オーケストラ・アンサンブル金沢第163回定期公演M
2004/06/28 石川県立音楽堂コンサートホール
1)ブリテン/イギリス民謡による組曲「過ぎ去りし時...」op.90
2)ナッセン/ヴァイオリン協奏曲op.30
3)武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド
4)ラヴェル/マ・メール・ロア
5)(アンコール)ラヴェル/マ・メール・ロア〜パゴダの女王レドロネット
●演奏
オリヴァー・ナッセン指揮オーケストラ・アンサンンブル金沢(コンサートミストレス:アビゲイル・ヤング),クリオ・グールド(ヴァイオリン*2),猿谷紀郎(プレトーク)
Review by 管理人hs  六兼屋さんの感想|川崎(富山市在住)さんの感想

6月のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演マイスター・シリーズには,オリヴァー・ナッセンさんが指揮者として登場しました。定期公演初登場です。作曲家としてもよく知られているナッセンさんの選曲ということで,今回は自作を含め,20世紀以降の曲ばかりを集めたプログラムとなりました。

ドイツ・オーストリア系の曲がなく,イギリス,フランス,そして日本の作品を集めたプログラムというのは,「新しいもの好き」のOEKの定期でもあまり取り上げられて来なかったものです。比較的地味で,少々とっつきにくい部分のある選曲でしたが,ナッセンさんとOEKの作り出す音色には統一感があり,演奏会全体のまとまりはとても良いと思いました。ナッセンさんは,熊を思わせるような巨漢ですが,その棒から出てくる音楽は,非常に精緻なものでした。後半の武満やラヴェルなどでは,繊細なガラス細工を思わせる響きを楽しめました。

まず,ブリテン作曲によるイギリス民謡をもとにした「過ぎ去りし時...」という曲が演奏されました。演奏される機会の少ない作品ですが,その名のとおりイギリスの風土を感じさせてくれる面白い曲でした。この日はトリが「マ・メール・ロア」でしたが,その曲と対応するような雰囲気もあり,コンサート全体のまとまりを良くしていました。

曲はマーラーの「復活」の第3楽章の出だしを思い出せるようなティンパニのソロによる印象的な強打で始まりました。第2曲は,どこかヴォーン=ウィリアムズの曲を思わせるような暖かな叙情性がありました。第3曲は小太鼓と管楽器だけの素朴な音楽でした。特に小太鼓の音に独特の風味があり,イギリスの風土とユーモアを感じさせてくれました。第4曲は対照的にヴァイオリン合奏による演奏でした。ヴァイオリン・ソロの出てくる曲はよくありますが,ヴァイオリンだけの合奏というのは珍しいと思います。この曲にもまた,野趣がありました。最後の曲には,水谷さんのイングリッシュホルンが文字通り”イギリス風”の歌をきかせてくれました。荒野に響くような寂しげな雰囲気が印象的でした。

というような感じで,オーケストラの各楽器の活躍する曲が目立つ曲でした。この日のコンサートミストレスは,イギリス出身のアビゲイル・ヤングさん,指揮者もイギリスのナッセンさん,ということで,この日の演奏会の幕開けには相応しい曲でした。OEKのさらりとした感触のある演奏もイギリス風の気分をよく伝えていたました。

次の曲は,ナッセンさん自身の作品でした。各楽章にはレチタティーヴォ,アリア,ジーグというアンティークなタイトルが付いており,急−緩−急の構成でした。3つの楽章は続けて演奏され,曲もきっちりとまとまっていましたので古典的な形式の中に現代的な色彩感を盛り込んだ曲という感じでした。ただし,この曲は元々はフィラデルフィア管弦楽団のために書かれた曲で,この日の編成もホルン3,フルート3,トロンボーン2と,管楽器が増強されていました。初演のヴァイオリニストはピンカス・ズカーマンということですが,大オーケストラの伴奏によるヴィルトーゾ風の表現も可能な曲なのかもしれません。

