午後6時の音楽会Vol.31 アンサンブル・ペンタグラムwith赤松林太郎 2005/02/26 石川県立音楽堂交流ホール 1)ダンツィ/木管五重奏曲ト短調op.56-2 2)ウェーバー(近衛秀健編曲)/舞踏への勧誘 3)ワーグナー(リスト編曲)/楽劇「トリスタンとイゾルデ」〜「イゾルデの愛の死」 4)リスト/ハンガリー狂詩曲第6番変ニ長調 5)プーランク/六重奏曲 6)(アンコール)3つの春 ●演奏 アンサンブル・ペンタグラム(木下大祐(フルート),西昭久(オーボエ),鈴木昌季(クラリネット),嶋田聡(ホルン),西野誠一(ファゴット))(1-2,5-6),赤松林太郎(ピアノ*3-6)
今回の演奏会は,管楽アンサンブルのみの曲,赤松さんのピアノ独奏,全員によるプーランクの六重奏という大変充実した内容となっていました。この「午後6時の音楽会」は通常1時間以内なのですが,今回は1時間15分ぐらいかかりましたので,本当に聞き応えがありました。演奏された曲自体も聞き応えのある曲が並んでいました。もう1曲加えて休憩を入れれば通常の演奏会になるぐらいの本格的な内容でした。 演奏も大変楽しめるものでした。木管五重奏というのはのんびりしたムードの曲が多いかなとも思っていたのですが,鋭い音やら華やかな音など多彩な音のやり取りを楽しむことができました。それに赤松さんのピアノが加わり,さらに充実した響きを作っていました。赤松さんのピアノの素晴らしさは後でもう一度書いてみたいと思います。 プログラムはまずアンサンブル・ペンタグラムのメンバーだけでダンツィの曲が演奏されました。ダンツィは,ベートーヴェンとほぼ同時代を生きたドイツの作曲家で木管五重奏曲を沢山書いています。今回演奏されたト短調の曲は,それほどインパクトは強くありませんでしたが,ほの暗さの漂うよくまとまった作品でした。アンサンブル・ペンタグラムの演奏も,じっくりと木管の響きを聞かせてくれる演奏で,曲想によく合っていました。各楽器のバランスも大変良いものでした。 楽器の配置は下手側からフルート,オーボエ,ホルン,ファゴット,クラリネットの順でした。その配置の関係もあるのと思うのですが,3楽章などでは木下さんフルートがとても華やかな雰囲気を作っていました。 2曲目の「舞踏への勧誘」は,通常ピアノ独奏またはオーケストラ編曲で演奏される曲ですがが,今回は近衛秀健編曲による木管五重奏版による演奏でした(近衛秀健さんは,近衛秀麿さんの息子さんのようです)。オーケストラ版ではチェロで演奏される導入部はファゴットで演奏されていましたが,どこかのどかな気分がありました。その後のワルツも舞踏会というよりはもっと庶民的な味が出ていました。町の酒場で聞くような感じでしょうか。そういう意味では交流ホールで聞くにはぴったりの雰囲気でした。 木管五重奏による2曲とも饒舌過ぎず,着実さを感じさせてくれる演奏でした。こういう演奏を聞いていると,木管アンサンブルを仲間と演奏するのは奏者にとっても最高の娯楽なのではないかと感じました。 その後,アンサンブル・ペンタグラムのメンバーに代わって赤松林太郎さんが登場しました。赤松さんはお名前も印象的ですが,雰囲気も個性的でした。一見,何を考えているのか分からないようなクールな風貌から非常にクリアで強烈なピアノの音が飛び出してきました。交流ホールという間近な場所で聞いたせいもあるのですが,引き締まった硬質な音を堪能できました。これだけスカっとできるピアノの音は滅多に聞けないと思いました。 最初の曲はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の中の「イゾルデの愛の死」をリストがピアノ独奏用に編曲したものでした。最初の鋭い一音からぐっと引き付けられました。オーケストラ伴奏版だと重厚な音がうねるように続く曲ですが,ピアノ独奏で聞くともっと透明でクリアな響きになって聞こえます。