バッハ,J.S. Bach, J.S

■マタイ受難曲BWV.244

バッハの最高傑作と言われる感動的な大作です。「無人島に持っていく1曲は?」という質問があったときに回答としてよく出てくるのがこのマタイ受難曲です。バッハの代表作であるだけでなく,西洋音楽史を代表する1曲です

バッハの受難曲には「ヨハネ受難曲」というもう一つの名作があるのですが(実際はもっと多く受難曲は書かれたようですが),マタイの方は,キリスト教信仰の核心とイエスのドラマに加え,バッハの個人的な感動がより鮮明に音楽に込められているようなところがあります。3時間ほどもかかる大作ですので,聞き通すのも演奏するのも大変な作品ですが,その実演に接した人は一様に「感動した」と言う作品です(私自身,実演で聞いたことがないので,その真偽を確認できていないのですが)。

●初演
1727年4月11日の聖金曜日。コンサートホールのために書かれたものではなく,牧師による説教とともに演奏される曲にしては,異例に長い作品となっています。

●テキストと曲の構成
ライプツィヒ時代の多くのカンタータのテキストを担当したピカンダーによるものです。次のものから構成されています。
(1)新約聖書マタイによる福音書第26章1節から27章66節までのイエスの受難に関する章句
(2)バッハの神学蔵書に含まれるミュラーの説教集
(3)数々のコラールや自由詩

キリストの受難を伝える聖書の本文(福音史家と合唱が担当)の合間に,アリアがが挿入される「オラトリオ受難曲」という形を取っています。これはオペラとほぼ同様の形式です。教会音楽としてはあまりにも劇場的で,中でもアリアが心を打つものとなっています。

曲の展開は,福音書の流れに沿っていますが,それだけではなく,コラールや自由詞からなる楽曲も交え,立体的に構成されています。この(1)福音書章句(2)コラール詞(3)自由詞という3つの要素から曲が作られているのは,バッハの受難曲の特徴となっています。

(1)福音書章句の部分(下の表の)は,福音史家(エヴァンゲリストとも呼ばれます。テノールが担当)の語り,イエスの言葉(バスが担当),イエス以外の言葉(それぞれに相応しい聖域の独唱)から成っています。基本的にはレチタティーヴォで語られます。これは受難曲の伝統に従ったものです。

(2)のコラール詞(下の表の)は,物語の流れを中断する形で挿入されます。コラールは,バッハの作曲ではなく,プロテスタント・ルター派の教会で好んで歌われていた「祈りの歌」です。受難曲は,イエスという歴史上の人物の物語なのですが,コラールをはさむことで,聞き手の方は,「現代の問題」として祈りを捧げながら聞くことになります。

(3)の自由詞(下の表の)は,さらに音楽的に自由な曲です。アリアと呼ばれるオペラ的な曲も含んでいます。逆に言うと,こういう形式に対応するために,自由詞が必要だったとも言えます。

●編成
独唱,合唱,器楽をすべてを2つに分けた独特の編成となっています。両者が対話をしたり,一方が他者を注釈したりと立体的な効果を出しています。その他,福音史家,イエスなど総勢10人あまりの役柄の歌手が登場します。