曲はソロ・ヴァイオリンによる独奏から始まりました。この日のソリストは,やはりイギリス出身のクリオ・グールドさんでした。彼女はナッセンさんが音楽監督を務めるロンドン・シンフォニエッタのリーダーも務めている方ですので,ナッセンさんにとっては最も信頼できる奏者だと思います。ちょっと線が細い感じはしましたが,高音の難しいパッセージなどをはじめ,とても誠実な演奏でした。室内楽オーケストラ版による演奏には相応しい奏者だったのではないかと思います。

曲全体の響きは,ハープや鐘が加わっていたこともあり,後半に出てくる武満さんの曲に似たところがありました。ただし...私自身,この日は風邪気味で少々体調が悪かったこともあり,残念ながらこの曲の時はあまり集中して聞くことができませんでした。今回の演奏会はレコーディングを行っていたようなので,機会があればもう一度じっくりと聞いてみたいものです。

というわけで,前半が終わったところで頭がボーっとしてきたので休憩時間中にコーヒーを飲みました。そのお陰で,頭はかなりすっきりしました。そして,後半最初の武満さんの「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」を聞いてさらに気分は良くなりました。

ナッセンさんは,この曲のCD録音も行っていますが,今回の演奏も自作を演奏するかのような生気のある演奏でした。比較的速目のさらりとしたテンポで演奏していましたが(岩城さん指揮OEKのCD録音との比較です),どの部分も非常に鮮やかで詩的な風景が目の前に現れてくるようでした。この曲は武満さんの作品中でいちばん耳になじみ易い曲の一つだと思います。武満さんの晩年の作品ということで,「系図」の中に出てくるような陶酔的な弦楽器の響きも印象的でした。管楽器を中心にオーケストラの各楽器が同じモチーフを受け渡ししていくうちに,だんだんと気持ちよさが耳に広がってきました。美しい詩情を感じさせる見事な演奏でした。

演奏会の最後は,ラヴェルのマ・メール・ロアでした。この日のプログラムは,どの曲も音色の面でどこか共通する雰囲気を漂わせていましたが,このマ・メール・ロアはその総まとめのような感じでした。この曲を初めとして,この日演奏されたすべての曲にハープが入っていましたが(木村茉莉さんがエキストラで参加していました),これはかなり珍しいことだと思います。その他,チェレスタやグロッケン,ドラなど,”金目”の楽器も沢山入っていましたが,この辺がプログラム全体の音色上の統一感を作っていたように思いました(プログラムの演奏者欄に「ジュ・ド・タンブル」という聞きなれない楽器名が書いてありましたが,これはチェレスタの隣に並んでいた兄弟分にのような楽器だと思います)。プログラム全体を1曲のように構築するあたり,さすが作曲家だなと思いました。

このマ・メール・ロアにはいろいろな版があるのですが,今回は5曲からなる組曲版で演奏されていました。演奏曲順はプログラムに書いてあったものとは違う順序で演奏されましたが,実際には今回演奏されたものの方が一般的な曲順のようです。
↑この日は楽屋口でプログラムにサインを頂きました。近くで見ると....本当に熊のような方でした。
↑とても親しみやすい雰囲気を持った方でした。この日が誕生日だったようです。

最初の曲から,ゆっくりと繊細にこってりと演奏されていました。ファンタジーの雰囲気を見事に作っていました。特にくぐもったような弱音の美しさが大変印象的でした。第3曲目の中国風の「パゴダの女王レドロネット」もそれほどはしゃぎ過ぎることなく,夢見るような気分を出していました。

第4曲の「美女と野獣」でのクラリネットとファゴットの対比も面白かったのですが,この曲と最終曲に出てくる,アビゲイル・ヤングさんのヴァイオリン独奏が見事でした。曲の明るさをさらに増すような輝くような魅力を発散していました。前半のクリオ・グールドさんのヴァイオリンと対を成すような存在感を示していました。最後の最後の部分も華やかに盛り上がりますが(ちょっとマーラーの交響曲第3番のエンディングに似ている?),それもやりすぎにならず,おとぎ話が終わるような,ちょっと寂しい気分も出ていました。

