シューベルト歌曲の世界I
ナタリー・シュトゥツマン「冬の旅」
2004/05/17 石川県立音楽堂コンサートホール

シューベルト/歌曲集「冬の旅」D911
●演奏
ナタリー・シュトゥツマン(コントラルト),インゲル・ゼーデルグレン(ピアノ)

Review by 管理人hs   takaさんの感想

前日のハイティンク指揮ドレスデン国立管弦楽団の演奏会に続いて,この日はコントラルトのナタリー・シュトゥツマンさんによる「冬の旅」のリサイタルに出掛けてきました。2日続けて,世界最高峰の音楽を堪能できました。この演奏会は,「シューベルト歌曲の世界」という石川県立音楽堂で行われる4回シリーズの演奏会の第1弾にもあたります。今後,白井光子,ヘンシェル,シュライヤーという名歌手たちによるドイツ・リートの世界を楽しむことができます。

今回歌われたのは,シューベルトの歌曲の代表作である「冬の旅」全曲でした。春から初夏になる5月に「冬の旅」を聞くというのも少々季節はずれな気はしましたが,シュトゥツマンさんの瑞々しい声を聞いているうちに違和感は感じなくなりました。つい最近,シュトゥツマンさんの歌による「冬の旅」のCDの新譜がCALIOPEレーベルから発売になったのですが(今回の日本ツァーは販売促進ツァー?),そのジャケットは初夏を思わせる緑の林の中に黒い服を着たシュトゥツマンさんが立っている,というものです。「初夏の”冬の旅”」というのは,意図的な企画なのかもしれません。

昨日,ドレスデンのオーケストラの団員がぎっしりと座っていたコンサートホールのステージ上には,ピアノ1台だけがポツンと置かれていました。客席の照明が落とされると,黒い衣装を着たシュトゥツマンさんが,ピアノのゼーデルグレンさんと共に登場しました。こういうシンプルなステージも新鮮で良いものです。

曲は休憩なしで約80分間続けて歌われました。一人で歌うのも大変ですが,緊張感のある曲を1時間以上聞くお客さんの方も大変です。演奏者と聴衆とが一緒に歩いて旅をするような,濃い時間を堪能することができました。

第1曲「おやすみ」は,大変ゆっくりとしたペースで始まりました。この曲は「冬の旅」の中では比較的明るい方の曲ですが,すでに不吉な雰囲気を漂わせていました。シュトゥツマンさんの声は,古楽演奏のカウンター・テノールを思わせるような,スーっとヴィブラートなしで伸びて来るような新鮮な声で歌いはじめました。「冬の旅」の主人公が,若者だということが声だけでわかるような瑞々しさでした。非常にゆっくりとしたテンポにも関わらず,それほど重苦しさを感じさせなかったのは,この透明感のある声質によると思います。

シュトゥツマンさんの歌い方は,非常に滑らかなレガートを主体にしています。コントラルトという声域の歌手を聞くのは,初めてなのですが,深い低音から澄んだ高音まで,大変幅の広い音域をカバーしていました。しかも,どの声域も艶があり音程もとても良いので,CDの演奏がそのまま再現されているような完璧さを感じました。

それにしても見事な声でした。発声自体に全く力みがなく,のびのびとした豊かさを感じさせてくる一方,声が完全にコントロールされており,常に知的な抑制が効いてました。陶酔感と知性とがバランス良く共存している素晴らしい歌でした。

先ほど,ノンヴィブラートと書いたのですが,ヴィブラートをかけるべき部分はしっかりかけており,単調になることはありませんでした。流している歌っているような部分はなく,どの歌詞にも意味が込められていました(ドイツ語の歌詞が分かるわけではないのですが...意味深さはしっかり伝わってきました)。例えば,この「おやすみ」での淡々とした歩みは既に,歌曲後半の「茫然自失」という雰囲気を予感しているようでもありました。

その後の曲も全般にゆっくり目のテンポで進んでいきました。ゼーデルグレンさんの伴奏は非常にデリケートな表情を持っていました。シューベルトの曲の持つナイーブな若さのようなものをうまく表現していました。有名な「菩提樹」の最後の1節のデリケートな表現などはシュツゥツマンさんの抑えた歌にぴったりと寄り添っており,絶品でした。その一方,「かえりみ」のような激しい曲では,荒々しさを切れ味良く表現していました。

