チャイコフスキー Tchaikovsky
■バレエ音楽「くるみ割り人形」op.71
チャイコフスキーの作曲した3つのバレエ音楽(実は,3作以上作っているらしいのですが)は,それぞれに,特色を持った名作です。現在でも,世界中のバレエ団の基本的なレパートリーとして繰り返し上演されています。これらのバレエが普遍的な人気を保っているのは,何といってもチャイコフスキーの音楽の素晴らしさによります。

「3大バレエ」の中でもいちばん上演時間が短く,内容的にもメルヘン的な雰囲気を持っているのが「くるみ割り人形」です。チェレスタや少年合唱の使用などサウンドの点でもオリジナリティ溢れるものになっています。

「くるみ割り人形」の物語は,ドイツの作家E.T.A.ホフマンの童話に基づいています。これを,マリンスキー劇場の首席振付師のプティパがバレエに構成しています。ただし,音楽の完成後,プティパが病気になり,次席振付師のイワノフが修正を行い,振付を行なったので,この曲の上演記録にプティパの名前は残っていません。プティパは,非常に詳細なプランを立てて制作しており,音楽の調性や小節数のみならずリズム,テンポにまで注文をつけています。チャイコフスキーは,その要求に応え,バレエ史に残る不滅の作品を残しました。

このバレエは,クリスマスの夜のお話ですので,世界的にクリスマス・シーズンに上演されることの多い作品です。あらすじは次のとおりです。

クリスマス・ツリーのある居間での楽しげなシーンからバレエは始まります。人形使いのドロッセルマイヤーがいろいろな人形を出してきます。最後に「くるみ割り人形」を出してきます。他の子供は嫌いますが,クララ(注)はとても気に入ります。パーティがお開きになった後の夜更け,ねずみの大軍とくるみ割り人形率いる鉛の兵隊が戦います。戦いが終わり,ねずみ軍が引き上げると,くるみ割り人形は,王子に変身し,クララもレディになっています。この後,2人は手に手を取っておとぎの国へ向かいます。おとぎの国では祝宴となり,各国の民族舞踊などが踊られます(こういうのをディヴェルティスマンといいます)。最後にクララと王子による,グラン・パ・ド・ドゥが踊られます(「こんぺい糖の精の踊り」の音楽です。こんぺい糖の精が踊る場合とクララが踊る場合の2種類の演出があります)。一転して,クララの部屋に戻ります。おとぎの国の祝宴はすべて夢だったとわかり,クララはくるみ割り人形を抱きしめます。

(注)主人公の少女の名前は,クララですが,マーシャと呼ばれたりマリーと呼ばれたりすることもありします。

このバレエには,子供でも楽しめるようなシーンが沢山あるのですが,クラシック・バレエの最大の見せ場であるグラン・パ・ド・ドゥが中々出てこないので,初演では予想外の不評になったようです。その後,徐々に真価を認められるようになったのですが,振付については,いまだに決定版がなく,試行錯誤が続いているとのことです。そういう意味で,このバレエは,チャイコフスキーの音楽の魅力によるところが特に大きい作品と言えそうです。

このバレエ音楽は,演奏会用組曲の形でも親しまれています。チャイコフスキー自身が次の8曲を選んで,作品71aとして発表しています。演奏時間が25分程度で大変良くまとまっているので,チャイコフスキーの管弦楽作品の中でも最もよく親しまれる曲となっています。
  1. 小序曲
  2. 個性的舞曲(行進曲,こんぺい糖の精の踊り,トレパック,アラビアの踊り,中国の踊り,あし笛の踊り)
  3. 花のワルツ
●小序曲
その名のとおり小規模で小回りのきいた可愛らしい感じの序曲です。中音部以上の楽器で書かれているので,おもちゃのオーケストラといった感じに響きます。弦楽器による,ひそやかに弾むような主題で始まります。第2主題は弦のピチカートの上に流れるようなカンタービレが歌われます。展開部はなく,この2つの主題が繰り返されて第1幕に入っていきます。

●第1幕
第1場
1)情景 クリスマス・ツリー
パーティの準備をしている光景です。弦楽器のひそやかなメロディで始まります。木管楽器の音の動きはロウソクの光のまたたきを暗示しています。ティンパニの強奏に続いて子供たちが客間に登場し,次の行進曲に移って行きます。

