モーツァルト Mozart

■レクイエムニ短調,K.626
モーツァルト最晩年の名作です。「レクイエム」という名前の作品を多くの作曲家が作っていますが,その中でも最も有名なものに属します。ただし,この作品は,完成された作品ではありません。モーツァルトが楽譜を書いたのは,この曲の中ほどの涙の日(ラクリモサ)までです。現在,一般に「モーツァルトのレクイエム」と言った場合,モーツァルトの弟子のジュスマイヤーなどが補作したものを言います。この補作をめぐってはいろいろな意見があり,モーツァルトの死後,「死人に口無し」というわけではないでしょうが,ジュスマイヤー版以外にもいろいろな版が続々と出てきているような状況です。

モーツァルトの曲の大部分は長調ですが,この作品は,そういう彼の作品の中では例外的に暗い作品になっています。恐らく,モーツァルトの全作品中最も暗い作品でしょう。そのため,この曲の作曲の経緯については,「黒服の匿名の男が高額を提示して作曲を依頼した」とか「サリエリがモーツァルトに死に追いやった」とかいろいろ文学的なエピソードが付いて回っています。映画「アマデウス」のクライマックスでは,そういったエピソードを非常にドラマティックに描いています。その信憑性は別として,この映画を見ると,大部分の人はこのレクイエムを聞きたくなるのではないかと思います。そういう意味で,この映画は必見です。

この曲は,編成も非常に変わっています。フルート,オーボエ,クラリネットが入っていません。その代わりバセットホルンという暗い音色の楽器やトロンボーンが入っています。

というわけで,いろいろな点で独特な作品となっています。後世の人があれこれ解釈を加えたがるのももっとなことかもしれません。以下の曲の説明の中では,補作者の名前も書きましたが,かなり複雑なことになっています。天才の作品を完成させようという補筆者たちの苦労が目に見えるようです。

第1曲 入祭唱(イントロイトゥス) ニ短調 アダージョ 4/4
モーツァルトが全曲書いたものです。バセットホルンとファゴットが演奏する暗く沈んだ雰囲気の序奏に続き,合唱のバスから「レクイエム」と歌い始めます。この主題は,半音下がる音型で以降の楽章にも登場します。音楽が優しい感じになると,ソプラノ独唱が祈りの歌を歌い始めますが,曲全体の雰囲気は悲痛です。

第2曲 あわれみの賛歌(キリエ) ニ短調 アレグロ 4/4
前の曲から続けて演奏されます。この曲は,合唱声部とバスのみモーツァルトが完全に書いており,フライシュテットラーが補筆しています。独唱は入りません。バスがいきなり「キーリーエー(哀れみ給え)」と歌い始めます。これに「クリステ・エレイゾン(キリストよ哀れみたまえ)」とがからみあって二重フーガになります。クライマックスに達したところで一息ついて,アダージョに落ち着きます。

第3曲 続唱(セクエンツィア)
6部からなっています。歌唱声部とバス,管弦楽声部の主要音型をモーツァルトが作曲し,アイブラーがオーケストレーションを担当しています。ただし,ラクリモサの9小節以降は放棄したため,ジュスマイヤーが作曲しています。
(1)怒りの日(ディエス・イレ) ニ短調 アレグロ・アッサイ 4/4
合唱のみで歌われます。非常に劇的な曲です。モーツァルトの曲中もっともドラマティックかもしれません。トランペットの合いの手は,ジュスマイヤー作曲のものですが,とても印象的です。

(2)不思議なラッパ(トゥーバ・ミルム) 変ロ長調 アンダンテ 2/2
声楽は,バス独唱のみ入ります。トロンボーン・ソロの後,バスが引き継ぎます。これまで短調の曲が続いたので,ほっとした雰囲気になります。このメロディをテノール,アルト,ソプラノの順に歌い継いでいきます。最後は,やさしい雰囲気の四重唱で結ばれます。

