ベートーヴェン Beethoven

■弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op.130

ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は古典的な枠を自ら壊して行くような性格もあります。それぞれ曲想も形式も独自なものを持ち,ベートーヴェンの個性が満ちたものとなっていますので,難解と言われることもあります。しかし,それは誤解です。この第13番などは,第5楽章カヴァティーナを中心に大変わかりやすい音楽が次々と出てきます。

この曲はop.127,132の弦楽四重奏曲同様,ロシアのガリツィン公爵からの作曲依頼に応じて書かれています。第9,ミサのような理想主義的な作品の後に書かれた曲ということで,自分の思考の世界に閉じこもるような部分もありますが,全体的には素朴な舞曲風の楽章と深みのある落ち着きのある楽章とがバランス良く配列されています。

この曲は当初,最終楽章の第6楽章に巨大なフーガを置いた形で完成され,1826年3月にシュパンツィヒ弦楽四重奏団によって初演されました。概ね好評でしたが,最終楽章の長くて晦渋なフーガは一部の聴衆からは不評で,周囲の進言に基づいて(こういう「妥協」は,ベート-ヴェンにしても珍しいとのことです。楽譜の売れ行きを気にした出版社のアルタリアの意向というのも大きかったのかもしれません),ベートーヴェンはフーガに変わる新しい最終楽章を書くことになりました。その作曲は,最後の弦楽四重奏曲第16番の完成前後になり,ベートーヴェンの死の直後に初演,出版されることになりました。この最終楽章は,ベートーヴェンの書いた最後の曲と言われています。

ちなみに当初の最終楽章のフーガは,「大フーガ」という独立した作品として出版されています。

6楽章形式という異色の構成の作品ですが,第2楽章と第4楽章は,どちらも大変短い間奏曲風の音楽となっています。第5楽章「カヴァティーナ」は,ベートーヴェン自身大変気に入っていた作品で,その抒情的な美しさの中から,晩年のベートーヴェンの思いの丈が伝わってくる楽章としてよく知られています。

この時期のベートーヴェンは第9交響曲を書き終えた時期で,平和を理想主義的に求める面が後退し,もっと自分を中心とした思考の世界に閉じこもる傾向が出てきています。ベートーヴェン自身,詩人レルシュタープに「自分を楽します音楽をこれからは書きたいと思っている」と語ったと言われています。この曲の第5楽章「カヴァティーナ」にも,そういった心境が表れているようです。

この悲哀に溢れた楽章を受け止めるため,当初,ベートーヴェンは,異様に大きなフーガ楽章を置いたと考えられます。今日では当初のベートーヴェンの意図どおり,オリジナルの大フーガ付きで演奏されるケースも増えてきています。「大フーガ」がない場合,「小規模な楽章という並列」という形になりますので,かなり印象が変わってきます。どちらを選ぶかは演奏者の判断に任されているところもありますが,どちらも甲乙付けがたい魅力のある楽章となっています。

CD録音では,「大フーガ」と新終楽章を両方とも収録したものもありますが,皆さんはどちらがお好みでしょうか?

作曲:1825年(新しい終楽章は1826年)
出版:1827年
初演:1826年3月21日,ウィーン,シュパンツィヒ弦楽四重奏団
献呈:ガリツィン侯爵

第1楽章 序奏:アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調, 主部:アレグロ ソナタ形式

序奏部は,まず4つの楽器のユニゾンによる静かで荘重なメロディで始まります。このメロディは,楽章中にたびたび登場し,「これで良いのだろうか?」という感じで疑問を投げかけるようです。そのことにより,厳密なソナタ形式というよりは,自由な幻想曲風の気分を作っています。


主部に入ると一転してアレグロになります。ここでは第1ヴァイオリンが急速に下降する第1主題を演奏します。この第1主題には「ターター,タタ」という第2ヴァイオリンの演奏するメロディが対位法的に絡んでいます。その後,荘重な序奏の動機が少し出てきますが,再度アレグロに戻り楽器を変えながら第1主題が確保されます。楽章全体として,絶えず問いかけをし,闘争を繰り返しているように進んでいきます。

力強い経過部の後,第2主題がチェロによってソット・ヴォーチェ(表情豊かに柔らかく)で演奏されます。第1主題による小結尾の後,呈示部が反復されます。

展開部は序奏の動機と第1主題を扱った簡潔なもので,再現部へのブリッジとなっています。公式的な再現部の後,頻繁にテンポが変わるコーダとなります。これまでの動機をいろいろと扱い,自由で幻想的な気分になった後,すっきりと楽章が結ばれます。

第2楽章 変ロ短調,三部形式
第3楽章への橋渡しをするような短いスケルツォ風の楽章。プレストで演奏されるので,一瞬のうちに通り過ぎるような楽章です。最初の部分では,4つの楽器が切迫した急速な動きを見せます。短調なので,どこか不吉な感じも漂っています。

