トータル・エクスペリエンス:絆
五嶋みどりヴァイオリン・リサイタル
2002/07/25 金沢市アートホール

ヘンデル/ヴァイオリン・ソナタホ長調,op.1-15
プロコフィエフ/ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調,op.80
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調,op.12-1
シマノフスキ/「神話」〜第3曲「ドリアードとパン」
サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン
(アンコール)ドビュッシー/美しい夕暮れ
(アンコール)サラサーテ/序奏とタランテラ
●演奏
五嶋みどり(Vn),カラン・ブライアント(Pf)
Review by管理人hs
五嶋みどりさんを生で初めて聴いてきました。素晴らしく充実した内容の演奏会で,改めてみどりさんの実力を実感しました。みどりさんは,近年,全国各地の小学校などで演奏会を行なったり,財団を作ったりと,チャリティコンサートに非常に力を入れていますが,「絆:トータル・エクスペリエンス」というタイトルが付けれれた今回のツァーも一味違っていました。「デビュー20周年記念」(この若さで驚きです)という意味合いもあるのか,非常に安い入場料金で(金沢では2000円でした)大都市圏以外の全国各地を回り,聴衆と演奏者との距離の近い演奏会を行なおうという狙いがあったようです。みどりさんは,現在,アメリカの大学院で心理学の勉強を続けているのですが,素晴らしい技巧を持ったヴァイオリニストとしてだけではなく音楽と社会の関わりについて強い意識を持った芸術家になりつつあるようです。

金沢での演奏会は,金沢市アートホールという入場者数300人ぐらいの小さな会場で行なわれました。そのため,チケットは抽選で当選した人に販売するという形になりました。昼・夜2回演奏会は行なわれたのですが,応募1852通の中から当選した人は非常にラッキーだったといえます。演奏会の前半に,ヘンデルとプロコフィエフの曲を演奏することは発表されていたのですが,後半のプログラムは,抽選に当たった人からのアンケートを元に決める,という趣向になっていました。この辺も非常にユニークな点でした。

この日の演奏会場には,着物を着た女性が非常に沢山いました。この方たちは,「絆」と名づけられたこの演奏会を盛り上げるためのアイデアを考えてきたボランティアの方だったようです。「絆」「音楽と私」といったエッセイをチケット当選者から募集して冊子にまとめたり,会場内に展示したりと中々活発に活動をされたようですが,狭いホールにも関わらず,あまりにも大勢いたので,雰囲気的にはかなりの圧迫感がありました。

みどりさんは,水色っぽいドレスで登場しました。かつての「天才少女」というイメージはなく,落ち着きと気品のようなものを感じました。ステージ上では,常に穏やかな物腰でしたが,演奏が始まると一変します。私の座席はほとんど最後列でしたが,演奏に対する集中力が非常に高いのがよくわかりました。近寄り難い迫力を感じました。

最初のヘンデルの曲は,普通なら軽く流して,腕鳴らし的に弾かれるような曲ですが,みどりさんの演奏には,最初から耳を捉えて離さないような芯の強さがありました。すべての音にみどりさんの血が通っていました。シンプルな曲なのに表情が豊かでした。それでいて,全体のバランスが良いのも見事でした。みどりさんは,大体はうつむき加減で演奏するのですが,速い部分の動きは非常に正確で,(言葉は悪いかもしれませんが)ロボットが演奏しているような感じで,ミスしそうにもないような安定感がありました。

ヘンデルの曲は,緩−急−緩−急の形式でしたが,続くプロコフィエフも,同じパターンでした。このプログラミングも計算されたものだったのかもしれません。プロコフィエフでは,表情の起伏とダイナミックスがさらに豊かになっていました。技巧のキレの良さとシリアスな表情は,ヘンデルの時以上に生きていました。

冒頭の不気味さからして迫力があったのですが,その迫力は作り物ではなく,根源的な迫力だと思います。第1楽章の最後に出てくる,軽い弱音で出てくる音階のようなパッセージ(「墓場に吹く風」のようにと指示されているそうです)も非常に巧いと思いました。第2楽章はピアノの打楽器的な音も加わり,さらにスケールアップしていました。カラン・ブライアントさんのピアノは,非常に迫力があり,ヴァイオリンと対決するような面白さがありました。ピアノの音色自体にも汚いところやうるさいところはなく,みどりさんとの共演によって演奏の魅力が倍増していました。みどりさんの演奏は若々しい演奏なのですが,この楽章に関しては,あまりにも熱気があって,ちょっとヒステリックかなという気もしました。

