ビエンナーレいしかわ秋の芸術祭1999・蝶々夫人
99/10/31 金沢市観光会館

プッチーニ/歌劇「蝶々夫人」(イタリア語上演)
●演奏
天沼裕子指揮OEns金沢/OEns金沢Cho(合唱指揮:大谷研二)演出:近江養
濱真奈美(蝶々さん,S)/レンツォ・ズリアン(ピンカートン,T)/志村文彦(シャープレス,Br)/森永朝子(スズキ,Ms)/山本義人(ゴロー,T)/松本進(ボンゾ,Br)/長野江利子(ケート,Ms)/多田康芳(ヤマドリ,神官,Br)/上野梨沙(蝶々さんの子供)

「蝶々夫人」といえばすべてのオペラの中でいちばん泣かせるオペラだということは聞いていたのですが,これほど泣けるとは思いませんでした。私自身このオペラを生で観るのは始めてのことですが,「蝶々さん初体験」の人が多い(と思われる)金沢の聴衆も大感激していました。終幕後の拍手には非常に熱がこもっていました。

「オペラを観る時は予習をする」というのが理想だと思うのですが,この曲に関しては,予習なしでも十分理解できたと思います。上演には字幕も付いていましたが,幕切れの部分をはじめとして字幕なしでも十分話の流れは理解できました。私はカラヤン指揮ウィーン・フィル,フレーニ,ドミンゴのビデオで予習をしたのですが,外国人の和服&白塗り姿ばかりが気になり,肝心の音楽の方には集中できませんでした。が,生で観ると迫力と緊張感が全然違います。これは,プッチーニの音楽の凄さに尽きるのではないかと思います。もちろん,この凄さを歪めず伝えた演出及び演奏の見事さも賞賛されるべきと思います。

プッチーニの音楽は,登場人物の感情の起伏を最大限に増幅しているような音楽だと思います。ライトモチーフを多用し,ほとんど音楽だけで内容を伝えているのではないかと感じました。第1幕幕切れの愛の二重唱,第2幕の「ある晴れた日に」「ハミング・コーラス」,第2幕幕切れの「かわいい坊や〜蝶々さんの死」とそれぞれどこかで聴いたことのあるような曲なのですが,ドラマの流れの中で聴くと非常に効果的なのです。「さくらさくら」「君が代」など日本の旋律をうまく配しているのも心憎いばかりです。計算され尽くした隙のない傑作だと思います。

「愛の二重唱」は照明がだんだん暗くなっていく中で,曲の甘さがだんだんと盛り上がっていきます。そのクライマックスで最高音が出てくるとゾクっとします。この延々と続く二重唱が2幕以降の悲劇を引きたてています。「ある晴れた日に」は独立して聴くことの多いアリアですが,ストーリーの中で聴くと,中間部にテンポや表情の変化が頻繁にあり,非常にドラマチックでした。愛の二重唱の後に,この曲を聴くだけで結構グッと来ます。2幕1場の幕切れには花を部屋中に蒔きながら歌う蝶々さんとスズキの二重唱があるのですが,これもストーリーの中で聴くと「美しくも悲しい」という(陳腐な表現でしか伝えられないのが残念ですが)雰囲気になります。引き続いてのハミング・コーラスも見事でした。特にこの日の演出は半透明のスクリーンの向こうに寝ずに待ちつづける3人をスポット・ライトで映し出すという演出で非常に効果的でした。その間3人は全然動かないのです。蝶々さんの一途さが伝わってきてこれまた涙を誘います。第2幕の1場と2場は休憩なしで連続して演奏されました。これも緊張感を持続させるには良いと思いました。これだと2幕はかなり長くなるのですが,この日の演奏は全然長さを感じさせませんでした。最後の場でピンカートン夫人と蝶々さんが対面する場面があるのですが,ここではそんなに大げさにならず,非常に現実的な音楽になっていました。ここで受けた衝撃を抑えている分,最後の「かわいい坊や」で一気に感情が爆発する感じでした。この場は死ぬ直前に自分の幼い子供が駆け込んでくるという状況なのですが,ここでああいう胸を突くような音楽が流れると,涙,涙にならざるを得ません。思い出しただけで泣けそうです。その後,切腹ということになるのですが,この日の演出では,ステージの真中に蝶々さんが倒れ,まわりは暗くなり,スポット・ライトの中で天井から花びらのようなものが散ってくる,という絵に描いたような日本的な演出でした。

この日の演出は,最後の場面に象徴されるように,非常に正統的で日本らしさを素直に出していました。セットも非常に綺麗で,そのまま歌舞伎の世話物に使えそうでした。こういうスタンダードな演出で最初に観られたことは幸運だと思いました。プッチーニの音楽の完成度も非常に高いのですが,この演出も文句のつけようがないと思いました。カラヤン版はポネルの演出なのですが,全般に幻想的で白っぽい印象でした。個人的には,衣装を含め歌舞伎の舞台のように明るい前半から段々とシリアスさを増して行く今回の演出の方が好きです。というわけで演奏を誉めているのか曲を誉めているのかわからなくなってくるのですが,そのことがこの日の演奏に対する最大の賛辞になると思います。

歌手も皆素晴らしかったと思いました。実は,タイトル・ロールの濱さんは金沢出身で,ピンカートンのズリアンさんはその旦那様なのですが,そういう身内意識を差し引いても見事な歌唱だったと思いました。濱さんは海外でも蝶々さん役で活躍しているだけあって,よく歌い込まれた歌唱でした。リリックな感じはあまりしませんでしたが,その分ドラマティックな部分での聴き応えがありました。ズリアンさんの方は,非常によく通る明るい声で,「これがイタリア人の声か」という印象を持ちました。そのストレートな感じがピンカートンに相応しいと思いました。やはり「日本人の蝶々さん+イタリア人のピンカートン」という今回のような組み合わせが最高かもしれません。脇役も不足はありませんでしたが,もう少し大人の貫禄みたいなものがあると良いと思いました。役の性格としては,主役2人が子供,シャープレスとスズキが大人ということになると思いますが,その辺の対比がもう少し鮮明に出ているとよいと思いました。

合唱は,ビデオで観たときと違って,声がステージいっぱいに広がり舞台の雰囲気に奥行きを与えていました。蝶々さんの出の場など,晴れ着を着た女の人がいっぱい出てきて,歌舞伎を見るような華やかさがありました。ただ,ハミング・コーラスの音程は少々悪かったような気がしました。

指揮は,久しぶりにOEKの演奏会に登場した天沼裕子さんでした。出だしのフーガ風の部分は低弦が少ないせいか,少々緊迫感がないような気がしたのですが,全般にプッチーニの音楽の流れの良さをうまく表現していたと思います。室内楽的な響きの部分とか幕切れの打楽器の強打などアンサンブル金沢ならではのプッチーニになっていました。特に幕切れの鮮やかさは見事でした。ハッするような雰囲気の転換も随所にあり,新鮮さにあふれていました。長いオペラを退屈せずに観られたのも天沼さん指揮のお陰かもしれません。

今回のオペラは,「石川県の文化を全国に発信する」のが目的ということでしたが,このレベルならどこに出しても通用するのではないかと思いました。こういうオペラを最高でも8000円という価格で観られるというのは幸せなことだと思います。「蝶々さん」を初めて聴いて少々興奮気味になってしまいましたが,この日の演奏で金沢市のオペラ・ファンが増えたことは確実だと思います。