2)行進曲

演奏会用組曲にも含まれている有名な曲です。子供たちがクリスマスツリーの巡って踊ります。まず,クラリネット,ホルン,トランペットで可愛らしいファンファーレのようなテーマが演奏されます。続いて弦楽器で出てくる,弾むようなメロディは子供たちがうきうきしている様子を表しているようです。これらのテーマは何度も何度も繰り返して出てきます。途中フルートなどによる速い動きの部分が出てきますが,すぐに再度ファンファーレ風のメロディと弾むようなが戻ってきます

3)小さなギャロップ。新しいお客様の登場
第1ヴァイオリンによって軽やかなギャロップの音楽が演奏されます。テンポがアンダンテになり,堂々としたメヌエットになると,仮装した親たちが現れます。その後,6/8拍子のタランテラを踊ります。この曲のオリジナルはフランスの俗謡「どうぞご無事に愛しのデュモレ」という曲です。

4)踊りの情景。子供たちへの贈物
音楽が突然やんで,ヴィオラとトロンボーンによるアンダンティーノでドロッセルマイヤー老人がやってきます。ドロッセルマイヤーは子供たちにプレゼントを渡します。ヴァイオリンとフルートによる優美な音楽は子供たちの期待と不安を表しています。続いて,クラリネットとファゴットがチェロとコントラバスの伴奏の上に重奏します。子供たちのがっかりした気分を表現しています。

老人はバネ仕掛けの人形を取り出します。ここで兵隊人形アルルカンと女の子の人形コロンビーヌによってパ・ド・ドゥが踊られます。クラリネットがユーモラスなメロディを演奏した後,ヴァイオリンが主旋律を演奏するワルツに変わります。最後は暗い感じの切迫した感じの音楽になります。

5)情景 グロースファーターの踊り
第1ヴァイオリンが他の弦楽器のピツィカートを伴奏にワルツを演奏し,子供たちの就寝時間が来たことを暗示します。人形を寝室に持っていこうとして子供たちは注意され,子供たちは不満です。アンダンティーノの明るく軽やかなメロディに変わり,老人はポケットからくるみ割り人形を出して2人の子供に渡します。ガラガラ(ラトルという楽器。指揮者のサイモン・ラトルの名前と同じです)の音が加わり,おもちゃの気分を出します。子供たちは人形の奪い合いを始めます。男の子のフリッツは人形を床に投げつけて壊してしまいます。

女の子のクララは,抱き上げ人形用のベッドに寝かせます。哀れな感じのメロディがオーボエ,フルート順に演奏されます。フリッツの方は勝ち誇ったように,おもちゃのラッパやドラムを鳴らし部屋中をはしゃぎまわります。その騒ぎを鎮めるために両親はお客様に「グロースファーター」の踊りをはじめてもらう。この音楽はパーティの終曲にふさわしい古典的な雰囲気のあるものです。シューマンの「蝶々」というピアノ曲にも使われていますが,チャイコフスキーは民謡集から採っています。

6)情景 お客様の退場。子供たちは寝室へ。魔法の始まり
ハープの伴奏の上に,子守唄のメロディが滑らかに演奏されます。パーティは終わり,お客様も子供たちも帰って行きます。クララとフリッツも寝室に去って,広間の灯りも消え,静かになります。

間もなくクララがくるみ割り人形を取りに忍び足でやってきます。クララは不気味さにのまれてしまいます。この辺の音楽の雰囲気はとても幻想的です。クラリネットとファゴットの重奏で,彼女は人形に近づきますが,突如,柱の時計が12時を告げます。驚いているクララの前にねずみが現れ,部屋を駆け回ります。ハープとクラリネットの伴奏の上に,ヴァイオリンの幻想的なメロディが出てくると,クリスマスツリーがどんどん大きくなってきます。お菓子から兵隊人形が表れて,部屋を歩き出したり,ドラマティックに盛り上がり,ファンタジーの世界に入り込んで行きます。

