池辺晋一郎/オペラ「てかがみ」
2004/02/02 石川県立音楽堂コンサートホール
池辺晋一郎/オペラ「てかがみ」
●演奏
稲森慈恵(武田カヨ役),渡辺直人(リチャード・マクベイン役),松山いくお(杉本監督),笹倉直也(武田勇一役),山下尚子(武田亮子役),相澤真由美(レイチェル・ターナー役),伊東大智(ジョン・ターナー),丸山奈津美(高校の校長),鈴木涼子(会場係),佐藤貴志(衛兵),塙孝哉(5歳の勇一)
牧村邦彦指揮オペラ「てかがみ」アンサンブル(松井直(ヴァイオリン),早川寛(チェロ),岡本えり子(フルート),遠藤文江(クラリネット),平塚洋子(ピアノ),本間美恵子(パーカッション)) ,オペラ「てかがみ」合唱団,OEKエンジェル・コーラス
スーパーバイザー:三林 輝夫,脚本・演出 平石 耕一
Review by 管理人hs

2004年1月から池辺晋一郎さんが石川県立音楽堂の洋楽監督に就任されましたがその就任記念となる演奏会が行われたので出かけてきました。この日演奏されたのは,池辺さんが2001年の秋に新潟県のために作曲した「てかがみ」というオペラです。2001年の秋といえば,石川県立音楽堂がオープンした時期で,石川県も同じ池辺さん作曲による「呼びかわす山河」というオラトリオを上演していましたので,その当時池辺さんは大忙しだったことになります。

「てかがみ」は,オペラとはいえ,オーケストラによる伴奏ではなく,ヴァイオリン,チェロ,フルート,クラリネット,ピアノ,打楽器という6人編成による伴奏でした。ホールの方も,コンサートホールではなく,一回り小さい邦楽ホールで上演されていましたので,室内オペラと言えそうです。

オペラの舞台は太平洋戦争中から現代にかけての新潟で,現代と過去が交錯しながらドラマは進んでいきます。舞台はまず,自分の娘とアメリカ男性との結婚式に臨む武田勇一が母カヨやその知人たちの幻影を見る場面から始まります。次第に幻の方が多くなり,ドラマの方は戦時中のお話に移って行きます。この部分では5歳の勇一とカヨが中心となります。勇一の父親は新潟港で機雷の除去作業をしているのですが,機雷が爆発してしまい,亡くなってしまいます。カヨは,親切にしてくれたアメリカ軍の医師・マクベインに,「婚約者のために」ということで「てかがみ」を贈ります。一方,父の知人の杉本はカヨに対して密かに好意を抱いています。

第2幕の最初では,カヨが新潟空襲で亡くなってしまいます。母親を残して生き残った勇一は「自分が母親を殺した」という心の傷を負います。その後,勇一は杉本に引き取られます。その後,舞台は結婚式場に戻るのですが,戦時中の父の話を聞いた教員をしている娘は素直に結婚を喜べなくなります。最後に「てかがみ」が意外なところから戻って来ます。皆が次の世代に戦争を伝えて行くことの意義を感じながら,「結婚おめでとう」の合唱の中で幕となります。

というわけで,かなりシリアスな内容となっています。このオペラはシナリオを公募し,その優秀作に池辺さんが曲を付けることになっていたそうですが,最終的には,応募されてきた優秀作3作を平石耕一さんが1つにまとめたものが今回の台本となっています。そのせいもあり,いろいろな要素が詰め込まれいました。個人的には,この点は,今回のオペラのいちばんの問題点だったと感じました。

世代から世代へと戦争の悲惨さを伝える必要がある,ということが基本的なメッセージなのですが,それに付随して,勇一の母親をめぐる三角関係が出て来たり,勇一の娘の結婚式をめぐるエピソードがオペラ終盤の焦点になったりと,誰が主役なのかわかりにくくなるほど,多くの内容が積め込まれていました。このオペラは2時間ほどの短いものなので,やはりもう少しエピソードと登場人物をすっきりさせた方がドラマ全体がよりわかりやすいものになったのではないかと思いました。演劇の台本としては,これぐらい内容が詰まっていても良いのかもしれませんが,オペラの台本としては,やはり内容が多すぎました。やはり3つのシナリオを合わせたことが,そのいちばんの理由でしょう。

