素囃子とオーケストラ・アンサンブル金沢
ジョイント・コンサート

2005/03/13 石川県立音楽堂コンサートホール
1)一調一管「天馬の翔」
2)素囃子「舌出し三番叟」
3)北條美香代/室生犀星の詩による5つの歌(室生犀星詩「抒情小曲集」より)
4)鈴木行一/勧進帳:素囃子とオーケストラ・混声合唱のために
●演奏
金沢西芸妓連むすび会(素囃子*2,4)
堅田乃莉(小鼓*1),藤舎秀扇(笛*1)
ジャン=ピエール・ヴァレーズ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサート・マスター:松井直)(3,4),中西富美枝(メゾ・ソプラノ*3),オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団(4)
,生稲晃子(司会)
Review by 管理人hs  OEKfanのfanさんの感想 
昨年に続いて2回目となる「素囃子&オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)ジョイントコンサート」に出かけてきました。素囃子というのは劇音楽から囃子のみが独立した演奏形態です。このスタイルが金沢では「金沢素囃子」として市の無形文化財に指定されており,金沢の伝統文化として大切にされています。今回は三味線,小鼓,大鼓(おおつづみ),太皷,笛,唄のからなる15人程度の編成でした。まさに邦楽版OEKといった感じです。

こういうジョイント・コンサートが行われること自体珍しいのですが,これが2年連続で行われ,定着しつつあるというのも金沢らしいところです。今回は知人からたまたまもらった招待券で出かけてきたのですが,予想以上に変化に富んだ聞き応えのある内容となっていました。このジョイント・コンサートのために毎年1曲ずつ素囃子とオーケストラのためのオリジナル曲が作られているのですが,これは金沢の文化にとっては貴重な財産になっているのではないかと感じました。

今回は招待券だったこともあり,自分で席を選べなかったのですが,その席に行ってみて驚きました。3階席右バルコニー席のいちばん前でした。この場所に座るのは初めてでしたが,ほとんど演奏者側のような場所でした。コンサート・ホールには幕がありませんので,演奏前にはステージ前面に布が衝立のようにして立ててあったのですが,この席からだとその衝立の後ろの状況が全部見えてしまいます。たまにはこういう席も面白そうだ,一体どういう風に響くのだろうと思いながら開演を待ちました。

プログラム前半にはOEKは登場せず,純粋な邦楽の演奏会となっていました。通常はお隣の邦楽ホールで演奏されるような内容でしたが,時々,コンサート・ホールで演奏するというのも邦楽の奏者としても新鮮なのではないかと思います。

最初の曲は「一調一管」という編成でした。調=打楽器,管=管楽器ということで小鼓1人,笛1人の二重奏ということになります。この2人という編成はクラシック音楽の場合でもそうなのですが,丁々発止の対決のような感じになります。真っ暗のステージにパッとスポット・ライトが付くと赤い毛氈の上に小柄なおばあさんが2人座っていました。そのこともあって,穏やかな気分の曲を予想したのですが,曲が始まるとやはり一対一の真剣勝負といった空気になりました。特に小鼓の堅田乃莉さんの掛け声は年季が入っており,予想を上回るエネルギーを感じました。

「天馬の翔」というタイトルが示すとおり,馬が天を翔る様子を描写している曲でした。藤舎秀扇さんの鋭い笛の音と馬の蹄の音を描写したような堅田乃莉さんの小鼓の音との対比にすっかり聞き入ってしまいました(バルコニー席の上の方だとどうしても乗り出さないと見えないので,文字通り聞き入るという感じになってしまいます)。小鼓に加えて鈴の音を加えていたのも独特でした。

続いて,14人編成の素囃子で「舌出し三番叟」が演奏されました。この曲は歌舞伎の演目として名前は聞いたことはあるのですが,どういう内容なのか全く知りませんでした。今回はステージのサイドの電光掲示板に詞が表示されていたのですが,この曲の場合,それを1回見てもよく分かりませんでした。素囃子の息が良く合っているなぁと感心して聞いていたのですが,残念ながら何を唄っているのが今ひとつイメージが湧いて来ませんでした。この曲は舞踊曲ということなので,そちらを見てからの方が楽しめるのかもしれません。

