています。汲めどもつきない深遠な内容を持っているということで,この比喩は現在でもよく言われています。ちなみに「クラヴィーア」というのはドイツ語で「鍵盤楽器」という意味で,一般的にはピアノのことを指します。

この曲集ですが第1巻と第2巻の2つに分かれています。その成立の時代と作曲された事情は次のとおりです。

第1集の方は,バッハがケーテンの宮廷楽長をしていた1722年にバッハ自身の手で清書されています。この時代,多くの室内楽作品,器楽作品が書かれていますがが,このクラヴィーア曲集については,バッハの家庭生活と関係していたと考えられています。1722年当時,バッハには11歳になるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハという長男がいました。その息子の練習曲として書かれたのものの一部がこの曲集の第1巻です。

そのタイトルには,「巧みに調律されたクラヴィーア,あるいは長3度,つまりドレミ,短3度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いた前奏曲とフーガ」と書いてあります。この「巧みに調律された」の部分が「平均律」と訳されています。また「音楽の学習を志す若い人々の有益な利用のため,さらには,すでにこの学習に熟達せし人々の特別の慰みのため」と書かれています。

次にこの「平均律」という言葉について説明しましょう。18世紀以前にはいろいろな調律法が用いられていましたが,それらは純正調に近いものでした。純正調について詳細な説明をすると長くなりますので(実は,専門的すぎて私にもよくわかっていないのですが)ここでは省略しますが,一言で言うと,非常に澄んだ響きの和音を得られる調律法のことです。それならば,この純正調を使えば良いものなのですが,この調律法には,澄んだ和音を得られる調性が限られるという弱点があります。このことを克服するために,どの調性でも万遍なく「ほどよく」美しく響くような調律法として登場したのが「平均律」です。この新しい考え方に基づいて作られたのが,この曲集です。

この「どの調性でもいいんです」という点をアピールするために,ハ長調から始まり,ハ短調,嬰ハ長調,嬰ハ短調...とすべての調性を網羅する合計24セットのプレリュードとフーガ(合計48曲)を含んでいる点がこの曲集のいちばんの特徴です。

第2集の方も同じ発想で作られています。曲の調性の配列も全く同じで24セット,48曲から成っていますが,まとめられた時期が少し後の1740年代初頭(ライプツィヒ時代)となっています。各曲の作曲された時期が幅広いため,いろいろな様式の曲を含んでおり,第1集ほどのまとまりの良さはありませんが,後期の作品ならではの深さを持った作品を含む多彩さが特徴となっています。

この平均律クラヴィーア曲集に含まれている各調ごとのセットは,それぞれプレリュードとフーガという2つの部分からなっています。この形式は,自由な即興的な部分とフーガ的な部分から成っていますが,これはトッカータに由来するものです。このプレリュードとフーガについては,次のようなパターン分けができます。

●プレリュード
元来即興的な性格なので一定の形式を持っていませんが,次3タイプに分けることができます。
  1. 音型装飾:単純な和声進行を基盤とし,それを分散和音化するなどして音型的に装飾したもの
  2. カンティレーナ型:和音伴奏にのって美しい歌唱的旋律が流れる曲
  3. インヴェンション型:主題のポリフォニー的労作を行う曲。インヴェンションを思わせるもの。
●フーガ
主題形態,声部数,展開に仕方などによって曲の性格は決まります。
  1. 濃縮型:主題の入りが多く,主題の反行,ストレットなど多くの対位技法を駆使したもの
  2. 弛緩型:呈示部以降は全声部による完全な展開はなく,たまにしか主題の入りが行われないもの。
この曲集については,「平均律」という名前がついている以上,現在のピアノで演奏するのが相応しいとも言えますが,当時の平均律は現在の「等分平均律」と呼ばれている「ほんとうに平等な平均律」よりも,個々の調性の性格がよく出る調律法だったと言われています。そういう意味では,調性による性格の違いがより鮮明に出る当時の調律法によるクラヴィコード(指の圧力によって音程を微妙に変えることができる楽器です)による演奏が相応しいともいえます。ただし,クラヴィコードは,大変音量の小さい楽器ですので,現代のコンサートでは,チェンバロやピアノで演奏されることがほとんどとなっています。

