錦織健「オペラ講座」
02/1/6石川県立音楽堂交流ホール

Review by管理人hs
3月12日に金沢市観光会館で錦織健プロデュース・オペラの第1作のモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」が上演されます。そのプレ・イベントとして,錦織さん自身が,どういうオペラを作りたいのか,といったことを直接聴衆に語りかける「オペラ講座」が行われました。私は,オーケストラ・アンサンブル金沢の定期会員の特典割引でこのオペラのチケットを買ったのですが,その時に,このイベントの招待券ももらったので,「行かないと損」と思い出かけて来ました(単独で買うと2000円です)。

今回の講演が行われたのは,石川県立音楽堂の地下にある交流ホールでした。実は,このホールにちゃんと入るのは初めてのことでした。ただの平たい広場かと思っていたのですが,1階から地下へと階段状に段がついており,そこに腰掛けて聞くような感じになっていました。あれこれ,形を変えることのできる,なかなか面白いホールです。

お客さんは,予想以上に沢山入っていました。公演日の2ヶ月前にすでにチケットを買っている人ばかり,ということで,恐らく,錦織さんのファンが大勢いたのではないかと思います。もちろん,女性が多かったです。

司会者の紹介に続いて,錦織さんが登場しました。錦織さんは,鮮やかな黄色のセーターにジーンズというカジュアルな服装でした。できるだけリラックスして聞いてもらいたいという意図があったようです。お話の内容も非常にこなれており,とてもわかりやすい内容でした。内容は次の5点ぐらいにまとめられます。
  1. オペラの歴史
  2. 日本におけるオペラの歴史
  3. 現在の日本におけるオペラ公演の問題点と錦織健プロデュースの意図
  4. オペラはどの役が大変か?
  5. モーツァルトと「コシ・ファン・トゥッテ」について
実は,「コシ・ファン・トゥッテ」の内容を歌いながら説明してくれるような内容を期待していたのですが,いちばんの重点は(3)にあったようでした(「コシ・ファン・トゥッテ」については,予習なしでも分かります,ということのようです)。錦織さんは,クラシック音楽以外の分野にも進出しているので,軽く見られがちですが,実は,非常に日本の音楽界のことを考えているのだな,とお話を伺いながら痛感しました。

以下,1〜5の順に箇条書きで要点を紹介しましょう(実際は,錦織さんの軽妙な語り口で話されたものですので,これだけ読んでもその面白さは伝わらないと思いますが...。)