7)情景 くるみ割り人形とねずみの王様との戦闘。くるみ割り人形の勝利。そして人形は王子に姿を変える
オーボエの不吉な音に続いて,ピストルの音が入ります。これを合図に兵隊人形とねずみの大群が戦闘を始めます。かなり切迫した雰囲気になってきますが,おもちゃの戦争らしく,コミカルな雰囲気もあります。やがて,くるみ割り人形がベッドから起き上がって兵隊人形を指揮し,ねずみの王様との一騎打ちになります。くるみ割り人形が危なくなった時に,クララがスリッパをねずみの王様に投げつけます。ねずみの大群は逃げ去り,人形が勝利を収める。優美な旋律が弦楽器で現れます。くるみ割り人形は,いつの間にか王子に姿を変え,クララもレディになっています。王子はクララをお菓子の国へ招待しましょうと言い,二人は手取り合って旅立ちます。

8)情景 冬の松林
前の曲から引き続いて,ハープの上にホルン,クラリネット,ヴァイオリンが哀愁を帯びたメロディを演奏します。この音楽は幸福感に満たされた感じで繰り返され,ぐっと盛り上がります。クララと王子の道行の音楽です。雪の精が松明を手に2人を出迎え道案内をしてくれます。

9)雪片のワルツ
ここで初めて伝統的なバレエらしい雰囲気になります。雪の精の王様と女王が華麗なワルツを踊り,白い衣装を着たコールド・バレエが登場します。音楽ははじめはフルートを中心に断片的にパラパラと出てきます。雪が飛び散る様子を幻想的に描きます。続いて,24名編成の児童合唱によってホ長調の合唱が出てきます(この合唱は,歌詞を歌っているのではなく,ヴォカリーズです)。バレエに合唱が入ることは非常に珍しいのですが,この合唱が入ると,まさに天国的な気分になり,詩的な雰囲気を非常に盛り上がります。プレストのギャロップに変わり,再び粉雪が舞う情景になります。再度合唱が出てきて第1幕が結ばれます。

●第2幕
第2幕の方はほとんどストーリー展開はありません。楽しいお菓子の国の場面がずっと続きます。第2幕は最初と最後に同じメロディが出てきてとてもまとまりが良いので,演奏会でも演奏されることがあるようです。

10)情景 魔法の城
ハープのアルペジオに乗って希望と幸福に溢れたメロディが演奏されます。木管楽器群のきらびやかな上昇する音型に伴われ,ますます華麗に展開していきます。いよいよお菓子の国に入って行きます。

11)情景 クララと王子とくるみ割り人形の登場
王子とクララの2人はバラ色の氷の川を金の舟に乗ってやってきます。女王をはじめ大勢の精が2人を出迎えます。音楽は堂々とした感じの部分が続きます。王子は,女王に「この人は命の恩人だ」とクララを紹介します。ねずみとの戦いの主題が再現しますが,その後,ファンファーレが響き,クララを歓迎するパーティの始まりとなります。

12)ディヴェルティスマン
以下,世界各国のお菓子の精による踊りが続きます。
a)チョコレート スペインの踊り
ボレロのリズムに乗って,トランペットがキレ良く爽快に演奏します。

b)コーヒー アラビアの踊り
ここから後は,演奏会用組曲に含まれているおなじみの曲が続きます。東洋風のキャラクターダンスです。もとはグルジアの子守唄だったものです。弱音器を付けたチェロとヴィオラによる原始的な太鼓風の伴奏の上に,イングリッシュ・ホルンとクラリネットがエキゾチックなメロディを演奏します。その後を弱音器を付けたヴァイオリンが引き継ぎます。

c)お茶 中国の踊り
演奏会用組曲に含まれている曲です。ファゴットとコントラバスの単調な伴奏の上にフルートが一気に音階を駆け上がっていく特徴のあるメロディを演奏します。弦楽器によるピツィカートも中国風の味を出しています。

d)トレパック ロシアの踊り
演奏会用組曲に含まれている曲です。ロシア農民の踊りです。モルト・ヴィヴァーチェという指定どおり,非常に活気のある曲です。力強いメロディが第1ヴァイオリンによって繰り返されます。後半はテンポを上げ,嵐のようなアッチェレランドで一気に曲が終わります。

