オーケストラ・アンサンブル金沢第197回定期公演M
2006/03/12 石川県立音楽堂コンサートホール
1)モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調,K.543
2)モーツァルト/セレナードト長調,K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
3)高橋裕/オーケストラと能のための「葵上」(委嘱作品・世界初演)
●演奏
小泉和裕指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサート・ミストレス:アビゲイル・ヤング)
薮俊彦(能舞・天女の舞*2),金沢能楽会(能*3(薮俊彦(シテ),松田若子(ツレ),平木豊男(ワキ),芳賀俊嗣(ワキヅレ)他), 池辺晋一郎(プレトーク)
Review by 管理人hs
↑ホール入口の看板。
オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)は,これまでもたびたび邦楽器や日本の伝統芸能と共演を行ってきましたが,今回は能との共演となりました。チラシには「能とオーケストラのコラボレーション」と書かれていましたが,まさにそのとおりの公演でした。金沢は宝生流の能が盛んな土地ですので,今回の共演は金沢ならではの企画と言えます。ただし,そういう金沢ではありますが,能に日頃から親しんでいる人となるとかなり限られてくると思います。私自身,本格的な能を見た記憶というのは,一度しかありません(百万石まつりの時に行われている薪能だけです)。というわけで,音楽堂を舞台にどういう能が展開されるのか期待してコンサートに臨みました。

この日の舞台なのですが,通常のコンサートホールのステージ上に能舞台がちゃんと出来ていました。これには感激しました。能舞台はさすがに小ぶりでしたが,ステージの奥には,松が描かれた絵もあり,いつもの定期公演とは違った,異次元空間に入った気分になりました。この能舞台ですが,通常のステージよりもかなり高い位置にありましたので,オーケストラはピットに入っているような雰囲気になります。OEKはこれまで,本物のピットに入って,オペラやバレエの演奏をしてきましたが,さすがに能舞台の下で演奏するのは今回が初めてだと思います。この能舞台には,ちゃんと下手側から橋掛かりも付いていましたので,「セットに気合が入っているなぁ」と感じました。

今回上演された作品は,「葵上(あおいのうえ)」という作品でした。これは,能の「葵上」(「源氏物語」を題材にした能)の上に高橋さんの作曲によるオーケストラ音楽を重ね合わせたものです。ストーリー展開はそのままだと思うのですが,音響的にも演奏時間的にもスケールアップされており,ちょっとしたオペラを見る趣きがありました。

能というのは,極度に切り詰められた密度の高さを持つ演劇です。能だけで完成された世界を築いているので,オーケストラが加わるとどうなるのかな,という不安もあったのですが,”能らしさ”は全く揺らいでいませんでした。さすが伝統芸能です。逆に,西洋楽器という異物が加わることで,能という演劇の構造がかえって鮮明に浮かび上がっていた気がしました(今回舞台横に状況を補足説明する電光掲示板があったのも,内容が分かりやすかった理由の一つですが)。

通常,能の1曲というのは,劇の前半と後半とで主役(シテ)の性格が変わり,「実は鬼だった」という展開になることが多いようです。今回の「葵上」の場合,前半のシテが六条御息所の生霊だったのが,後半,鬼の面を被った鬼女に変身します。高橋さんは,この2つの部分を区別するために,かなり長いオーボエ独奏を含む間奏を挿入していました。ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の第3幕への前奏曲にもイングリッシュホルンの印象的な独奏が含まれていますが(実際に見たことはないのですが),その辺を意識していたのかもしれません。

この間奏の存在感によって,2幕もののオペラに通じるような能の構造が鮮明になっていたと思います。今回のオーボエ独奏は,水谷さんが担当していましたが,シテ−ワキに並ぶ「第3の極」的な重要な役割を演じていました。

その他の能の各部分に付けられていた音楽も,オリジナルの能のイメージを壊さず,各場を効果的に盛り上げるような音楽になっていました。ピッコロやフルートと邦楽器の笛との親和性は言うまでもありませんが,クライマックスの「鬼女対祈祷師(横河小聖)」の場面でのシンバルなど,意外に違和感を感じませんでした。能舞台の上手側には,オリジナル編成である笛,小鼓,大鼓,太鼓,地唄の皆さんが並んでいましたが,その迫力がオーケストラに負けていなかったからだと思いました。

最後,全てのストーリーが終わった後,シテ,ツレ,ワキ,ワキヅレの順に橋掛かりを通って,袖に引っ込むのですが,その時に流れていた全てが昇華されたような静かな音楽もイメージにぴったりでした。というようなわけで,私のような能の初心者にも大変楽しめる内容となっていました。

ちなみにこの能のタイトルになっている「葵上」ですが,役者としては登場していませんでした。生霊に祟られて寝込んでいることを小袖を舞台に寝かして表現していたのですが,この辺の省略方も能独自の切り詰め方なのかもしれません。

それにしても,この能というジャンルは不思議なものです。クラシック音楽以上に様式がきっちりと決められており,全然自由さがないように見えるのですが(主役は面を被っていて表情を見せないし,役者の動作も様式化されているし,ドラマの構成もパターン化されています),その不自由さを踏まえた上で,それを打ち破ろうという意識が,かえって創造力の源泉になっているような気がしました。

