オペラ・オーストラリア公演 ヴェルディ:ファルスタッフ 2006/02/03 シドニー・オペラ・ハウス オペラ劇場 ヴェルディ/歌劇「ファルスタッフ」(全3幕,イタリア語) ●演奏 ジョヴァンニ・レッジオーリ指揮オーストラリア・オペラ管弦楽団 オペラ・オーストラリア合唱団,演出:サイモン・フィリップス (配役) ファルスタッフ:Stephen Richardson,バルドルフ:Christopher Dawes ピストル:Shane Lowrencev, 医師カイアス:Graeme Macfarlane メグ・ページ夫人:Roxane Hislop, アリーチェ・フォード夫人:Yvonne Kelly クイックリー夫人:Fiona Janes, ナンネッタ:Hye Seoung Kwon フェントン:Andrew Goodwin, フォード:Michael Lewis
オペラ・ハウスを外から見ることはよくありますが,実際にオペラ・ハウスの中でオペラを見たことのある日本人となるとぐっと少なくなるのではないかと思います。 この日,上演されていたのはヴェルディの「ファルスタッフ」でした。私が滞在していた期間中,「愛の妙薬」「蝶々夫人」といった別の作品も上演しており,さすがシドニー・オペラ・ハウスだと思いました。舞台装置の違う作品を1日おきにどうやって上演するのだろう,と舞台裏を見たくなるほどでした(実際,観光のツァーの中には舞台裏を見るツァーもちゃんと用意されています)。 今回は「オペラ・ハウスで見られれるならば何でも良い」というスタンスで見に行ったのですが,結果的には「ファルスタッフ」を見ることができ大変良かったと感じています。この作品は,他のヴェルディの歌劇に比べると上演される機会はそれほど多くありませんが,非常に緻密に作られている上質な喜劇です。今回の上演は,歌手のバランスが良く取れ,すっきりと隙なくまとまった演奏で聞くことができました。このオペラを初めて見る私のような者にとっては最適でした。 第1幕が始まると,重厚でドラマティックなイメージのある”いつものヴェルディ”とは少し違った,軽やかさを感じました。シドニー・オペラの持ち味なのかヴェルディの作品の特質なのか分かりませんが,どこかモーツァルトのオペラを聞くような古典的なまとまりの良さがありました。第1幕最後のワクワクさせるようなアンサンブルなどは「フィガロの結婚」の幕切れのようでした。「ファルスタッフ」というオペラは,「自分ではもてる」と思っている騎士が,女性たちにもてあそばれるという内容ですので,どこか「ドン・ジョヴァンニ」のパロディのようなところもあるなと感じました。 第1幕第1場の後,場面が転換するのですが,その移行のスムーズさは,専用オペラ・ハウスならではのものでした。この作品は,全3幕が各2場から成っているのですが,どの移行も非常に滑らかでした。照明もよく工夫されていました。 第1幕1場の「居酒屋ガーター亭の場」は,赤色を主体とした照明。舞台が向かって左から右へと回転すると第2場の「市場」になり,緑色を主体としたさわやかな色合いにパッと変わります。第2幕第1場は再度ガーター亭となり赤色主体に戻るのですが,第2場になると今度は向かって右から左へと舞台が回転し,「フォード亭の中の場」になります。今度は明るい黄色を主体とした舞台になります。 この舞台の色にコーディネイトするように女性たちのドレスの色が緑になったり黄色になったり変化しますので,どこかおとぎ話を見るような現実離れしたムードも出ていました。場面転換の際に,登場人物がストップ・モーションになる辺りも,洒落た品の良さを感じさせてくれました。 第2幕切れでは,ドタバタした展開の後,ファルスタッフを入れた洗濯籠をテムズ川に突き落とす「見せ場」があるのですが,そこに至るまでの鮮やかな展開も鮮やかなものでした。 最後の幕は,少し構成が変わります。第1場の「ガーター亭の裏の河畔」の場の後,今度は舞台全体が後の方にぐっと奥に入り,ステージ前面の空間が広くなります。 最後の場は,ファルスタッフが,夜の闇の中で懲らしめられる場なのですが,これまでの赤,緑,黄といった照明ではなく,ドライアイスを沢山使って,非常に幻想的な気分を出していました。その中に,白と赤の衣装を着た”妖精(に化けた人たち)”が入ってきます。