アンコールでは,マ・メール・ロアの中の「パゴダの女王...」が再度演奏され,演奏会全体の気分を壊すことはありませんでした。演奏会全体をナッセンさん好みの統一された音色で包み込んだ,とても味わい深い演奏会だったと思います。ナッセンさんは,ロンドン・シンフォニエッタという,OEK同様,現代音楽を得意とする室内オーケストラの指揮者ですので,これを機会に交流が進めていってほしいものです。OEKはクレメラータ・バルティカとも交流がありますので,岩城さんが以前語っていた「世界室内オーケストラ・フェスティバル」のような企画もだんだんと現実味を帯びてきたのではないかな,と思いました。

PS.この日はプレトークで登場したOEKのコンポーザ・イン・レジデンスの猿谷紀郎さんを初め著名人が何人か来ていました。権代敦彦さんの他,詩人の谷川俊太郎さんの姿もお見かけしました。(2004/06/29)



Review by 六兼屋さん  

もうずいぶん長くROMになってしまっている六兼屋です。

今期楽しみにしていたベスト3の一つが、このナッセン客演です。東京ではN響などへの客演やオペラシティの企画への参加でおなじみになっている方ですが、北陸にいらっしゃるのは初めてかも知れません。一昨年の秋でしたか、N響のサントリーホールでの定期演奏会に客演したときは、今晩の外套のような上着ではなく、かなりラフな装いで指揮台に立っておられました。しかし、そういう飾らない人柄は今晩の舞台での立ち振る舞いにも現れていましたね。

最初に奏されたブリテンは、題材になった民謡の雰囲気が醸し出されつつも、この作曲家に特有な「傷つきやすさ」が表現されているように思いました。第5曲の始まりからのクレッシェンドは、目に涙がたまっていく様子を、私のこころに描きました。その涙がこぼれずに少しずつ乾いていくように、音楽も静寂に戻るという印象です。

次の自作ですが、OEKのフル編成よりはもう少し大きい編成(つまり弦楽器の人数ですが)で演奏した方が、より効果が上がるような感じもしましたが、でも、今晩のももちろん名演でした。20世紀の音楽、バルトークその他に「夜の音楽」というのがありますが、その遺産を引き継いだ曲想を感じました。21世紀的という面よりも、20世紀の遺産を掘り下げた形で引き継ぐという側面を、より多く感じたのです。第2楽章ではポーランドのシマノフスキを思い出しましたが、このナッセンの曲は唯美的なものではありませんね。

3曲目の武満が始まってびっくりしたのですが、ナッセンの曲よりもこの曲で、オーケストラはより安定した音を出していたように思ったからです。こっちの方をよりよく知っていたからだ、と言えばそれまでですが、指揮者も自作よりもこの曲に馴染んでいる、より深く知っているように見えた、というのは言い過ぎでしょうか。

最後のラヴェルでは、パヴァーヌや「親指小僧」で、童話の登場人物のうつろさ、地に足の着いていない様を、力を抜ききった弦の響きで表現したりするところなど見事だと思いました。終曲の「妖精の園」がラヴェルの中で一番好き、という人は多いと思うのですが、期待に見事に応えた演奏でした。弦のトップ奏者達の美しいソロ、特にヤングさんの琴線から聴衆一人一人の心の琴線に共鳴するあの音色とうたには圧倒されました。演奏後、ヤングさんの心身をまだ音楽の熱いものが満たしているという風情が素敵でした。

ナッセンは作曲家としても演奏家としても「管弦楽の魔術師」だということが、金沢の私達にも知れ渡りました。演奏活動の中心はロンドンシンフォニエッタの監督職にあるわけですが、OEKの秋の定期に楽団とともに再度、再々度客演していただきたいと願います。今回も熱演だったグールドさんも更に多面な演奏を聴かせて下さると思います。