今回の金沢能楽会の役者さんの演技については,他との比較ができないので,何とも言いようのないところがあるのですが,彼らは現代の日常的な時間の流れとは全く違った時空間に生きていることは実感できました。私自身,舞台芸術の鑑賞や映画館での映画鑑賞の楽しさというのは,日常生活からどれだけ脱却できるかということに掛かっていると思っているのですが,この能の舞台というのは,その究極の姿なのではないかと感じました。今後,オリジナルな新作能を今回のようなオーケストラ伴奏付きでオペラとして上演しても面白いのではないかと感じました。金沢の能楽界と洋楽界のコラボレーションについてはこれからも期待したいと思います。

この日の公演の前半では,モーツァルトの名曲2曲が演奏されました。こちらも充実していました。小泉和裕さんの指揮は,大変すっきりとしたもので,モーツァルトの音楽が生き生きと流れていました。特にアビゲイル・ヤングさんを中心とした弦楽器の新鮮さが,いつものことながら見事でした。交響曲39番の最終楽章の速い音の動きなど精密さと強靭さを兼ね備えた大変聞き栄えのする響きを作っていました。

この第39番ですが,私自身,モーツァルトの交響曲の中でいちばん好きな曲です(日によって変わりますので,あくまでの2006年3月現在の好みですが)。OEKの演奏では,以前,エルヴェ・ニケさんが指揮をした時のトランペットやティンパニの音を強調した鋭角的な演奏が印象に残っていますが,小泉さんの指揮はそういう古楽器奏法を取り入れた,ある面ではかなり神経質なところのある演奏とは対極にある演奏でした。全曲を通じて,音楽の流れが大変スムーズで,特定の楽器が突出することはありません。上述のとおり弦楽器の精密かつ豊かでな音の流れが何よりもすばらしく,早目のテンポでキリっと締まった演奏となっていました。

この曲については,暗いのか明るいのか分からない印影の濃さを感じさせてくれる演奏が良いと思っていたのですが,この日のように率直に一気に聞かせる演奏も良いものだなぁと感じました。前半のモーツァルトは,後半の能への序曲的な位置づけで淡白ではありましたが(繰り返しも行っていませんでした),オーケストラがスカッと鳴り響く大変気持ちの良い演奏となっていました。

小泉さんは,30年ほど前にカラヤン指揮者コンクールで優勝して一躍有名になられた方ですが,その指揮姿にはカラヤンの指揮ぶりを思わせるようなスマートさがあります。動作にブレがなく,音楽の流れが大変スムーズです。動作もとても大きく,大変分かりやすい指揮なのではないかと思いました。

2曲目に演奏されたアイネ・クライネ・ナハトムジークの方も「ストレート&スマート」な演奏でした。OEKは最近ピヒラーさん指揮でこの曲をレコーディングしていますが,そのCD録音を思わせるような精密さと勢いのよさを兼ね備えた演奏でした。こちらも,繰り返し行っておらず,一気呵成に音楽が流れていきました。

今回の演奏の特徴は,第2楽章に薮俊彦さんによる能舞が入ったことです。後半の能の時とは違い,顔には面を付けておらず,素踊りという感じになっていました。こういう踊りを見慣れていないせいもあるのですが,後半の能よりはさらに抽象的に感じられ,何を表現しているのかはっきり分からないようなところがありました。オーケストラの演奏の方も,テンポが速過ぎると思いました。「能といえば幽玄」というのが決まり文句ですが,この楽章については,もう少し幽玄さをイメージさせるようなテンポ設定にして欲しかったなと思いました。

今回の公演は,いかにもOEKらしい,独創的なプログラミングとなりました。「能とオーケストラ」という金沢ならではの取り合わせだけでなく,「モーツァルトと能」という取り合わせを楽しむことができたのも収穫でした。異種と組み合わせても「らしさ」が残るのは,古典の素晴らしいところだと実感した演奏会でした。

PS.この日,開演前の交流ホールでは金沢吹奏楽研究会による「キッズコンサート」が行われていました。丁度私が通りかかった時には,「トランペット吹きの休日」が演奏されていました(「休日」といいつつ,トランペットがやけに忙しい曲ですね)。その楽しげな音がコンサートホールのロビーまで漏れ聞こえていましたが,こういう雰囲気もなかなか良いものです。

PS.そのこともあり,今回のプレコンサートは,ロビーではなく,コンサートホール内で行われました。遠藤さんのクラリネットを中心に,モーツァルトのクラリネット五重奏曲の後半の2楽章という大変聞き応えのある曲が演奏されました。ただし,まだお客さんのほとんどいない,ざわついたホール内で演奏するというのは,奏者の方からすると少々やりにくかったのではないかと思いました。

●終演後のサイン会
小泉和裕さんと,高橋裕さんのサイン 金沢能楽会の薮俊彦さんのサイン OEKメンバーのサインです。上からコンサート・ミストレスのアビゲイル・ヤングさん,オーボエの水谷さん,クラリネットの木藤さん
(2006/03/13)