各曲の編成は次のグループの組み合わせとなっています。以下の解説の中ではこれらの用語を使います。

【合唱】
  1. 合唱I(混声四部合唱)
  2. 合唱II(混声四部合唱)
  3. リピエーノ・ソプラノ(通常児童合唱)
【器楽】
  1. 第1アンサンブル(ブロック・フレーテI/II,フルートI/II,オーボエI/II(オーボエ・ダモーレ,オーボエ・ダカッチャを兼ねる),ヴァイオリン(2部),ヴィオラ,ヴィオラ・ダガンバ,通奏低音(チェロ,ヴィオローネを含む),オルガン)
  2. 第2アンサンブル(フルートI/II,オーボエI/II(オーボエ・ダモーレを兼ねる),ヴァイオリン(2部),ヴィオラ,ヴィオラ・ダガンバ,通奏低音(チェロ,ヴィオローネを含む),オルガン)
【独唱】
  1. 福音史家(テノール),イエス(バス)・・・第1アンサンブルが伴奏
  2. ソプラノ,アルト,テノール,バスのアリアを歌う歌手
第1部
種類 曲名・テキスト 編成の特徴
合唱 来なさい,娘たちよ 合唱I+II+リピエーノ・ソプラノ
●プロローグ
ホ短調,12/8
受難曲の最初と最後に聖書とは以外のテキストによる自由詞による合唱が加えられているのは,ヨハネ受難曲と同様です。この曲は,バッハの合唱曲の中でも規模の大きなもので,1群・2群に分かれた混声四部合唱に加えて,途中からリピエーノ・ソプラノ(通常は児童合唱)が加わってきて,サラウンド的な空間の広がりの大きさを感じさせてくれます。この曲では「人類の罪をあがなうために十字架にかけられるイエスを見なさい」というマタイ全体の大きな主題が提示されます。

曲はまず通奏低音の演奏するミの音の連続の上にで管楽器群による悲しく重苦しいメロディが出てきます。この通奏低音の同音の繰り返しは,十字架を負って足を引きずって歩くイエスを描写しています。しばらくした後,この通奏低音が音階を上っていくような動きを示しますが,この部分で十字架に掛けられたことを暗示しています。

しばらくして合唱が入ってきます。これも悲痛さを感じさせるものです。途中から合唱は「見なさい」「一体何を?」という感じで対話をするように進み始め,さらにリピエーノ・ソプラノが天使の声のように受難コラール「おお神の小羊よ(N.デーツィウスによる"Agnus Dei"唱の独訳コラール"O Lamm Gottes,unschuldig"を歌い始めます。オーケストラの行進曲風の主題,3つの合唱が絡み合って曲は進みます。

この歌詞には「花婿を見なさい」という歌詞が出てきますが,花婿を失った花嫁が悲嘆と苦悩を友人に語るという雅歌の形をとっていいます。花嫁とその友人の対話を表現するために二重合唱を用いるアイデアも出てきています。
レチタティーヴォ マタイ伝26-1〜2 福音史家+通奏低音(以下同様。"福音史家"とのみ表記)
イエス+通奏低音+弦楽+通奏低音(以下同様。”イエス”とのみ表記)
イエスみずからが磔刑の予言をします。この曲全曲を通じて,イエスが歌うときには常に弦楽伴奏が”光輪”のようにつけられます。歌詞の中に「十字架(Kreuziget)」という言葉が出てくる部分には十字架音型が含まれていると言るとおりメロディが微妙に屈折します。
3 コラール 最愛のイエスよ,どんな罪を犯してそんなに厳しい判決を受けたのですか 合唱I+II
ロ短調,4/4。J.ヘールマン作のコラール"Herzliebster Jesu"の第1詩節,旋律はJ.クリューガー。この曲は「ヨハネ受難曲」でも最初のコラールとして登場します。何かの因縁でしょうか?
4a〜b レチタティーヴォと合唱 マタイ伝26-3〜5 福音史家,イエス,合唱I+II
●策略
祭司長らが大祭司カヤパの家に集まり,イエスに対して陰謀をたくらみます。その後,「祭りの間はいけない」という合唱(ハ長調,4/4)が続きます。この合唱は2つのアンサンブルが互い違いに歌うのが特徴です。民衆の騒ぎに対する恐れを表現しているといわれています。最後には2つの合唱が揃って歌います。
4c〜e レチタティーヴォと合唱 マタイ伝26-6〜13 合唱I
●ベタニアの塗油
「何のためにこんな無駄遣いをするのか」という合唱の部分は弟子たちの言葉なので合唱Iのみで歌われます。
5 レチタティーヴォ・アコンパニャート 汝,とうとき救い主の君よ アルトI,フルート
ロ短調,4/4。マタイでは自由詞によるアリアの前にレチタティーヴォが出てくるパターンがほとんどですがここでは常にオーケストラ伴奏付きのアコンパニャートになっています。この曲と次のアリアではフルート2重唱が効果的に使われています。
6 アリア 悔いの悲しみは罪の心をひきさく アルトI,フルート
嬰ヘ短調,3/8,ダカーポ。ベタニアの塗油の場面を結ぶこの場面では,「涙のしずく」のモチーフが特徴的です。「Tropfen(涙)」という言葉が出てくる辺りで,フルート2本がスタカートで「タタ・タタタタ」と下降してくる音型を演奏します。バッハは楽譜の「見た目」でも曲のイメージを表現しているようです。
7 レチタティーヴォ マタイ伝26-14〜16 福音史家,ユダ
●ユダ
ユダが銀貨30枚でイエスを売る,という裏切りを語ります。「JudasIscharioth(ユダ)」と「verraten(裏切る)」この部分でのキーワードです。
8 アリア 血を流せわが心よ ソプラノII,フルート
ロ短調,4/4,ダカーポ。レチタティーヴォなしにアリアが始まります。裏切りに関する曲については切迫感を出すためにこのような構成になっているようです。歌詞中に「Schlange(蛇)」という言葉が出てきますが,これは裏切りを行うユダのことです。
9a〜e レチタティーヴォ マタイ伝26-17〜22 福音史家,イエス,合唱I(弟子たち)
●最後の晩餐
イエスが裏切りを予言する「最後の晩餐」の場です。「この中に私を裏切るものが1人いる」というイエスの言葉に対して,弟子たちは不安になって「主よ,私ではないでしょう?」と次々と問いかけます。