ファルスタッフが恐れたほど怖いものではありませんでしたが,幻想的な効果を見事に出していました。シドニー・オペラハウスのステージはとても奥行きがあるので,奥から奥から出てくる,底知れぬ不気味な見ごたえがありました。嘘とは分かっていても陶酔させてくれるような場面でした。 全曲の幕切れの部分は,この幻想的な雰囲気を断ち切り,幕が下りた前で,全員で「すべて冗談」といった合唱を対位法的な掛け合いを交えて歌います。このスタイルも,モーツァルトのオペラの大団円の雰囲気と共通しています。「すべておとぎ話だ」という,余裕のある喜劇としての性格が強調された演奏となっていました。 以前,オペラの原作であるシェイクスピアの戯曲「ウィンザーの陽気な女房たち」を見たことがあるのですが(無名塾によるものです。主役は仲代達矢さん,音楽は池辺晋一郎さんでした),単独で歌われるアリアがほとんどないので,今回見たオペラ版についても演劇的な面白さを持った作品だと感じました。 登場した歌手も特定の歌手だけが突出することがありませんでした。それぞれ,気持ちの良い歌を聞かせてくれました。スティーブン・リチャードソンさんが演じていたファルスタッフは,堂々とした押し出しの良さがある一方で,軽妙なユーモアにも不足しておらず,悪くはありませんでした。ただし,このキャラクターの場合,もう少しアクの強さがあっても良かったかもしれません。今回は,爽やかで可愛げのあるファルスタッフでした。「サー・ジョン...」と行進曲調に歌うアリアの場面でもとても颯爽としていました。 その他では,フェントン役のテノール,アンドルー・グッドウィンさんが,全編に渡り本当に美しくバランスの良い声を聞かせてくれました。その相手役ナンネッタを歌ったクオンさんは,東洋系で他の歌手よりも小柄でしたので,特に親しみを感じました。この2人については,各キャラクターに惚れ惚れするほどはまっていました。 その他の歌手については,ストーリー自体きちんと予習していかなかったこともあり,あまり区別が付かなかったのですが,喜劇役者的な気分を十分に感じさせてくれるものでした。ただし,その喜劇的な気分をいちばん盛り上げていたのは,お客さん自身でした。今回は,イタリア語上演・英語字幕付きで演奏されましたが,オーストラリア(大部分がそうだと思うのですが)のお客さんはとても良い反応をしていました。海外でオペラを見たのはもちろん初めてだったのですが,オペラ鑑賞がしっかりと生活に根差しているような印象を持ちました(ただし,極一部の層なのかもしれませんが)。 ヴェルディと言えば,どの作品も主人公が死んでしまうような悲劇ばかりですが,その最後にたどり着いた作品が,軽妙な喜劇だというのも面白い点です。シドニー・オペラの「ファルスタッフ」には,老練な味わいはなかったものの,大変後味の良い爽やかさを感じさせてくれました。休憩時間を入れて,3時間を越える公演でしたが,全く疲労感を感じませんでした。私自身,この作品については,「聞かず嫌い」なところがあったのですが,その魅力に「開眼」させてくれた公演でした。 PS.疲労感がなかったのは,やはりこのオペラ劇場の持つ場所の魅力もあると思います。2回の休憩の度に,テラスに出て,シドニーの夜景を眺めました。着飾った人も多く,「上流社会の社交の場だなぁ」と感じました。 PS.カーテンコールは非常に短いものでした。幕が下り,再度幕が開いて,各人物が拍手を受け終わった後,幕が下りておしまいでした。ただし,各人物に対する拍手は大変盛大なものでした。「ブラボー」という掛け声ではなく,「ヒュー,ヒュー」という感じの歓声が上がっていました。この辺もオーストラリア的なのかもしれません。 PS.ホール内のドア付近に年輩のレシェプショニストが沢山いたのも特徴的でした。立派で味わい深い顔つきをした人ばかりで(白黒映画によく出てくる大きな貴族の館の執事といった雰囲気),ホールにとってなくてはならない存在となっているようでした。この人たちはオペラが始まると,どっかりと通路の階段に座っていました。「オペラのことなら何でも知っていそう」という雰囲気が溢れていました。 ●シドニー・オペラ・ハウスひとめぐり せっかくの機会ですので,オペラ・ハウスの写真をいろいろ撮ってきました。
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