マーラー Mahler
■交響曲第5番嬰ハ短調

マーラーが20歳も若いアルマと結婚し,さまざまな芸術家とつきあいを始めた頃に書かれたマーラーの絶頂期に書かれた交響曲です。マーラーは,交響曲第2番「復活」,3番,4番と声楽入りの交響曲を書いてきましたので,「巨人」以来久々の器楽のみによる交響曲となります。9曲の丁度真ん中という点も含め,マーラーの交響曲の一つの転機となった作品で,その創作活動の一つの頂点を作る傑作です。オーケストラの名技性を楽しめるカッコイイ作品として,CD点数,実演で演奏される機会ともに大変多い交響曲です。

5つの楽章の中では,ルキノ・ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」の中で印象的に使われていた第4楽章アダージェットが大変有名ですが,それ以外の楽章もそれぞれ大変魅力的です。5つの楽章は,1−2楽章,3楽章,4−5楽章という3つの部分に分けるようにマーラー自身指示しています。スケルツォを中心に,緩−急のペアの楽章が並ぶというシンメトリカルな構成となります。このガッチリとした構成感の中に,「今悲しんでいたかと思うと次の瞬間には笑い飛ばす」といった激しい感情の振幅が効果的に盛り込まれています。

第2〜4番の声楽の入る,いわゆる「角笛交響曲」3部作では,マーラーの作った歌曲からのメロディの転用が見られましたが,この第5番以降は,歌曲との直接的な関係は薄れてきます(ただし,第1楽章第1主題の終止音型は「亡き子をしのぶ歌」の第1曲と,アダージェット楽章はリュッケルト歌曲「私はこの世から姿を消した」と関係があると言われています。どちらも交響曲第5番と同じ年に作曲されている曲です)。20世紀の幕開けの1901年に作曲されたことも併せて考えると,彼の人生の中でも象徴的な意味を持った作品と言えそうです。

楽器編成は次のとおりです。
フルート4(ピッコロ持ち替え2),オーボエ3,クラリネット3(バスクラリネット持ち替え1),ファゴット2,コントラファゴット1,ホルン6,トランペット4,トロンボーン3,チューバ1,ティンパニ,シンバル,大太鼓,小太鼓,タムタム,グロッケンシュピール,ホルツクラッパー,トライアングル,ハープ,弦五部

第1楽章 規則正しい歩みで,厳格に,葬列のように 嬰ハ短調,2/2
トランペット1本による3連符のファンファーレで始まる葬送行進曲風の楽章です。冒頭から葬送行進曲というのも独特ですが,交響曲第2番「復活」の第1楽章にも葬送行進曲風の部分がありましたので,「マーラーの好み」とも言えます。曲全体の構成から見ると第2楽章への前奏のような位置づけの楽章となっています。このファンファーレは,交響曲第4番の第1楽章で既に出てきていますので,この曲との関連もありそうです。

冒頭のファンファーレは,トランペット奏者にとっては非常に緊張する部分です。大編成のオーケストラの中でトランペット1本が演奏する,という光景はマーラーの他の曲でもあまり例はないでしょう。ベートーヴェンの「運命」のモチーフ同様,アウフタクト(弱拍)で始まりますので,聞いている方も不安で緊張した気分になります。また,休符が多いのでやっとの思いで前進しているような感じにも聞こえます。なお,このファンファーレは,メンデルスゾーンの結婚行進曲と似た部分がありますが,楽章全体としては無言歌集第27番の「葬送行進曲」の影響があるとも言われています。その他,ハイドンの交響曲第100番「軍隊」第2楽章のファンファーレを思い出させる部分もあります。

このトランペット独奏の最後の部分でフル編成のオーケストラが「ジャーン」という感じで加わり,強烈な悲愴感をかもし出します。このファンファーレの動機はその後もたびたび登場します。

続いて,ヴァイオリンとチェロが,悲しみに満ちた主題を足を引きずって歩くような葬送行進曲のリズムに乗って演奏します。この辺りでは,「亡き子をしのぶ歌」の第1曲に基づく動機も出てきます。これらの主題がさらに厚い編成となって繰り返されます。展開風の部分の後,トランペットのファンファーレが再度出てきて,突然速度を上げ,「情熱的に荒々しく」という第1トリオになります。この「いきなりの場面転換」はマーラー独特のものです。トランペットとヴァイオリンが対位法的に動きます。