この「Herr(主よ)」と問いかける回数が11回で1人足りない(ユダだけが問い返していないということ)のがバッハの凝ったところです。このストレッタ的に畳み込むような歌い方はこの場面の伝統的な処理方法だったと言われています。
10 コラール われなり,われこそ償いに 合唱I+II
変イ長調,4/4
P.ゲールハルト作のコラール"O Welt, siek hier dein Leben
"の第5詩節。この曲は第37曲にももう一度出てきます。「罰せられるべきはこの私です」といった歌詞です。
11 レチタティーヴォ マタイ伝26-23〜29 福音史家,イエス,ユダ
最後の晩餐の場面です。「裏切るのはユダだ」ということがここで明らかになります。その後,「取って食べよ,これは私のからだである」といったイエスの言葉が出てきます。その注釈になるのが続くレチタティーヴォとアリアです。
12 レチタティーヴォ・アコンパニャート 私の心が涙にくれて ソプラノI,オーボエ・ダモーレ
ホ短調,4/4。ここではいきなり不安定な和音で始まります。「タララ,ラララ」というオーボエ・ダモーレの伴奏も印象的です。
13 アリア 私はこの心をあながに捧げます ソプラノI,オーボエ・ダモーレ
ト長調,6/8,ダカーポ。第8曲のアリアがロ短調だったのに対し,このアリアはト長調に移っています。ここで天井の話題に移ったことを暗示しています。オーボエ・ダモーレによる前奏に続いて,晴れやかなメロディが出てきます。
14 レチタティーヴォ マタイ伝26-30〜32 福音史家,イエス
●オリブ山
オリブ山に登って,弟子たちに語る言葉です。「今夜,全員私に躓く」「羊が散らばる」「復活した後,ガリラヤに行く」といった予言をします。
15 コラール われを知りたまえ,わが守りてよ 合唱I+II
ホ長調,4/4
P.シュトックマン作の受難コラール"O Haupt voll Blut und Wunden
"の第5詩節。受難コラールが出てくるのはここが最初です。このコラールはマタイ受難曲の中心的なコラールで,その後,4回出てきます(その度に調性が変わりますが)。もともとはハンス・レオ・ハスラーの作曲した世俗曲に由来しています。
16 レチタティーヴォ マタイ伝26-33〜35 福音史家,イエス,ペテロ
ペテロは「私は断じて躓きません」と言いますが,イエスは「お前は朝を告げる鶏が鳴く前に,3回私のことを知らないと言うだろう」と予言します。
17 コラール われはここなる汝のみもとに留まらん 合唱I+II
変ホ長調,4/4
P.シュトックマン作のコラール"O Haupt voll Blut und Wunden"の第6詩節。第15曲を半音低くしたものです。
18 レチタティーヴォ マタイ伝26-36〜38 福音史家,イエス
●ゲッセマネ
イエスと弟子たちがゲッセマネという園に行きます。イエスの恐怖心が語られ,「目を覚ましていなさい」と弟子に語ります。
19 レチタティーヴォ・アコンパニャート ああ痛まし!さいなまれし心ここにうち震う テノールI,合唱II,オーボエ・ダカッチャ,フルート
ヘ短調,4/4
切迫した感じでテノールソロが歌い,その後を合唱がコラールで受けます。この繰り返しで曲は進みます。通奏低音はイエスの心の「震え」を表すように同音を反復します。その上に出てくるオーボエ・ダカッチャの悲痛なメロディも印象的です。テノールがイエスの苦しみを見て心を乱すシオンの娘,合唱は弟子たちの内省の声です。この合唱の歌うコラールは第3曲と同じものです。
