モーツァルト Mozart

■交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」

「プラハ」というニックネームのつけられた,第38番の交響曲は,モーツァルトの後期の交響曲の中でも独特の個性を放っています。まず,メヌエット楽章なしの3楽章構成となっています。それでいて密度の濃い,バランスは良さを感じさせてくれます。それは,曲の要所要所で厳格な対位法の技法を使っていることによります。この対位法を駆使した作曲法がメヌエットなどの遊びの音楽を入れる余地がなかった,と言う人もいます。

モーツァルトの持ち味である明快さ,変わり身の速さに,バッハに代表されるような重層的な響きが加わった充実した作品となっています。この38番以後のいわゆる「後期3大交響曲」は書かれた目的がわかっていません。この「プラハ」は作曲依頼を受けて作った交響曲の最後の曲ということになります。厳格さと流麗さが融合し複雑な感情表現を作っているという点では,後期3大交響曲に遜色はないものです。

この曲の「プラハ」というニックネームは,プラハで初演されたというだけで,深い意味はありません。歌劇「フィガロの結婚」がプラハで異常なほど大ヒットしたのがそのきっかけとなっています。その「フィガロ・ブーム」の後,プラハから再度招待を受けて,プラハで初演したのがこの曲です。「プラハに愛されたモーツァルト」を象徴するという点ではぴったりのネーミングと言えます。

「プラハ」は,この「フィガロの結婚」やピアノ協奏曲第23番などと同じ1786年に書かれています。曲の気分も似た雰囲気を持っています。第1楽章の序奏などでは,その後に書かれる「ドン・ジョヴァンニ」を予感させる雰囲気も持っています。モーツァルトの絶頂期に書かれた,モーツァルトらしさが満載された傑作の1つです。

楽器編成は,弦五部にフルート,オーボエ,ファゴット,ホルン,トランペットが各2とティンパニが加わった編成です。

第1楽章 アダージョ ニ長調,4/4−アレグロ ニ長調,4/4
アダージョの長大な序奏ではじまります。音の動きは「ドー・ソラシド,ソラシド..」(移動ド唱法)という感じで「ジュピター」交響曲の冒頭と似ているのですが,テンポが遅いこともあり,もっと重さが感じられるものとなっています。その後,半音階や激しい転調が続きます。ニ長調で始まった後,変ロ長調→ト短調→イ短調→ニ短調という具合に延々と転調を繰り返します。後年の「ドン・ジョヴァンニ」を予告するような緊張感をはらんでいます。

モーツァルトは,「リンツ」交響曲で初めて序奏を付けました。その序奏には,ハイドン的と言って良いような古典的なバランスの良さがありましたが,「プラハ」の方はより豊かな情感をたたえています。不安と緊張の暗いトンネルをようやく抜けた後,ニ長調のアレグロの主部が始まります。素晴らしい対照の美を実感できる部分です。

第1主題は第1ヴァイオリンによる同音反復のシンコペーションのリズムで始まります。この主題は「魔笛」序曲を思わせる,胸のときめきを感じさせる動きを持っています。この主題を形作るモチーフは既に序奏の中に組み込まれています。この「魔笛」のリズムには他の楽器によるもっとゆったりとした動きが絡み付いています。しばらくして管楽器に明るく舞い上がるようなモチーフが出てきます。その後もオーボエによる印象的なモチーフが出てきたり,音楽の勢いに乗って,次々といろいろなモチーフが出てきます。その後,全合奏となって一旦半終止になります。

しかし,その後もさらに第1主題の勢いが続きます。もうしばらくして第1ヴァイオリンを中心に非常に抒情的な第2主題が出てきます。この主題はイ長調からイ短調へと翳り,ファゴットや低音弦の美しいピツィカートに乗って,しなやかな歌を続けます。その後に続くトゥッティの部分は第1主題の後に出てきたものと同じものを使っています。

展開部は,モーツァルトにしては珍しく,作曲の際にいくつかスケッチを試みています。複雑な声部の組み合わせを行っているのが印象的です。第1主題に出てきたモチーフががっちりと組み合わせられ,さらに転調も繰り返していますので非常に聞き応えがあります。最初にトゥッティの部分が出てくるので再現されているように聞こえますが,本当の再現部はもう少し後です。ラの音の持続音が続いた後,本当の再現部が始まります。

再現部では一部省略がありますが,ほぼ型通りのものです。最後はトゥッティのモチーフの後,簡潔なコーダで結ばれます。

なお,この楽章の繰り返しですが,呈示部に加えて,楽章の後半にも繰り返し記号がついています。その繰り返しを全部行うと15分を超える長大な楽章になります。

第2楽章 アンダンテ,ト長調,6/8,ソナタ形式
対位法の緻密な網の目の上に,深い詩情をたたえたメロディが流れる穏やかなアンダンテ楽章です。第1主題は弦の弱奏で揺れるように演奏されますが,その後半は,半音階的な音の動きが顕著ですので,平和さの中に緊張や不安な気分も漂います。その後,ヴァイオリンのピツィカートでちょっと心にひっかかりを残すような印象的なモチーフがピツィカートで呈示されます。第2主題は,ホルン,ファゴット,低音弦の長い属音に乗って,ヴァイオリンに表れます。

展開部では,このピツィカートのモチーフが執拗に繰り返されます。このモチーフを挟みながら,第1主題は転調を繰り返します。型通り再現された後,最後にまたピツィカートのモチーフが出てきて,静かに結ばれます。

繰り返しは呈示部だけに繰り返し記号がついています。

第3楽章 プレスト,ニ長調,2/4,ソナタ形式
「フィガロの結婚」のようなオペラ・ブッファの世界と対位法とが組み合わされた,スピード感とダイナミズムにあふれた楽章です。第1主題はモーツァルトの「フィガロの結婚」の中のケルビーノとスザンナのアリア「早く開けて」と同じモチーフで,せわしなく始まります。この主題はその後も何回も繰り返し登場します。第2主題は幸福感に満ちたもので,最初弦楽器で演奏された後,木管楽器で繰り返されます。

この当時,モーツァルトのオペラは木管合奏用に編曲されて演奏されることも多かったのですが,この部分などにはそういう楽しい気分が溢れています。

展開部は,第1主題を中心に作られています。管楽器の持続音とヴァイオリンのトレモロに支えられた低弦の動きとが交錯しながら進められます。ほぼ型通りの再現部の後,歓喜に溢れたコーダで全曲は閉じられます。

この楽章は,前半,後半とも繰り返し記号がついています。
(参考文献)
モーツァルトのいる部屋/井上太郎(ちくま学芸文庫).筑摩書房,1995
作曲家別名曲解説ライブラリー13.モーツァルトI.音楽之友社,1993(2005/7/2)