オーケストラ・アンサンブル金沢第125回定期公演PH
02/7/19 石川県立音楽堂コンサートホール

1)バッハ,J.S./前奏曲とフーガイ短調,BWV.543
2)ハイドン/交響曲第104番ニ長調,Hob.I-104「ロンドン」
3)ラインベルガー/オルガン協奏曲第2番ト短調,op.177
4)ハイドン/交響曲第45番嬰ヘ短調,Hob.I-45「告別」
●演奏
ニコラス・クレーマー/Oens金沢(2-4)
荻野由美子(Org*1,3)
松井直(コンサート・マスター)
荻野由美子,トロイ・グーキンズ(プレトーク)

Review by管理人hs 七尾の住人さんの感想六兼屋さんの感想
小中高の生徒はこの日が終業式で翌日から夏休みになります。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の方も8月は定期公演がありませんので,この日の定期公演が終業式ということになります(その後,演奏旅行等があるようですが)。定期会員の期間も7月が区切りということで,沢山送られてきていた定期公演のチケットもこの日の演奏会が終わったところでついに0枚となりました。

この日は,9日の定期公演M,12日の室内楽公演に続いてニコラス・クレーマーさんが指揮者として登場しました。ハイドンの交響曲2曲にオルガンの曲が絡む独特の構成のプログラムでしたが,非常に充実し,かつ,楽しめる内容の演奏会となりました。特にクレーマーさん指揮のハイドンの交響曲については,OEKの新たな目玉になるような新鮮な演奏だと思いました。

今回はパイプオルガン奏者の荻野由美子さんがもう1人の主役でした。オーケストラの定期公演としては非常に珍しいことですが,まず,荻野さんのパイプオルガン独奏でプログラムが始まりました。ステージ上の照明は落とされ,パイプオルガン周辺だけが照らされる中でバッハのオルガン曲の演奏が始まると,いつもの定期公演の空間とは別の空間に入ったような気しました。私にとって,ステージ上にオーケストラが乗っているのが日常的な眺めなので,ステージ上方にパイプオルガン奏者だけが浮かび上がっている光景は,非常に新鮮な眺めでした。しかし,演奏の方には,刺激的というよりは,非常に落ち着いた味わいがありました。パイプオルガンの音は,音の立ち上がりが鋭く,音を聞いた瞬間ハッとします。そして,聞いているうちにどんどん,その雰囲気の中に吸い込まれてしまいます。音楽が終わり,ステージ上が明るくなり,オーケストラの団員が入ってくると,急に日常に戻ったような気がしました。

続いて,ハイドンの「ロンドン」交響曲が演奏されました。この曲はメインとして演奏しても良いような充実した曲ですが,「告別」を途中に演奏するわけにもいかないので,この日は,前半最後に演奏されました。しかし,内容的には,このまま演奏会を締めても良いくらいの立派な演奏でした。

この日のオーケストラの配置は,前回の定期公演の時と同様,第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向き合う配置でした。低弦が下手側にいたのも同様でした。この配置は,クレーマーさんにとってはスタンダードの配置なのだと思います。この1ヶ月ほどでOEKの方もすっかりこの配置に慣れたかもしれません。

「ロンドン」は,序奏からして非常に聞き応えのある,新鮮な音楽になっていました。この日のティンパニは,おなじみのトーマス・オケーリーさんだったのですが,その音が非常に硬質だったのがまず耳につきました。弦楽器もヴィブラートがほとんどついておらず,聞いた瞬間,古楽器奏法の影響を受けていることがすぐに分かりました。クレーマーさんは,指揮台も指揮棒も使わず,強引にオーケストラを引っ張るようなところもないのですが,管楽器を含めてとてもよく制御された音色を作り出していました。キリっと引き締まった,薄い響きで一貫しており,オーケストラをコントロールするのが非常に巧い指揮者だと思いました。この序奏は,とても立派だったのですが,それが真面目過ぎる感じにならない点もクレーマーさんらしいところです。主部になってからは,非常に流れの良い音楽を作っていました。やりすぎにならない程度にティンパニを強打させたり,所々独特のクレッシェンドを付けたりしているのが独特でしたが,それも嫌味な感じは全然ありませんでした。