(3)みいつの大王(レックス・トレメンデ) ト短調 グラーヴェ 4/4
合唱が「レーックス(大王)」と力強く叫んだあと,弦楽器が下降していくようなパターンが3回繰り返されて始まります。その後,カノン風に展開し,「私を救い給え」と弱々しく歌われ曲を閉じます。

(4)憶えたまえ(レコルダーレ) ヘ長調 アンダンテ 3/4
独唱者のみで歌われます。バセットホルンとチェロが始終歌に寄り添い,穏やかに歌われます。

(5)呪われた者(コンフターティス) イ短調 アンダンテ 4/4
トロンボーンと低弦の上に乗った力強い男声合唱(地獄からの声)と柔らかい女声合唱(天国からの声)とが交互に表れながら進みます。最後は,安らぎに満ちた四部合唱に落ち着きます。

(6)涙の日(ラクリモサ) ニ短調 8/12
この曲の途中まで書いてモーツァルトは亡くなっています。そう思って聞くと,この美しい旋律が一層心に迫ってきます。引きずるような伴奏の方は,同じ音型が延々と続きます。控えめなクレッシェンドが人間的な感情の盛り上がりを感じさせます。最後は「アーメン」で結ばれます(実は,「アーメン」の部分は,セクエンツァ全体を締める壮大なフーガになるはずだったようです)。

第4曲 奉納唱(オッフェトリウム)
ジュスマイヤーがオーケストトレーションをしたものです。
(1)主イエスよ(ドミネ・イエス) ト短調 アンダンテ・コン・モート 4/4
合唱及び独唱で歌われます。合唱のテノール,アルト,ソプラノ,バスの順にフーガが行われた後,今度は,独唱でソプラノ,アルト,テノール,バスの順にカノンが歌われます。再度,合唱によるフーガの大らかな響きとなって終わります。

(2)称賛のいけにえ(ホスティアス) 変ホ長調 アンダンテ 3/4
合唱だけで歌われます。前の曲が対位法的な処理が目立ったのに対して,こちらはハーモニーの美しさが際立っています。はじめは明るい雰囲気ですが,次第に調性が不安定になり,後半ではト短調になります。この部分は,前曲と同じです。

第5曲 感謝の賛歌(サンクトゥス) ニ長調 アダージョ 4/4
ジュスマイヤーが作曲したものです。力強く「サーンクトゥス」と歌い始めます。これを3回繰り返します。後半の「ホザンナ」の部分では,アレグロ3/4に変わり,バス,テノール,アルト,ソプラノの順に合唱によるフーガが展開します。

第6曲 祝せられさえたまえ(ベネディクトゥス) 変ロ長調 アンダンテ 4/4
ジュスマイヤーが作曲したものです。ヴァイオリンとバセットホルンでやさしい雰囲気で,アルト独唱が伸びやかに歌い始めます。それに,ソプラノ,バス,テノールの順に独唱が加わり,四重唱を形づくります。金管による和音が3回繰り返された後,調性が変わり,最後はアレグロのフーガになります。これは,前曲の「ホザンナ」の部分と同じです。こちらの方は,テノールから入ります。

第7曲 神の小羊(アニュス・デイ) ニ短調 3/4
ジュスマイヤーが作曲したものです。不安げなニ短調の音型がヴァイオリンで演奏される厳粛な雰囲気で始まります。和声的に書かれた合唱曲で,全体に敬虔な雰囲気が漂っています。

第8曲 コンムニオ ニ短調 アダージョ 4/4
ジュスマイヤーが編曲したもので,第1〜2曲の音楽を転用しています。これは,ジュスマイヤーが力尽きたからではなく,モーツァルトの指示によるものと考えられています。最初の楽章が再現することに,曲全体の統一感が強められています。まず,第1曲と同様ソプラノ独唱のメロディで歌い始められます。その後に続くアレグロは,第2曲「キリエ」の替え歌です。バス,アルト,ソプラノ,テノールの順に続きます。最後はアダージョにテンポを落とし,重々しい雰囲気の中で全曲が締められます。(2002/3/6)