ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2001
01/10/17石川県立音楽堂コンサートホール

ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調op.60
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」
(アンコール)シベリウス/劇音楽「クオレマ」〜鶴のいる情景
●演奏
サー・サイモン・ラトル/ウィーンPO
ライナー・キュッヒル(コンサートマスター)

Review by管理人hs

サイモン・ラトルのサイン。プログラム(\500)の上に書いて頂きました。石川県立音楽堂の開館記念事業の中ではもっとも入場料が高額なイベントであるウィーン・フィルの金沢公演に行ってきました。いちばん高額なのに満席(それとも,高額だから満席?)ということは,ウィーン・フィル・ブランドが健在だということを意味しているのですが,今回は,現在,世界中でもっとも人気の高い指揮者の1人であるサイモン・ラトルが登場したこともその一因だったと思います。今回の来日公演では,東京,倉敷,名古屋,金沢でしか演奏会は行われないのですが,そのせいか県外からもかなりお客さんが来ていたようでした。いずれにしても,石川県立音楽堂がこれだけ満員になったのは今回が初めてだと思います(補助席も出ていました)。

私自身は,ウィーン・フィルを聞くのは2回目です。前回は,今から10年ほど前のことでした。その時は,知人の代わりにたまたま行ったものでした。その人はカルロス・クライバーのファンで,ウィーン・フィルの大阪公演のチケット(ホテル・JR特急券付き)を手に入れたのですが,例によってクライバーの公演がキャンセルになってしまい,今は亡きシノーポリが代役で指揮をすることになりました。その人は,「シノーポリなら行かない」ということで,チケットのセットを丸ごと私に売りつけてきました。私の方は,「シノーポリでもよい(失礼)」,ということでわざわざ大阪フェスティバルホールまで行って聞いてきました。マーラーの巨人などを演奏したのですが...残念ながらあまり記憶に残っていません。コンサート・マスターが今は亡きゲルハルト・ヘッツェルさんだったことだけ覚えています。

金沢では,確か,1970年代の後半に,クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮で演奏会が行われたはずですが,私はまだ中学生でしたので行っていません。ドホナーニという指揮者は,今ではとても有名ですが,当時は,カール・ベームが大人気の時代だったので,影の薄い存在でした。ウィーン・フィルが金沢に来るのはそれ以来のことになります。

前置きが長くなりましたが,今回のウィーン・フィルの来日公演では,東京でベートーヴェンの交響曲全集を演奏するということもあり,金沢でもベートーヴェンの交響曲2曲というプログラムになりました。私の個人的な思いでは,マーラー,ブルックナーなど金沢で滅多に聞けない大規模な交響曲を聴きたかったのですが,サイモン・ラトルの指揮ならきっと新鮮なベートーヴェンになるだろうという思いもあり,出かけることにしました(当初は,もっと安い席のはずだったのですが,抽選ではずれてしまい,敗者復活でA席25,000円になりました)。

まず,この日のウィーン・フィルの編成ですが,かなり小さい編成でした(古典派の曲を演奏する場合はこれぐらいが普通なのかもしれませんが)。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の編成に弦楽器を15人ぐらい加えたぐらいの編成だったと思います。特に第4交響曲の時はコントラバスは4人しかいませんでした(英雄の方は6人)。ヴァイオリンは,第1と第2が向かい合う配置でした。ティンパニは,下手奥に居て,その隣にトランペット,ホルン(正面奥)の順に並んでいました。事故があった時のためのスペアのヴァイオリンが前列の奏者の間に吊り下げてあるのも初めて見る光景でした。

開演の時間になって,ウィーン・フィルの団員がステージに入って来たのですが,先頭は,コンサート・マスターのキュッヒルさんでした。前回のウィーン・フィルの公演に行った時もヘッツェルさんを先頭に入って来たので,これはウィーン・フィル方式なのかもしれません。全員入り終わるまで,全員が立って待っていましたが,これは来日公演ということで敬意を示してくれていたのかもしれません。その後のチューニングなのですが,オーボエにではなく,いきなり,コンサートマスターの音に合わせていたように聞こえました。

今回のベートーヴェンですが,ラトルの個性とウィーン・フィルの特徴とがうまく融合した面白い演奏になっていたと思います。ラトルの指揮には,かなりやんちゃな雰囲気があり,随所にデフォルメされたような表現が出てくるのですが,ウィーン・フィルが演奏すると,それが「やり過ぎ」に聞こえません。中途半端というわけではなく,全体のバランスが崩れないのです。ラトルは,かなり自由に好き放題に指揮しているように見えましたが,力で押すような荒々しさはなく,ウィーン・フィルは,それを柔らかく受けとめているようなところがありました。それでいて,緩んだところがないのは,ラトルの意図がウィーン・フィルに浸透していたからだと思います。ふやけたところが全く無い,引き締まった演奏でしたが,この辺は,古楽器演奏の影響を受けているのかもしれません。ティンパニの音も比較的堅い感じの音でした。

前半は,第4交響曲が演奏されました。この曲では,後半に行くほど,ラトル的になっていたと思いました。第1楽章の序奏は,堂々としたテンポで,落ち着きと透明感のある滑らかな弦の響きが印象に残りましたが,主部に入ると一気にスピード感が増し,直線的な感じになりました。それでも荒々しい雰囲気はなく,全体にすっきりとまとまっていました。弦楽器の響きは重苦しくなく,すべての楽器に微妙なニュアンスが自然についた,室内楽的な雰囲気のある演奏でした。