嵐が一息ついた後,トランペットがファンファーレを出して,第1部の再現となります。この再現部は,より立体的になっています。ティンパニの刻むファンファーレが印象的に残った後(リズムだけでなくティンパニが2つの音程でファンファーレを静かに演奏します),第2トリオとなります。この部分は弦楽器だけで悲しげに始まります。これが次第に盛り上がった後,悲しみの頂点でトランペットに葬送のリズムが出ます。それが静まった後,超高音のトランペットによる彼方に消えて行くようなファンファーレと大太鼓のドロドロという静かな音が交互で鳴ります。フルートが一節吹いた後,楽章は静かに閉じられます。

第2楽章 嵐のように激動して,非常に激烈に イ短調 2/2 ソナタ形式
マーラーの交響曲としては珍しく,きっちりとした構成のソナタ形式で書かれており,この曲の古典的な性格を強めています。テンポは速い動きが中心で,たどたどしい動きの第1楽章とは対照的です。

低音部が動き回る激烈な序奏のあと,ヴァイオリンに力強く落ち着きのない第1主題が出てきます。オブリガートでいろいろな楽器が同時に動き回ります。この主題を展開風に扱った後,前の楽章のトリオの憧れるような音楽が亡霊のように戻ってきます。マーラー得意のフラッシュバック効果です。音が静まった後,第1楽章の葬送のリズムに乗ってチェロが大きく第2主題を歌いだします。速度が戻ると,展開部になります。

序奏の低音部の動機の処理の後,第1楽章のトリオのメロディが出てきます。第1主題がちょっと出てきた後,ティンパニの上でチェロが第2主題を静かに歌います。第1楽章の葬送行進曲のリズムも出てきて,展開が進みます。

その後,第1主題が変形されて出てきて,再現部になります。第2主題は何回となく暗示されますが,完全には再現されません。この辺では第1楽章の第1トリオの冒頭も出てきますので,第1楽章と第2楽章とが渾然一体になったような雰囲気になります。

重い響きが続いた後,気分を変えるように突如明るいブルックナーの交響曲のようなコラール風の主題がトランペットに出てきます。しかし,これは楽章の最後までは続かず,再度,第1主題の荒れ狂う雰囲気に戻ります。最後は,第1主題の9度の飛躍を用いながら静かに終わります。

第3楽章 スケルツォ 力強く,速すぎずに ニ長調 3/4
一見明るいけれども,一癖も二癖もあるような長大なスケルツォ楽章です。複雑・多彩なニュアンスを持っており,全曲の核となっています。マーラーがなじんでいたと思われるウィンナ・ワルツやレントラー舞曲のパロディのような性格も持っています。ホルンが大活躍する楽章で,実演では,オブリガートのホルン(コルソ・オブリガートといいます)奏者が指揮者の隣のソリストの位置でソリストのように立って演奏することもあります。

冒頭,荒々しいホルンの斉奏による信号風の動機が出てきます。それを受けて,木管によってウィーンの舞曲風の楽しいメロディが出てきます。ホルンはオブリガートに回ります。この主題がしばらく小気味良く展開された後,第1トリオになります。

第1トリオは,ホルンの長く伸ばされた信号に続き,変ロ長調でヴァイオリンに出てきます。ゆったりとのどかな田舎風のメロディを出します。これにチェロが対位法的に絡みます。

その後,トランペットの信号に続いて第1部が自由な形で再現されます。その中からいろいろな楽器が独奏が抜け出してきて,メランコリックな色彩を持った部分になります。その後,ハ短調の第2トリオとなります。ホルンが牧歌的なメロディを演奏しますが,どこか暗く,意味ありげなムードを漂わせます。弦楽器によるピツィカートが出てきたり,管楽器がメロディを次々と受け継いでいったり,神秘的な気分が続きます。

その後,テンポを速めたワルツ主題が割って入って来て,ウッドブロックなどの打楽器を交えて短い展開がされます。一旦休符が入り,前半が終了します。

後半はただの反復ではなく,変化された再現部となっています。ここではトリオ楽節が短縮されており,不安感が高まっています。第2楽章の第1主題の冒頭のメロディも加わります。ワルツ主題は最後,たたみかけるように速くなり,酔ったような気分になります。最後は,ワルツが唐突に打ち切られるような感じで楽章は結ばれます。

