オーケストラ・アンサンブル金沢第119回定期公演PH
02/4/26 石川県立音楽堂コンサートホール

1)エルガー/序奏とアレグロ,op.47
2)武満徹/映画「黒い雨」〜死と再生
3)モーツァルト/オーボエ協奏曲ハ長調,K.314
4)(アンコール)ブリテン/オヴィディウスによる6つの変容〜パン
5)メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調,op.90「イタリア」
6)(アンコール)モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
●演奏
尾高忠明/Oens金沢(1-3,5,6),ベルンハルト・ハインリヒス(Ob*3,4)
アビゲール・ヤング(コンサート・ミストレス)
尾高忠明(プレトーク)
Review by管理人hs かきもとさんの感想

4月のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏会では,いろいろなハプニングが続きましたが,今回は何もなく無事に終わりました(これが当たり前なのですが)。このところ,やや大きめの編成のプログラムが続いていたせいか,今回のプログラムは,かなりこじんまりとした感じに聞えましたが,逆に「腹八分目」的な良さがありました(実際,お腹がかなり空いておりました)。今回は,久しぶりにエキストラが全然いない,定員内での演奏で,室内オーケストラの味をしっかりと味わうことのできる演奏会だったと思います。

今回の指揮者は尾高忠明さんでした。過去を振り返ってみると,尾高さんは,毎回のようにメンデルスゾーンの曲を取上げています。今回もメインはメンデルスゾーンでした。恐らく,OEKの良さと尾高さんの良さを共に出すことのできるプログラミングをされているのだと思います。

前半の方は,管楽器が入らない曲もあったせいか,特に落ち着いた印象でした。最初のエルガーは日本ではあまり演奏されない曲ですが,イギリスでは,好んで演奏される曲とのことです。尾高さんは,プレトークでイギリスにはサッカーのフーリガンのように突如熱狂するようなところがある,とおっしゃっていましたが,そういう情熱的な部分と,ウェールズ民謡のような素朴なメロディとが渾然一体となって出てくるような曲でした。弦楽四重奏と弦楽オーケストラとによる合奏協奏曲の形式を取っているのも特徴的でした。尾高さんの指揮ぶりはとても情熱的でしたが,出てくる音楽は,それほど熱くなり過ぎることはなく,"hot"というより"warm"という感じだったと思います。ただ,この曲は,個人的にはちょっと苦手なタイプの曲です。理由はよくわからないのですが...イギリスの曲は何となく捉え所がないような曲が多いような気がします。

続く武満さんの曲も弦楽合奏のみによる演奏でした。この曲は,映画「黒い雨」のために作られた曲です。タイトルは,「死と再生」ということでR.シュトラウスの「死と浄化」を思い浮かべてしまいます。この曲の英訳をみると"Death and resurrection"ということで,マーラーの復活と似たような宗教的な意味合いがあるのかもしれません。プレトークで,マーラーの交響曲第5番の第1楽章の「葬送行進曲」のメロディを引用している(チェロで出てきます)とおっしゃっていましたので,やはり,マーラーとのつながりがありそうです。このメロディをはじめとして,悲痛な雰囲気の中に時折,美しいメロディが断片的に出てくる曲でした。最初は,武満さんの「レクイエム」あたりと似た暗い感じだったのですが,次第に浄化されていくような雰囲気に変わっていきました。それでも明るい感じにはならないのは,「黒い雨」という映画の持つ重さを反映しているのでしょう。OEKは武満さんの曲のCDを2枚出し,その語法をしっかり把握しているせいか,古典的な曲を聴くような安定感がありました。エルガーとモーツァルトの間にあっても全然違和感がありませんでした。「古典」を思わせるあたり,この曲は,隠れた名曲なのではないかと思います。

前半最後は,モーツァルトのオーボエ協奏曲でした。この曲で初めて管楽器が入って来たので,気分がパッと明るくなったような感じでした。オーケストラだけの序奏も,とてもアットホームな感じがあり,尾高さんとOEKとの相性の良さを示しているようでした。オーボエは,ベルンハルト・ハインリヒスさんというドイツの奏者でした(年齢ははっきり分かりませんが若手に属すると思います)。この方は,日本での知名度は高くありませんが,チューリヒ歌劇場の首席奏者を務めている方で,指揮者のアーノンクールなどから高い評価を得ている人です。とても大柄な方でしたが,その印象とは逆に,とても繊細でコントロールの効いた演奏を聞かせてくれました。第1楽章など可憐といっても良いような演奏だったと思います。華やかな技巧や音色で陶酔させるという雰囲気はなく,聞く人の内面に音が入り込んで来るような感じがありました。それでいて神経質になり過ぎることもなく,素朴さも残っています。第2楽章には特にそういう良さが表われていたと思いました。第3楽章は落ち着いたテンポで,外面的な闊達さだけを目指しているのではないことがわかりました。その点でやや地味な印象はしましたが,オーケストラの伴奏の暖かさとあいまって,心に染みる演奏でした。

