オーケストラ・アンサンブル金沢第167回定期公演M
2004/09/21 石川県立音楽堂コンサートホール

1)ベートーヴェン/「プロメテウスの創造物」序曲op.43
2)サン=サーンス/序奏とロンド・カプリツィオーソop.28
3)アウエルバッハ/ヴァイオリン協奏曲第2番op.77(2004年度委嘱作品・世界初演)
4)アウエルバッハ/ヴァイオリン,ピアノと弦楽オーケストラのための組曲op.60(4楽章版)
5)ブラームス/交響曲第2番ニ長調op.73
●演奏
岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンンブル金沢(コンサートマスター:マイケル・ダウス)
諏訪内晶子(ヴァイオリン*2-4),レーラ・アウエルバッハ(ピアノ*4)
岩城宏之(プレトーク)
Review by 管理人hs  川崎さん(富山在住)の感想 

今回のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演は,コンポーザー・イン・レジデンスのレーラ・アウエルバッハさんの新作,諏訪内晶子さんのヴァイオリン,室内オーケストラによるブラームスなどいろいろと見どころ,聞きどころのある演奏会でした。あの手この手でOEKのレパートリーを拡大しようという試みの一環と言えますが,どれも立派な成果をあげていました。特にブラームスの第2交響曲は聞き応えのある演奏になっていました。

今回は,人気ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんが登場するとあって,会場はほぼ満席でした。私自身,諏訪内さんが登場する演奏会に出かけるのはこれで5回目になりますが,毎回満席です。レパートリーを広げながら,どの曲でも完成度の高い演奏を聞かせてくれるのは大変立派です。どんどん洗練味を増しており,クラシック音楽のアーティストという枠を超えた存在になりつつあると思います。

この諏訪内さんの”前座”のような感じで,ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲が演奏されました。岩城さんはプレトークで「ベートーヴェンにしては平凡な作品」と語っていましたが,OEKはいつもながらのかっちりとまとまった響きを出していました。その意味で,この言葉は今回の堂々とした演奏には相応しくないものでした。岩城さんは,時々,演奏前に「この曲は大したことはない」というような発言をされますが,「つまらないものですが」と言った後プレゼントを渡すようなもので,論理的に矛盾があるような気がします。「気軽に聞いてください」という意図だとは思いますが,「無くもがな」という気もします。

続いて,ヴァイオリンの諏訪内晶子さんがワインレッドのドレスの衣装で登場しました。まず最初に,会場が盛り上がる曲であるサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリツィオーソ」が演奏されました。サン=サーンスの曲は,”けれん味””通俗性”といったエンターテインメントに徹したような分かりやすい曲作りが持ち味なのですが,この日の演奏は,あえてその点を避けたような演奏でした。どちらかというとサン=サーンスのもう一つの持ち味である,”都会的な洗練味”を感じさせてくれるようなサラリとした感触のある演奏でした。

諏訪内さんのヴァイオリンの音は,相変わらず引き締まった”クールビューティ”という感じのもので,どの部分をとっても完成度の高さを感じさせてくれました。速い音の動きも大変明確でした。この曲には,これ見よがしの華やかな見せ場も多いのですが,そういう部分でわざと弱音にしたりして,泥臭くなるのを避けていました。オーケスラの最後の音も,いかにも岩城さんらしく「バン」と短く終わっており,とてもスマートな演奏になっていました。もっと濃い演奏で聴いてみたい曲ではありますが,大げさな表情を誇示するのが好まない諏訪内さんらしい演奏と言えるでしょう。

続いてOEKの現コンポーザー・イン・レジデンスであるレーラ・アウエルバッハさんの新曲のヴァイオリン協奏曲の世界初演が行われました。この曲は単一楽章で,それほど演奏時間は長くありませんでした。ただし,曲は急緩急緩という感じでテンポが変化しており,いくつかの部分に分けられるような感じでした。冒頭に出てきた鐘の音が最後の方で再現していたのでシンメトリカルなまとまりもありました。