20 アリア われはわがイエスのもとに目覚めおらん テノールI,合唱II,オーボエ
ハ短調,4/4,アンダンテ,自由なダカーポ
この曲も前曲同様,テノールと合唱の交代で進んでいきます。オーボエの美しいソロの後,テノール独唱−コラールと続きます。ここでは,イエスに従おうとする信徒の固い決意を表明しています。
21 レチタティーヴォ マタイ伝26-39 福音史家,イエス
イエスが地にひれ伏して祈る場面です。人間的なイエスを描写している場と言えます。
22 レチタティーヴォ・アコンパニャート 救い主み父の前にひれ伏したもう バスII,弦楽
ニ短調,4/4
弦楽器の分散和音の伴奏が上下します。これは歌詞の中の「ひれ伏す」「引き上げる」という言葉に対応しています。
23 アリア われは悦びて身をかがめ バスII,ヴァイオリン,通奏低音
ト短調,3/8,ダカーポ形式
バス独唱とユニゾンで動くヴァイオリン,通奏低音によるトリオ・ソナタのような曲です。この曲では「十字架を引き受けよう」というイエスの強さが戻ってきます。短調なのに明るい感じがし,ぎくしゃくした動きがあるのは,その複雑な心境を表現しているようです。
24 レチタティーヴォ マタイ伝26-40〜42 福音史家,イエス
イエスが弟子たちのところに戻ると,先程の約束にも関わらず,皆眠ってしまっています。「起きて,祈りなさい」とイエスは語ります。「心は熱していても肉体は弱い」というイエスの言葉は普通の人間の行動の真理かもしれません。その辺をイエスは理解しているのかイエスは腹を立てずに淡々としています。
25 コラール わが神の御心のままに,常に成らせたまえ 合唱I+II
ニ長調,4/4
プロイセン公アルブレヒト作のコラール"Was mein Gott will,das g'scheh' allzeit"の第1詩節。前曲でのイエスの恐怖心を受けて,神は決して見捨てられることはない,ということが歌われます。
26 レチタティーヴォ マタイ伝26-43〜50 福音史家,イエス,ユダ  
●イエスの逮捕
ユダの手引きでイエスが逮捕される場です。前半は淡々と歌われますが,逮捕される後半では,福音史家に高い音が出てきて,その瞬間がついに訪れたことが歌われます。
27a 二重唱アリア かくてわがイエスはいまや捕らわれたり ソプラノI,アルトI,合唱II,フルート,オーボエ,弦楽
ホ短調,4/4,アンダンテ
ソプラノとアルトが「イエスは捕えられた」と歌うと,合唱IIが「放せ,やめよ,縛るな」と合いの手を入れます。ここでのテンポはアンダンテなのでかなり雰囲気は違いますが,第1曲の合唱曲の場と同じ場面ということになります。第2曲以降が回想シーンだったと考えると,この曲で現在に追いついたことになります。フルートとオーボエが悲しみの主題を演奏し,不安げな弦楽器は捕らわれたイエスを表しています。
27b 合唱 稲妻よ,雷よ,雲間に隠れしか? 合唱I+II
3/8,ヴィヴァーチェ。前曲から引き続いて歌われます。テンポがヴィヴァーチェになり,2つの合唱が激しい合唱を繰り広げます。オーケストラも加わり,怒りの表情をあらわにします。途中に入る,全休止の後,さらに激しさを増します。
28 レチタティーヴォ マタイ伝26-51〜56 福音史家,イエス
弟子たちがイエスを見捨てる場を歌います。
29 コラール 人よ,汝の大い悲しめなる罪を 合唱I+II,リピエーノ・ソプラノ
ホ長調,4/4
S.ハイデン作のコラール"O Mensch, bewein' dein' Sunde gross(1525)"の第1節,旋律はM.グライター作(1525)。

