ボロディン弦楽四重奏団
ボリス・ペトルシャンスキー演奏会
2005/06/14 石川県立音楽堂邦楽ホール

1)ボロディン/弦楽四重奏曲第2番ニ長調
2)ショパン/即興曲第1番変イ長調op.29
3)ショパン/幻想即興曲嬰ハ短調op.66
4)ショパン/幻想曲ヘ短調op.49
5)ショパン/ポロネーズ第6番編イ長調op.53「英雄」
6)(アンコール)ショパン/ワルツ嬰ハ短調op.64-2
7)ショスタコーヴィチ/ピアノ五重奏曲ト短調op.57
8)(アンコール)ショスタコーヴィチ/ピアノ五重奏曲ト短調op.57〜第3楽章
●演奏
ボロディン弦楽四重奏団(ルーベン・アハロニアン(第1ヴァイオリン),アンドレイ・アブラメンコフ(第2ヴァイオリン),イーゴル・ナイディン(ヴィオラ),ヴァレンティン・ベルリンスキー(チェロ))*1,7-8
ボリス・ペトルシャンスキー(ピアノ*2-8)
Review by 管理人hs  

石川県立音楽堂邦楽ホールで行われたボロディン弦楽四重奏団とピアノのボリス・ペトルシャンスキーさんによる演奏会は,期待を遥かに上回る素晴らしい内容でした。ボロディン弦楽四重奏団といえば,かつてのスメタナ弦楽四重奏団やアマデウス弦楽四重奏団などと並んで,非常に息の長い活躍をしている名四重奏団として知られていますが,今回はなぜか,この演奏会についての宣伝が非常に少なく,今月になってから情報が入ってきたという状況でした。演奏会のチラシもほとんど見かけなかったこともあり,有名演奏家の割にお客さんの入りは悪かったのですが,そういうこととは無関係に彼らの十八番のレパートリーを堪能できました。

共演したペトルシャンスキーさんのピアノも見事でした。この方は,教師としてもよく知られた方で,今回も金沢で公開レッスンを行うのですが,コンサート・ピアニストとしても素晴らしい方だということを実感しました。

というわけで,「掘り出し物・行けなかった方は残念」という感じの演奏会でした。演奏会は,弦楽四重奏→ピアノ独奏→ピアノ五重奏,という3つの部分から成っていましたが,どの部分も聞き応えがありました。

最初はボロディン弦楽四重奏団だけでボロディンの弦楽四重奏曲第2番が演奏されました。実はこのボロディン弦楽四重奏団が金沢公演を行うのは11年ぶりのことです。この時は金沢市アートホールの開館記念公演だったのですが,そのときもこのボロディンの弦楽四重奏曲第2番を第1曲目に演奏しています。クワルテットの名前が”ボロディン”ですからまさに名刺代わりの1曲と言えます。

前回公演時のメンバーは,ミハイル・コペルマン,アンドレイ・アブラメンコフ,ドミトリー・シェバリンそしてヴァレンティン・ベルリンスキーの4人でしたが,今回はそのうちのコペルマン,シェバリンの2人が新しいメンバーに交替しています。ボロディン弦楽四重奏団は創立60年という物凄い歴史を持っていますが,現在のメンバーの中で創設時のメンバーはベルリンスキーさんだけになってしまいました。

開演時間になると,このベルリンスキーさんを先頭に4人が入ってきました。ベルリンスキーさんは大変小柄な白髪のおじいさんです。今は亡き愛すべき名指揮者山田一雄さんを思わせるような雰囲気があります。プログラムによると1925年生まれということで,今年なんと80歳です。計算上は20歳の時から活動していることになりますが,その活動の息の長さには驚くばかりです。

ボロディンの弦楽四重奏曲はこのベルリンスキーさんのチェロの奏でる美しいメロディから始まります。この最初の音が曲全体の気分を作っていました。ほのかな甘さと余裕の漂う大人の音楽でした。落ち着きのあるほの暗いトーンは,ロシア〜ソビエトの音楽にはぴったりです。

このベルリンスキーさんの演奏をはじめとして,4人の音のまとまりが大変良く,第1楽章などは非常に端正でした。第2楽章のスケルツォはせせこましい感じはなく,大らかさを感じさせてくれました。

第3楽章の夜想曲はこの曲中特に有名な楽章です。この名旋律をまずベルリンスキーさんが演奏するのですが,その大きなヴィブラートのかかった演奏を聞いていると男のロマンのようなものを感じました。この曲を十八番としている四重奏団に60年在籍しているということは,ベルリンスキーさんは世界でいちばん多くこのメロディを弾いている方ではないか?さり気ないけれども深い情緒を持った音を聞きながら,そんなことを思いました。