曲が進むにつれて,シュトゥツマンさんの声も益々好調になってきたようで,声に力が加わってきました(最初の方では,ちょっと声が遠くから聞こえるような感じもしたのですが)。全曲の中間のあたりでは,もがき苦しむ若者の心情を表現するような,切実な歌も出てきました。

「川の上で」では,シュツゥツマンさんの低音の魅力が良く出ていました。女性でこれだけ豊かな低音をだせる人はいないのではないかと思います(この曲のCDを聞きながら,試しに歌ってみたのですが,これは完全に男声の声域ですね)。

前半の曲では,11曲目の「春の夢」が特に印象的でした。暗く重い曲の中で,突如シンプルで軽やかなピアノ伴奏が入ってくるのは,ハッとする美しさがありました。「菩提樹」同様,後半でぐっとテンポを落とし,とてもデリケートな弱音で過去を振り返るような表情を作っているのが感動的でした。

12曲目の「孤独」の後,少し大きめのインターバルが入りました。シュトゥツマンさんは水分を補給されていました。その他,ステージ袖の職員の方に何か注文を出していましたが,もしかしたら会場の温度設定を変更したのかもしれません。前半は会場の熱気でかなり暑かったのですが,後半は少し涼しくなったように感じました。

後半は,軽快な速さで「郵便馬車」が始まりました。後半の幕開けに相応しい気分がありましたが,やはり,後半の方になるとしっとりとした雰囲気になります。力強く歌い上げる部分との対比も聞きものでした。

その後は,次第に「あきらめ」の気分になっていきます。15曲「からす」も印象的な曲ですが,この辺りから夢うつつの気分も加わってきます。

16曲「最後の希望」の最後の方の「あーあ」という部分は,それほど声高に叫んでいるわけではないのに,ひしひしと訴えかけるものがありました。後半の方は各曲のインターバルを小さめにし,曲間の流れの良さも重視していたようです。
↑シュトゥツマンさんによる「冬の旅」の新譜です
↑同じCDのジャケット裏にはゼーデルブレンさんの独奏CDの広告が載っていました。

最後の「辻音楽師」では,まず前奏のピアノの弱音のニュアンスの豊かさが見事でした。ゼーデルグレンさんは,ピアノ独奏のCDも出しているようですが,ピアノだけで若者の気持ちを表現しているような多彩な表情を持っていました。

この終曲は,第1曲「おやすみ」に対応するようにとてもゆっくりしたテンポで歌われました(”語り”に近いものですが)。この曲の後,最初の「おやすみ」にまた戻っていくような気分も感じました。特に最後の一声は非常に清澄で,若者の魂が浄化されたような美しさがこもっていました。男声歌手で聞くと,「氷点下20度,感情も凍結」という気分になるのですが,今回のシュトゥツマンさんの歌の場合,もがき苦しんだ後,気休めかもしれないけれども,安住の地を見つけたかな,という”情”がかすかに残っているようなところがありました。

今回の「冬の旅」は,非常にゆっくりとした第1曲と第24曲とがうまく呼応しており,全曲の均整もよく取れていました。女声による「冬の旅」の一つのモデル・規範となるような完成度の高い演奏だったのではないかとと思います。

PS.演奏会後,サイン会がありました。この日はロビーでのサイン会でした。シュトゥツマンさんは,豊かな低音が示すとおり,大変大柄な方でしたが,ステージ上でのシリアスな表情とは違い,サイン会では大変明るくチャーミングな表情を見せていました。

PS.今回のピアノ伴奏(というよりも「旅のパートナー」という重要な役割ですが)は,女性ピアニストのゼーダーグレンでしたが,考えてみると歌曲のピアノ伴奏者で女性の奏者というのは非常に珍しいことです。女性指揮者並みに珍しいことかもしれません。女性二人による「冬の旅」となると,さらに珍しいと思います。(2004/05/18)



Review by takaさん  
知人に「いいよ! 深いんだよ しっとりとね・・」といわれ 「冬の旅」=F・ディスカウ(東芝エミ赤レコード)の私が期待の胸膨らませ 聞いてきました。すばらしかったですね。特に私は菩提樹が終わった6番「雪どけの水流」に泣けました。今まで冬の旅といえば おやすみ、菩提樹、鴉、ライヤー回しだったのですが これからは6番「雪どけの水流」を加えます。(2004/05/17)