宇野功芳が語るSPの世界:ワルター盤を中心に
SP盤特別鑑賞会
2003/10/12 金沢蓄音器館
1)シュトラウス,J./皇帝円舞曲(1937年録音)
2)ブルーノ・ワルターから宇野功芳氏にあてた声のメッセージ(1952年録音)
3)ベート−ヴェン/交響曲第6番ヘ長調,op.68「田園」〜第2楽章(1936年録音)
4)ハイドン/交響曲第100番ト長調「軍隊」〜第1楽章(1938年録音)
5)ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調,op.67〜第2楽章のリハーサル風景の一部(1958年頃)
6)モーツァルト/セレナード第13番ト長調,K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」〜第1楽章(1936年録音)
7)シューベルト/交響曲第8番ロ短調「未完成」〜第1楽章抜粋(1936年録音)
8)ブラームス/交響曲第3番ヘ長調〜第1楽章抜粋(1936年録音)
9)モーツァルト/ドイツ舞曲,K.605-3「そりすべり」(1937年録音)
●演奏
ブルーノ・ワルター1,3-9)指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1,3-4,6-9);コロンビア交響楽団(5),ブルーノ・ワルター(語り*2)
宇野功芳(解説),水口哲哉(聞き手)
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↑今回のイベントの案内 |
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↑今回の鑑賞会に使われた蓄音器。これは始まる前に撮影したので,扉が閉じていましたが,これをあけるとかなり豊かな音が出ていました。 |
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↑会場の雰囲気です。アンティークなムードがあります。この後,席は満席になりました。 |
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↑右側が宇野さん,左側が水口さんです。対談形式で進められました。 |
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↑蓄音器館で売っていたニッパー犬の置きものです。蓄音器の象徴のようなものですね。 |
日本のクラシック音楽評論の世界では,恐らく吉田秀和さんと並んでもっとも著名な方である宇野功芳さんが金沢に来られ,ブルーノ・ワルター指揮のSPレコードを蓄音器で一緒に聞きながら,解説をしてくれる,という企画が行われました。私自身,宇野さん(それと故志鳥栄八郎さん)の推薦するブルーノ・ワルターのLPレコードを聞きながら,クラシック音楽への関心を高めていきましたので,「生の宇野さんを見てみたい」というミーハーな気持ちでこの企画に参加してきました。
宇野さんといえば,「○○は△△だけ聞けば十分である」といった率直な語り口で,いろいろと毀誉褒貶の激しい方ですが,宇野さんの語る曲やCDを聞いてみたいという意欲をかき立ててくれるという点で,大変大きな功績を残してこられました。特に朝比奈隆さんのブルックナーがあれだけ注目されたのはこの方の力によるところが大きいと思います。
今回は,14:00からと18:30からの2回に分けてSPレコード鑑賞会が行われました。どういう経緯で今回の鑑賞会が行われるようになったのかはよく分かりませんが,とても立派な蓄音器(宇野さんの話によると,今回使われたクレデンザ42078という蓄音器は,家一軒分ぐらいの価値のある,大金持ちにしか持てないようなすごい蓄音器とのことです)を沢山所蔵している金沢蓄音器館にとっては,資源の有効利用という点からも大変相応しい企画だったと思います。会場には50人ほどしか入れないのですが,年輩の方を中心に満席になりました。蓄音器というのは,かつては,その存在自体が偏愛の対象になっていたようですが(宇野さんのトークの中でも「盤よりも蓄音器が大事」という話が出てきていました),その魅力の片鱗に触れることができました。
第1回目では「宇野功芳が語るクラシック小品」と題して,クライスラーの自作自演など,小編成の曲目が掛けられたようですが,私が出掛けた第2回目の方では宇野さんが敬愛するブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルの歴史的名盤が集められました。いずれもこの館で所蔵しているSPレコードだったようです。この館で所蔵していたということは,それだけ当時から名盤だった,ということが言えそうです。