このメロディを第1ヴァイオリンのアハロニアンさんが受けるのですが,その品格の高い引き締まった音も見事でした。まさに脂の乗り切った演奏でした。第4楽章では,チェロのパタパタという独特の音が印象的でした。ユーモアを感じさせる余裕の演奏でした。

ボロディン弦楽四重奏団は,徐々に世代交代をしているようで,ヴィオラのナイディンさんはまだ30代です。30代から80代まで40歳以上の年齢差のある団体なのですが,全曲を通じて一つのパートだけが突出するようなところがなく,バランスの良さと安定感があります。そういう伝統がうまく引き継がれている団体だと感じました。

続くペトルシャンスキーのピアノ独奏のコーナーでは,ショパンの作品が4曲演奏されました。この方のお名前を聞くのは初めてでしたが,まずその音の美しさに感激しました。この日は,うまい具合に邦楽ホールの1階真ん中に座ることができたのですが,中音域の音が非常によく聞こえてきました。さりげない音もたっぷりと鮮やかに聞こえ,大変聞き映えがしました。弱音でも音が痩せた感じにはならず,常に独特の艶がありました。しかも,どの曲にも明るさよりもほの暗さがあり,ボロディン弦楽四重奏団の音とも相性が非常に良いと思いました。

地味だけれども落ち着いた風貌は,いかにも教師らしく,全体に知的なクールさがありました。音楽にはふやけたところはなく,ボロディン四重奏団同様,こちらも大人の演奏という感じでした。

即興曲2曲にはいずれも珠をころがすような美しさがありましたが,流れすぎることはなく,時折,暗い影を感じさせてくれました。特に幻想即興曲の中間部での独特の歌わせ方が印象的で,ミステリアスな気分を感じさせてくれました。

幻想曲の前半の堂々とした風格も良かったのですが,中間部で出てくる鋼のようなタッチも印象的でした。英雄ポロネーズは,いかにも舞曲という感じの軽やかさで始まったのですが,次第に迫力を増してきました。ここでも鋼のタッチが前面に出てきました。

アンコールで演奏された嬰ハ短調のワルツもまた,後半に行くほど凄みを増していく演奏でした。後半,テンポがためらいを見せるように遅くなり,どんどん深みにはまって行きました。孤独な暗さの漂うワルツでした。

後半は両者のジョイントでショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲が演奏されました。今回の演奏会は,ショスタコーヴィチのオーソリティであるボロディン弦楽四重奏団の演奏でこの曲を聞くのがいちばんの目的だったのですが,ペトルシャンスキーさんの硬質で安定感のあるピアノの音も加わって,完成度の高い演奏を聞かせてくれました。

ショスタコーヴィチの曲らしく,暗くゾッとさせるような部分もあるのですが,全体的に古典的なバランスの良さを感じました。第3楽章のスケルツォでピアノの甲高い音や変拍子風のリズムが続くと狂気じみた気分になるのですが,それでも正気が保たれており,充実した音楽を聞いたな,という実感が残りました。このスリリングで密度の高い第3楽章を中心に,曲はシンメトリカルな構造で作られています。

この日は特にサイン会はありませんでしたが,ペトルシャンスキーさんの珍しいCDを販売していましたので,購入してみました。サインはスタッフの方がもらってきていただいたものです。
楽器の音のバランスも素晴らしかったのですが,各楽章間のバランスの良さからも古典的な安定感を感じました。この3楽章を挟む第2,第4楽章などでは,各楽器のソロが順番に出てきて,響きが薄くなりますので,チェロのベルリンスキーさんの音などからは少し衰えを感じましたが,それがかえって,無機的な演奏にはない,味わい深さともなっていました。その一方,第1ヴァイオリンのアハロニアンさんの透明な叙情性のある音は,美しさと同時に厳しさを感じさせるもので,緩徐楽章の気分を引き締めていました。特にまっすぐな弱音の音程の良さと緊張感が印象的でした。

最後の楽章は,気分が昇華されて行くような軽く柔らかい音で終わります。このニュアンスの変化が非常に自然かつ絶妙でした。見事な息の合い方でした。また,ボロディン弦楽四重奏団とペトルシャンスキーさんのほの暗い音自体,この曲にぴったりでした。自信に溢れた,本場の演奏だと感じました。

というようなわけで,今回の演奏会は,期待を上回る素晴らしい演奏会でした。メンバーが変わりながらもベルリンスキーさんを中心としたボロディン弦楽四重奏団の60年の一貫した歴史を感じることができたのが,嬉しい点でした。これからも新陳代謝を続けながら,息長い活動を続けていって欲しいものです。(2005/06/16)