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ベートーヴェン Beethoven
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」

ベートーヴェンは,交響曲や弦楽四重奏曲同様,その生涯に渡りピアノ・ソナタを作曲しましたが,ピアノ・ソナタの中で交響曲第5番「運命」に当たるのがこの「熱情」です。「運命」がベートーヴェン自身の命名ではないのと同様,「熱情」の方もベートーヴェン自身のネーミングではありませんが,その呼称は,「運命」同様に親しまれています。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中では,「悲愴」「月光」と並んで,3大ソナタと呼ばれ,1枚のアルバムに収録されることの多い作品となっています。いわゆる「傑作の森」と呼ばれる中期を代表する作品で,ベートーヴェンらしさのエッセンスが詰まったピアノ・ソナタ史上に残る傑作となっています。

ベートーヴェンは古典派音楽の大成者と呼ばれる割に,正統的な構成のソナタは意外に多くないのですが,この「熱情」は,3楽章からなるソナタらしいソナタとなっています。その中にいかにもベートーヴェンらしい激しい感情の起伏が盛り込まれ,古典派とロマン派の中間的な性格を持つ作品となっています。

このピアノ・ソナタは,第21番の「ワルトシュタイン」同様,当時最新のピアノだったエラール社製のピアノを意識して作られた作品です。従来よりも広い音域と強弱の幅を持つピアノのためのソナタという意図が十全に発揮された作品で,この時点でピアノでやれることはやりつくしたような作品となっています(事実,その後数年間,ベートーヴェンはピアノ・ソナタを書いていません)。高度な技巧を必要とし,冒頭の主題によって全曲が統一されている点もこの曲の特徴です。

曲は,1805年頃,ウィーンで書かれています。なお,「熱情」という標題は,1838年にハンブルクの出版社のクランツがこの曲のピアノ四手用編曲を出版した際に付けられたものです。

第1楽章 アレグロ・アッサイ,ヘ短調,12/8
曲はまず,地の底でうごめくような第1主題が弱音で演奏されて始まります。この主題は「ド−ラファー」と下がった後,「ファーラドー...」と上っていく構造を持っていますが,これらの動機は,第1楽章のみならず,曲全体を支配する重要な要素となっています。この主題の最後の部分のトリルも印象的です。これがもう一度繰り返された後,今度は,さらに,「タタタタン」という「運命の動機」も加わり,何か起こりそうな気分が盛り上がり,その後,一気に爆発します。その後も,強弱の起伏の非常に大きな部分が続きます。

緊迫感のある同音の連打が続いた後,第1楽章と対照的な穏やかな気分を持つイ長調の第2主題が出てきます。この主題は気分は反対なのですが,第1主題と同じようなリズムを持っており,上がった後,下がるという第1主題のネガポジを逆転させたような正反対の構造を持っています。少ない素材から,メロディを展開させるベートーヴェンならではの作りとなっています。その後,また荒々しい楽想が出てきて,そのまま小結尾になります。

古典派のソナタの場合,通常,ここで最初に戻るのですが,「熱情」ソナタの場合,すぐに展開部に入ります。この繰り返し記号がないのも「熱情」ソナタの特徴です。まず第1主題が展開されます。6連音符,5連音符といった細かい音型を伴った激しい部分の後,経過部の同音反復が登場し,続いて第2主題が出てきます。その後は,「運命の動機」が大々的に出てくる幻想曲のような雰囲気を持った部分になり,大きなクライマックスが築かれます。

再現部では第2主題はヘ長調で,その後の荒々しい楽想はヘ短調で再現します。コーダは,この時期のベートーヴェンの他のソナタ形式の作品同様,大変巨大なものになっています。この楽章は,呈示部−展開部−再現部−充実したコーダという4部分からなるソナタ形式と言うこともできます。第1主題,第2主題に続いて,ffで劇的なカデンツァ風の部分になります。一旦,アダージョになった後,「運命の動機」がきっぱりと出で,ピウ・アレグロの急速な部分になります。最後は,沈潜するように静かに終わります。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート,変ニ長調,2/4,変奏曲形式
美しさと厳かさを併せ持った主題とその3つの変奏からなる楽章です。激しい気分をもった両端楽章の間で,深い安らぎを与えてくれる楽章となっています。

主題は,2つの部分からなるシンプルな美しさを持つものです。変奏曲ということで,淡々とした曲想から,16分音符,32分音符と少しずつ細かい動きが多くなって行き,それに伴い少しずつ情感も盛り上がっていきます。最後に主題が静かに回想され,減7の和音のアルペジオに行き尽きます。そして,そのまま次の楽章につながっていきます。

第3楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ヘ短調,2/4,ソナタ形式
前楽章とは一転して,嵐のような音楽となります。「ターンタ,ターンタ...」と何かを訴えるように始まる減7の強烈な和音が連打された後,何とも言えず不気味なうごめくような主題が始まります。このメロディとも何とも言えないようなものが第1主題です。ハ短調で出てくる第2主題の方もメロディらしくないものです。第1主題がカノンのように扱われ,速い動きを維持したまま,第1楽章同様,反復記号なしで展開部に入っていきます。

まず第1主題が展開された後,スフォルツァンドとシンコペーションが印象的な切迫してくるような主題が出てきます。その後,第1主題が展開された後,一旦静かに力を弱めていきます。その後,再現部となり,また嵐のような音楽が戻ってきます。再現部では,型どおり,第2主題がへ短調で再現されます。その後,展開部も反復されます。こういうケースは,ベートーヴェンには珍しい例です。

コーダは,プレストにテンポがさらにアップし,何とも格好良い扇情的な主題が繰り返し繰り返し出てきて,興奮の度合いを高めます。その後はアルペジオの連続となり,圧倒的な勢いで全曲を華麗に結びます。(2008/05/31)