第4楽章 アダージェット 非常にゆっくりと ヘ長調,4/4 3部形式
この楽章は,速度記号の「アダージェット」で知られる楽章です。クラシック音楽の中で「アダージェット」と言えばこの楽章を指すほど,定着した呼び名です(その他,ビゼーの「アルルの女」組曲の中の「アダージェット」も知られています)。

アダージョではなく,アダージェットとした点で,マーラー自身,より簡素なものを目指していたことが分かります。そういう意味では「間奏曲」「第5楽章への序」の楽章と言えます。ただし,かなり濃密な音楽です。楽譜の小節数から見ても100小節足らずですので規模ば小さいのですが,大変ゆっくりと演奏され,対位法的にも念入りに書かれていますので,大変聞き応えのある音楽になっています。他の楽章が大編成で演奏されますので,ハープと弦楽五部だけで演奏されるこの楽章は,全曲中のオアシス(管楽器のための休息時間?)ともなっています。

楽章は神秘的なハープの伴奏の上に第1ヴァイオリンが叙情的な主題をゆったりと出して始まります。マーラーの曲には,必ずこういう陶酔的な部分が出てきますが,その中でも特に陶酔的な曲です。美しさと切なさが一体となり,3楽章までとは別世界に連れて行かれたような気分になります。結婚したばかりのアルマへのラブレターとも言われている部分です。

音楽が進むに連れて,対位法的な厚みを増し,ゴージャス感がどんどん強まります。中間部では第1ヴァイオリンに不安げなメロディが出てきます。これは,第5楽章を予告するものです。この部分では,ハープが動きをやめます。その後,第1部を簡潔に再現し,大きな盛り上がりを作ったた後,弱い和音で締めくくられます。

指揮者のオットー・クレンペラーは,この楽章のことを「サロン・ミュージック」であると評して,この交響曲を演奏しなかったのですが,それとは反対に(それ故に),この楽章だけは,第2次大戦後の「マーラー・ブーム」到来前から人気の高い曲でした。SPレコード時代から単独でレコーディングされることのある曲でした。かつて「アダージョ・カラヤン」という企画盤のハシリのようなCDがありましたが,その冒頭に入っていたのもこの曲です。

とにかくも,甘く切なく陶酔的で圧倒的な魅力を持った音楽です。

第5楽章 ロンド・フィナーレ アレグロ ニ長調 2/2 
「ロンドで終わる」と言えばハイドンの交響曲を思い出しますが,この楽章は厳密なロンド形式ではなく,後半はフーガを交えて自由に即興的に展開されます。

前の楽章の最後の音をホルンとヴァイオリンが交互にフェルマータのついた単音で出した後,ファゴット,オーボエ,ホルン,クラリネットなどが主題の断片を演奏します。ファゴットが出す動機は「高き知性への賛歌」という歌曲ですでに使われているものです。

アレグロ・ジョコーソになった後,ホルンが主要主題を出します。この主題自体は,スケルツォ楽章に出てきたメランコリックなメロディを明るくしたものに聞こえます。この主題がいろいろな楽器でフーガ風に扱われていきます。リズミックな和音でしめくくられた後,チェロに忙しげな第1副主題が出てきます。これはバッハ風の音の音の動きをもち,やはりフーガ風に進んでいきます。このフーガにアダージェット楽章に出てきたメロディも,グラツィオーソで加わります。前楽章に出てきた時とは対照的にあっけらかんとした雰囲気があります。その後は,マーラー得意の対位法的技法が駆使されていきます。

コーダでは金管楽器を中心とした壮大なクライマックスとなります。盛大なコーダの部分で,第2楽章後半に出てくるコラール風の主題が出てきますので,第2楽章を明るく再現した感じにも聞こえます。強烈な響きを保ったまま,力強く全体が閉じられます。

振り返ってみるとこの曲は,この最後のコラールに向けて周到に組み立てられた曲といえます。第4楽章のアダージェットに出てくるメロディは第5楽章に再現し,第2楽章末のコラールは第5楽章のコラールの予告とも考えられます。交響曲第5番といえば,ベートーヴェンの第5番を思い出しますが,マーラーの第5番についても,最終楽章のクライマックスを志向した作品とも考えられます。前楽章までを回想し,パロディ化しながら,これまでのすべての要素を集めて,外に放出するような楽章となっています。第4楽章がひたすら内面に集中していたので,その対比が鮮やかに浮かび上がります。
(2006/03/09)