赤松さんの音は特に硬質でクリスタルグラスを思わせるような感触があります。スケール感にも不足はなく,後半に向かうに連れてどんどんと力を増していきました。すっきりとした感触と,大向こうを唸らせるような名技性を同時に感じさせてくれる大変聞き映えのする演奏でした。 続くハンガリー狂詩曲第6番も同様の演奏でした。こちらはハンガリー風の曲だけあって,テンポの緩急が鮮やかに付けられていました。デジタル的といっても良いような明晰な演奏で,鮮やかな音の綾とリズムのキレの良さを堪能できました。 赤松さんはプロフィールを読んでも,”音楽大学卒業”とは書いてないので,キャリアの面でも普通のピアニストとは違った道を歩んでいるようです。金沢出身の金澤攝さんもそうですが,こういう個性的な道を歩んでいるピアニストの活動は応援したくなります。これからも注目して行きたいと思います。
3楽章の最後の部分は急にゆっくりとした落ち着いた感じになるのですが,その気分の転換も見事でした。演奏会全体を締める堂々としたエンディングになっていました。 アンコールには「3つの春」という気のきいた曲が6人編成で演奏されました。タイトル通り,春にちなんだ3つの愛唱歌(早春賦,春よ来い,春が来た)のメドレーでした。最後に,楽器演奏を一瞬中断し「春が来た」という掛け声を入れた後,全曲が結ばれました。木管合奏は春を待つのどかな気分にはピッタリでした。 金沢は春一番が吹いた後にも関わらず,この日,朝起きてみるとかなりの雪が積もっていました。それとは裏腹に1時間を越える演奏でホール内には熱い空気が漂っていました。今回の演奏会は無料でしたが,大変充実したものでした。終演後,その入場料のつもりで会場で売っていた赤松さんのCDを記念に買って帰りました。木管合奏とピアノの組み合わせは,のんびりとリラックスした感覚と硬質な感覚とを同時に楽しめるような”お得な感じ”があります。機会があればまた聞いてみたいと思います。 (2005/02/27)
ワグナー/リストの「イゾルデ愛の死」。ワグナーは殆んど知らない、以前にTVでブーレーズ−シェローの「リング」を半分観た位。ダルベルトさんのCDで予習したが、昔、グールドさん、コチシュさんのレコードの記憶も。後半の素適なドラマチックな高まりは死を悼む叫びなのかしら、打ちひしがれた悲痛な晩祷? とすれば、前半は死に至る過程とそのもの、思いするイメージがすべり抜けそうなイラダチ、それだけ死の深遠さを描く難しさを思う。ピアニストをHPで知れば知るほど、音楽、歴史、哲学への造詣の深さに太刀打ちできぬものを感じる。今回も、アタマの中で大スペクタルを再現、展開しているのだろう。「狂詩曲」でも、チャールダシュ、ラッサン、フリスカの意味を十分理解して演奏している筈。年齢だけを重ねた出来の悪い聴き手を痛感、これからもヨロシクと願うだけ。 プーランクの「六重奏曲」。一筋縄でいかない作曲家、ユニークな語感、まっとうな進行を期待したら肩透かし。想像を超えたツナガリ、諧謔の薬味。真面目・真剣の美意識でははぐらかされる。冗談は言い過ぎ、シャレとかユーモア。その中での「六重奏曲」、19世紀的室内楽の穏やか協調路線では不成立、各パート自己主張のフレーズの断片で成り立つ。乗り遅れたらアウト、シッチャカメッチャカのハラハラドキドキのキワドサ。今日の6人、ケンケンガクガクのイキ、シャレ、ペーソスの競い合いとはならないが、曲の構造を判りやすく明らかにする。ピアノはネジ巻き活力源、不明朗な時は叱咤激励、でも、デシャバリは回避して皆の顔を立てる。フランス風の崩しはないが、この音楽を演奏することを一番楽しがっている。3年前聴いた、パユさん、ルルーさん、メイエさん、ル・サージュさんなどの特急列車の演奏とは異なるが、緊張ある演奏がココロに染み渡る。(2005/02/28) |