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ハイドン Haydn
交響曲第88番ト長調 Hob.I:88「V字」

「パリ交響曲(82〜87番)」と「ロンドン交響曲(93〜104番)」との間に書かれた交響曲は,傑作揃いの後期の交響曲の中でやや印象の薄い部分がありますが,第92番「オックスフォード」と並んで特に評価が高いのがこの第88番です。ハイドンの交響曲には「何これ?」というニックネームが付けられているものがいくつかありますが,この曲に付けられている「V字」というネーミングは特に意味不明です。

1781年,ロンドンのフォースター社がハイドンの交響曲選集(第2集)の出版を開始した際,AからWまでのアルファベット文字を付けた。この第88番にはVと記されていたので,「V字」と呼ばれていた。

というのが由来とのことです(他の曲については,「U字」「W字」...と呼ばれていないのですが,Vは特別な文字なのでしょうか?)。

曲はこの時期のハイドンの交響曲の中でも特に成熟した作品と言われています。楽器の使い方の点でも特徴があり,緩徐楽章でトランペットとティンパニを用いたハイドン最初の交響曲となっています。1783年,モーツァルトは交響曲第36番「リンツ」の緩徐楽章でトランペットとティンパニを使っていますが,その影響を受けていると考えられます。

この交響曲は「パリ交響曲」同様に大規模なオーケストラを想定されて書かれたもので,ハイドン研究者のロビンズ・ランドンは「快活さと傑出した知的構成力の混じり合った特別に成功した作品」と高く評価しています。

この曲は,ビリー・ワイルダー監督,オードリー・ヘップバーン,ゲイリー・クーパー主演の往年の名画「昼下がりの情事」の中で印象的に使われています。パリの街中を車が走るシーンで第4楽章の軽快な主題が使われていますが,何と言っても,オーケストラでチェロを担当しているヘップバーンがこの曲の2楽章を自宅で練習するシーンが何ともユーモラスで印象的です。

作曲:1788年
編成:フルート,オーボエ2,ファゴット2,ホルン2,トランペット2,ティンパニ,弦五部

第1楽章
楽章は,序奏部とソナタ形式の主部からなっています。

[序奏部]アダージョ,ト長調,3/4
強音と弱音を対比させながら,しだいに主調を確立していきます。

[主部] アレグロ,ト長調,2/4,ソナタ形式
一見変哲もない感じで始まりますが,純粋に器楽的で緊密に構成された充実した音楽を作り出していきます。第1主題は弦楽器によって呈示されます。この主題は「タタタラ,タタタ」という同音反復的なモチーフに基づくもので,執拗に繰り返されます。このしつこさはベートーヴァンの交響曲第5番に匹敵するかもしれません。管楽器が加わって繰り返される際にはフォルテで演奏されます。ダイナミクスの対比と器楽的な楽想の繰り返しが,緊密な気分を高めますが,常に上機嫌な感じがあるのがハイドンらしいところです。第2主題も似たような性格を持ち,緊密さが継続します。オーボエとファゴットによる軽快なフレーズの後,フォルテで演奏される小結尾となって呈示部が終わります。

展開部でも第1主題のリズム動機が執拗に繰り返されます。最初,二短調で始まった後,カノン風に展開したり,呈示部で出てきた複数の動機が立体的に重ね合わせられるなど,非常に充実した手法で書かれています。再現部では第1主題の再現の際にフルートのオブリガードが付加されます。呈示部とは少し異なった構造になっていますが,基本的な気分は同様です。コーダでは第1主題の動機を素材として簡潔に終わります。

第2楽章 ラルゴ,二長調,3/4
この楽章は「パリ交響曲」の緩徐楽章でよく使われている変奏曲形式で書かれています。なだらかで穏やかな気分のある主題は,いかにもハイドン的で,オーボエとチェロによってたっぷりと歌われます(映画「昼下がりの情事」では,ヘップバーンがこの主題を「気もそぞろに」練習しています)。

その後,5つの変奏が続きます。ただし,各変奏の区分はそれほど明確ではないので,主題の持つ,平坦で穏やかな気分が支配的です。第1変奏はヴァイオリンのオブリガード付き。第2変奏は短い経過的なもの。第3変奏は主調で始まった後,終結部のフレーズが二短調のフォルテで演奏されます。第4変奏でへ長調に転調した後,第5変奏で主調に戻って終わります。

第3楽章 メヌエット。アレグレット,ト長調,3/4
ロビンズ・ランドンは,この楽章について「ワインの樽と秋の収穫物を積み上げたテーブルのまわりを踊る農民を描いた絵を思い出させる」と評しています。そのとおり,粗野で土臭さを持ったメヌエット楽章となっています。

トリオではバグパイプの響きを思わせる5度のドローンが鳴り,民族舞曲的な気分を一層高めます。ドイツでは,「バグパイプ」と呼ばれることのある楽章です。

第4楽章 フィナーレ。アレグロ・コン・スピリート,ト長調,2/4,ロンド・ソナタ形式
これまでにハイドンが書いた作品の中でも特に精妙で華麗に響くと言われることのある楽章です。第1主題は,第1楽章同様,八分音符による「タタ,タタ,タタ...」という無窮動的な音型が延々と続くのが特徴的です。第2主題も第1主題から導き出されていますが,旋律的な感じではなく,16分音符による経過句のような性格を持っています。

展開部は第1主題の動機によるもので,ト長調,ホ短調,ロ短調,ホ短調と転調された後,最後にト短調になります。その後,ト長調で第1主題が再現されます。属7の力強い和音で一旦終結した後,第2主題が勢いよく再現され,第1主題によるコーダで全曲が締められます。

(参考文献)
クラシック名曲ガイド1.交響曲.音楽之友社,1994
ハイドン(作曲家別名曲解説ライブラリー26) 音楽之友社,1996
(2013/05/29)