この日は,池辺さんのプレトークがあった上,シナリオ全文のコピーが配布されていましたので(会場が暗かったので読みながら見ることは不可能でしたが),全体の構成はわかったのですが,予備知識がなかった場合,「どうして結婚式場にいきなり,戦時中の格好をした人が現れるのだろう?」と混乱をした人も多かったかもしれません。

こういった「ややこしさ」はある程度,言葉で補う必要がありますので,シナリオには,やや説明的なセリフが多かったような気がしました。そのセリフ部分の音の動きはかなり不自然で,最初のうちは,聞いていてかなり違和感を感じました。シェーンベルクの曲などには「シュプレッヒゲザング」と呼ばれる,叫ぶように歌う曲がありますが,ちょっとそれを感じさせるようなところがありました。そのことによって,ぎこちない雰囲気を強調していたところもありましたが,やはり,演劇を見る感覚で筋を追おうとすると,「もっと素直に歌ってくれないかな」「普通にセリフをしゃべってくれないかな」と感じてしまいました。各幕切れに近づくにつれて,このオペラの作るムードになじんで来たのも事実ですが,演劇として見たかったな,と思う瞬間もありました。

池辺さんの音楽の方は,独唱,合唱,重唱がバランスよく混ざっており,全体的なまとまりは良かったと思いました。今回は新潟のニューセンチュリーオペラという団体による上演だったのですが,繰り返し上演してきただけあって脇役にいたるまで大変聞きごたえのある,安定した歌を楽しむことができました。

オペラ的な観点からすると,リチャード・マクベイン役の渡辺直人さんの大変力強い声が印象に残りました。ドラマ上は脇役的でしたが,歌の面では主役だったと思いました。邦楽ホールは小さいホールなので,声の魅力がダイレクトに伝わってきました。ただし,渡辺さんがアメリカ人だというのは,外見ではよくわかりませんでした。一見,普通の日本人と同じでしたので,急にアメリカの歌を歌い始めたのが不自然に思えました。金髪とまでは行かなくても,もう少し,視覚的な面で工夫が必要だったような気がしました。

女性の主人公は,稲森滋恵さんの歌ったカヨでした。このカヨ役は,ドラマ全体の要であり,息子雄一をはじめとして,まわりの男性から好意を寄せられる役柄です。稲森さんのかもし出す雰囲気には,母性的なやさしさとキリッとした清潔感とがありました。それと同時に男性をひきつけるような色気がありました。この稲森さんは,第1幕で出番が終わってしまったので,寂しいなと思っていたのですが,第2幕の最後の方で回想的に登場してくれました。ステージ上のスクリーンの後ろに幻想的に登場するのですが,この部分はとても効果的でした。この日の舞台は簡素なもので,照明を工夫して,すばやく雰囲気を変えていましたが,このカヨさんが出てくる場面では,大道具がてかがみの形に浮き出ており,その中にいたカヨさんは,鏡の中に姿が映っているような効果を巧く出していました,

この2人とバランスを取るようにして,登場するのが杉本です。この人物もカヨに好意を抱き,その死後は雄一を引き取ることになります。第1幕の最後の方でカヨがリチャードにてかがみをプレゼントする場があります。その後,リチャードと杉本の二重唱になるのですが,男声二重唱というのは意外に少ないので,なかなか新鮮な終わり方だと思いました。ただし,どうも2人の男性のキャラクターがはっきりしませんでした。カヨの夫自体は登場しないのですが,この夫を含めて,カヨとの関係がよく分からず,「カヨは誰にいちばん好意を持っていたのだろう?」という疑問が残りました。

この三角関係的な人物関係は,第2幕が始まるとすぐにヒロインのカヨが爆撃で亡くなってしまいますので(この部分はコーラスによる歌だけで処理されていました),恋愛ドラマが中途半端なまま,終わってしまった印象になりました。歌の面ではリチャードとカヨの歌が主役的な雰囲気がありましたので,個人的には,杉本がこの2人に悪役的な感じで絡むようなドラマをもう少し見てみたいと思いました。

この戦時中の場で,印象に残ったのが「5歳の勇一」役の塙孝哉君でした(ちらしの写真にいちばん大きく写っている少年です)。歌自体歌うことはありませんでしたが,カヨに常に寄り添うようにしている立っている雰囲気といかにも「昔の子供」という感じの素朴な顔立ちがドラマ全体の基調を作っていました。