1.オペラの歴史
  • まず,この日の聴衆のオペラ体験を挙手で調査。大半が初心者。「私は,このようなお客様を得意としております」
  • オペラの歴史については...省略。
  • オペラの特徴として,レチタティーヴォを例に説明。「日本にはレチタティーヴォのようなものはないですね。唯一の例外は...月亭可朝の歌ぐらいでしょう(ギターのコードをポロンと弾いた後「ボインはぁ〜赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ〜」とやる歌)。」
  • オペラは3万作ぐらいあるらしいが,現在よく上演されるのは30作ぐらい。つまり,残っているものはどれも傑作である。
2.日本におけるオペラの歴史
  • 浅草オペラの時代:田谷力三さんの時代。錦織さんは,子供の頃,この人を見て「超ネクタイが大きい!しゃべりの時のトーンも非常に高い!何だかすごい!」と思った。日本的に勝手に翻案している浅草オペラには問題もあるが(例:ベアトリーチェ→ベアトリねえちゃん),評価すべき点も多い。
  • 藤原義江の時代:藤原歌劇団の誕生。
  • 1960年:錦織健の誕生(「もう41歳か」)とイタリア歌劇団の来日。本場を日本に紹介した意義は大きい。
  • 1980年代:引越し公演の時代。高額チケットがドンドン売れた。東京が大きな音楽市場になった。
3.現在の日本におけるオペラ公演の問題点と錦織健プロデュースの意図
  • 現在の日本の音楽界は,それなりに安定している。しかし,「公演は首都圏中心である」「東京の固定客頼み(高くても絶対行く人たち)」といった問題点がある。
  • マニアは放っておいても来る。ライトなクラシック・ファン(「たまにはクラシック音楽でも聞くか」といった選択肢を持つ人)を育成する必要がある。そのために錦織健が立ち上がった。しかし,「オペラの敷居は高くないですよ」というスタンスだと逆効果だった。「コシ・ファン・トゥッテ,笑わせまっせ」のスタンスで行きたい。そのためには,「私,錦織健がやるしかない」。大物が出てくるオペラよりも,錦織健のような,テレビの歌番組に日常的に登場してくるような,親しみやすい歌手が登場する方が相応しい。
4.オペラはどの役が大変か?
  • プロデューサー:宣伝(もみ手をし始める)とキャスティング。
  • 指揮者:オペラ指揮者はコンサート指揮者と違った能力が必要。専門職である。舞台を見ている演奏者は,指揮者だけである。常に冷静でないといけない。アクション系,陶酔系指揮者は,歌手がピンチになった時には全く頼りにならない。アンサンブルが崩壊することもある。その点,「しのぶちゃん」に鍛えられた現田さんは最適。
  • 演出家:演技をつける人。現代は,演出の時代と言われるが,これはマニアや専門家のためのものである。時代設定を変えた奇妙な演出が評価され,普通の演出だと古臭いと言われることがあるが,これは大きな問題である(特に地方公演では)。「美川憲一を見る前に,コロッケを見るようなもの」。まずはオリジナルを見せなければならない。
  • 歌手の疲労あれこれ(1)主役の疲労:スポーツ的疲労:ドラマを引っ張っていく責任,気持ちの良い疲れ,(2)脇役の疲労:リアクション疲れ。実は,主役を主役らしくしているのは脇役の反応である。この疲れはミケンに来る。(3)合唱団の疲労:楽屋疲れ。それほど仲良くない人たちと楽屋で待ち続ける疲れは,腰に来る。
  • 良い演奏というのは,「誰が良かった」とは単純に言いきれない。それぞれの相乗効果によって良い演奏になっている。
(休憩)

5.モーツァルトと「コシ・ファン・トゥッテ」について
  • モーツァルトは,実は,それほど貧乏ではなかったらしい。あとで勝手に作られたお話ではないか?
  • コシ・ファン・トゥッテの魅力:(1)ストーリーがシンプルである。オペラの中には,枝葉のエピソードが多いものがあるが,「コシ」は,非常にシンプルである。(2)カットしやすい。オペラをわかりやすくするには,水戸黄門の「うっかり八兵衛」のような登場人物をカットする必要がある。「コシ」は,そのカットがしやすくできている。(1)と合わせると非常にタイトなストーリーになる。(3)普遍的なテーマ。「コシ」のストーリーは,「なんじゃこりゃ」という内容で,ハッピーエンドといいつつ,実は,結構シビアなものである(婚約中の女性が別の男性から求婚され,それを認めてしまうのだから...)。しかし,過ちを犯さない人間はない。取り返しのつかないことになる前に許すことも必要になる。こういう愚かな人間だからこそ,多くの芸術や文化が生まれてきたのである。このオペラのタイトルは「女はみんなこうしたもの」だが「人間とはみんなこうしたもの」というのがこの作品のテーマである。
といった内容が,休憩を挟んで,1時間30分ほど続きました。その間,メモなどを全く見ずに,話をされていたのもさすがでした。最後に質疑応答がありました。最初は,誰も手を上げなかったのですが,一人手を上げると次から次へと質問が続きました。

「次の錦織健プロデュースでも,絶対に金沢に来るという確約をしてくれますか」というすごい質問があったりしましたが,いちばん印象に残ったのは,「錦織さんのブレスの長さの秘密を教えて下さい」というものでした。これは,「肺活量ではなく,声帯のコントロールの技術による」ということでした。錦織さんはこの技術があるため,世界最長(自分でそうおっしゃっていました)の息の長さを持っているそうです。

錦織さんの歌が聞けなかったのは残念でしたが(田谷力三のマネで「恋はやさし」を一節うたっていましたが),なかなか楽しい内容でした。本番の方も,きっと,現代人が見ても,すっと入っていけるわかりやすい「コシ」に仕上がるのではないかと期待しています。(2002/1/7)