イーヴォ・ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル
97/11/13 ザ・シンフォニー・ホール

1)バッハ,J.S./平均率クラヴィーア曲集第1巻〜第15番ト長調,BWV.860
2)バッハ,J.S./平均率クラヴィーア曲集第1巻〜第21番ト短調,BWV.866
3)バッハ,J.S./イギリス組曲第3番ト短調,BWV.808
4)シューマン/トッカータ,ハ長調,op.7
5)ショパン/24ノ前奏曲,op.28
(アンコール)
6)ブラームス/3つの間奏曲,op.117−1〜3
7)グラナドス/スペイン舞曲集,op.37〜アンダルーサ,マズルカ
●演奏
イーヴォ・ポゴレリッチ(Pf)

別メッセージにも書いたように先週,研修のために大阪に行ってきたのですが,ポゴレリッチのリサイタルという「滅多にない機会」があったので,思い切って出かけてきました。4泊のうち2晩コンサートに出かけてしまい,何のために大阪に来たのかわからないことになりまいました。

さすがに会場はほぼ満席で,前々日に券を買った私の席はほとんど選択の余地のない2階の上の方の席でした。オペラグラスなど持って行かなかったのでポゴレリッチの表情などは全然見えませんでした(しかも,ステージはピアノの周辺以外は真っ暗)。

ポゴレリッチはゆっくりした足取りで怪しげな雰囲気(髪を後ろで束ねていました。)で登場しました。大してお辞儀もせず,すぐに1曲目を弾き始めました。驚いたことに前半のプログラムは一度も中断されずに一気に弾かれました。曲が終わっても鍵盤から手をあまり離さなかったせいもあるのですが,「拍手を入れると演奏者の気分を壊すから悪いかな?」と思わせるような雰囲気があったのも確かでした。この辺はすでに大家の雰囲気でした。

会場が暗かったせいか,演奏会全体に緊張感が張り詰めていました。暗くしていたのは,演奏に対する集中力を高めるためだと思いますが,ポゴレリッチはお客さんのために弾いているというよりは自分のために弾いているという感じでした。完璧に演奏していた(私にはそのように聞こえました)のでライブの演奏というよりはスタジオ録音をホールで聴いているような気さえしました。そういう面ではやはりグールドと似た方向のピアニストなのかもしれません。

前半のバッハはほとんど弱音で弾いていました。速いパッセージは軽く,遅い曲は異常に遅いといった感じの演奏でした。その対比は,やはり,グールドのゴールドベルク変奏曲(私はこれしか聞いたことがないので)を思わせるところがありました。特に遅い楽章に対するこだわりは並のものではないと思いました。実は,ポゴレリッチはもっと変な演奏家かと思っていたのですが,雰囲気は別として出て来る音や技巧は正統的だと思いました。ピアノからフォルテまで力が入りすぎているところは全くなく,すべてきれいな音でした。確かに独特の解釈なのですが,自分の世界に観客を引き込む説得力には大変なものがありました。これは,自信を持って弾いていることと,正統的な技巧によるものと思いました。

バッハに引き続いて,シューマンのトッカータまでもが拍手なしで続けて弾かれてしまったのですが(全然違和感がなかったです),これも息が出来ないほど(曲がそういう曲なのですが)見事(というか立派)な演奏でした。バッハの時よりは華やかな技巧と重くはないが十分迫力のあるタッチを堪能できました。

前半が一気に終わり,休憩には少しリラックスしたくなって,ワインを1杯飲みました。そのお陰で後半は,ますますポゴレリッチの世界に浸ることができました。

後半はショパンの24の前奏曲だけということで当然拍手で中断されることもなかったのですが,時計を見てみると何と45分以上もかかっていました。太田胃酸のCMの曲,雨垂れをはじめ、遅い曲が異様に遅かったのですが、のめり込んで聴いてしまったせいか,全然長く感じませんでした。全24曲を一つの宇宙のように感じさせる演奏でした。これほど集中して聞けたことも珍しいことでした。前半同様,音は明るく軽目なのですが,独特のテンポで弾いているため、ミステリアスな雰囲気が漂っていました。ただ遅く弾いているだけでも、緊張感が途切れないのはさすがでした。この曲自体生で聴いたのは初めてだったのですが,素晴らしい作品だと再認識しました。

曲が終わっても(表情はわからなかったのですが)やはりあいさつがそっけなかったので,アンコールなど全くしないのかと思ったら,延々とアンコールが始まりました。これだけ長いアンコールは初めての経験でした。最初のブラームスは非常に渋い曲で曲ごとに拍手が入りませんでした。拍手なしで3曲続けてアンコールというのは珍しいケースだと思います。グラナドスの2曲の方はさすがに別々に弾かれました。

私自身,芸人や職人のような(永六輔さんの著書ではありませんが)演奏家も好きなのですが,こういう「本物の芸術家」という感じの演奏家を聴いたことがなかったので大変貴重な経験をすることができたと思っています。いずれにしても,「ピアニストには変わった人が多い」という通説?は正しいとあらためて感じました。