ロンドン交響楽団演奏会2006
2006/03/14 石川県立音楽堂コンサートホール
1)ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11
2)マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調
●演奏
チョン・ミョンフン指揮ロンドン交響楽団
横山幸雄(ピアノ*1)
Review by 管理人hs
毎年,この時期に行われている東芝グランド・コンサートでは,海外の有名オーケストラを聞くことができるのですが,今年はチョン・ミョンフン指揮ロンドン交響楽団による演奏会でした。チョン・ミュンフンさんは,過去,この東芝グランド・コンサートで,フランス国立管弦楽団及びフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団を指揮して金沢のステージに登場していますので,今回は3回目の金沢公演ということになります。昨年は,富山のオーバード・ホールで行われた歌劇「カルメン」公演の指揮もされていますので,北陸地方でもすっかりお馴染みの指揮者と言えます。それにしても毎回違うオーケストラで,会場も毎回違うというのが面白い点です。フランス国立の時は金沢市観光会館,フランス国立放送フィルの時は石川厚生年金会館でしたので,チョン・ミュンフンさんが石川県立音楽堂に登場するのは初めてということになります。

今回のプログラムでは,金沢で演奏されることの少ないマーラーの交響曲が演奏されるのが何と言っても楽しみでした。マーラーの交響曲第5番が金沢で演奏されるのは,2000年に石川厚生年金会館で行われたエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の来日公演以来のことだと思います。

それにしてもすごい演奏でした。インバルの時もすごいと思ったのですが,今回は石川県立音楽堂で演奏されたこともあり,さらに豊かで明るい響きを楽しむことができました。この明るい響きというのは,演奏者の特徴でもあると思います。今も第5楽章最後のコラール風の部分の金管の響きが耳に残っています。この曲は,この部分を中心に管楽器が大活躍する曲ですが,今回は楽器を鳴らしきったような爽快感が特に印象に残りました。さすがイギリスは「ブラス!」の国だと納得しました。

今回のオーケストラの編成ですが,次のような感じでした。

          打楽器*5       トロンボーン*4 チューバ*1
          ホルン*7        トランペット*4
         クラリネット*4  ファゴット*3
  ハープ*1  フルート*4   オーボエ*3
 コントラバス  チェロ    ヴィオラ
  第1ヴァイオリン  指揮者    第2ヴァイオリン


私の今回の座席は3階のバルコニー席で,コントラバスが全く見えなかったのですが(1/4ぐらいステージが見えない席でした),その点を除けば,ステージにも比較的近く,管楽器の様子などもよく観察(?)できました。配置で特徴的だったのは,コントラバスが下手側に来る対向配置だった点です。前半のショパンの時もこの配置でしたが,後期ロマン派の大曲でこういう配置を取ることはかなり珍しいのではないかと思います。

注目の冒頭のトランペット独奏ですが,今回は,演奏前から赤い顔をしたかなり年輩の奏者が首席奏者でした。このソロの雰囲気が良かったですねぇ。老兵が力を振り絞って,オーケストラ全体を先導するような気分がありました(音はとても若々しいのですが)。この部分では,チョン・ミュンフンさんは全く棒を振らず,ソロの後の「ジャーン」の所から振りはじめていました。この部分の響きは非常に輝かしかったのですが,葬送行進曲の部分になると,独特の揺らぎを持った,足を引き摺るようなテンポに変わります。この明暗の対比が非常にドラマティックでした。チョン・ミュンフンさんの指揮は,ゆっくりした部分だとかなり粘りのある雰囲気になります。音楽が機械的に流れるところがないのが,「何が起こるかわからない」マーラー演奏にはぴったりだと思いました。

ダイナミックレンジの幅も非常に大きいものでした。第1楽章途中で,ティンパニが弱音でファンファーレの音を演奏する部分があるのですが,この部分の神秘的な弱音と,バシっと引っぱたくような一撃との対比も鮮烈でした。楽章の最後,弱音器を付けたトランペットが高音を演奏するのですがこれも見事でした。