ヒロインが消えてしまった後は,戦後になり,別のドラマが展開し始めます。この戦後になったことを表現するために,「玉音放送」「当時流行っていた歌謡曲」といったオリジナルの音楽以外を使っていた点は残念でした。こういう効果音を使うのは,演劇的な手法ですが,オペラである限りは,すべて生演奏を使って欲しいと思いました。

アメリカに帰る前にリチャードが「新潟は日本海側の表玄関」といった歌を歌います。いかにも新潟での上演を意識しているようで,少々とって付けたように感じました。

その後は結婚式の場に戻り,今度は学校の先生をしている花嫁を中心とした物語になります。父から戦争中の話を聞かされた花嫁は心を乱してしまいます。お祝いに歌を歌ってくれる自分の教え子たちの歌を聞けなくなってしまいます。「自分はあなたたちに何も教えてこなかった」と嘆き悲しむのですが,この感情の変化もどこか唐突に思えました。

最後に勇一が,リチャード・マクベインのことを思い出し,そのことを語ると,「リチャード・マクベインは私のパパですよ」という意外な展開になります。そして,カヨから渡した「てかがみ」がここで再登場します。人から人へ,時代から時代へ伝えるべきものの象徴としててかがみが登場するのは,大変効果的でした。リチャードの娘であり,花嫁の母であるレイチェルが感動的な歌を歌った後,結婚を祝福する気分が盛り上がったところで,子供たちの「結婚おめでとう」の合唱が始まります。

この合唱は,大変印象的なメロディで,繰り返し繰り返し歌われますので,オペラを見終わった後も耳に残ります。その他の人々も勢ぞろいし,それぞれの思いを乗せたアンサンブルとなって,幕となります。「結婚おめでとう」の曲は最後の曲としては,軽い感じの曲で,何となく予定調和的なエンディングではありましたが,観客の気分を盛り上げるところもあり,よく出来ていました。

というわけで,オペラ全体としてはいろいろと問題点が多い曲だと思いましたが,音楽や演奏の点では,面白い点がいろいろとありました。

池辺さんの音楽は,軽妙な部分とシリアスな部分の音楽を巧く書き分けていました。最初の結婚式の場では,先日,オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演で聞いた「町人貴族」を思わせるような雰囲気がありました演奏もOEKのメンバーが主体でした)。ピアノとチェロが低音を支え,ヴァイオリン,フルート,クラリネットが軽快に動き,打楽器がいろいろな味付けをする,というのは,この編成ならではの効果だと思いました。必要最低限の楽器で,十分な効果を挙げていました。特に音色の面で,フルートとクラリネットを使っていたのが効果的だと思いました。温かみのある雰囲気と冷たい雰囲気とを同時に伝えていました。

一方,戦争時代の音楽は,シリアス・ドラマのような雰囲気になります。こちらの方は,どちらかというとクールで,ストラヴィンスキー辺りの音楽のようなムードがありました。

その他,ところどころ入ってくる合唱団の使い方も面白いと思いました。捕虜になったり市民になったりと着替えに忙しそうでした。それほど大人数ではなかったのですが,非常に沢山の人数がいるように感じました。見る前は,もっとこじんまりとした雰囲気のオペラを予想していましたので幕開け直後の結婚式の場などは,華やかな雰囲気が嬉しくなりました。

途中から,ドラマの進行役のような感じで合唱団が正装をして登場していました。こういう使い方は,古典的な演劇にも出てきそうで,なかなか面白いと思いました。ただし,戦時中に突如,合唱団が突如ステージ上に出てきたりするのは,やや唐突だと感じた人もいたかもしれません。

このオペラは,メインの歌手などは固定されているのですが,児童合唱団や役者(歌を歌わずに演技だけを行う役者も数人登場していました)などは各公演の地元で調達することになっています。なるべく,いろいろな土地で上演してもらうための工夫のようですが,観るだけではなく,参加するオペラを東京以外の土地から発信して行こうという試みには素晴らしいものがあります。

今回の「てかがみ」については,個人的には,ストーリーの面では物足りなさを感じたのですが,新潟初のオペラを県外で上演しようという意気については,大変素晴らしいことだと感じました。この作品は2001年に上演された後も新潟県内各地で再演されてきましたが,新潟県外で上演されたのは今回が初めてのようです。新潟・石川両県の文化振興事業団の共催による上演ということで,今後の新しい企画の第1歩になったのではないかと思います。 (2004/02/20)