オーケストラ・アンサンブル金沢第147回定期公演M
2003/09/19石川県立音楽堂コンサートホール

1)猿谷紀郎/碧い知嗾(ちそう)
2)バーンスタイン/セレナード:プラトン「饗宴」による
3)武満徹(岩城宏之編曲)/系図(ファミリー・トゥリー):若い人たちのための音楽詩
●演奏
岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(マイケル・ダウス(コンサート・マスター))
川久保賜紀(ヴァイオリン*2),吉行和子(語り*3)
猿谷紀郎(プレトーク)
Review by管理人hs
オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の2003〜2004年のシーズンの幕開けは先週行われた仙台フィルとの合同演奏会でした。今回の定期公演Mは,単独演奏でのシーズン開幕公演ということになります。指揮は前回同様,岩城宏之音楽監督でした。岩城さんらしく,20世紀以降に作られた作品だけによるプログラムでした。

最初の曲は,現在OEKのコンポーザー・イン・レジデントを務めている猿谷紀郎さんの新曲でした。猿谷さんは今回プレトークも担当し,曲についての説明もされたのですが,残念ながら,この作品はちょっと印象の薄い作品でした。「(タイトルに含まれている)「知嗾」という難しい単語をよう見つけて来たなぁ」というのがいちばんの感想です。曲はオーボエで始まり,似たような音型を繰り返し演奏していくうちに独特のムードを作っていきます。ただし,全体にテンションが低く,捉え所がありませんでした。トークの中では「通常偶数になる拍子の分母を3にしてみました」ということをおっしゃられていましたが(3分音符なんていうのを勝手に作れるのでしょうか?),ちょっと変なところに拘り過ぎた作品だったのかもしれません。前回演奏された猿谷さんの作品は林英哲さんの和太鼓の入る「ときじくの実」という豪快な作品だったのですが,その印象の影響がありそうです。

2曲目は,今年の3月の定期公演に続いての登場となる川久保川賜紀さんのヴァイオリン独奏によるバーンスタインのセレナードでした。川久保さんのヴァイオリンについては3月の時にも思ったのですが,最初の1音を聞いただけで聴衆を引き付けるような魅力があります。上質でクリーミーな音色には独特の色気があります。曲はヴァイオリン・ソロで始まるのですが,それほど大きな音で演奏しなくても,音が薄く感じられることはありませんでした。この曲は,ギリシャの哲学者の名前の付いた5つほどの楽章から成っているのですが,特に「アガトーン」など静かで叙情的な部分での表現力は大変聞き応えがありました。速い音の動きが続く部分や超高音でもギスギスした感じにならず,常に音楽的な美しさに満ちているのも見事でした。

この曲は,以前,マイケル・ダウスさんのヴァイオリン独奏で聞いたことがあります。その時はかなり渋くてバルトークの曲のような印象を持った覚えがあります。今回の演奏では,現代的な面とロマンティックな甘さとが両立しており,親しみやすさとクールさの絶妙のバランスを味わうことができました。

OEKの演奏も魅力的でした。室内オーケストラによる伴奏だと,文字通り「セレナード」というタイトルに相応しい親密さが出てきます。最後の楽章でのカンタさんのチェロとのかなり長い二重奏もぴったりでした。川久保さんの音色とカンタさんの音色とは特に相性が良いと思いました。この二重奏の後,曲は活発になり(五嶋みどりさんの有名なエピソードで弦を切った辺り?),ブルースのような半音が出てきます。コントラバスの音の動きにもジャズのベースの動きを感じさせるところがありました。

演奏後は,盛大な拍手が長く続きました。アメリカの音楽で,現代的かつロマンティックな曲といえばバーバーのヴァイオリン協奏曲などがありますが,ぜひこの辺りの曲を聞いてみたいものだと思いました。

後半は,岩城さんの編曲による武満徹作曲の「系図(ファミリー・トゥリー)」でした。この曲は武満さんの晩年の作品の中ではもっともよく演奏されている曲ですが,演奏するにはかなり大きな編成のオーケストラが必要になります。この曲を何とか,OEKでも演奏してみたいと,岩城さんが編曲したのが今回の室内オーケストラ版です。後半はこの曲1曲だけだったのですが,前半の「セレナード」よりも時間的には短かったと思います。

