”のだめカンタービレ"千秋真一デビューの裏側に迫る
2006/02/12 金沢蓄音器館
1)ドヴォルザーク/交響曲第8番〜第1楽章(プラティニ国際指揮者コンクール課題,間違い探しスコア使用版/スプラフォン版)
2)ブラームス/交響曲第1番〜第4楽章の一部のCD聞き比べ
3)海老原大作/ロンド・トッカータ
●出演・演奏
千秋真一指揮R☆Sオーケストラ(CD使用*1),千秋真一指揮R☆Sオーケストラ他計13種類のCDで聞き比べ(2),ピアノ実演(3)
対談:山野雄大(音楽ライター),松下久昭(レコード・ディレクター)
Review by 管理人hs

金沢蓄音器館の外観
正面に出ていたイベントの看板。非常に目をひくポスターですね。
こちらも入口付近にあったポスターです。対談者のお名前が書いてあります。
今回は,オーバーヘッドカメラ(右側)で写した映像をプロジェクターで映しながら対談は進められました。
金沢市尾張町にある,金沢蓄音器館では,所蔵しているSPレコードを使ったとても面白い企画を行ってくれていますが,今回はそのSPレコードからは離れ,「”のだめカンタービレ”千秋真一デビューの裏側に迫る」というタイムリーかつ興味をそそる企画を行ってくれました。私自身,日常的にはマンガはほとんど読みませんが,この「のだめカンタービレ」については,これだけ話題になれば読まないわけにはいきません(現在14巻まで出ていて,750万部も売れているとのことです)。深くはまっているわけではありませんが,一応,ほとんどすべての巻を読んでおり,今後の展開を見守っています。

この音大生を主人公としたマンガですが,昨年9月には,ついにマンガの主要キャラクターである「千秋真一指揮」なるCDまで登場しました。クラシック音楽業界とマンガ業界とが一体となって,さらに話題を盛り上げているような状況です。今回はこのCDの仕掛け人である音楽ライターの山野雄大さんとキング・レコードのディレクター松下久昭さんが金沢に来られ,お二人による対談が行われました。チラシには,「果たして千秋真一の素顔は...」という思わせぶりの言葉が書いてありましたが,さすがに簡単に真相を明かすわけはなく,結果として,「千秋真一は...千秋真一なんです」ということだったのですが,その分,お二人によるかなりマニアックなお話を聞くことができました。というわけで,その興味深いトークの内容を紹介してみたいと思います。

■お二人の紹介
まず,お二人の紹介がありました。山野さんは,この千秋真一のデビューCDのライナー・ノーツを書いている方です。このCDには「佐久間学」という「のだめ」に出てくる音楽評論家による「ポエムのような解説」がついているのですが,その後に山野さんによる本物の解説がついています。そのため,山野さんまでが実在しない人物と思われたこともあるそうです。

松下さんは,キング・レコードのディレクターで,千秋以外の若手指揮者としては西本智実さんなども担当されています。今回の対談については,千秋の真相を知っている松下さんから,山野さんがどれだけ情報を引き出せるかという構図になります(上述のとおり,結局,真相は分かりませんでしたが)。

■「のだめ」ブームの諸相
続いて,「のだめ」ブームの具体例が紹介されました。次のような感じです。
  • 春日井市で茂木大輔さん(「のだめ」の製作協力者だそうです)によるトリビュート・コンサートが行われ大盛況だった。「のだめ」のCDブック中の曲を演奏したが,「あんなに熱心なお客さんは見たことがない」という感じだったそうです。
  • 音楽雑誌でも「のだめ」特集が組まれている。「モーストリークラシックス」以外にも硬い印象のある「音楽の友」でも取り上げられた。
  • ORF(オーストリア放送協会)から「のだめ」取材の問い合わせがあった。ウィーンの人にとって,「のだめ」現象は「信じがたい」とのこと。
  • CD発売に先立って試聴会が行われたが,1000通以上の応募があり50名が参加した。感動的な試聴となったそうです。
  • そして,マンガの中のキャラクターによるCD録音。これは音楽史上初のことだろう。このCDは5万枚売れた。これは,コンピレーションものでない普通のクラシック音楽のCDとしては異例の売れ方である。ラトル,小沢らがブラームスの1番を録音したとしてもこれだけは売れないだろう。発売当初は,矢沢永吉を抜く勢いだった。これだけ売れたのは,コミックの恐ろしい力による。
■CD録音の裏話
よく見えませんが,CD録音の際の楽屋の名札の写真です。「千秋真一様」と書いてあります。
その後,このCD録音についての裏話が紹介されました。
  • 発売まで全くプロモーションを行わなかった。これは異例なことだが,「レコーディングに手こずり過ぎて,聞かせるのがもったいなかったから」とのことである。レコーディング後,「竹細工」のような感じで念入りに後処理を行った。
  • CD録音は,「のだめ」の原作のイメージを壊さないように進めた。録音に際しては,コミックのページを参照し,絶えずイメージを共有しながら行った。録音時のスコアを紹介。
  • 録音は東京芸術劇場で行った。「千秋真一」という楽屋の写真などを紹介(ただし,顔写真はありませんでした)。
  • 音楽はロック系のノリを目指した(第1,4楽章はカッコ良く,第2,3楽章はバラードのように)。新しいブラームスを作りたかった。すでに数多く発売されているブラームスの第1番の中にあって,新たに出す意味を考えて録音した。
  • 音符の刻み方に特にこだわりを持った。
  • 「若い=荒々しい」と思われがちだが,必ずしもそうではない。
■ドボ8,間違い探し
今回のCDには,ドヴォルザークの交響曲第8番がオマケに付いていますが,この録音もかつてないような録音となっています。指揮コンクールで「まちがい探し」用にスコアを一部改変したものを律儀にCD化したものです。この録音は「間違い」を録音したものなのですが,もう一つ付けられている「正解」の録音の時に,やたらと緊張したとのことです。