第2楽章は,エネルギーがぎゅっと凝縮されたようなタイトな響きで始まりました。この雰囲気と途中に出てくる,雄弁だけれども暗くメランコリックなチェロの響きとの対比が鮮やかでした。ここでも,ピンと張った弓から矢を解き放つような緊張感溢れるティンパニの一撃が印象的でした。クラリネットがベル・アップしたり(第3楽章などでもかなり頻繁にベル・アップしていました),見た目にもアピールする演奏となっていました。楽章の後半では,第5楽章を予告する金管楽器のコラールが出てきますが,この段階でその輝かしさと圧力に飲み込まれそうになりました。

第3楽章はホルンのユニゾンで始まります。7人のホルンのユニゾンというのは,滅多に聞けるものではありません。荒々しさよりもそのコントロールされた音の充実感に聞きほれました。その後は,非常に軽い感じで楽しげな音楽が続きました。古典派の交響曲のメヌエット楽章的な気分がありました。前半2楽章が重かったので,ほっと一息つけるような感じでした。

しかし,やはり途中から音楽は,ぎこちない不気味な揺らぎを見せてきます。この楽章では,何と言っても首席ホルン奏者の水際立った鮮明な演奏が印象的でしたが,その他の独奏楽器も個性的でした。役者が次々と出てきて,渡り台詞を言うように,各楽器が生き生きとした自由な動きを見せてくれました(”動き”と言えば,クラリネット奏者がやけに頻繁に楽器の持ち替えをしていました。この楽章でもクラリネットは,頻繁にベル・アップしていましたが,その点も含め,”クラリネットの見せ場”の特に多い楽章でした。)。その他,途中,室内楽的な雰囲気で弦楽器がピツィカートで演奏する部分も印象的でした。生で聞くと,非常に個性的かつ不気味な音楽だと感じました。これはチョン・ミョンフンさんの音楽の特徴だと思うのですが,楽章の後半に向けて,どんどん音楽に熱気と怪しさが漂ってきます。これもまたマーラーの音楽の持つ陶酔感に相応しいものでした。

アダージェット楽章にもそういうところがありました。楽章の最初はハープの音を交えた,平静な天国的な気分で始まったのですが,段々と音楽に粘り気が出てきます。今回,チェロとヴィオラがステージ真ん中に来る配置だったのですが,この部分では,この中低音の厚みのある響きが特に効果的に響いていました。後半ではテンポがさらに遅くなり,二度と抜けられないような深みにはまってしまいます。沈潜していくような集中力の高い響きによって会場全体に魔法が掛けられてしまいました。

第4楽章が静かに終わった後もチョン・ミョンフンさんはじっと動かずにいました。ふっと棒を動かしたとたん,現実に戻されたかのように鮮やかな動きに満ちた第5楽章になります。実は,この部分でホルンにちょっとミスがありました。アダージェットの余韻がまだ残っている第5楽章の最初の一音です。この音が,引っくり返る直前のような妙に力んだような音になってしまいました。会場からホッとため息が出たような感じでした。首席ホルン奏者としては,残念だったと思いますが,私は,この音を聞いて,かえって親近感を感じてしまいました。

アダージェット楽章の後,席を立って退席しようとする”不届き者”が居たのですが(これからが最高のお楽しみの楽章だったというのに...),その人がノイズを立てたので,この楽章間のインターバルが微妙に長くなったような気がしました。きっとホルンの首席奏者の視点もその退席する人の方に一瞬行ったのではないかと思います。その後,このホルンのミスがありました。トリノ冬季五輪の男子500メートル・スケートの時,金メダル確実と言われた加藤選手が自分の走行直前のレースでのトラブルのせいで長時間待たされ,思ったほど記録が伸びず,メダルを取れなかったということがありましたが,この部分もそんな感じなのかなと勝手に想像して聞いていました。ということもあり,「人間的だな」と勝手に思ってしまったのでした(ちょっと想像力が豊か過ぎたでしょうか?)。