アンコールでは,オーボエのソロで「ブリテンのオビディウスによる6つの変容からパン」という曲が演奏されました。とても不思議な響きのする曲でした。こちらの方ではオーボエの響きの多彩さを楽しむことができました。無伴奏オーボエの音だけが会場中に響く,というのもとても気持ちの良いものです。

後半のイタリア交響曲は,OEKの十八番といってもよい曲です。過去のOEKの演奏データを調べてみると,松尾葉子さん,ヴァレーズさん,井上道義さん,山下一史さん,そして岩城さん(2回)が指揮しています。今回の尾高さんのを入れて7回目ということになります。この曲はロマン派の曲の中では珍しくOEKと同じ編成で演奏できる上,重厚さよりは軽やかで明るい雰囲気が持ち味の曲なので,重要なレパートリーになっているのだと思います。OEKにいちばん合った曲の一つといえます。尾高さんは,プレトークの中で,イギリスのスコットランド室内管弦楽団でこの曲を指揮した時の「精緻で透明なアンサンブル」が今でも強く印象に残っているとおっしゃっていましたが,この日のOEKとの演奏も,その辺をイメージしながら指揮していたのではないかと思います。

第1楽章の出だしは,トスカニーニの演奏をはじめとして,とても鮮烈なイメージがあるのですが,尾高さんの指揮はとてもマイルドな感じでした。ギスギスした感じは全くなく,季節柄「春のイタリア」という印象でした。1楽章の展開部では短調になり,ちょっと激しい感じにはなるのですが,そこでも力んだ感じはなく,滑らかに進んでいきました。音の溶け合いも美しく,このホールの特質がよく出ていました。オーケストラの音が美しく響くのは,尾高さんの指揮の下でOEKがリラックスして演奏していたからでしょう。なお,主題呈示部の繰り返しはしていませんでした。

第2楽章もとてもしっとりした音楽になっていました。重くなり過ぎることもなく,品の良い軽みが感じられ,OEKと尾高さんの両方良さが出ていたと思いました。第3楽章は流れるような3拍子でとてもしなやかでした。ホルンの音のバランスも良かったし,ここでも音の溶け合い方が美しいと思いました。

第4楽章は,さすがに演奏会全体の締めくくりということもあり,力感のある響きが出ていました。それほど速いテンポではなかったせいか,ラテン的な情熱のようなものは感じませんでしたが,とてもしっかりと演奏されたフィナーレになっていました。アビゲール・ヤングさんがリードする第1ヴァイオリンのキレのある強靭な音も印象に残りました(視覚的にもそう感じました)。

アンコールは,モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲でした。尾高さんはいつも結構マニアックな感じのアンコールを取上げたりするので期待していたのですが,今回はこちらの方も「定番」の曲でした。4月の演奏会はあれこれハプニングが続き何かと大変でしたが,その打ち上げをするかのようなウキウキするような演奏でした。

(余談)
この日のプレトークは,指揮者の尾高さん自身が担当されました。原稿も何も見ず,自由にお話されていましたが,とても面白いトークでした。上の感想でも再三引用したとおり,曲の聞き所もわかったし,演奏会前の雰囲気も和やかにしてくれるようなウィットもありました。そして,先日の小松公演についても「ハプニングはつきものですが,いろんなことがありますね」と笑顔でさらりと触れていました。

日本の指揮者が集まってオーケストラを作る演奏会があるらしいのですが,その時のエピソードも披露されていました。今はなき山田一雄(ヤマカズさん)さんのことです。指揮者が楽器を演奏するオーケストラの場合でも,各奏者はパート譜を見て演奏するらしいのですが,ヤマカズさんだけは,総譜(指揮者の楽譜)を見てハープを演奏してたそうです。当然のごとく,演奏がグチャグチャになり(会場から「頑張れよ」と声が掛かったそうです),演奏中どこを弾いているか分からなくなった尾高さんが,総譜を持っているヤマカズさんに「先生,私たちはどこを演奏しているのでしょうか?」と尋ねたところ,ヤマカズさんは,「尾高君,私は何の曲を演奏しているのかね?」と逆に尋ねられたそうです。ヤマカズさんについては,指揮台から客席に落ちた時も指揮をしながら登って来たという伝説的なエピソードが有名ですが,このエピソードもなかなかのものです。愛すべきハプニング王といえそうです。尾高さんは,3年ごとにOEKに客演しているそうですが,再度登場してほしいですね。(2002/4/27)