曲全体としてはやや晦渋な印象を持ちました。少々とっつきにくい部分はありましたが,暴力的な激しさと叙情性が急速に交替するようなところは,現代人の不安な心理を象徴しているようでした。チェレスタなどを含む音色美も印象的でした。激しい部分ではコントラ・ファゴットやバス・クラリネットも加わり重厚さを感じさせる一方で,緩やかな部分では,異国情緒を思わせる叙情性が漂っていました。絡みつくような粘りのある気分はとても魅力的でした。諏訪内さんのヴァイオリンでは,カデンツァ風の部分をはじめとして随所に出てくる高音の繊細さが印象的でした。

この曲は,今回の定期公演の後,全国数箇所で演奏されることになります。現代性を感じさせると同時に,どこか古典的な気分を感じさせてくれる曲ですので,繰り返し演奏されていくうちにOEKのレパートリーとして定着して行くかもしれません(考えてみるOEKのとコンポーザー・イン・レジデンスの作った曲の中でヴァイオリン協奏曲というのは初めてかもしれません)。

続いて,プログラムに印刷されていなかったアウエルバッハさんの曲がもう1曲追加で演奏されました。演奏会全体の時間的なボリュームを考えての追加だったようですが,この曲が期待以上に素晴らしい作品でした。最近,ピアニストとして活躍し,CDも発売している作曲者のアウエルバッハさん自身のピアノを聴けたのも収穫でした。

先のヴァイオリン協奏曲と違い,こちらの方は各楽章に文学的な標題が付いている上,音楽自体にも「バロック音楽」を真似たような雰囲気がありましたので,より親しみやすい作品になっていました。アウエルバッハさん自身,文学者としての活動もされているそうですが,この曲のような標題音楽的な作品の方がより作風に合っているのではないかと思いました。

この曲は,もともとはギドン・クレーメルのために書かれた作品で,オリジナルは7曲からなる組曲です。この日はその中から4曲を抜き出して,4楽章からなる協奏曲のような感じで演奏されました。どの楽章も印象的でしたが,まず,ヴィヴァルディの「四季」の中の「冬」を思い出させるような速い音の動きの続く第1曲が楽しめました。諏訪内さんのヴァイオリンはキレの良い激しさを持ったもので,曲の世界に一気に引き込んでくれました。純音楽的でありながら,どこか物語性を感じさせるあたりもヴィヴァルディの「四季」と似た性格を感じました。

第2曲「黒いスケルツォ」は,はじめのうちはそれほどスケルツォっぽい感じではありませんでしたが,次第に悲劇性を増していくような気分の移り変わりがありました。第3曲はショスタコーヴィチの曲の緩叙楽章を思わせる冷たい美しさがありました。クレーメルさんとの連想から言うとピアソラの曲などにも通じる「孤独な通俗性」といった気分も感じました。

第4曲は「生のトッカータと過去の沈黙」ということで,前半は再度速い動きになります。途中,気持ちの良い響きが出てくるのですが,文字通り「鉄槌を下す」という感じで,夢見心地を断ち切るピアノの音が入ります。このアウエルバッハさん自身によるピアノの音は,非常に硬質なもので諏訪内さんの叙情的なヴァイオリンと好対照を作っていました。この楽章では,カンタさんのチェロをはじめとするOEK奏者のソロも聞き物でした。弦楽器の作り出す,うねりをもったような不思議な響きも印象的でしたが,これはアウエルバッハさんの音楽の特徴なのかもしれません。

今回のような4楽章形式もまとまりが良かったのですが,この曲については,是非,全7曲を聞いてみたいものです。他にどういう曲を含んでいるのか気になります。今回,北陸朝日放送がテレビ用の収録を行っていましたので,その放送も是非見てみたいと思います。レコード会社の関係で実現は難しいかもしれませんが,諏訪内さんのヴァイオリン,アウエルバッハさんのピアノ,OEKの伴奏でCD化されれば,きっと話題になるような曲だと思いました。

後半のブラームスもまた,充実感の残る演奏でした。岩城/OEKによるブラームスの交響曲演奏はCD化もされた第4番以来の約1年半ぶりのことになります。楽器の配置の仕方をはじめとして,基本的にはその時と同じコンセプトの演奏になっていました。楽器の配置は,初演時の配置を意識したもので,人数的にも初演時とほぼ同じということです。今回はトロンボーンに加えて,チューバも加わっていたのですが,その配置は次のとおりでした。