第3楽章は,冷たく静かな不気味な雰囲気に戻ります。第4楽章も再度,複雑なリズムの速い楽章になります。最後に第1楽章最後の「墓場に吹く風」がまた出てきて終わるのですが,すべての部分が突き詰められており,全体として完成度が高い,聴き応えのある演奏になっていました。

後半は,先に書いたとおり,お客さんからのリクエスト(正確にいうと二者択一だったのですが)でプログラムが決められました(他の演奏会場で何が演奏されたかも知りたいものです。)。

ベートーヴェンの曲は,冒頭から音量が豊かで,非常に迫力がありました。ベートーヴェンの初期の作品ということで,こじんまりとした感じかと思ったのですが,みどりさんが演奏すると非常に積極性のある曲に聞こえました。時々,「ハッ」という息の音が入るかのようなタイミングの取り方が随所にありました。第2楽章の変奏も表情が豊かでした。クロイツェル・ソナタの変奏の楽章を思い出させるほど雄弁な演奏でした。とても濃い表現なのですが,やりすぎに感じさせず,真摯さを感じさせるところがみどりさんのいちばんの魅力だと思います。

続く,シマノフスキの曲は,特殊な技巧が続出するような曲でした。演奏にも怪しい雰囲気が存分に漂っていました。みどりさんの表現力の豊かさは,物語性のある曲には,特にぴったり来ます。

最後は,おなじみのツィゴイネルワイゼンでした。ここからアンコールまでは譜面なしになりましたが,みどりさんのリサイタルでの定番の曲ばかりだったのかもしれません。冒頭の太い迫力のある音にまず驚きました。小柄なみどりさんのどこにパワーがあるのでしょうか?やはり集中力が素晴らしいと思いました。全体にテンポの伸び縮みを強調し,ジプシー風の雰囲気を強く意識したような演奏になっていました。ただ,基本的なテンポは非常に速目だったので,もたれるところはなく,洗練された雰囲気もありました。どの部分もよく練られていて表現力が豊かなのは,これまでの曲と同様です。さんざん聞き慣れ,みどりさんも弾きなれているはずの曲なのに非常に新鮮に響いていました。最後の部分は物凄いスピードだったのですが,その一つ一つの音に表情があり,キレのよいアクセントがついているのには驚きました。

アンコールは,気持ちを落ち着かせるような「美しい夕暮れ」と再度,気分を高揚させてくれるような「序奏とタランテラ」が演奏されました。アンコールの曲目紹介の時に,みどりさんの声を聞くことが出来ました。非常にはっきりとした美しい日本語でした。ステージへの出入りも素早く,爽やかな印象がありました。

プログラム全体としては,かなりマイナーな曲が多かったのに,どの曲もじっくりと聞き入ってしまいました。みどりさんの演奏を聴いていると,楽器が完全に身体の一部になってしまっているように感じます。それだけ,絶妙の表現力を持っているといえます。曲も自分の身体の中に入っており,「正確な技巧で演奏する」という次元を遥かに超えていました。みどりさんと同世代の日本人女性ヴァイオリニストには,渡辺玲子,竹澤恭子,諏訪内晶子など素晴らしい奏者が沢山いますが,みどりさんは,その中でも最も超人的な凄さと迫力を持っていると思います。まさに天性のソリストといえます。

ただし,この方の「突き詰めた雰囲気」は,聴く方からすると「気軽に聴けない」「少々肩がこる」とも言えます。こういうペースで連日のように演奏会を続けているのは,やはり超人的だと思います。まだまだ,若い方なので,今後,どう変わっていくかは,わかりませんが,現在の世界最高水準ともいえる演奏を小ホールで聞くことができたのは,非常に得難い機会でした。

演奏会終了後は,非常に気軽にサインや写真撮影に応じていました。今回のツアーは,聴衆と近づくことが目的だったと思うのですが,間近で見ることでかえって,みどりさんの「天才性」を感じました。みどりさんの演奏前後の表情は,非常に穏やかなのですが,演奏の方からは,「孤高」といった近寄りがたい雰囲気を感じさせます。このギャップこそが,まさに「天才」的なものだと思います。

PS.五嶋みどりさんの公式HPの方に今回のツァーの様子が日記として書かれています。関心のある方はご覧下さい。
http://www.gotomidori.com/mg_news_frame.html

今回のツァーで演奏される曲の解説もみどりさんが書いていますが,その内容も読むことができます。(2002/07/27)