第2楽章は,間の入れ方のセンスがとても良いと思いました。クレーマーさんはとてもウィットのある方だということがよくわかります。第3楽章も快適なテンポで,気分の変化の付け方がとても面白い演奏でした。第4楽章は,非常に聞き応えのある演奏でした。キビキビとしたテンポで一貫し,アクセントがビシビシと決まっていました。メロディラインの絡み方もとても明確でした。曲の最後に向けて,どんどん迫力が増し,熱がこもって来ているのに,軽さはそのまま,というのも見事です。これは,古楽器風演奏をOEKが本格的に身に付けているから可能なことだと思います。この曲は,OEKのフル編成とピッタリ一致する曲ですが,古楽器風OEKの十八番になっていく曲のような気がしました。

後半は再度荻野さんが登場しました。今度はオーケストラとの共演で,ラインベルガーという作曲家の非常に珍しいオルガン協奏曲が演奏されました。ラインベルガーはフルトヴェングラーの作曲の師匠にあたる人で(プレトークでそう言っていました),後期ロマン派時代に活躍した人です。オルガン曲をかなり沢山書いているようですが,現在ではほとんど忘れられている作曲家です。前半のハイドンに比べると,オルガン+オーケストラの響きは非常にコッテリと響いていました。第1楽章は,聞いているうちにエルガーあたりの曲と何となく似ているような気がしてきました。終盤非常に大きく盛り上がっていたので,1楽章だけで拍手をしたくなりました。続く2楽章は正直なところ,かなり長く感じました。3楽章も重厚に盛り上がるのですが,どうも個人的には,「大げさすぎてちょっと恥ずかしいかな」という気がしました。サン=サーンスのオルガン付きの曲も大げさですが,初めから効果を計算して書いているので,聴く方もそのつもりで楽しめます。この曲は,真面目さと大げささが共存しており,独特な雰囲気を持っているのですが,どうも居心地の悪いものを感じました。

と,いろいろ考えながら聞いていたのですが,室内オーケストラとオルガンの組み合わせ自体は,重くなり過ぎないのでなかなか良いと思いました。室内オーケストラの響きをオルガンがうまく支える形になり,フルオーケストラを聴いているようなイメージになります。ティンパニの響きがオルガンのペダルとシンクロする感じも面白いと思いました。オーケストラの方は,さすがにハイドンの時とは違い,通常の奏法で演奏していたようです。ティンパニもハイドンの時とは別の楽器を使っていました。

演奏会の最後は,もっとも編成の小さいハイドンの告別でした。通常の演奏会では,編成の大きな曲でまとめるのが普通ですが,その常識を逆手に取っているあたりにハイドンの天才性が出ていると思いました。それだけ演奏効果が上がる曲といます。この曲は,最終楽章のパフォーマンスばかりが注目されるのですが,そこに至るまでの楽章も非常に充実しています。この日のOEKの演奏を聞いていると,モーツァルトの交響曲25番あたりの雰囲気と共通する迫力を感じました。

第1楽章は非常に速いテンポで一気に演奏されました。ロンドンの時と同様にアクセントの付け方が強烈だったのですが,短調の曲ということもあって,さらに切迫した感じになっていました。楽章の途中で一度テンポが落ちるあたりの気分の変化の付け方も見事でした。第2楽章は第1楽章と対照的な雰囲気になります。ノンヴィブラートの弦楽器の響きが強調されており,普通に演奏しているのに,もの寂しくはかない感じが出ていました。第3楽章も新鮮さと寂しさが共存する独特の味がありました。3楽章までで「ホームシックになっているオーケストラの団員の寂しさ」のようなものが出ていたのですが,それを踏まえての最終楽章での”見せる演出”は,実に効果的でした。