この日は,この”間違い版”のCDを流しながら,間違っている箇所が来たところで松下さんが「ここです」とパッと手を上げて教えてくれました。公開の場で「答え合わせ」をしたのが今回が初めてとのこです。

CD演奏前に「どこか一箇所でも分かった人はいますか?」という問いに対して,会場の方から「最初の方のフルートが...」と指摘した人がいたのには驚きました(この方には後からプレゼントが進呈されていたようです)。もう一つ分かりやすいのは,楽章最後のティンパニのトレモロの部分だそうです。

ただし,この「間違い探し」ですが,一般の人には絶対分からないと思います。解答を聞いていると「第2ヴァイオリンとヴィオラが反対になっている」というのが多かったような気がしました。この辺をCDだけで聞き分けるのは困難です。この「間違い探し」CDについて,レコード評論家たちが一言も触れていないのが残念とお二人は語られていましたが,多分,聞いても分からなかったのではないかと思います。雑誌の企画でこのCDを聞いた指揮者の飯森範親さんも「別に間違い版でも悪くない」と語ったそうです。それだけ難易度の高い問題だったと言えそうです。

ちなみにこのドヴォルザークの第8番のスコアですが,「オイレンブルク版」という別の版と比較した場合,さらに沢山の違いが出てくるそうです。そのため,今回のCDにはスプラフォン版とわざわざ断り書きが入れてあります。

■ブラ1,「真澄ちゃんご乱心」の部分の聞き比べ
各CDの特徴を説明する山野さん。
該当箇所のスコアを写しながらCDを聞きました。
その後,ブラームスの交響曲第1番の聞き比べコーナーとなりました。この部分が,今回のトークのいちばんの中心でした。クラシック音楽を好きな人は,同じ曲の演奏を何種類も持っていますが,それはどういうことをしているのか,ということを分かりやすい例で紹介するのがこのコーナーの趣旨ということになります。今回,聞き比べを行ったのは,ブラームスの交響曲第1番の第4楽章後半でコラール風のテーマが出てくる部分のティンパニの叩き方でした。千秋指揮のCDでは「ティンパニ奏者の真澄ちゃん」のご乱心で今回のようなものになったとのことでした。

今回,聞き比べ用CDを用意してこられた山野さんのお話によると「CDの聞き比べは,ラーメンやケーキの食べ比べと同じ」ということです。今回は,何と13種類ものブラ1の演奏の抜粋を持って来られたのですが(1枚のCDにコピーしてあったようです),私などは,かつて,NHK−FMで音楽評論家の金子健志さんが行っていたCD聞き比べなどを思い出してしまいました。実際,ブラ1の全く同じ部分の聞き比べを金子さんが行っていたのを聞いたことがありますが,こういうのは,本当に面白いものです。今回の山野さんの解説を聞いて,マニアへの道を踏み出した人もいたかもしれません。