この後,休憩となりました。後半はOEKがステージに登場しました。最初に演奏されたのは,石川県立音楽堂が開館したシーズンに行われた石川の三文豪によるオーケストラ歌曲作曲コンクールで入選した北條美香代さんの作品でした。この時,最優秀賞を受賞した倉知竜也さんの「小景異情」は昨年のこのジョイント・コンサートをはじめ数回演奏されているのですが,北條さんの作品は2001年秋以来の再演ということになります。

今回,久しぶりのこの曲を聞いてみて,改めて良い曲だなと感じました。北條さんの作品の方は一見地味だけれども,実は豊かなイマジネーションを含んでいることが良くわかりました。今回,3階とはいえ,前の方の座席で聞いたこともあり,ソロを演奏する楽器の面白さが非常によく伝わってきました(OEKの良さも実感できました)。この曲は,5曲からなる連作歌曲なのですが,1年経ってまた春が巡って来るかのように,最初の曲と最後の曲の雰囲気とがうまく対応しているのもよく分かりました。

最初の曲と最後の曲では,松井直さんのヴァイオリン・ソロがメゾ・ソプラノの中西富美枝さんの声と絡むのですが,その繊細な雰囲気がとても良いと思いました。5曲がセットになって,季節の移り変わりを描いているのですが,全体に物憂く気だるい感じが漂っているのがいいなぁと思いました。冒頭のイングリッシュホルンをはじめ,全曲に渡って木管楽器がそういった気分を巧く出していると思いました。今回の指揮者はルドルフ・ヴェルテンさんからジャン=ピエール・ヴァレーズさんに代わったのですが,こういう明るい響きの中に漂う気だるさというのはフランス音楽を得意とするヴァレーズさんにはぴったりだと感じました。

メゾ・ソプラノ独唱の中西さんも素晴らしい歌唱でした。今回の席だと豊かな声がダイレクトに伝わってきました(断崖絶壁の頂点のような場所なのですが,音はクリアに聞こえるし,奏者間のコンタクトの取り方もよく分かるので,中々面白い席だと思いました)。ソプラノだともっと華やかな気分になると思うのですが,先程書いたような陰影のある微妙な気分を出すには,メゾ・ソプラノの方が相応しいと感じました。

今回,季節感を感じさせる室生犀星の詩が5つ選ばれていたのですが,これを機会に「抒情小曲集」などを読んでみようかなと思いました。演奏後,会場に来られていた北條さんがステージに呼び出されていましたが,この曲の続編を期待したいと感じました。

最後に演奏されたのは,本日のメイン・イベントとも言うべき「勧進帳」でした。これが本当に素晴らしい曲であり演奏でした。

今回の作品は,歌舞伎でお馴染みの内容をオーケストラ+素囃子+合唱用に再構築したものです。基本的に素囃子は歌舞伎の伴奏部分である長唄の「勧進帳」を演奏するのですが,この長唄だけだとストーリーがつながりません。歌舞伎では富樫,弁慶,義経等がその部分をセリフと所作で埋めていることになります。今回はこの長唄にない部分をオーケストラと合唱でどうやって埋めるのかというのがいちばんのポイントとなります。というわけで,素囃子とオーケストラが一緒に演奏する部分はなく,素囃子とオーケストラ・合唱とが交互に演奏する形になっていました。

今回の勧進帳のもう一つの特徴として,曲の最初と最後に静御前の和歌を入れていたことが挙げられます。これは作曲者の鈴木行一さんのアイデアですが,素囃子とオーケストラという一種のミスマッチをうまくまとめるための大きな枠組を作っていたように感じました。

まず,その静御前の「吉野山...」という和歌がとても繊細なヴァイオリンの音の動きに乗って女声合唱によって歌われました。その後,急にダイナミックな響きになって,「さても頼朝義経御兄弟の御仲不和にならせ給い...」というト書きの部分が男声合唱の早口で歌われます。どこかギリシャ悲劇のコロスのようなイメージがありました。この部分は合唱団が互いにバラバラにしゃべっているような感じで故意に混沌とした雰囲気を出していたようでした。