e)あし笛の踊り
演奏会用組曲に含まれている曲です。アーモンド菓子の女羊飼いがあし笛を吹いて踊る曲です。弦楽器のピツィカートの伴奏に乗って3本のフルートが思わず耳を弾き付けてくれるような魅力的なメロディを演奏します。中間部は短調になり,金管楽器が新しいメロディを演奏します。

f)メール・シゴンニュとポリシネルたちの踊り
タンブリンの明るいリズムに乗って,楽しげなメロディがヴァイオリンに現れます。これは靴に住む老婦人が大勢の子供たちと踊る曲です。中間部は道化師が踊る様子を描いています。フランスの3曲の童謡をあれこれ使っていますが,これらはチャイコフスキー自身子供のときに愛唱した曲とのことです。

13)花のワルツ
全曲中もっとも華やかで有名な曲です。もちろん演奏会用組曲に含まれています。こんぺい糖の精の侍女24名が華麗に踊ります。木管楽器による序奏に続いて,ハープのカデンツァになります。その後,ホルンが優雅なワルツのメロディを和音で演奏します。このメロディをクラリネットが受けます。フォルテになって盛り上がると,弦楽器がスルスルと入ってきて,非常に豪華な感じのワルツになります。その後も,フルートやオーボエの魅力的なメロディが次々と出てきます。途中,ちょっとメランコリックな感じになりますが,最後は,ますます豪華な感じになり,テンポもアップして,華麗に終わります。チャイコフスキーのメロディメーカーとしての才能,サウンドの魅力などが凝縮されているとても魅力的な曲です。

14)パ・ド・ドゥ
いよいよ全曲中の見せ場になります。このパ・ド・ドゥは,原台本ではこんぺい糖の精+コクリーシ王子が踊ることになっていますが,現在では,(1)こんぺい糖の精+くるみ割り人形の王子,(2)クララ+くるみ割り人形の王子,という2通りの演出があります。グラン・パ・ド・ドゥ形式で4つの部分から成っています。

a)アダージョ
ハープのカデンツァの後,チェロによって感情のこもったメロディが演奏されます。「ドーシラソファミレド」と音階を弾いているだけなのに,どうしてこんなに豊かな情感が漂うのか不思議です。やはりチャイコフスキーは天才なのでしょう。中間部ではクラリネットの哀愁のある旋律が出てきます。後半は「ドーシラソファミレド」がさらに劇的に展開し,喜びに包まれていきます。この辺のトロンボーンの入り方は「白鳥の湖」などにも出てきそうです。

b)ヴァリアシオン1 タランテラ
王子がタランテラを一人で踊ります。フルートで主旋律は演奏されます。派手で勇壮なダンスです。

c)ヴァリアシオン2 こんぺい糖の精の踊り
演奏会用組曲に含まれている曲です。こんぺい糖の精が一人で踊ります。弦楽のピチカートにのって,チェレスタがちょっと不思議でファンタジー溢れるメロディを演奏します。バス・クラリネットが合いの手も面白い味を出しています。この曲の終わり方は組曲版と全曲版では少し違っています。

d)コーダ
グラン・パ・ド・ドゥの終曲に相応しい快活な曲です。快適なリズムに乗って流れるようなメロディが弦楽器に出てきます。

15)終幕のワルツとアポテオーズ
全員がにぎやかにワルツになります。いつまでも終わって欲しくない幸福感に包まれます。中間部のメロディは弦がピツィカートの上に木管楽器で出てきます。チェレスタとハープの後,トランペットにメロディが出てきて,再度,最初の部分に戻ります。

その後,第2幕最初の情景の主題が戻ってきて,アポテオーズになります。王冠をかぶったクララはお菓子の国の人々から祝福されます。みつばちに扮した8人の子供が登場し,チェレスタの神秘的な響きが色彩を添える中バレエ全曲は幕となります。...と書いたのですが,別の本によるとこのアポテオーズの部分は「一転してクララの部屋に戻る。おとぎの国での楽しい宴は夢だったのである。クララはくるみ割り人形をヒシと抱きしめる(幕)」ということになります。

私が見たことのあるビデオでは,後者の方でした。やはり「すべて夢だった」というちょっと甘酸っぱいようなストーリーの方が一般的でしょう。(2002/9/22)