           Timp
            Cb
          Cl   Fg    Tp
     hrn   fl    Ob   Tb Tuba
        Vc     Vla
    第1Vn  指揮者   第2Vn

第4番のとき同様,コントラバス4人が後方正面の高い位置に並んでいたのが目に付きました。前回と違っていたのはクラリネットとファゴットの位置です。今回は通常の配置に戻っていました。

演奏は誇張された表現の全くない,堂々とした演奏でした。テンポ設定はかなり遅めで,しかも揺れがほとんどありませんでした。この曲については,ブラームスの「田園」交響曲と呼ばれることもあるのですが,そういう爽やかさよりは,渋さを感じさせてくれる演奏でした。通常の大編成で聞くとズシっともたれる演奏になっていたかもしれませんが,今回ぐらいの編成だと,表現の重さを響きの透明感で中和しているようなところがありました。岩城さんの指揮するOEKは,いつもフル編成に負けないぐらいの強い響きを出しますので,室内オーケストラのブラームスといっても全く過不足はありませんでした。

第1楽章は,冒頭の金星さんのホルンの響きからして落ち着きがありました。第2主題のチェロパートの情熱的な歌や,展開部に出てくるトロンボーンの重厚な響きも印象的でしたが,それらが突出することなく,聞き終わった後には,楽章全体としての充実感を感じさせてくれるのが見事でした。

第2楽章は,曲想自体,より一層しみじみとした気分を持っています。この楽章については,変わったことをしない方が曲の深みが伝わると思います。今回の演奏はそのとおりの演奏でした。大げさな表現は全く無く,淡々とした表情が風格を醸し出していました。ベテラン指揮者ならではの枯淡の境地を伝える演奏でした。

第3楽章は,水谷さんのすっきりとした空気を伝えてくれるソロで始まりました。この日の演奏は,全曲を通じて,ロマン派の交響曲というよりは古典派の交響曲的な雰囲気のある演奏でしたが,この3楽章は特にそういう演奏で,非常に清潔感がありました。

第3楽章の後,インターバルを置かず第4楽章が始まりました。ここまでドラマティックな表現は抑え目にしていた感じでしたが,ここに来てじわじわと全曲のクライマックスが見えてきました。この楽章も遅めのテンポで淡々と進んで行きましたが,終盤になるとトロンボーン,チューバ,ホルンの重厚な響きが効果を発揮してきます。爆発するようなアクセントも所々出てくるのですが,それが取ってつけたようにならず,すべてが最後の最後の盛り上がりに向けての伏線になっているようでした。物理的な音の大きさで盛り上げるのではなく,じわじわと内側から効いて来るような自然な盛り上がりを持った演奏になっていました。

アウエルバッハさんがトルストイ作曲のワルツなどロシアの文豪が作った曲を演奏したCDです。トルストイの曲は,音楽堂で収録された映像が演奏会と同じ日の「報道ステーション」の天気予報コーナーで流されました。
岩城さんのサインは今月2枚目。
私自身,以前はもっと熱狂的に盛り上がる演奏を好んでいたのですが,今回のブラームスを聞いて,こういう落ち着きのある演奏の方がブラームスには相応しいかな,と実感しました。ロマンティックな感情の起伏の豊かさを求めた人には物足りない部分があったかもしれませんが,全曲を通じて諦観にも似た静かな落ち着きを感じさせるブラームスになっていました。今の岩城さんならではの表現になっていたと思います(この曲は,この秋,サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルによって同じ石川県立音楽堂で演奏される予定です。恐らく,今回の岩城/OEKの演奏とは全然違った演奏になるのではないかと思います。聞き比べをしたいところですが...今回の場合チケットが高すぎて手が出ないですね)。

この日は,ブラームスの後にアンコールはありませんでしたが,それで良かったと思いました。ブラームスのしみじみとした充足感と余韻がいつまでも後に残りました。23日以降行われるOEKの国内演奏旅行もきっと充実したものになるのではないかと思います。

