ベートーヴェン Beethoven

■交響曲第8番ヘ長調,op.93

この曲はベートーヴェンの9つの交響曲の中では,ちょっと陰の薄い存在なのですが,いろいろな点で個性的な曲となっています。何といってもユーモアのセンスが所々に散りばめられているの特徴的です。ベートーヴェンといえば,残っている肖像画の影響か,頑固で,重厚で,しつこい,といったイメージがあるのですが,この曲はどの楽章も明るく,さっぱりとした感じがします。それでいて,後期に入りつつあるベートーヴェンの,いつもながらの念入りなモチーフの展開もあり,密度の高い,充実感のある曲となっています。つまり,小さい交響曲と捉えることもできれば,大きな交響曲とも捉えることもできるのです。当時としては異例のfffが使われている辺り,ベートーヴェンの意気込みの強さが感じられます。

1楽章
この交響曲は,第7番と作品番号が92,93と連続しています。つまり,同じ時期に作られた作品です。こういう並び方は,運命交響曲と田園交響曲の場合と共通しています。運命,田園の場合は性格が対照的だったのに対して,第7,第8の場合は,どちらも明るく,リズミカルで,同系列の曲となっています。ただし,聞いた印象はかなり違います。その原因の一つは第1楽章の序奏の有無です。第7番には,長大でスケールの大きな序奏がついていましたが,第8番には序奏はなく,いきなり,元気良く第1主題が始まります。このことが,第8がスケールの小さい曲と思われている理由の一つだと思います。その分,率直な切り込みは,この曲の爽やかさを増しています。

この第1主題は,フォルテで元気良く出てきますが,すぐに弱音になり,クラリネットが応答します。この曲には,このような強弱の対比も沢山あります。第2主題は,1小節の休符の後にファゴットの伴奏に乗ってヴァイオリンで出てきます。この辺の感覚もユーモアたっぷりです。展開部は第1主題を中心に精緻に展開され,大きな盛り上がりを作ります。再現部の後の終結部は,休符がうまく使われ,ユーモアたっぷりです。最後に第1主題が,チョロっと出てきて終わるのですが,音楽評論家の宇野功芳氏は,この終わり方を「落語のオチのよう」と書いています。

第2楽章
この曲の中でも最も特徴的な楽章です。木管楽器が刻む規則的なリズムの上にヴァイオリンがスタッカートで上機嫌な鼻歌のようなメロディを演奏します。このリズムは当時最先端の機械だったメルツェルの考えたメトロノームの音を真似したと言われています(この主題はWoO162のカノン「愛するメルツェルさようなら」(通称「タ・タ・タ・カノン」)と同じものですが,この両曲の関係は,いろいろなエピソードはあるものの真偽はよく分かっていません。このカノンは,第8番の前にあったのではなく,第8番の主題を元に後で作れたもののようです)。このリズムは楽章の間,ずっと続きます。

第2主題もスタッカートで,同様な雰囲気がありますが,主題の最後にフォルテで「ダダダダダダダダダー」細かい音で同音が続けられるのが独特のおかし味を出しています。楽章の最後も「ダダダダダダダダダー」で終わるのですが,前述の宇野氏は,この終わり方を「ワハハハハという豪傑笑い」と評しています。なかなか面白い表現です。

第3楽章
ベートーヴェンの3楽章といえばスケルツォなのですが,この楽章はメヌエットとなっています(第2楽章がスケルツァンドだったため,こうなったと言われています。つまり,第8交響曲には緩徐楽章はないことになります)。基本的には優雅な楽章なのですが,主題にはスフォルツァンド(強い音を出してすぐに弱くする)という表情記号が付けられており,古典的なメヌエットとはちょっと違った感触があります。突然トランペットのファンファーレが出てくる辺りにもパロディのような感じがあります。

中間部は,ホルン2本による歌うような重奏が聴きものです。その間,チェロが伴奏をし,クラリネットがホルンの主題を引き継ぎます。この辺もハイドン時代のメヌエットとは一味違います。

第4楽章
アレグロ・ヴィヴァーチェの軽快な楽章です。ここでも強弱の対比が面白い効果を出しています。第1主題は弱音でせわしなく始まります。この主題は,3連符2つが最初に出てくる独特なリズムです。速いテンポでクリアに演奏するのは非常に難しいものです。この主題が,今度はフォルテになって展開されていきます。第2主題は反対にゆったりと流れるようなものです。

展開部は,対位法的に非常に念入りに展開されます。楽章最後のコーダもかなりのしつこさです。ティンパニの華やかな連打の上で同じ動機をしつこく繰り返します。最後の方でトランペットの明るい音が加わるのもとても効果的です。音楽評論家の金子建志氏はこのコーダを「意図的なしつこさ」として,運命交響曲の終わり方を自ら茶化しているのではないかと書いています。

(参考文献)「交響曲の名曲・名盤/宇野功芳(講談社現代新書)
ベートーヴェン:交響曲全集の解説(FONTEC FOCD9001/7)〜朝比奈隆と金子建志の対談
(2002/10/06)