会場は,金沢蓄音器館の1階にある多目的ホールでした。この建物に来るのは2回目なのですが,蓄音器自身の音を聞くのは初めての経験でした。どういう音が出てくるのか期待しながら待つことにしました(といいつつ,BGMとして既に蓄音器から音が出ていたのですが)。今回使われた蓄音器は,先にも書いたとおりの名機だけあって,音量も十分でした。蓄音器といえば,貧しい音というイメージがあったのですが,大変豊かな音だと思いました。もちろん,迫力のある重低音はなく,ダイナミックレンジも狭いのですが,刺激的な響きが全くしない,自然なサウンドはデジタルな音声に覆われている現代人にとっては,癒しの音色だと思いました。蓄音器というのは,CDプレーヤーなどとは違い,楽器に近い雰囲気があると,宇野さんは語られていましたが,そのことも納得できました。
今回の鑑賞会は,宇野さんと聞き手の水口哲哉さんによる対談形式で進められました。この水口さんの質問がとても率直で,しかも的を得たものだったので,宇野さんから面白いお話が次々と出てきました。宇野さんは,既に70歳を越えられていますが,とても若々しく見えました。話ぶりにも文章そのままの明快さと率直さがあり,聞いていて飽きるところがありませんでした。
以下,プログラム順に話された内容などを箇条書きで要約してみました。
●皇帝円舞曲
- 宇野さんがアルバイトをして初めて買ったレコード。宝物だったが,戦後,父親に「(家計を助けるために)売ってくれ」と頼まれて,仕方なく売った。
- この曲はシュトラウスの曲の中ではドイツっぽい曲で,ウィーン出身の指揮者クレメンス・クラウスなどは取り上げていない。オーストリア人は意外に好まない曲である。
- この演奏からは,昭和初期の音がする。全然力んでいない。
●ワルターから宇野さんへのメッセージ
- 宇野さんは1952年頃からワルターと文通していた。その辺の経緯は「クラシック・プレス12号」(その付録CDにそのメッセージが収録されている)に詳しく書いてある。ワルターがマーラーの大地の歌をデッカにレコーディングした頃のことである。
- ワルターの弟子(住み込みの書生のようなもの)にして欲しい,という今から思うと無茶なお願いをしたこともある。
●ベートーヴェン:田園〜第2楽章
- 情緒たっぷりのウィーン風の演奏。
- 楽器(特に木管楽器)の音の溶け合い方がすばらしい。クラリネットはウラッハだろう。
- SPレコードは数分単位で盤を裏返したり交換したりする必要がある(この日は蓄音器館の方が担当されていましたが,大変ご苦労さまでした)。この曲は何回も聞いたので,CD復刻版で聞いていても,裏返す箇所が来ると立ち上がりたくなる。
- 楽章の最後はとてもあっさり終わり,悲しいはかなさが残る。
- 宇野さんはベートーヴェンの交響曲の中では3番,6番,9番が好みである。「7番はできそこないですよ」などとおっしゃられていました。「朝比奈さんは「7番の2楽章を自分の葬儀の時に演奏して欲しい」と語っていましたけど...」と水口さん話を向けると,宇野さんは「照れ隠しですよ。本当は「英雄」の葬送行進曲を演奏して欲しかったのではないですか」と反論。
●ハイドン:軍隊〜第1楽章
- ハイドンは男性的で粗野なところがある。ワルターはこれをモーツァルトのように演奏した。テンポがとても遅い。
- 近頃,この曲でワルター盤を推薦している評論家は私だけである。
- 学者たちは「当時は一弓で弾いていたからテンポは速かったはず」というが,「だから速く」と考えるのは間違いである。
#私の感想:テンポの落とし具合が絶品。おっとりとした雰囲気から微笑みが感じられる。
●ベートーヴェン:運命〜第2楽章のリハーサル
- ワルターが80歳を越えた頃のリハーサルを収録したもの。
- とてもゆったりとしたテンポである。呼吸が深い。若い指揮者はこの深い呼吸がなかなかできない。
#この演奏のみLP盤だった。恐らくコロンビア交響楽団が演奏しているものだと思われる。
●モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク〜第1楽章
- コロンビア交響楽団との演奏は,ワルターが教え込んだような音楽だが,ウィーン・フィルとの演奏は,ウィーン・フィルに任せているところがある。冒頭などは,即興的で様子を見ながら始まっているので,アタックがとても弱い。
- 角のない演奏で,とても女性的である。
- ワルターはウィーンには4年ほどしかいなかったが,とても相性が良く,第2のふるさとのように思っていた。
