楽友会第3回音楽ア・ラ・カルト J.S.バッバ:マタイ受難曲の魅力に迫る! 2005/01/09 石川県立音楽堂交流ホール ●講師 佐々木正利(オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団指揮者)
今回の企画は,OEK合唱団の指揮者の佐々木正利さんにマタイの魅力を語ってもらおうという趣旨でした。佐々木さんは,マタイの合唱部分の指導のためにわざわざ岩手県から来られているのですが,その大変なハード・スケジュールの中から時間を取って頂いての講演となりました。佐々木さんのお話は尽きるところがなく,予定していた1時間をオーバーし,それでも足りないぐらいでした。きちんと結論付けられるようなお話ではありませんでしたが,マタイ受難曲のスケールの大きさ,深さを感じさせてくれると同時にそれを生で聞けることの期待感をあおってくれる,とても熱気のあるイベントとなりました。 今回は,講演という形を取っていましたが,それほど堅苦しい語り口ではありませんでした。佐々木さんは,マタイの譜面以外には何も原稿を見ることもなく,マタイの魅力を情熱的に語られました。内容をまとめるのは難しい点もありますが,その要点を紹介してみましょう(内容的に間違っている点などありましたら,ご指摘頂けると助かります。)。 ■マタイの魅力について 武満徹が「孤島に持っていく1曲」と言っていたそうだが,そのとおり,世界最高のプレゼントともいうべき魅力的な作品である。ただし,この素晴らしさは難しさと裏腹である。1回聞いてもなかなか良さが分からないところがある。 マタイは休憩時間を含めると3時間以上かかる。ストーリーが分からないと眠くなるだろう。しかし,テンションの高さは金太郎飴のように最初から最後まで維持している。寝て目が覚めても,そのテンションがずっと続いているような凄い作品である。 ■マタイのストーリーとマタイという人物 キリストの受難,捕縛,裁判,判決,ゴルゴタ,処刑,埋葬までを描いている。これはマタイによる福音書の26,27章の受難の部分に対応している。 この福音書を書いたマタイという人物は,キリストの12使徒の中の一人だった。職業は税務署の役人だった。今も昔も「情け容赦のない嫌われ者」として恨まれやすい職業である。キリストはそういう嫌われる人に対して説教をしてきた人だった。 ■ヨハネ受難曲との比較 バッハは5つの受難曲を書いたと言われているが,残っているのはマタイとヨハネの2曲だけである。ヨハネという人物は弟子の中でいちばん若く血気盛んな人物だったこともあり,曲の方も判決のシーンをはじめとしてもっとドラマティックである。 マタイの方はそれに比べるとより淡々として冷静である。しかしその中で淡々としていられない部分が1箇所ある。それが判決の場である ■マタイの中の判決の場 この場は,明白に罪のある人(=バラバ)と罪を感じていない人(=イエス)のどちらを許すかとピラトが群集に尋ねるという場である。この場で,群集はバラバを許し,イエスを十字架にかけることを選んでしまう。 「罪のある人の罪をになって復活する」という神との契約があるためイエスの死は避けられない。しかし,この矛盾した判決にイエスは苦しむ。イエスは,「死ぬのは避けられないのか」という思いを「杯を避けて欲しい」という比喩で語っている。しかし,結局,父の御心を受け入れ,踏ん切りをつけて,十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう。 ■全曲の縮図の第1曲目 第1曲目の合唱曲の序奏はこの「十字架を背負って歩いていく様子」を描いている。オーケストラの前奏はまるでお経のようにミの音が通奏低音で5小節続く。その後,6小節目に通奏低音が音階を上っていく。これは,丘に上る様子を描いている。この曲を聞くだけでも人間離れした曲だということが分かる。 ■マタイのテンポ設定 第1曲目はリヒターなどの遅い演奏だと15分ぐらいかかる。バッハの楽譜には実は何も書かれていない。シュライヤーがどういうテンポを取るか非常に楽しみである。1曲目だけでなく他の曲でもそれぞれ違うから,ものすごい多様性が出てくることになる。 ■マタイの編成 マタイの演奏に参加する人の数も半端でない。次のような演奏者が必要である。
バッハはマタイの中でいろいろな修辞法を使っている。例えば,次のようものである。