PS.この日も出演者のサイン会がロビーで行われました。休憩前までは「諏訪内さんがサイン会に登場します」というアナウンスがあったのですが,終演後は「体調不良のためキャンセル」となっていました。「諏訪内さんがサイン会?本当かな?」という気がしていましたので,キャンセルというアナウンスを聞いて,「やはり無かったか」と思いました。諏訪内さんがサイン会を行ったら,ロビーがすごい騒ぎになり,演奏会の余韻も薄れる気がしましたので,結果的にはこの方が良かったのではないかと思いました。(2004/09/23)


Review by 川崎(富山在住)さんの感想  

アウエルバッハさんの曲は初めて。クレーメルさんのための「憂鬱な海のセレナード」は、演奏家来日せずで聴かなかった。最近ピアノ演奏のCDを出したという記事を見ている。諏訪内さんとは、一昨年のベレゾフスキーさんとのリサイタルのために「ヴァイオリンソナタ」を予定したが土壇場でキャンセルとのコトもあった。(悪意はアリマセン、悪シカラズ)ともあれ、未知数。海のものか山のものか、拠り所のない不安が先に立つ。しかも初演、その重要性って?演奏家は練習しているから、ある程度は予測の範囲の中。本番での観客の反応、その高まりの相乗効果だけがシミュレーションの外。どこかでも書いたが、聴き手は当然初聴。初物の有難さ、そんな名誉より、鬼が出るか蛇が出るか、お先真っ暗、ウロタエの困惑がホンネ。

「ヴァイオリン協奏曲2番」。クラクションの一斉放水、音のオモチャ箱をぶちまける。他に耳を貸さぬ言い放しのジコ中たち。収拾つかぬ混沌orすがすがしい開放感。強烈なインパクト、元気印の喧騒。一転して、夜明け前の静寂、音なしの絶対空間の構えでなく、眠りの雰囲気、その中の微かな呼吸、生きている証。そしてまた、昼間の明るさ。イキイキとした躍動、ダンスのステップ。メリハリの効いたリズム、歯切れよい振幅。のめり込み・没我、理性の抑止力はハタラカナイ。さらに夜のしじま、暗闇の空気密度に圧縮され隠された音楽が聴こえる。空間の時間変化、具体的なイメージより抽象論。自由奔放の12分間。ヴァイオリニスト、率先して、作曲家の理想とする音楽を追い求めている。

「ヴァイオリン、ピアノと弦楽・・・の組曲」。整然としたバロック風音列、突如デフォルメ的崩壊、別音楽の出現、持続。奇抜な意外性、来月のクレーメルさんのシュニトケさんを先取りして聴いている様。収まりある筈トコロに、唐突で非連続なザワメキ。既存の音楽枠へのコダワリなし、自由自在。繊細さ、ロマンシズムの面目も躍如、静寂な沈黙のエネルギーがムンムン。豊かなイマジネーションの広がり。シュニトケさん相当の出色の音楽、素適な最高な時間を持てたことに感謝。

アウエルバッハさん、シュニトケさんの音楽の作り方をクリア、恐れを知らぬ若さと、非論理的で感覚的な女性らしさが同居。思い付きをスベテ音に変える屈託ない無邪気さの持ち合わせも。イロンナ音のカードの乱発、ボリウムで圧倒。洗練されぬ無骨さ、直線的力強さ、突っ込みのよさ。自信にみちた音楽、自己の天才性を誇示。鬱憤晴らしというネガの因子はない。つながりのない無味な音列ばかりでなく、メロディアスな面も多々。ピアノを受け持つ作曲家、自作自演だから逡巡なし、思い切りの良さ、説得力を発揮、独善的でも許容範囲。素晴らしい演奏、予想以上の素晴らしい作曲家、ピアニストである。

諏訪内さん、現近代の作曲家の音楽に共感、純粋な音楽の追求が楽しそう。イキイキと知的作業に参画、不確定なものを現実とする。今日は音楽を同世代というファクターが素適な相乗効果。アウエルバッハさんに関しては最高の出来。サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」、昨年末ピアノ伴奏でも聴いたもの。その時感じた情熱的になりきれぬ不完全燃焼さを改めて感じる。キレイに処理し過ぎ、ドロドロとした情念の世界を露わにするには気高過ぎる奥ゆかしさ。身悶えする悩ましさは期待しても今のところ無理ナノカ。

http://w2322.nsk.ne.jp/~kiyoto/orenka11.html (2004/09/22)