- ただし,ウィーン・フィル時代のワルターは,「ウィーン・フィル+ワルター」というところがあり,ワルター本来の持つドイツ的な面はあまり出ていない。
#この演奏はSP盤の片面に収録されていたので,曲中に中断することはなかった。
●シューベルト:未完成〜第1楽章抜粋
- この曲は最近,7番と呼ばれるが,やはり8番。偶数ですよ。この曲は「8番「未完成」」しか有り得ない(宇野さんは,偶数番と奇数番と曲の印象とのつながりを重視していらっしゃるようです)。学者は頭が堅いだけです(宇野さんの方が堅いという説も...)。
- だけど,ドヴォルザークの8番は何番でも構わない(この辺は結構勝手ですね。だけど,何となく気持ちは分かるような気はします)。
- 1楽章最後がディミヌエンドで終わるのはとてもはかなげである。これを最近はアクセントで演奏することが多い。曲のイメージが全然違ってしまった。学者の説もマユツバだと思う。
- 聞き手の方が「それにしてもこの楽章は暗い曲です。宇野さんは指揮されたことはありますか?」と尋ねると,「ない。私は,自分が過去の名演より良い部分を出せる曲だけ振っています」との回答。
●ブラームス:交響曲第3番〜第1楽章抜粋
- ブラームスの好きな人は多いですが...宇野さんはあまりお好みではないようです。水口さんの方は「私は好きです」
- 3番はちょっと変な曲です。この点は聞き手の方も「同感」。特に最後,ゆっくり終わるのが辛い。ブラームスは,そういう人である。「優柔不断なんですよ」
- クララ・シューマンに対する思いから話がそれて,マーラーの奥さんのアルマ・マーラーの話題に。当時の芸術家はみんなアルマのことが好きで,アルマも次々恋人を作っていた。マーラーは馬鹿にされていたのでは?
- だけど,この演奏は良いです。ブラームスではなく,ワルターの演奏が良い。ホルンがとても良い。
●モーツァルト:そり滑り
#中間部の鈴の音の響きが夢を見るように美しい。鑑賞会はこの小品で締められました。
●SPレコードについて
- SPレコードは,ソロ楽器の方が合っている。いくらクレデンザでもオーケストラだと音が固まってしまう。
というわけで,「○○は好き,△△は嫌い」という宇野さん独特の言いまわしもポンポンと出てきて楽しめるトークとなりました。今回,ワルターの演奏と宇野さんのトークを聞いて私が感じたのは次のような点です。
- SPレコードに収録されている演奏は,SP盤を裏返す時間を意識してテンポ設定がされているのでは?戦前の演奏は,主題呈示部の繰り返しをしているものは,ほとんどないが,SPレコードで聞いていたことを考えると納得できる。
- 今回のトークの中で,「悲しさ」「はかなさ」という言葉が何回か出てきた。SPの魅力はこの辺にありそう。
- 宇野さんは,「学者がこういうから」という演奏が嫌いである。世の中全部が,一つの方向に向かったら面白くない。宇野さんのような考えの演奏家が居た方が面白いと思った。
- 演奏会と違い,録音されたものを皆で聞くというのは,やはり,ちょっと妙な感じがする。今回は絶妙のトークがあったので楽しめたが,皆で聞くなら,生演奏の方が自然だと思った。
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↑「名指揮者ワルターの名盤駄盤」という宇野さんが書かれた著書の標題紙にサインを頂きました。結構すごいタイトルの本です。名前を入れて頂いたのですが,恥ずかしいのでボカしてあります。 |
というわけで,多少の不自然さを感じながらも,「蓄音器でワルターを聞く」という貴重な経験をすることができました。全然刺激的ではないけれども,豊かな味を持った演奏というのは,SPレコードには大変相応しいものでした。機会があれば,宇野さんのトークでまた別の演奏なども聞いてみたいものだと感じました。会の後,宇野さんの書かれた著書にサインを頂きました。これもとてもよい記念になりました。
(参考)金沢蓄音器館のホームページは次のとおりです(2種類あるようです)。
- 金沢市のサイト:http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/chikuonki/
- 尾張町商店街のサイト:http://www.owaricho.jp/places/chikuonki.html
建物は尾張町の泉鏡花記念館,菓子文化会館のすぐそばにあります。(2003/10/13)
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