シューベルト歌曲の世界IV
ペーター・シュライヤー「冬の旅」
2005/01/30 石川県立音楽堂コンサートホール

1)シューベルト/歌曲集「冬の旅」D911
2)(アンコール)シューベルト/さすらい人の夜の歌
●演奏
ペーター・シュライヤー(テノール),カミロ・ラディケ(ピアノ)
Review by 管理人hs  

昨年5月のナタリー・シュトゥツマンさんの「冬の旅」以来,4回シリーズで石川県立音楽堂で行われてきた「シューベルト歌曲の世界」の最終回はテノールのペーター・シュライヤーさんによる「冬の旅」でした。結果的にこのシリーズは4回中3回が「冬の旅」になりましたが,どれもが個性的な歌唱で飽きることはありませんでした(別の曲を聞いてみたいという気持ちもありましたが...)。今回のシュライヤーさんの「冬の旅」はその最後を締めるのに相応しい素晴らしい歌でした。

シュライヤーさんは,今年70歳になられますが,声の衰えなど全くなく,多くのレコード録音でおなじみの折り目正しさの中に豊かなニュアンスを持った歌声を堪能させてくれました。感服しました。音程的にも不安定なところはなく,70歳のテノールということが信じられないぐらいでした。

実は,テノールによる「冬の旅」というのは一般的なイメージと少し違うかな,という気もしていたのですが(ただし,この曲の初稿はテノール用のようです),それは全くの見当違いでした。シュライヤーさんの歌には常に抑制が効いており,暗すぎる声で聞くよりはむしろ親しみを感じることができました。私にとって,「冬の旅」はどちらかというと苦手な曲なのですが,今回のシュライヤーさんの「冬の旅」は全く退屈することなく聞くことができました。

シュライヤーさんの歌い方はCDなどで聞いていると少し饒舌過ぎるような感じがすることがありますが,今回の歌唱からはそういう印象は受けませんでした。「シュライヤーの声だ」とすぐに分かるような柔らかく軽い純度の高い声の魅力とニュアンスとドラマに富んだ歌唱とが実演だとバランス良く両立するのかもしれません。

シュライヤーさんの歌声は基本的に非常に滑らかで,少しねっとりとした感触があります。まだまだ瑞々しく明るい声なのですが,全体に落ち着きを感じさせてくれます。歌声には常に抑制が効いており荒っぽさはありません。声のボリュームは不必要に大きくはなく,威圧する感じはありません。それでいて繊細なニュアンスがよく伝わり,常に品格の高さを感じさせてくれます。歌全体に,枯れた感じはなく,個々の曲それぞれが美しいフォームを持っていました。その中から,青春時代を回顧するような味がにじみ出ていました。クラシック音楽の聴衆には中年以上の人が多いですが,そういう人たちは,ずっと現役の第1線で歌い続けているシュライヤーさんの姿を見ながら,感慨にふけったのではないかと思います。胸に迫る美しさを持った「冬の旅」でした。

演奏の方は全般に遅めのテンポで歌われていました。第1曲の「おやすみ」から十分に間合いを取った落ち着いた歌が続きました。シュライヤーさんの「冬の旅」では,この「おやすみ」のゆっくりとした”歩行のリズム”を基本テンポにして歌っている感じでした,全曲を通じて落ち着いた安定感を感じました。前半では特に名残惜しそうに引きずるような感じで歌われた「菩提樹」が印象的でした。全体に抑制して歌っていましたので,「あふるる涙」などで出てくる刺すようなフォルテが素晴らしい効果を出していました。

第11曲の「春の夢」は,もともとテノールが歌うのに相応しい感じの曲ですが,ここでも十分な間をとって歌っていましたので,軽さだけでなく,楽しかった時代を回顧するような味の深さがありました。第15曲の「からす」は逆に速いテンポで不安な気分を盛り上げていました。終盤の「幻」より後になると,余分な力が抜け,安らぎ似た雰囲気が出てきたような気がしました。シュライヤーさんの「冬の旅」は,冷たく暗いだけではなく最後まで人間を信じているような暖かみが残っていると感じました。

↑終演後,シュライヤーさんから頂きました。CDは,「美しい水車屋の娘」をギター伴奏で歌っている録音です。
↑ピアニストのカミロ・ラディケさんのサインです。
最後の「辻音楽師」もまたゆっくりしたテンポでしたが,それほど神経質な感じはしませんでしした。ここでも間の取り方が素晴らしく,最後は,大きくため息をつくような深みを感じさせる終わり方でした。全曲が終わってもしばらく拍手は起こらず,聴衆の方も,「すごい「冬の旅」を聞き終えた」と大きな息をついていたのではないかと思います。

今回のピアノ伴奏のカミロ・ラディケさんも見事でした。ピアノの蓋はほとんど閉められており,大体において艶を消したような控え目な演奏だったのですが,ここぞという所でキレの良い音を聞かせてくれました。常にシュライヤーさんの歌にぴったり寄り添い,落ち着いた間を作っていました。特に静かに終わる曲の最後の部分の余韻の出し方が素晴らしいと思いました。

「冬の旅」の後にアンコールはないかな,とも思ったのですが,今回は盛大な拍手に応えて「さすらい人の夜の歌」が歌われました。上述のとおり,絶望し切ってしまうような歌ではなかったので,アンコールがあっても違和感を感じませんでした。「冬の旅」の気分と良く似た,たっぷりとした落ち着きを感じさせる歌でした。それにしても,1時間以上歌い続けた後に(曲間のインターバルも短めで,給水用のペットボトルなども全然用意してありませんでした)さらにアンコールを歌うというのは,年齢を考えると驚異的なことです。シュライヤーさんは,天性のノドの強さを持った,歌うために生まれてきた方だと痛感しました。

今回の「冬の旅」は金沢の音楽の歴史に残る記念碑的な演奏会になったのではないかと思います。そして,今度の金曜日に行われるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)とのマタイ受難曲が,そのパート2になることを確信しました。 (2005/01/30)

PS.この日の会場では池辺晋一郎さんの姿も見かけました。池辺さんは現在,雑誌「音楽の友」でシューベルトの楽譜についての連載記事を書かれているはずなので,今回の「冬の旅」についてどういう感想を持たれたのかお聞きしてみたいところです。