この曲については,小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラのCD録音がよく知られていますが,それに比べるとかなりあっさりとした演奏になっていました。それは,オーケストラの響き,テンポの両方について言えました。小澤さんの録音が非常にたっぷりとした雰囲気があるのに対し,岩城さんの今回の演奏は,響きを薄くした分,その密度を埋めるかのように速いテンポになっていました。何となく「普通のコーラ」と「ダイエット・コーラ」のような関係で,カロリーは落としながらも,基本的な味わいは変わらないという編曲でした。オリジナル版の包まれるような柔らかさがなくなった分,室内楽オーケストラ版では爽快な風が吹きぬけるような爽やかさが出てきたと感じました。岩城さんは先日,武満さんの「夢の時」を演奏したときに,本当は晩年の作品より前衛的な作品の方が好きだ,というようなことを語られていました。今回の編曲では,「美しすぎる」のを少しシェイプアップしたい,という意図もあったのかもしれません。

この「あっさり感」は,この曲の核となる詩の朗読についても言えました。今回,谷川俊太郎さんの詩を朗読したのはベテラン女優の吉行和子さんでした。椅子に座ってテキストを見ながら朗読するスタイルは,お母さんの読み聞かせ風の雰囲気がありました。小澤版の遠野凪子さんの語りは,ステージ前面に立って,テキストを見ずに,お客さんに向って訴え掛けるようなスタイルでした。この朗読は非常に訴え掛ける力のあるものでしたが,どうも私には,この朗読が,学校で言うところの「表現読み」という感じに思え,聞いているとちょっと気恥ずかしくなるところがありました。

今回の吉行さんの語りは自然体そのもので,音楽のスピードに合わせて(岩城さんのキューに合わせて朗読をされていました),あまりタメを作らずに淡々と読んでいました。最後の詩の「とおく」の最後の節で,ちょっとトーンを高めにして終結感を出していた以外は感情表現も控え目だったと思います。遠野さんの「表現読み」に比べると,「棒読み」的なのですが,声のトーンが低い分,聞いていて疲れません。吉行さんの声質には,ざらっとした感触がありますので,さらりと読みながらも,ちょっとした引っ掛かりがあります。そこが,独特の味となっていました。

武満さんの指定では,「若い女性による朗読」ということになっているのですが,個人的には吉行さんのような,ちょっと客観的な立場の朗読の方が好みです。その分,小澤−遠野版が好きな人には物足りなかったかもしれません。

この曲のテキストは,谷川俊太郎さんの「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」という4つの詩の前後に「むかしむかし」「とおく」という2つの詩が配置された形になっています。女の子の目から見た家族が描かれているのですが,どこか家庭崩壊を感じさせるような悲しさがあります。最後の「とおく」では,それを乗り越えて,控え目ながら未来・希望が広がるような爽やかさが漂います。曲が進むにつれて,じんわりと感動が広がって行きます。
↑演奏会の後,会場にいらっしゃっていた谷川さんからサインを頂きました。谷川さん自身,筆ペンをお持ちで,サラサラと書かれていました。

演奏の方は,個別の楽器の魅力が良く出ていたと思いました。特に印象に残ったのは,今回フルート奏者として参加していたウィリアム・ベネットさんの音です。ライトモチーフ的な印象的なメロディがオーケストラ全体の中からすっと浮き上がってきて,詩の中の「わたし」の分身のように響いていました。同様に金星さんのホルンの堂々とした音色も印象的でした(最近,OEKのホルンのパートも主席奏者制度を取るようになったようです。プログラムを見ると金星さんのところに☆がついていました)。最後の曲の,アコーディオンの音も印象的でした(山岡秀明さんという方が担当していました)。この部分では「海」という言葉が出てきますが,その言葉とアコーディオンの音とが結び付き,地中海的な明るい景色が目に浮かんでくるようでした。打楽器の渡辺さんが叩いていた,音階の出るフライパンのような楽器の音もファンタジックな味を出していて効果的でした。今回,団員に混じって木村かをりさんがチェレスタを弾いていましたが,これも岩城さんの指揮される時ならではの豪華さかもしれません。

今日の演奏会は,「系図」の演奏時間が予想よりも短かったせいか珍しく9時前に終わりました。前回の合同演奏会の満腹感に比べると,ちょっと食べ足りない気はしましたが,本当はこれぐらいの長さが丁度良いのかもしれません。やっと涼しくなってきた9月の夜に相応しい爽快な後味の残る演奏会でした。

PS.今回,客席に谷川俊太郎さんがいらっしゃっていました。演奏後,岩城さんの紹介で,その場で立たれて拍手に応えていました。終演後はその座席周辺にお客さんが集まってきて,自然発生的サイン会になっていました。というわけで,私もサインを頂いてきました。(2003/09/20)