この日はプログラムに勧進帳の詞が全部書いてあったのですが,「こんなに沢山の詞を本当に歌うのだろうか」と思うくらいの分量でした。電光掲示板にこの混沌とした漢字ばかりの古文の歌詞が全部表示されていたのには感激しましたが,あまりにも速く動いたのでついていけなかった人がいたかもしれません。この部分を含め,通常の西洋の歌とは全然違う歌い方(というよりは朗読に近い感じ)でOEK合唱団の方は相当苦労されたのではないかと思います。男声の方は少ない人数で沢山のセリフを歌っていましたが,きりっと締まった見事な歌でした。

その後,素囃子の部分になります。「月の都を立ち出でて...」という歌詞は歌舞伎の中でも聞き覚えがあったのですが,この辺りは安宅関に向かう旅路を歌っています。今回素囃子に加え,岡安晃三朗さんが唄で加わっていましたが(素囃子の中で唯一の男性でした),その美声も聞き物でした。

安宅の関に着いた後,勧進帳を読むフリをする場面になりますが,この部分が非常に楽しめるものでした。「そーれ,つらつら...」というセリフに続いて弁慶が「読むフリ」をするのですが,この「そーれ,つらつら」の部分の男声合唱による不気味な感じがとても良い味を出していました。歌舞伎でもこういう感じだなと思いながら聞いていました。

その後の「大恩教主の秋の月は...」の部分はまさに黛敏郎の涅槃交響曲を聞くようでした。この曲では所々,ドドーンという感じの大音響が入るのですが,そういったところも黛さんのサウンドに似ていると感じました。この弁慶のセリフの部分でも,お経を読むようなリズムに巧く詞が乗っていました。聞いていて気持ちよく感じる部分でもありました。

続いて,富樫と弁慶の間の「山伏問答」の部分になります。ここもまた聞きものでした。女声が「して山伏の出で立ちは?」と富樫のセリフを歌うと,男声が「不動明王の尊容なり」と弁慶のセリフで答える,というやりとりが続きます。それが段々とエスカレートしていく迫力もよく出ていました。

何とか切り抜けて,一行が関所を通ろうとしたとき「ちょっとまった」という感じで合唱団が叫びます。ここもまたドラマティックでした。その後,突如素囃子に切り替わります。その転換の妙はこの曲の最高の聞きものでした。素囃子に変わっても緊張感が持続しているのが本当に素晴らしいと感じました。

その後は通常の長唄が続きます。言葉だけだと分かりにくいところはありましたが,「義経を金剛杖で打ち」「弁慶が涙を流し」「義経が弁慶の手を取り」という見せ場が続きます。素囃子の演奏では最後の方のテンポアップする部分のノリの良さが最高の聞き物でした。皷類がカデンツァのような感じで応酬した後,三味線も加わった白熱した合奏になります。こういう部分を聞くと誰もが血が騒ぐのではないかと思います。今回は途中でOEKと合唱団によるエネルギーに溢れた演奏が挟まったことで素囃子の方もしのぎを削るような感じで集中力のある演奏を聞かせてくれたように感じました。

この長唄の部分が終わった後,冒頭と同様の感じで静御前の別の和歌が女声合唱で歌われて全曲が終わります。このホッとさせてくれるような女声合唱も効果的でした。

時間は計っていなかったのですが,かなりの大曲でした。大変聞き応えがありました。先程も書いたとおり,素囃子とオーケストラ・合唱という全然違った素材が突如切り替わる構成だったのですが,全く違和感を感じませんでした。異質なものが並列しているというよりは2つが合わさることで曲のイメージがさらに膨らんだ,という印象を持ちました。鈴木行一さんの音楽が非常に巧く出来ていたことに加え,演奏者の方にジャンルを超えた連帯感があったことが成功した理由だと思います。「金沢にある楽団」という共通項がエネルギーを生んでいたのだと思います。勧進帳は石川県ゆかりの作品でもあるので,是非,再演してもらいものです。特に安宅の関のご当地の小松で演奏すると受けるのではないかと思います。