Review byかきもとさん
遅くなりましたが、コンサートレポートを書いてみました。基本的にはフィルハーモニーコースだけしか行けないので、その他の演奏会にも足繁く通われている皆様がうらやましいです。

尾高さんの指揮による今回の演奏会は、ある意味では最もアンサンブル金沢らしいコンサートだったと言えるのではないでしょうか。最初に弦楽器セクションだけの近現代曲を配し、ついでモーツアルトの軽やかな協奏曲の世界を楽しんだ後、最後はアンサンブル金沢の規模にベストマッチの十八番メンデルスゾーンの『イタリア』で締めくくると言うわけです。

1曲目のエルガーは単一楽章の弦楽セレナードといった感じの曲で、曲の印象としてはチャイコフスキーの弦楽セレナード、あるいはグリーグの『ホルベルグ組曲』(弦楽合奏版)に近いような、とても聞きやすい曲でした。弦楽合奏と言っても通常のOEKサイズによる演奏ですから、必要以上に厚ぼったくはならず、透明感の高い演奏を聴かせてくれました。

2曲目の武満の作品も引き続き弦楽器だけで演奏されましたが、コンサートミストレスのヤングさんのボウイングが全体をリードする様子が1曲目よりはっきりとうかがえました。曲の冒頭は不快な和音で開始されたので、聴きにくい現代曲かなと思ったのですが、管理人さんも指摘されたように、途中から浄化を表現する美しいメロディが何回も現れてきたのでほっとしました。とは言ってもやはり現代曲ですから、聴いていてどうしてもテンションは上がり気味になります。でもこのような緊張感はかえって快感に近いようにも思われ、ここ何年かOEKのコンサートに通ううちに現代音楽への拒絶反応もかなり薄らいできたことを実感しています。

前半のステージ最後はモーツアルトのオーボエ協奏曲でしたが、以前宮本文昭さんをソロにお迎えしたOEKのニューイヤーコンサートで聴いて以来久しぶりに取り上げられた曲です。OEKにとっては最も基本的なレパートリーであり、そのためか管弦楽だけのイントロの部分が開始するや、もう一瞬のうちに爽やかなOEKサウンドが音楽堂のホールいっぱいに展開していました。

この曲は、宮本さんがソロを取られた時など、まさに天馬空を行くがごとき躍動感に溢れていながら、それでいて十分に長いフレージングと息使いで、実によく歌い込まれた印象を受けたものでした。今回も当然そのような演奏を期待していたのですが、若干演奏の傾向が異なっていました。その最大の理由は息使いの短さにあるように思いました。音楽には全くの素人の私の印象ですから正しくないかも知れませんが、ひとつひとつのフレーズの最後の音が意外にあっさり終わっていて、持続感が希薄な感じがしたのです。

それでも両端の快速な楽章は聴き応え十分だったのですが、第2楽章は終了間近の短いカデンツに入る直前で大きなミスがあり、指揮者とOEKが機転を利かせて何とか乗り切ったものの、もうひとつ音楽に陶酔しきれないまま消化不良となってしまいました。おそらく同じようなパッセージが何回も繰り返して登場するので、ソリストの勘違いで別の箇所を吹いてしまったのでしょう。

休憩後は、過去にも何度かOEKの定期公演で聴いたことのある、メンデルスゾーンの交響曲『イタリア』でした。フルオーケストラと違って、通常の編成の場合OEKは弦楽セクションが少ないため、相対的に管楽器のウエイトが高くなる傾向があるのですが、この日の演奏もまさにそうした傾向がプラスに作用した充実したものでした。第1楽章冒頭で、ファゴットをはじめする安定感のある木管群の刻むリズムの上に高域の弦楽器が有名な主題を滑るように乗せると、もうウキウキするような開放的なイタリアの雰囲気が感じられるようでした。

憂いを含んだ第2楽章や明るく流麗なメヌエットの第3楽章も、管楽器と弦楽器の音色がよくミックスされていて心地よく、演奏頻度の高い曲だけに安心して聴いていられる演奏でした。タランテラの激しい舞曲風の第4楽章も、水際だったOEKのアンサンブルの見事さが光る演奏でした。

全体としてアンサンブル金沢の美点を満喫できた演奏会であったように思います。『イタリア』などは、これだけ数多く取り上げられているのですから、新しい音楽堂の優れた音響効果のもとで是非CD録音してもらいたいものです。また個人的には、OEKの素晴らしい管楽器奏者をソリストに立てた、モーツアルトの管楽器のための協奏曲全集のCDなど出ないものかなと期待しています。オーボエ協奏曲にしても、フルート協奏曲にしても、さらに管楽器のための協奏交響曲などにしても、これからOEKの録音予定に入らないものでしょうか?(2002/05/01)