今回紹介されたのは次のものでした。
  1. 小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(1990年録音):楽譜どおり,ティンパニは楔を入れるように2発だけ叩いています。
  2. 小澤征爾指揮ボストン交響楽団(1977年録音):1よりティンパニは沢山叩いています。これは何に基づくのだろう?
  3. セルゲイ・クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(1945年録音):コラールは随分ゆっくり演奏してていたが,ティンパニは楽譜どおりだった。ということは,2はボストン交響楽団の伝統ではない。
  4. アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1951年録音):これはかなり派手に改変されている。
  5. アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952年録音):これも4と同じ改変がされている。つまり,この改変はトスカニーニの解釈だと判断できる。
  6. オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィル(1976年録音):これもかなり盛大に改変している。実は今回の千秋盤もこの改変を採用している。なぜ,この解釈が出てくるのか?これはコントラバスなどの低弦の動きをなぞったものである。そのため,低弦とティンパニとが溶け合って,それほど目立たない。
  7. オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル(1953年録音):フルトヴェングラーからカラヤンに代わりつつある時代のベルリン・フィルの演奏。これは普通に演奏している。
  8. レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1959年録音):レニングラードでのライブ録音。テンポの揺れが大きく,非常に熱気のある演奏であるとなっている。冷戦当時のアメリカのオーケストラがソ連で良いところを見せてやろうという意気込みの感じられる演奏
  9. レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(197*年録音):ライブだけれどもレコーディング・セッションとして録音したもの。名盤と言われている演奏。いろいろな音が非常にきっちりと入っている。ウィーン・フィルの特徴も出ている。
  10. メキシコ州立交響楽団(※指揮はエンリケ・バティスか?):タテのリズムが強調されている。ヨコに流れない独特の雰囲気を持った演奏である。この演奏はどこの国のオーケストラによるものでしょう?と山野さんから質問されたのですがメキシコだとは思いませんでした。タテの線が揃っている感じはしたので,私はドイツ系の演奏かなと思って聞いていました。
  11. シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団:千秋盤を聞いた人から「ミュンシュ盤の方が良い」という感想をもらったりすることもある。確かにミュンシュ盤は良い。だけど,かなり粗い部分もある。ティンパニの音は最後の音に強烈なトレモロが入っているのが独特
  12. ヨーロッパ室内管弦楽団(※指揮はパーヴォ・ベルグルンドか?):近年はブラームスの初演時のサイズによる演奏も出てきている。この演奏は弦楽器の人数が少なくなっている。きれいに響いており,コラールの部分のためも少ない。もちろんティンパニは譜面どおり演奏している。
  13. 千秋真一指揮R☆Sオーケストラ(2005年録音):現場ではもめたけれども,結果としてこのティンパニの部分が録音の特徴の一つとなっている。これからの指揮者の録音である。
こういうマニアックな聞き方をしていると,最初のうちは,間違いを見つけて「鬼の首」を取ったような気分になるが,そこを突き抜けると,間違いもまた面白くなってくる。「ベスト」「定番」といった順位づけを取り払った方が面白いと感じるようになる。皆さんも,今回の千秋盤をきっかけに,いろいろと聞き広げて行って欲しい。と山野さんは結んでいました。

それにしても今回のオーディオ装置はとても良い音でした。モノーラル録音でもストレスなく聞けるのは,さすがです。配布されたチラシの中にあったJVCのコンパクトコンポーネントシステムだったと思いますが,ウッドコーンスピーカーという木製のコーンスピーカーを使っているのが特徴のようです。

■今回のCDの意図するもの
松下氏は,今回の千秋真一指揮のCDについては,次のような意図で制作したとおっしゃられていました。

今回のCDは,「のだめ」を読みながら企画を思いついた。このマンガは,業界の内幕を暴いているようなところがある。また,キャラクターも実在しそうである。そこで,「マンガの登場人物に演奏してもらう」というアイデアとなった。

その際,「全曲を入れる」「KICC(キングレコードのクラシックの記号)で売る」ということにこだわった。つまり,マンガのファンに,クラシック売り場(ちょっと怖そうなコーナー)まで足を運ばせようとした。一方,クラシック音楽ファンをコミックコーナーに足を入れさせることにもなる。その相互作用を生むことが,このCDのいちばんの狙いである。コミック・ファンならば,クラシック音楽にものめり込むだろうという期待がある。

「のだめ」の作者の二ノ宮先生は「クラシック音楽に敷居は必要。だけど,その敷居は誰にでも乗り越えられる」といった趣旨のことを語っていたと松下さんは,おっしゃられていましたが,このCD自体もそういうことを意識したものになっているようです。

最後,山野さんからの「千秋は誰?」という問いに対して,「千秋真一は,千秋真一です」と松下さんが答えて,対談は終了となりました。

個人的には,「千秋真一のCDの第2弾は出るのか?」といった質問コーナーがあっても良かった気はしましたが,やはり秘密は秘密のままにしておいた方が良いのかもしれませんね。こうやって話を聞いていて,今回のCDについては,ディレクターの松下さん自身が半分以上は千秋真一なのではないか,という実感を持ちました。

金沢蓄音器館にある自動再演ピアノです。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏していました。海老原大作の曲もこのピアノで演奏していました。
トーク終了後,会場の後の方にあった,ピアノで海老原大作「ロンド・トッカータ」が実演で演奏されました(演奏された方のお名前を聞き漏らしたのですが)。この曲は「のだめ」の中のどういう展開で出てきたのか忘れましたが,一ひねりのあるような面白い曲でした。

今回の対談は,金沢蓄音器館の職員の強いラブコールによって実現した企画とのことです。以前の宇野功芳さんのトークといい,この金沢蓄音器館による楽しくもマニアックな企画には,今後も期待していきたいと思います。

PS.開演前には,ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章が自動再演ピアノで演奏されていました。これはラフマニノフ自身による演奏だったのでしょうか?非常に迫力のある音でした。(2005/02/07)