素囃子とOEKの共演は,昨年は「ひがし」,今年は「にし」と続きましたので,来年は主計町の茶屋街の芸妓さんの登場ということになるのでしょうか?最初に書いたとおりこのコンサートが行われるたびに,1曲ずつOEKと素囃子のための曲が増えていくというのは大変良いことだと思います。いろいろな点で金沢らしさが溢れていたコンサートでした。

PS.この日の進行役は昨年同様,NHK芸能花舞台の司会でもお馴染みの生稲晃子さんが担当しました。華やかさと同時に品の良さを感じさせてくれる進行でこのコンサートの雰囲気を盛り上げるにはぴったりだと感じました。
PS.この日は鈴木行一さんもホールに来られており,「勧進帳」の前にステージに登場されました。管弦楽版「冬の旅」の編曲者としてお馴染みの方ですが,今回の「勧進帳」でさらに金沢での知名度が高まったのではないかと思います。(2005/03/15)


Review by OEKfanのfanさん   

すでに演奏会レビューにもあるように、とてもエキサイティングなコンサートでした。勧進帳についてだけ書きたいと思いますが、まず感心するのは作曲家のアイデアとファンタジーです。邦楽のオリジナルを最大限に生かしながら、オーケストラとコーラスを効果的に取り入れているように感じました。しいて言えば、個々のアイデアのいくつか、例えば、コーラスに台詞を個人個人ずらして言わせるとか、邦楽と洋楽を敢えて重ねないで交互に演奏させる、オーケストラから聴こえてくるすでに新しいとは言えない響き等はすでに使われている技法ですが、それらが効果的に使われていた事は言えると思います。

最大の問題はコーラスにあったように感じました。

このサイとはOEKを応援するのが目的だとしても、そうであればこそ、感じられた危惧は正直に発言したいと思います。

演奏の中で、邦楽はOEKと全くと言ってよいほど高い水準の演奏であったと思います。特に大鼓の快演は特筆に値すると思います。もちろん邦楽の皆さんの声の表現も、字幕や台本が不要だと感じられるものでした。

それに対してコーラスは出演しているメンバーは全力で表現しようとしているのですが、方向性の定まらない、音楽的ではない演奏になっているように感じました。一生懸命やろうとしているのはわかるのですが、それが音楽表現につながらない。これはメンバーの責任というよりは、指導者の問題なのかな、と思いながら聴いていました。プログラムに掲載されているメンバー表よりも明らかに少ないメンバー。いったいOEK合唱団はどうなってしまったのでしょうか。あの演奏からはOEK合唱団の存在意義が全く感じられなかった。合唱団の運営はいったいどうなっているのでしょうか?

実は、この点は2月のマタイの時も感じました。

演奏としては、この掲示板では随分持ち上げた感想が多くありましたが、本当にそうだったのでしょうか。あの夜の観客の多くはコーラスに対して拍手を多く送らないことで、演奏の質を感じ取っていたのではないでしょうか。演奏者の中で、コーラスに対する拍手は明らかに少なかった。

そして、今回もそうでしたが、プログラムに掲載されているよりも明らかに少ないメンバー。盛岡からのコーラスが実は全体の約3分の1近くを占めていたコーラスをOEK合唱団と呼べるのでしょうか?何より印象的だったのは、カーテンコール中にシュライヤー氏がコーラスと合唱指揮者に対してエールを送ったのがほんの1〜2回程度だったことです。これは指揮者としてもコーラスの演奏に対して満足していなかったことの表れではないでしょうか。

OEK合唱団はどこに行くのでしょうか?

次のシーズンにはモーツァルトのハ短調のミサが予定されているようですが、合唱団の募集要項を見る限り、またもや盛岡からのコーラスが加わるとしか考えられない募集人数です。これは事務局の問題なのか、音楽監督の問題なのかはわかりませんが、OEK合唱団の存在価値を低下させることにしかならないのではないでしょうか。

ジョイントコンサートについてのみ書こうと思っていたのですが、合唱団の件について触れざるを得なくなりました。少々過激な内容になってしまいましたが、OEK合唱団には金沢の誇れる良き合唱団であってほしいとの願いからということでお許し下さい。 (2005/03/19)