この日のオーケストラの譜面台はオーケストラ・ピットなどで使うような照明付きのものだったのですが,最終楽章が始まると徐々にステージ全体の照明が落とされていきました。まさにデクレッシェンドでした。楽章の前半のテンポは非常に快速で,第1楽章同様の切迫した雰囲気がありました。通常,この部分が終わるとグッとテンポが落ち,「名残惜しい」雰囲気になるのですが,この日の演奏は,さほどテンポを落とすこともなく,軽やかな感じになっていました。この軽やかさの中で,ホルン,オーボエ...といった順に出番の終わった奏者が退出していきます。このテンポの速さは実は,非常に理に適ったものだと思いました。オーケストラの奏者は,夏休みを前にして(それとも毎回?)「早く仕事を終わらせて,ビールを飲みたい」「家族と旅行に出かけたい」とか思っているわけで,遅く演奏するのを希望しているのはお客さんの方だけなのかもしれません。

この日は,そのことをさらに鮮明に表現するかのように,OEK団員によるパフォーマンスがたっぷり盛り込まれていました。手に手をとって退出するカップル,うちわで仰ぎながら出て行く人,上着を脱いで帰る人,浮き輪を持っている人(どこに隠していたのだろうか?),と様々な演技をしていました。中でも可笑しかったのが,コンサートマスターの松井さんと第2ヴァイオリン首席の江原さんが途中で1度退出してしまったことです(この時,クレーマーさんは松井さんと一緒に退出してしまいました)。この曲は最後はこの2人だけが残るので,一体どう終わるのだろうか,と不思議に思っていたところ,無理に他の奏者に押されて元の座席に戻って来ました。最後にこの対向配置が生きており,両袖から同じタイミングで戻ってくるあたりも,よく計算されていました。いちばん最後は音が消えるのと同じタイミングで照明も消え,曲が終わりました。この部分は,セリフのないパントマイムを見るようなウィットの効いた面白さがありました。イギリスは演劇の国ですが,この辺の演技指導もクレーマーさんによるものかもしれません。

拍手が起こり,再度,ステージの照明が点くと当然,そこには座席だけが残っています。しばらくすると団員が戻ってきました。いちばん最後に照明を担当していたステージマネージャーも拍手を受けていました。この辺の雰囲気も良かったですね。

今回のクレーマー/OEKによるハイドンは,古楽器風の新鮮な演奏も良かったのですが,ウィットの効いたリラックスした雰囲気も非常に魅力的でした。東京・大阪といった大都市での演奏会などでこのハイドンを取り上げても,きっと評判になると思います。7月はクレーマーさんの演奏会が3週続けてあったのですが,OEKとの信頼関係はますます強いものになってきていると感じました。(2002/07/20)

Review by七尾の住人さん
本当に蒸し暑い日で大変でした。

今日は本当に聴き所も見せ所も満載のコンサートでした。OEKのステージ配置は前回と同じでコントラバスがいつもと逆の位置で、そのためどうしても音の厚みが左の方に偏っているようで、多少なりの違和感も感じたりしたんですが、管理人さんがおっしゃるように指揮者のクレーマーさんの意向が十分に表れていた演奏だったと思います。

痛快な演奏でした。違う指揮者だったり普段のOEKのステージ配置だったら、違う感じの仕上がりになっていただろうなぁと思いました。ハイドンの曲ばかりか、ラインベルガーのオルガンとの協奏曲も大変聴き応えがありました。

ちなみに今回の私の座席は、定期会員の振替でチケットを引き替えるまで座席が分からなかったんですが、3階席の前列真ん中という非常にいい席で聴くことができました。2階席や1階席はどうだったか分かりませんが、オケとオルガンのバランスがちょうどいい具合に聞こえてました。以前ランチタイムコンサートで座席によって聞こえ具合が違うことを体験済みですが、その時とは全然演奏形態が異なるのですが、オルガンとの競演がある時は3階席の方が音のバランスがいいかもしれませんね。

ところで、最後の告別ですが、去年のドレスデン歌劇場室内管弦楽団で体験済みだったので特に驚くことはなかったんですが、個人的には今回のOEKの演出の方がずっと気に入りました。ドレスデンの時は譜面台のライトを消して退出していくという凝ったものだったんですが、残念ながらライトのスイッチを切る音がパチパチと僅かながらも聞こえていたような気がします。今回のOEKはスポットライトを利用しての演出だったので、雑音が混ざることなく綺麗に曲が終わってました(もちろん退出する時には少しばかり音が出ることがありましたが、気になるほどではありませんでした)。

