ヴァレリー・アファナシエフ・ピアノリサイタル
01/11/01石川県立音楽堂コンサートホール

モーツァルト/幻想曲ニ短調K.397
モーツァルト/ロンドニ長調K.485
モーツァルト/ロンドイ短調K.511
モーツァルト/ロマンス変イ長調K.Anh.205
モーツァルト/アダージョロ短調K.540
モーツァルト/幻想曲ハ短調K.475
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457
●演奏
ヴァレリー・アファナシエフ(Pf)


Review by管理人hs

石川県立音楽堂の開館記念事業のコンセプトは,「このホールでできることをすべてお見しましょう」ということだと思うのですが,今回は,新ホールになって初めてのピアノ・リサイタルでした。登場したのは,ロシアのピアニスト,ヴァレリー・アファナシエフでした。この人の「変わった演奏」については雑誌のCD評で読んだことしかなかったのですが,この日の演奏は,その予想どおりの独特の雰囲気に包まれました。恐らく,賛否両論あったと思うのですが,私は凄いピアニストだと思いました。

まず,ピアノ・リサイタルにも関わらず,ステージ上にピアノがないのに気付きました。恐らく,舞台裏で微妙な調整をしていたのだと思います。ピアノは,開演20分ほど前になって運び込まれてきましたが,こういうケースは珍しいと思います。開演直前のお決まりの注意事項に続き,「演奏者の希望により曲間の拍手はご遠慮下さい」という異例のアナウンスが入りました。この辺からいつもと違う雰囲気になってきました。会場全体の照明が落とされ,ピアノの周辺だけのスポット・ライトになると,アファナシエフさんが袖から登場しました。まっすぐにピアノに向かい,拍手に答えずにそのまま弾き始めました。こういう,「無礼な」ピアニストを見たのは初めてでした。数年前に行ったイーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルにもこういういう雰囲気はありましたが,会釈ぐらいはしていたと思います。

プログラムは,選曲からしてよく考えられていました。基本的に,モーツァルトには珍しい短調の作品を中心に構成されていました。前半は,ピアノ小品を組み合せたもの,後半はピアノ・ソナタという構成になっていました。

前半は,「短調−長調−短調−長調−短調」というシンメトリカルな構成になっていました。拍手を入れて欲しくなかったのも,これら全体を1つの世界として聴いて欲しいという意図があったからだと思います。この組み合せによって,明暗の対比,緊張と弛緩の対比が出ていました。時間感覚がほとんどなくなってしまうほど集中力を強いる演奏だったので,各曲の長さははっきりしないのですが,各曲とも非常に遅いテンポで克明に演奏されていました。両端に短調の曲を置き,間にやや規模の小さい長調の曲を入れ,変化をつけていましたが,小品集だけでこれだけの聴き応えがあるというのは,ただことではありません。

冒頭のニ短調の幻想曲は,ぞっとするほど美しい演奏でした。この曲は,グレン・グールドのCDの無気味な演奏も印象的ですが(この人の場合,ハミングが入っているのも怖い理由の一つ),それに迫るほどの無気味な演奏でした。グールドほどエキセントリックな弾き方ではないのですが,冒頭のアルペジオから幽霊でも出てきそうなぼんやりとした雰囲気が出ていました。その後に続く主題が突如,非常にクリアで冷たい音で弾かれると,会場内に緊張した空気が流れました。全体が弱音主体で弾かれ,休符の間を非常に長くとっていたので,まさに会場が凍りついて息が止まるような感じでした。後半の長調になる部分で少しはほっとするのですが,常に何かを問い掛けているような響きがあり,最後まで息が抜けませんでした。

続くニ長調のロンドは,比較的普通に演奏していました。それでも,遅目のテンポで非常に克明に演奏しており,そんなに大きな音で弾いているわけではないのに,音が体の中に染みとおってくるようでした。アファナシエフの指は,とてもスラッとしてしなやかな感じでしたが,その指が,鍵盤にぴったりと張り付いているようで(遠くからオペラグラスで見ていただけなので正確にはわかりませんが),動作を見ているだけで引き込まれてしまいました。

イ短調のロンドも同様の演奏でしたが,この曲は3拍子系の曲なので,ショパンのノクターンを聴くようなロマンティックな雰囲気もありました。最後の方をスタッカート風に弾くところも独特でした。

ロマンスという曲は初めて聴く曲でした。もしかしたらモーツァルトが作曲したのか疑わしい曲かもしれません。ニ長調のロンドと同じような位置づけがされていたようでした。

前半最後のアダージョは,特に聴き応えがありました。アファナシエフは,この日のプログラムと同様の曲を集めたCDを作っているのですが(この日の演奏を再度味わってみたくて会場で買ってしまいましたが,やはり,実演の緊張感は生でないと味わえません),そこに収録されているこの曲は16分もかかっています。この日の演奏時間の方は測っていませんが,やはり,それぐらいあったかもしれません。この曲にはフォルテの音も出てくるのですが,全く威圧的でないのが,印象的でした。その辺りが,この人の演奏を俗世間的な感じにしている理由の1つかもしれません。

後半は,幻想曲ハ短調とピアノソナタハ短調が続けて演奏されました。これらの曲が続けて演奏されることはよくありますが,後半がこの1曲だけというのは珍しいことです。演奏時間は全体で何と40分ほどもあり,この1曲だけでも十分な聞き応えがありました。演奏の傾向は,これまでと同様ですが,こういう規模の大きい曲になると,ますます,深い味わいが出てきます。ここでもフォルテの音がうるさく響くことがなく,絶えず何かを問い掛け,語っていました。フレーズの終わりの方で,念を入れるような感じで,テンポを微妙に落とすパターンもよく出てきました。そのことによって音楽の流れは止まるのですが,その代わり,何ともいえない意味深な雰囲気が出ていました。

アファナシエフの素晴らしいところは,じっくりとしたテンポにも関わらず,そのテンポが恣意的でなく,緊張感が途絶えない点にあります。それは,この人の頭の中に,常に,表現したいストーリーが明確にイメージされているからだと思います。アファナシエフは,小説も書いていますが,そういう音楽以外のイメージを常に曲の中に吹き込もうとしているようです。彼は,このモーツァルトのCDで”難解な”ライナー・ノートを書いているのですが,それを眺めてみるとそういう気がします。その「音楽以外のイメージ」が,具体的に浮かぶわけではないのですが,聞く方を妙に哲学的で詩的な気分にさせてくれます。それは,もちろんモーツァルトの短調の曲ばかりを弾いているせいもあります。そういう曲を選んだこと自体がアファナシエフのこだわりともいえます。冷たく,近寄りがたく,思索的な雰囲気があるのに,それほど重苦しくならないのは,絶えず美しい音色で演奏されているからです。音楽的に美しく,しかも文学的な味わいもあるような演奏を聞かせてくれる芸術家的な演奏家というのはそれほど多くないと思います。

というようなわけで,私は大変素晴らしい演奏家だと思ったのですが,エンターテイナーとしての雰囲気が皆無だったので,何も知らずに来た人は,予想していた演奏と違ってびっくりしたかもしれません。この日の客席は,かなり空席があったのですが,その中では意外に,男性1人で聞きに来ているようなお客さん(つまり,私と同じようなタイプです)が目立ちました。演奏者から聴衆まで,一味違った演奏会だったと言えそうです。(2001/11/02)
ヴァレリー・アファナシエフ・ピアノリサイタル