梯剛之ピアノ・リサイタル
2005/10/22 石川県立音楽堂コンサートホール
モーツァルト/きらきら星変奏曲ハ長調,K.265
シューベルト/4つの即興曲,op.90,D.899
シューベルト/ピアノ・ソナタ第20番イ長調,D.959
(アンコール)ショパン/夜想曲第8番変ニ長調,op.27-2
(アンコール)ショパン/夜想曲第13番ハ短調,op.48-1
(アンコール)リスト/コンソレーション第3番
●演奏
梯剛之(ピアノ)
Review by 管理人hs  
梯剛之さんのピアノ・リサイタルに出かけてきました。梯さんは過去数回,金沢で演奏会を行なっていますが,何故かめぐり合わせが悪く,私はまだ一度も梯さんの演奏を実演で聞いたことがありません。今回はシューベルト晩年の名作,ピアノ・ソナタ第20番と即興曲を中心としたプログラムということで,プログラム面での期待も抱きながら聞きに行くことにしました。

そして,その期待どおりの演奏会になりました。梯さんのピアノの音は常に明るく透明で,シューベルトやモーツァルトの音楽にぴったりです。曲が進むにつれて,どんどん音が渡って冴えてくるようでした。梯さんは,目が不自由な方ですので,日頃の練習については非常にご苦労をされていると思いますが,演奏自体にはそういったことを全然感じさせません。演奏は常に平静な気分に覆われています。そのことに感服すると同時に,聞いていて清々しさを感じました。

梯さんが小柄な女性に付き添われてステージに登場すると,会場の照明は暗くなり,最初のきらきら星変奏曲が始まりました。誰でも知っている主題のシンプルなメロディが聞こえてくると思わず微笑みが出そうになります。梯さんの演奏は全く小細工することなく,さり気なくストレートに演奏しており,この曲の持つ純粋さが素直に伝わってきました。この演奏では,あまり強い音を使っていませんでしたので,今回の私の座席(3階席の後方でした)からだと,音は少し遠かったのですが,その夢見心地のような気分も悪くはありませんでした。

2曲目のシューベルトの即興曲は,私自身大好きな曲です。この曲もどちらかというとシンプルな曲ですが,美し過ぎて聞いているうちに悲しくなってしまうところがあります。この日の梯さんの演奏はそのイメージどおりの演奏でした。第1番の冒頭の音は,「きらきら星」で封印していた,十分な迫力を持った引き締まった音でした。

梯さんのピアノの音は純度が高く,常に良いバランスを持っています。荒く乱暴になるところがありません。暗譜で演奏するピアニストは沢山いますが,梯さんの場合,音符だけではなく曲の全体像がすべて頭の中に入っているような気がします。オーケストラを演奏する指揮者や名ピアニストは皆そうなのかもしれませんが,梯さんの演奏は,頭の中に出来上がっている音楽像を鍵盤のタッチとして再構築する作業のような気がします。恐らく,指の使い方などすべての動きがコントロールされていると思いますので,精密機械のような演奏のようなとも言えるのですが,そこから自然な揺らぎと流れの良さが出て来るのが素晴らしいところです。即興曲の第1番でも,変奏が進むにつれて音楽がどんどん勢いが出てきました。

第2番は非常に軽く粒の揃った音で始まりました。テンポも非常に速く,この世のものとは思えないほど高貴な音楽が流れてきました。その分,力強い中間部との対比が効果的でした。第3番も速目のテンポで演奏されていましたが,その中に抑揚を持った豊かで自然な歌が常に流れていますので,全然慌てた感じはしませんでした。全体を包む柔らかい雰囲気も素晴らしいものでした。第4番は,第2番と同様の軽く速い音の動きで始まりました。はかなく壊れてしまいそうな美しい歌でした。これを受けるテノール声部のメロディには惚れ惚れするような豊かな気分がありました。

後半のピアノ・ソナタ第20番も同様の演奏でしたが,40分ほどの大曲ということで,さらにスケールの大きさが加わっていました。実演で聴くのは初めてでしたが,ベートーヴェン的な重さとシューベルトならではの歌を兼ね備えた曲で,大変聞き応えがありました。

冒頭の音は即興曲の冒頭の音よりもさらに強靭な音でした。濁りのない澄んだ音は会場の空気を変えるようでした。その後は平静だけれども流れの良い音楽が続きます。展開部の盛り上がりも見事でした。このソナタ全曲を通じて,曲が盛り上がる部分と穏やかになる部分とのコントラストが非常に鮮明に付けられていたのが印象的でした。楽章最後の静かに終わる部分のデリケートな柔らかさも絶品でした。

第2楽章は悲しげな音楽なのですが,梯さんの演奏には,思い入れたっぷりの深刻ぶった表情は全くありません。沈んでいるけれでも暗く塗りつぶされていないので聞いていて落ち着きます。対照的に中間部には堅固な迫力がありました。

演奏会の後はサイン会が行なわれました。梯さんのお母さん(だと思います)は,ステージ上での出入りでもずっと付き添われていましたが,サイン会でも梯さんの手を取って沢山のサインをされていました。その二人三脚ぶりも素晴らしいなと感じました。このCDは家から持参したデビューCDです。
第3楽章の軽快さは即興曲同様の素晴らしさでした。明るさの中にほのかに哀愁が漂っていました。第4楽章にはシューベルトらしい歌が溢れていました。次々と歌が湧いて出て来るようでした。楽章の最後の方で,メロディが途切れ途切れになる部分の名残惜しさも印象的でした。

アンコールは3曲も演奏されました。今回のリサイタルは梯さんのデビュー10周年記念ということですが,その感謝の気持ちがこもっていたのかもしれません。ショパンのノクターン2曲とリストのコンソレーション第3番が演奏されましたが,どの曲も月の光がどんどん冴え渡っていくような美しい演奏でした。

演奏後,梯さんは正面→左右→正面と毎回必ずゆっくりと4回ずつお辞儀されます。その律儀でちょっと不器用な姿と梯さんの作る音楽の自在さとが重なり合い,再度感動した人もいるのではないかと思います。梯さんの演奏には,小細工をするようなところや深刻ぶった表情は全くありません。どの音にも透き通った明るさがあります。この明るさは,梯さんの人生を反映した,音楽できることを素直に表現した明るさだと感じました。(2005/10/23)