それにしてもいったん退出して途中で連れ戻されたコンサートマスターと第2バイオリンのリーダーはあの真っ暗の中をどうやって退出したのでしょうか?よくあの暗闇の中何にもぶつからずに退出できたものと感心しています(それとも何かタネがあるのかな?)。

この演出で、去年の9月からのシリーズも終わり、8月にはあまり予定が入っていないところから、OEKも夏休みに入るのかなぁって考えてしまいました。7月はまだ公演旅行があるようですが、9月からの新シリーズと特別公演に備えて、OEKの皆さん十分英気を養ってください。新シリーズなどを楽しみにしています。(2002/07/20)

Review by六兼屋さん
とても楽しんだ演奏会でした。いろいろ、語りたいことはありますが、やはり先ず、「告別」交響曲の事を。当初はこの曲は最初に演奏されるはずで、ロンドン交響曲がメインプロでした。しかし、聴衆に楽しんでもらおうと(?)、こちらが最後になったのでしょうか。楽団、事務局、指揮者のいずれかがそう発案なさったとしたら、サービスを受けた私たちは、ただ楽しかった、ではいけないのではないか、と思いました。エステルハージー選帝侯の楽長たるハイドンとその楽団も、サービス業に忠実な人たちだったに違いありませんが、それではストレスがたまったわけです。OEKと私達の関係も、聴き手はお金を払っているからと言って、あたかも安楽椅子にふんぞり返っているだけ、と言った聴き方では無く、もっと積極的にOEKに「サポーターシップ」を発揮する事が肝要であるかと思います。

ハイドンの2曲の演奏は素晴らしいものでした。指揮者の自己主張が楽員中に行き渡っていたし、かといって、その自己主張は独善的なものではなく、バランスのとれたものでした。弦打楽器(ティンパニは楽器自体も違うものを使用)には古楽の奏法が取り入れられていましたが、ヴィヴラートもかけていましたし、モダンオケであるOEKに無理を強いないものだったように見えました。そもそも、古楽器の人たちは楽器のスタイルより演奏のスタイル、そしてそれ以上に音楽それ自体の受け止め方で、従来とは違うアプローチをもたらしたと思うのです。編成が小さくてもパワーとメリハリがあり、大編成オケにはマネのできない鋭いハンドル裁きを見せてくれたと思います。
ロンドン交響曲は、もう一度クレーマー氏の指揮でメインプロとして聴きたい演奏でした。OEK定期のプログラムノートはいつもつまらないのですが、ロンドン交響曲を、バランスのとれた円熟した曲だと言っています。、通り一遍の解説でそう読んでも何の説得力もありませんが、今回の演奏を聴くと、ウェルバランスな構成の中にも、本当に(リヒャルト・シュトラウスにも劣らぬほどの)変化に富んだ曲なんだという事が分かりました。まだ中堅の頃の作曲になる告別交響曲でも、そういう変化が感じ取られる演奏でした。

私の席は3階ですが、いつもとはちょっと聴衆が異なりました。1,2階はスポンサー招待のお客がいつもと違う彩りを添えたかも知れません。3階の場合は、多くはありませんでしたが、高校生ぐらいかと思います。演奏中のおしゃべりが無かったわけではありませんが、ずっと続いたわけではなかったので、クラシックの聴衆拡大をおもい我慢することとします。この人達はもしかしたら、オルガンのソリストが学内演奏会を行った学校の生徒さんかも知れません。だとしたら、なお素晴らしいことだと、あれこれ思い巡らしました。この方は金沢で育った方なので、こちらにも教えに来ているのかも知れません。まあ、これは勝手な想像ですが。それにしても、プログラムの出演者プロフィールにはそのことは述べられていないで、いつもは身贔屓なことを書きたがるのになあ、と思った次第です。東京のマネージャー・プロモーターサイドの資料をそのまま写しただけの記述でしょうか(→OEK事務局殿)。

今回、3階はいつもにもまして空席が目立ちました。1階席を見下ろすと、まあまあでしたが。楽団員の方々が望むなら、クレーマー氏がまた招かれることを私も願います。(2002/07/21)