オーケストラ・アンサンブル金沢第162回定期公演PH
2004/06/17 石川県立音楽堂コンサートホール
1)モーツァルト/交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
2)ドビュッシー/ピアノのために
3)ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.7.3「皇帝」
4)(アンコール)ショパン/ポロネーズ第1番嬰ハ短調op.26-1
5)(アンコール)ショパン/ワルツ第14番ホ短調遺作
●演奏
フィリップ・アントルモン(ピアノ*2-5)指揮オーケストラ・アンサンンブル金沢(1,3)(コンサートマスター:松井直)
Review by 管理人hs

今週は1回でピアニストが3人も登場する演奏会に行ってきたばかりなのですが,今回のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演もピアノ音楽が中心の演奏会になりました。登場したのはフィリップ・アントルモンさんです。今回,アントルモンさんはピアノ以外にも指揮を担当しましたが,考えてみるとOEKの定期公演にピアニストの弾き振りが登場するのは初めてのケースかもしれません(以前にも指揮者なしでピアノ協奏曲が演奏されたことはありますが,いずれもコンサートマスターがリードしていました)。

ピアニストが指揮を兼ねるケースは,バレンボイム,アシュケナージ,エッシェンバッハなど近年増えつつあります。プログラムに載っていた経歴によるとアントルモンさんも1967年から指揮を始めていますので,すでに指揮者としても長いキャリアを持っていることになります。この日の演奏もとても味わい深いものでした。アントルモンさんと言えば,1960〜1970年代を中心に活発にレコーディング活動を行っていましたので,いつまでも若いイメージがあるのですが,今年70歳になります。アーティストとしての年輪が至るところに出ていた余裕のある演奏会でした。

今回は,アントルモンさんの「3つの顔」を楽しむことができました。まず,最初は指揮者としての登場でした。

「リンツ」交響曲は,モーツァルトの交響曲の中でもいちばん古典的なバランスの良い曲の一つだと思いますが,その”姿の美しさ”がすっきりと表現されていました。曲は冒頭の序奏からかなり速いテンポで始まりました。とてもバランスの良い響きで,もたれることのない爽快さがありました。この日のコンサートマスターは松井さんで,ティンパニの渡辺さんはこの曲では,バロックティンパニを使っていたようですので,少し古楽器風の演奏スタイルも取り入れていたのではないかと思います。主部は普通のテンポだったと思いますが,ここでも軽やかな曲の流れと地に足の着いた落ち着きとがうまく共存していました。さりげなく流れていくようでいて,しっとりと聞かせてくれるような味わい深さがにじみ出ていました。呈示部の繰り返しは行っていました。

第2楽章も速めのテンポで,すっきりとした清潔感のある演奏でした。第2楽章にティンパニやトランペットが入るのは,モーツァルトの曲としては変わっているのですが,うるさくなリ過ぎることなく存在感を出していました。第3楽章のメヌエットもまた速いテンポで始まりましたが,トリオではテンポが落とされていましたので明快なコントラストが出ていました。トリオでのオーボエ,ファゴットなどによる田舎の味とメヌエットでのキリっとした雰囲気のある都会の味との対比という感じでした。

最終楽章も快適なテンポでしたが,慌てた感じはしませんでした。ヴァイオリンなどの響きは軽やかなのですが,ティンパニや低弦がしっかりとしたビート感を作っていたので,しっとりとした落ち着きを感じました。この楽章も呈示部の繰り返しを行っていました。

アントルモンさんのテンポ設定は基本的にインテンポで,曲全体にすっきりとしたたたずまいがあります。変わったことをしないのに気品が出てくるような感じでした。

続いて,ソリストとしてのアントルモンさんが登場しました。OEK団員が全員引っ込んだ後,ステージ前方にピアノが運び出されました。その後,会場の照明がぐっと落とされました。ピアニストの中にはピアノ付近以外は真っ暗にする人が結構いますが,アントルモンさんもそういう集中力を重視するタイプのようです。

ただし,曲の方は何の衒いも力みもなく「スッ」と始まりました。曲全体が自然な雰囲気に包まれ,まろやかな音色を堪能できました。時々ミエを切るようにテンポの変化を付けていましたが,全く大げさなところはなく,バランスの良さがありました。成熟した大人の音楽という感じでした。

ダイナミックな音の動きのある第1曲が終わっても,アントルモンさんは鍵盤から手を離さず,そのまま静かな曲想の第2曲に移っていきました。この「ピアノのために」という曲自体,古い時代の組曲を意識したような構成なのですが,この第2楽章には特にアンティークで優雅な落ち着きがありました。