第1巻
番号 BWV番号 調性 前奏曲 フーガ 内容
1番 BWV846 ハ長調 4声のフーガ
2番 BWV847 ハ短調 3声のフーガ
3番 BWV848 嬰ハ長調 3声のフーガ
4番 BWV849 嬰ハ短調 5声のフーガ
5番 BWV850 ニ長調 4声のフーガ
6番 BWV851 ニ短調 3声のフーガ
7番 BWV852 変ホ長調 3声のフーガ
8番 BWV853 変ホ短調 3声のフーガ
9番 BWV854 ホ長調 3声のフーガ
10番 BWV855 ホ短調 2声のフーガ
11番 BWV856 ヘ長調 3声のフーガ
12番 BWV857 ヘ短調 4声のフーガ
13番 BWV858 嬰ヘ長調 3声のフーガ
14番 BWV859 嬰ヘ短調 4声のフーガ
15番 BWV860 ト長調 3声のフーガ
16番 BWV861 ト短調 4声のフーガ
17番 BWV862 変イ長調 4声のフーガ
18番 BWV863 嬰ト短調 4声のフーガ
19番 BWV864 イ長調 3声のフーガ
20番 BWV865 イ短調 4声のフーガ
21番 BWV866 変ロ長調 3声のフーガ
22番 BWV867 変ロ短調 5声のフーガ
23番 BWV868 ロ長調 4声のフーガ
24番 BWV869 ロ短調 4声のフーガ

第2巻
番号 BWV番号 調性 前奏曲 フーガ 内容
1番BWV870 ハ長調 荘重なオルガン曲を思わせる 3声のフーガ。罪なき戯れ
2番BWV871 ハ短調 静かな優雅さ 4声のフーガ(大部分は3声部)
3番BWV872 嬰ハ長調 単純な和音しか書いてない 4声のフーガ
4番BWV873 嬰ハ短調 深い感情をたたえた三重唱 3声のフーガ
5番BWV874 ニ長調 トランペット・ファンファーレで開始 4声のフーガ
6番BWV875 ニ短調 走句と波打和声 3声のフーガ
7番BWV876 変ホ長調 リュート用の曲を思わせる甘美な曲 4声のフーガ
8番BWV877 嬰ニ短調 アルマンドの形式をした2声インベンション 4声のフーガ
9番BWV878 ホ長調 曲集中もっとも美しい曲の1つ。3声部書法の完全な見本 4声のフーガ
10番BWV879 ホ短調 イタリアのコレンテの性格を持った2声のインヴェンション 3声のフーガ
11番BWV880 ヘ長調 厳格な5声部の和声進行。オルガン的効果がある。 3声のフーガ
12番BWV881 ヘ短調 和声的スタイル。イタリア的な性格のある作品 3声のフーガ
13番BWV882 嬰ヘ長調 後半の最初の曲。フランス序曲風のリズムで開始 3声のフーガ
14番BWV883 嬰ヘ短調 器楽協奏曲の緩徐楽章を思わせるアリオーソ 3声のフーガ
15番BWV884 ト長調 軽快な作品 3声のフーガ
16番BWV885 ト短調 厳格な4声部曲。オルガン曲の可能性もあり 4声のフーガ
17番BWV886 変イ長調 協奏曲形式 4声のフーガ
18番BWV887 嬰ト短調 C.P.E.バッハを思わせる2部分からなるソナタ形式 3声のフーガ
19番BWV888 イ長調 明るい気分のみなぎるパストラーレ風の3声のインヴェンション 3声のフーガ
20番BWV889 イ短調 2声プレリュード 3声のフーガ
21番BWV890 変ロ長調 ソナタ形式による優雅な 3声のフーガ
22番BWV891 変ロ短調 対位法的技法と内容の厳格さを持った作品 4声のフーガ
23番BWV892 ロ長調 はつらつとしたトッカータ風の曲。オーケストラのないクラヴィーア協奏曲 4声のフーガ
24番BWV893 ロ短調 協奏曲形式による2声のインヴェンション 3声のフーガ
(参考文献)
作曲家別名曲解説ライブラリー;12.J.S.バッハ.音楽之友社,1993
2006/08/27)