PS. ナッセンへの応援団がすごかったです。谷川俊太郎氏や武満氏の遺族その他の方々、十余人のご一行。舞台では木村茉莉氏...武満徹が草葉の陰から大号令を発したということでしょうか。武満さんなら、俺の曲を金沢まで行って聴いてこい、と言ったのではなく、ナッセンを聴いてこい、と言ったんだとと言うことに「間違いない!」(長井風に)。

明日29日の大阪公演も成功しますよう祈ります。 (2004/06/28)



Review by 川崎(富山市在住)さん  

ブリテンの「過ぎ去りし時・・・」、パーシー・グレンジャーに捧げるものとのこと。身近で親しみやすい言い回し、判りやすい聞き易さはグレンジャーによるもの。19世紀のイギリスの片田舎、お祭りの賑やかさと黄昏のまどろみ。あるいは、貴族の話し声、枕詞に装飾され持って回った話し合い、馴れ合いの議論、フットワークの悪さ。はたまた、下町の井戸端会議、気だるさを伴うケンケンガクガクのおしゃべり。前近代的なゴーストが現われても不思議さ感じさせない曲想。クレーメルさん(ダブル・コンチェルト)、ハンナ・チャンさん(無伴奏)、ヴェロニカ・ハーゲンさんと吉野直子さん(ラクルメ〜ダウランドの歌曲の投影〜)で感じた作曲家の独特の語調は影を潜める。精神集中して身構えなくとも心を満たしてくれる。

ナッセンさんの「ヴァイオリン協奏曲」、屈託なく響くニギヤカサとキラビヤカサ、作曲家の持ち札で好きな音の一つに相違ないと確信。幽霊屋敷でのネズミの運動会、ネグラでのカラスの喧騒。澄んだザワザワ感、シャープなクリア感、作曲家の発見、喜びの表情。そして何時の間にか、ヴァイオリンが空間を支配。ザワメキを追っ払ったのか留守を狙ったのか、邪魔ものはなしソリストの独壇場。静寂の中をハープとともに駆け巡る。慌てず優美でしなやか、丁寧に心を込めて、素適な対応に納得。でも男性ヴァイオリニストだとどうなるのかしら。

武満さんの「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」。一度、岩城さんの指揮で聴いている。息を詰めて音のつながりを確かめるようにソォートソォート進行、果実に傷を付けないように大切に大切に皮をむく様に。音の絡み合いを耳を欹てて聴いた気がする。今日のナッセンさんのはまず結論ありき、「風の精」の精巧な仕上り図を何枚も目の前に提示。途中のプロセスなしの瞬間勝負、電光石火のストレート、それも天才がなせる業なのか。点と線との作曲家の音楽を、ナッセンさんは線を略して点を際立たせている気がする。鮮やかに開いた花火を見ている様でそれもアリかなと思う。

ラヴェルの「マ・メール・ロア」。穏やかで柔らかく優しげ、ふんわかふんわかマシュマロの口当たり、あたたかいオブラートで包みこんだ様な。童話の世界のお話。指揮者のアタマの中、ほのぼのチックな幼児性アリ。鋭利なクレバーさで、マザー・グースの不条理、矛盾を突く残酷性をどれだけでも表現できる筈。しないのは、純粋なものへの憧憬の心を失わないから。星新一さんのショートショートを連想。トゲのないバラ、サビ抜きのスシ、それで成り立つ美しさ、キレイさが存在。そう描き切りたいと願うココロ、その通りのプレゼンテーション、勝利。「美女と野獣」たおやかな美女と野獣のリアルなノッシノッシ感、そのコントラスト。「妖精の国」のクライマックス、あっけんからんとしたスケールの大きさは指揮者の好み、ナッセン・ワールド。(2004/07/04)