印象に残ったのは,木管楽器の素晴らしさでした。第4交響曲ではフルートがヴォルフガング・シュルツ,クラリネットのトップがペーター・シュミードル,オーボエのトップが...顔はよく見掛けるのですが名前は知らない...ということで「伝統的なウィーン・フィル」を代表するようなソリストが並んでいるような感じでした。その楽器の間のメロディの受渡しが滑らかで,主役,脇役の交代が非常にスムーズだと思いました。特に,シュルツさんのフルートはとても明るくよく通る音で特に印象に残りました。2楽章の終わり付近や3楽章中間部にその辺の面白さが出ていました。

3,4楽章は,かなり速いテンポでした。楽器編成が小さかったせいか,非常にキレ味の良い演奏でした。第4楽章のいちばん最後のコントラバスの速い動きなど見事でした。4楽章のファゴットの難所も,速いテンポにも関わらず弾き切っていました。3楽章では,通常と雰囲気の違う響きのする箇所があったのですが,これは楽譜の違いのせいかもしれません。

後半の英雄も,予想どおり新鮮な演奏になっていました。恐らく,従来の楽譜とは違った,最近の研究の成果を取り入れた版で演奏していたのではないかと思います。よく問題になる,第1楽章の最後のトランペットの「ドーミドーソドミソソー」(移動ド唱法)の部分ですが,ほとんど埋もれて聞こえない感じでした。ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏などでは,突如旋律が消えてしまうのですが,今回の演奏は,最初から目立たないようにしていた感じでした。このこと自体は,演奏の新鮮さと関係はないのですが,その他にも音の強弱の付け方で聞きなれないような箇所が所々ありました。ただし,この辺はラトルの解釈なのか楽譜の違いによるのか私には判断できません。

第1楽章は,提示部の繰り返しも行っていましたが(第4番でも行っていました),非常に快適なテンポだったので,長く感じることはありませんでした。アクセントの付け方も非常にスマートな感じでした。

第2楽章は,かなり遅いテンポで,非常に不気味な雰囲気がありました。ウィーン・フィルのオーボエの音は,独特な音だと思うのですが,この楽章では,マーラーの後期の交響曲あたりに通じるような寂しい雰囲気がありました。葬送行進曲の旋律が再現してくる直前の部分は,これまで聞いたことも無いような強弱の付け方をしており,ドキリとしました。なお,オーボエとフルートは第4番の時とは別の奏者(もっと若い人)が演奏していました。

第3楽章は,快適なテンポの演奏でした。中間部のホルンは,音のバランスが揃っていて,さすがウィーン・フィルという感じでした。

第4楽章も,あちこちデフォルメされたところのある独特な演奏でした。変奏の主題の後に来る「トン・トン・トン」というリズムをやけに強調していたようでした。コーダは,じっくり落としたテンポで立派に演奏していました。このコーダのテンポ感については,岩城宏之さんが書いた文章の中で,「遅いほうが,弦の響きが美しく響き,理にかなっている」ということを読んだことがあります。そのとおりの演奏でした。ホルンの強奏も見事でした。

というわけで,第4番よりもあれこれ変わったところが目立つ演奏でしたが,それでも不自然な感じにならないのがラトルの素晴らしさです。ラトルの指揮を見ていると,精密に音を揃えるるよりは,オーケストラの勢いをうまく作ろうとしているように見えました。ニュアンスの変化にも富んだ演奏だったのですが,ラトルがこだわっているのかオーケストラの色合いが自然に変化しているかが区別できないようなところがありました。この日の演奏は,力で圧倒するような演奏ではありませんでしたが,ラトルの知的なこだわりとウィーン・フィルの自発性とがライブ特有の熱気の中で融合した見事な演奏になっていました。

アンコールには,シベリウスの小品が演奏されました。弦楽器の弱音を主体とした非常に美しい曲でしたが,ベートーヴェン・チクルスの中で1曲だけシベリウスを入れるというのは少々変な気がしました。非常に素晴らしい演奏だっただけに,これは日を改めて(そういう機会が来てくれるとよいのですが)演奏してもらった方が良かったのではないか,と思いました(それとも,金沢だけの特別なプレゼントだったのでしょうか?)。

(余談)演奏会の後,これは何としてもサインをもらわなければと思い,演奏会後,楽屋口に行ってみました。同じようなことを考えている人が何人もいたのですが,団員は出てきても,ラトルはなかなか出てきませんでした。が...長く待ったかいがあって,最終的にはサインをもらうことができました。係の人が「ラトルはもう帰りました」と一旦言ったのですが,なかなか皆さん楽屋口から立ち去らないので(タクシーが待っているのはどうみても怪しい),ついに「お一人様,一点」でサイン会をやってくれました。「ラトルはただいま酒を飲んでいます」と係の人は言ってましたが(何となくラトルらしい感じです),そのせいかとても上機嫌でした。

その他,管楽器奏者の人のサインをもらっている人もいました。「ヘーグナーだ!シュミードルだ!」と個別の奏者の顔がわかる人が大勢いるようでしたが,こういうのもウィーンフィルならではです。私にはペーター・シュミードルさんしかわかりませんでした。シュルツさんもわかるのですが出てきていなかったようでした。岩城さんやヴェルテンさんも楽屋口から出てきましたが,金沢もすっかり音楽都市になったような光景でした(そういえば,フルートのウィリアム・ベネットさんもやトランペットのウーヴェ・コミシュケさんも現在滞在中なのですね)。(2001/10/18)
ウィーン・フィル来日公演2001