中間部も同様の雰囲気がありますが,ここでは4/6拍子,変ロ長調になっています。中間部の最後の部分では,急に暗い感じになり,何かを訴えるかのようにテンポが遅くなります。その後,最初の部分に戻り,活発な動きを見せて楽章が結ばれます。

この曲は,とても短いこともあり,弦楽四重奏の演奏会のアンコール曲としてよく取り上げられるようです。実際,初演の際もこの楽章と第4楽章がアンコールで演奏されました。

第3楽章 変ニ長調,三部形式
いくらかスケルツォ風にという指定のある楽章ですが,荒々しい感じはなく,気品を感じさせてくれます。アンダンテ・コン・モート・マ・ノン・トロッポという指示があるとおり,暖かな情緒をたたえた美しい楽章です。2小節の序奏の後,穏やかだけれども快適なリズムを伴った第1主題が出てきます。この主題はヴィオラで演奏された後,第1ヴァイオリンに受け継がれます。第2主題は変イ長調になりますが似た気分のものです。

第2部はカンタービレと指定されていますが,ここでも軽快なリズム感が印象的です。第2部も,この2つの主題で構成されていますので,第2部を「展開部」とみて「自由なソナタ形式」と考えることもできます。

第3部は第1部の再現です。フェルマータの後,第1ヴァイオリンがスルスルと上昇する音型を演奏した後,コーダになります。ここでは第1主題の他に中間部のメロディも静かに回想されます。

全体に少しユーモラスで屈託のない遊び心を持ちつつも,緻密に展開していきます。強弱や表情づけも複雑に変化し,幻想曲的な味わいも持った楽章です。

第4楽章 アラ・ダンツァ・テデスカ(ドイツ舞曲風),ト長調,複合三部形式
素朴なメロディによるレントラー舞曲のスタイルによるディヴェルティメント風の楽しい楽章。こういう楽章を弦楽四重奏の一つに置いたのも後期独特の発想と見られます。ただし,テンポ自体はそれほどのんびりしているわけではなく,アレグロ・アッサイで書かれています。第1部は優しく穏やかなレントラーの主題で始まります。

第2部は,旋律的な主題が出てきて,途中でハ長調に転調します。その後,第1部が再現されますが,ここではメロディが変奏され,音の動きがもっと細やかになっています。この楽章は,元は他の弦楽四重奏曲,おそらくop.132のために作られたという説もあります。

第5楽章 カヴァティーナ,アダージョ・モルト・エスプレッシーヴォ,変ホ長調,三部形式
この楽章には,特に「カヴァティーナ」と記されています。カヴァティーナ(旋律的な曲という意味)というタイトルどおり,深い情感と絶妙な美しさ,宗教的な崇高さも感じさせる楽章です。特に第1ヴァイオリンが最初に演奏する主題は,この楽章の特徴をよく示しています。神々しさを感じさせる和音の上に,「天上の音楽」と言っても良い音楽が続きます。メロディは主として第1ヴァイオリンが演奏します。

中間部に出てくるメロディは,単純な伴奏に乗って第1ヴァイオリンによって,「途切れ,途切れ」という感じに演奏されます。このぎこちない音の動きも印象深いものです。その後,第1部の主題が繰り返されて,静かに結ばれます。

この楽章は,ベートーヴェン自身,「これほど感動的な曲を書いたことがない」と告白し,作曲しながら涙を流したと言われています。その言葉も納得できる素晴らしい楽章です。

第6楽章  アレグロ 変ロ長調 ロンド・ソナタ形式
初演当時は現在「大フーガ」として知られる曲でしたたが,難解過ぎると批判され,現在はアレグロのドイツ舞曲に差しかえられています。ちなみにこの楽章は,op.135の最後の弦楽四重奏曲の後に書かれていますのでべートーヴェンの最後の時期の作品です。

一転して明るく爽やかな曲想に変わります。動きの軽やかな旋律が綾をなし,長大なロンドを形作ります。「大フーガ」とは対照的な性格なのは,当然のことでしょう。

第1主題はヴィオラのスタッカート音型の上に第1ヴァイオリンによって,ギャロップ風に演奏されます。晴れ晴れとした力強い経過部を経て,ヘ長調で第2主題が演奏されます。華やかな小結尾の後,呈示部が繰り返されます。

華やかな小結尾の後,展開部に入ります。滑らかに流れるような新しいメロディが出て来た後,第1主題がフーガの手法によって大きく盛り上げられます。それが静まった後,再現部になります。コーダは,かなり長いもので,各主題をのびのびと展開し,全曲が晴れ晴れと結ばれます。

(参考文献)
ベートーヴェン(作曲家別名曲解説ライブラリー;3).音楽之友社,1992
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番のCD(スメタナ弦楽四重奏団,1982年録音,DENON COCO-70681)の幸松肇氏による解説

(2005/03/29, 2020/10/25追加)