しかし,素晴らしかったのはその後です。非常に軽快で闊達なパッセージが何事もなかったように続きました。首席ホルン奏者は,首席トランペット奏者とは違い,若い人でしたが大変高い技術を持った方だと思いました(奏者の名前を知るためにパンフレットを買いたかったのですが...1500円という暴利を貪るような価格だったので止めておきました)。その後も明るい響きが続き,この交響曲全体の持つ「暗から明へ」という基本的な流れを鮮明にしていました(それほど単純な構図ではなく,途中,あれこれ起伏はありますが)。

この楽章の終盤は,対位法的な生き生きとした音の動きの後,上述のとおり,盛大なコラールとなります。第1楽章で全体を先導していたトランペットを中心に,金管楽器の音が突き抜けるように盛り上がり,これ以上は盛り上がらないだろう,と思ったところで,さらに伸びやかに音量が増していくというすごさがありました。この辺がメジャー・オーケストラの凄さだと感じました。生演奏を聞く醍醐味とも言えます。鳥肌が立ちました。キラキラとした音の洪水の中で全曲が終わると,盛大な拍手が続きました。マーラーの音楽の持つ,振幅の大きさを堪能させてくれる演奏だったと思います。

というわけで,会場全体が沸きに沸いた演奏となりました。その分,前半に演奏された横山幸雄さんの独奏によるショパンのピアノ協奏曲第1番は,印象が半分ほど吹き飛んでしまったところもあります。が,こちらもまた見事な演奏でした。精密なガラス細工を見るような演奏で,起伏の大きなマーラーの演奏とは対照的な気分を持っていました。

第1楽章の序奏部は,まろやかにブレンドされたのんびりとしたムードで始まりました。そこに横山さんのクールなピアノが入ってきます。これ見よがしのところがなく,音の粒がきっちりと揃った気持ちの良い演奏でした。ただし,個人的には,この曲の場合,もう少しテンポの動きが大きく,ケレン味のある演奏の方が好みです。

第2楽章も春霞を思わせる,優しくデリケートな序奏で始まります。そこに横山さんのクリアなピアノが浮き上がってきます。これは絶品でした。霞の中から月の光でもれて来るような風情がありました。まさに管弦楽伴奏付きノクターンでした。

第3楽章はリズムのキレの良さが印象的でした。速いパッセージが出てきても全く危なっかしいところは無く,玉を転がすように,次々と音楽が流れていきました。力んだところがないので,荒々しい迫力とは無縁の演奏でしたが,思わず音楽の勢いに引き込まれてしまいました。

横山さんの演奏は,金沢市アートホールでリサイタルを数回聞いたことがあるのですが,協奏曲のソリストとして聞くのは初めてのことでした。今回,3階席で聞いたせいもあるのか,リストの超絶技巧練習曲などの技巧的な曲をバリバリと弾いていた印象とはかなり違った印象を持ちました。今回の演奏も悪くはなかったのですが,もう少しスケールの大きな演奏を期待していたところがありましたので,ちょっと意外でした。今回のショパンはどちらかというととても優雅で小粋な演奏だったと思います。

今回の演奏会はマーラーの交響曲第5番を中心にフル編成オーケストラの表現の幅の広さに圧倒された演奏会でした。私にとって,石川県立音楽堂の”いつもの座席”で聞くオーケストラ・アンサンブル金沢の響きには”生活の一部”のような安心感があります。継続することで,微妙な変化を味わうという楽しみがあります。その一方,これはどちらが良いという問題ではないのですが,年に一度ぐらいは,全く違った次元のオーケストラ演奏を楽しんでみたいものです。そういう意味で,ライブで聴くマーラーの交響曲というのは音楽鑑賞の楽しみの一つの頂点だと感じました。今回の公演は,そう思わせる素晴らしい演奏会でした。(2006/03/16)