■シュライヤーさんの名前について 今回の指揮者のペーター・シュライヤーさんの名前は,意味を考えるととても面白いものである。 「ペーター」は,ペテロである。聖書の中では鶏が鳴く前に「イエスを知らない」と3回否認するという預言が当たることになっている。その後,ペテロは外に出て泣く。曲中でペテロ自身は泣かないが,福音史家は語りの中で,高いシの音を出す(福音史家は2オクターブの声域を使う)。福音史家は聖書の言葉を淡々と語る役だがこの部分だけは違っている。 「シュライアー」の方はSchreienという言葉から来ている。この言葉は「叫ぶ」という意味である。マタイの中では,「キリストを十字架につけろと民衆が叫ぶ」という部分に出てくる。 というわけで「ペーター・シュライヤー」というのは,「叫ぶ人ペテロ」という意味になる。 ■シュライヤーさんのプロフィール シュライヤーは,今世紀最大のテノールの1人である。旧西ドイツ出身のテノールではフリッツ・ブンダーリッヒという歌手が最大と言われているが,旧東ドイツ出身ではシュライヤーが最大だろう。 シュライヤーはマイセン生まれで,今年70歳になる。シュライヤーは,このままずっとシュライヤーだろう。彼はドレスデンの十字架教会の聖歌隊に入った後,その才能を認められ声楽を学ぶが,実は指揮者になりたかったという。 オペラ・デビューは26歳の時で意外に遅い。「フィデリオ」の第1の囚人役でデビューし,その後,オペラ界を席捲する。彼は「テノール馬鹿」と呼ばれるのを嫌った。彼がオペラのアンサンブルに加わると,全体が引き締まった。音程,音量,音色などすべての点で規範になるような歌だった。指揮の方も非常に理知的である。そのシュライヤーの真骨頂が福音史家である。 ■佐々木先生の福音史家体験 マタイの中でいちばんギャラが高いのが指揮者と福音史家である。その両方をやるのはちょっとずるい。佐々木先生も福音史家を何回も歌ったことがある。ウィーンで歌ったときは「若き日のペーター・シュライヤーを彷彿とさせる」と評されたことがある。この評の言葉をずっとプロフィールで使っていたことがある。 ■福音史家の歌い方あれこれ 今回,シュライヤーさんは,指揮をしながら歌うので,半分は背中,半分は顔を見ながら聞くことになる。この福音史家の歌い方の動作を見るのも楽しみである。エルンスト・ヘフリガーは,暗譜していても両手で譜面を持って,じっと見て歌う。シュライヤーも暗譜していても譜面を持って歌う。こちらは片手で譜面を持って,もう一方の手を持ち上げて歌う。この辺の動作を見るのも楽しみである。 福音史家と指揮という大変な仕事を2つできるはずはないのに,彼はやってしまう。これを体験できるのは2月4日の金沢だけである。大変な贅沢である。 ■今度のマタイは大きなイベントになる 今回のマタイの上演には,盛岡から50人,仙台からも20人の合唱団が来る。そのぐらい大きなイベントになる。楽しみにしていてください。金沢の人は恵まれすぎているかもしれない。 ■予習,本番,復習...:マタイはライフワーク マタイは1回聞いてもなかなか良さがわからない曲である。予習をし,本番を聞き,復習をし...というのを5回ほど繰り返して入口に入れるような曲である。私自身,最初は,イエスのことを”はい”だと思っていたくらいである。NHK-FMの「バロック音楽のたのしみ」でこの曲を聞いて感銘を受け,次第に親しむようになった。 東京芸大に入って,カンタータを歌うクラブを作り,バッハをずっと歌い続けた。それがきっかけで「佐々木がいるから」ということで,久しぶりに芸大でマタイを演奏することになった 当然,福音史家として出られるのかと思っていたが,オーディションになってしまった。ここで困ったのが最高音である。どうしてもその音が出ない。いろいろなレコードを聞き比べてみたところ,ファルセットで最高音を歌っているレコードがあった。これを聞いて,出してみたところ,うまく歌えるようになり,これだけ美しいBは聞いたことがないと誉められた。その後,マタイを46回歌っている。 東京芸大の服部幸三先生にはこの時,誉められると同時に,20回は歌えとアドバイスを受けた。そして,20回目ぐらいの時に服部先生を招いて,聞いてもらった。その時「味が出た」と言われ,非常に嬉しかった。マタイは私のライフワークである。シュライヤーには負けるわけにはいかない。これからも精進したいと思う。 ■余談・冗談etc 佐々木さんは,日本でも有数のバッハ演奏家ですので,もっと堅苦しい方かとも思ったのですが,大変冗談の好きな方でした。話もどんどん別の方に逸れて行き,それがまた面白い話につながっていくという感じでした。今回の講演中の,余談・冗談の中からその片鱗をご紹介しましょう。
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