この楽章が終わった後もアントルモンさんは鍵盤から手を離さず,ヴィルトーゾ風の華やかな音の動きのある第3楽章に移っていきました。アントルモンさんのテクニックには衰えは感じられませんでした。メカニカルな冷たさが無く,すべて手のうちに入ったような安定感があるのが素晴らしい点です。この音のまろやかさというのは石川県立音楽堂の音響の良さにもよると思います。

休憩後,ピアノの位置がさらに変えられ,今度は,ピアノ弾き振りをするアントルモンさんが登場しました。このピアノの配置ですが,通常のピアノ独奏のようにお客さんに横顔を見せるのではなく,指揮者と同様,お客さんに背を見せる形になっていました。つまりピアノが90度左回転され,オーケストラの中に突っ込むような形になります。また,オーケストラ団員とのコンタクトを取りやすくするために,ピアノの蓋も取り払われていました。こういう形でのピアノの配置は,OEKのコンサートではこれまであまり見たことのないものです。

今回演奏された,「皇帝」は恐らくOEKがもっとも頻繁に演奏している協奏曲ではないかと思います。中村紘子さんとの共演をはじめ,毎年数回演奏していると思います。今回の弾き振りでは,そういう過去の経験が生きており,OEKの方とアントルモンさんとが一体となって感動的な音楽を作っていました。過去に何回か聞いた「皇帝」の中でも特に印象的な演奏になりました。

曲は十分な貫禄ときらめきを持って始まりました。最初のカデンツァの部分では,先程のドビュッシー同様,メカニカルな冷たさはなく,名人の役者の絶妙の語り口を聞くような”間の良さ”を感じました。その後,しばらくオーケストラだけの部分が続き,アントルモンさんは手だけで指揮をされていました。颯爽と流れていくというよりは,念を押すようにじっくりと進んでいく感じでした。印象的だったのは,楽章後半で高音の弱音で演奏する部分です。アントルモンさんは,テンポをぐっと落とし,キラキラとした音で丁寧で弾いていきます。それにOEKの木管奏者たちがピタリと付けていく雰囲気はまさに室内オーケストラによる弾き振り演奏の良さが表れていたと思います。この楽章は大変スケールが大きいのですが,その中に時々現れる非常にインティメートな気分が印象的でした。

第2楽章にもそういう室内楽的な味わいがありました。特に楽章の最後の方で上石さんのフルートの音が印象的でした。このフルートの音を引き立てているようなピアノの慎ましさが素晴らしいと思いました。第3楽章になるとさすがにアントルモンさんのピアノに「ヨロリ」とするような所がありましたが,それがまたベテランの味のようにも感じられました。何かOEKとアントルモンさんが一体になって,幸福な音の世界に浸っているような気分があり,聞いている方にもじわじわと感動が広がってきました。
↑これはピアニストとしてではなく,指揮者としてのアントルモンさんのCDです。自宅から持参していったものです。

曲の最後の方では,ティンパニ(この曲では通常のティンパニを使っていたようでした)とピアノの音だけが残る部分が出てきますが,今回の配置だと渡辺さんとアントルモンさんが1対1で向かい形になります。まさに「差し向かいの対話」になっていました。音が小さくなるにつれ,お二人とも頭を下げていくようになり,これもまた演奏の面白さを増していました。

演奏後,大変盛大な拍手が続きました。それに応え,アンコールではアントルモンさんのピアノ独奏でショパンの曲が2曲演奏されました。これも自然体の演奏でした。他の曲同様,”間”の取り方が素晴らしいと思いました。

アントルモンさんは,ピアノにしても指揮にしても,強烈な表現をすることはありませんが,聞いているうちに会場全体を優しい気分に包んでくれるような方だと思いました。至福の時間に包まれた演奏会でした。

PS.終演後,ロビーでアントルモンさんのサイン会を行っていました。ベテランの音楽ファンには懐かしい方ということで,賑わっていました。アントルモンさんは,1つ1つのCDのジャケットをじっくり見ながら,とても丁寧にサインをされていました。

PS.音楽堂1階の玄関付近では,OEKのヨーロッパ公演の写真展が行われていました。前回はコンサートホール内の写真が中心だったのですが,今回はヨーロッパの各都市の風景などが中心となっていました。その中で面白かったのは首席チェロ奏者のカンタさんの撮った写真でした。コントラストの強い鮮やかな風景写真も見事でしたが,OEK団員の自然な表情を捉えたポートレートがいくつかあったのがOEKファンとしては楽しめました。(2004/06/19)