前曲の最後の「ここに弟子たちはみな,イエスを捨てて逃げ去りぬ」という歌詞を受けて歌われる割には長調の曲です。27曲のような「怒り」はもう聞かれません。聞く人は自分のうちに裏切りもののユダや弟子たちの姿を見出すことになります。

オーケストラの伴奏に絶えず出てくる「タタラ,タラララ」という音型は「すすり泣き」のモチーフといわれています。リピエーノ・ソプラノの歌うコラールのメロディの間にオーケストラ演奏が入ったり,他の合唱声部に歌い継がれていく「コラール・ファンタジー」の形で作られています。

第2部
種類 曲名・テキスト 編成の特徴
30 アリア ああ,いまやわがイエスは連れ去られぬ アルトI,合唱II 
●プロローグ
ロ短調,3/8
シオンの娘たちと信徒とがむなしく救い主を探す,というアリアです。冒頭ではシオンの娘たちが半音階的なモチーフで不安げにあちこち飛び回ります。後半の「虎の爪」という歌詞はコロラトゥーラで強調されます。
31 レチタティーヴォ マタイ伝26-57〜60 福音史家
●大祭司カヤパの前のイエス
イエスは大祭司カヤパの前に連れて行かれます。イエスを死罪にしようと偽りの証拠を探しますが出てきません。
32 コラール 世はわれに欺き仕掛けぬ 合唱I,II
変ロ長調,4/4
A.ライスナー作のコラール"In dich hab' ich gehoffet, Herr(1533)"の第5節,旋律はS.カルヴィシウス作(1581)。
33 レチタティーヴォ マタイ伝26-60〜63 福音史家,証人(アルト,テノール),大祭司(バス)
2人の偽証人が出てイエスに不利な証言をします。この部分はカノンで歌われます。これは受難曲の慣例となっている慣例です。あらかじめ口裏をあわせてあったようにきっちりと歌われます。イエスはこれに対して何も答えません。
34 レチタティーヴォ・アコンパニャート わがイエスは嘘いつわりの証しにも黙したもう テノールII
伴奏はオーボエ2本を中心とした単純なスタッカートが中心です。イエスが沈黙している様子がうまく表現しています。
35 アリア 忍べよ,忍べよ,偽りの舌われを刺す時 テノールII
イ短調,4/4,自由なダ・カーポ
ここではヴィオラ・ダ・ガンバを含む通奏低音の音の動きが印象的です。イエスの忍耐強さを示すように温和な主題が中心ですが,時々通奏低音に鋭い付点リズムが出てきます。これは,「偽りの舌」が刺す様子を表しているようです。
36a〜d レチタティーヴォと合唱 マタイ伝26-63〜68 福音史家,大祭司,イエス,合唱I・II
大祭司の前のイエスに対して,群集は「彼は死に当たるものだ」と叫びます。その後,イエスは群集に打たれます。この部分は2つの合唱によって,微妙にズレながら歌われます。激烈な群集の叫びが効果的に表現されています。
37 コラール たれぞ汝をばかく打ちたるか 合唱I,II
ヘ長調,4/4
P.ゲールハルト作のコラール"O Welt, siek hier dein Leben
"の第3詩節。前曲の激しい合唱のに引き続いて,感動的に歌われます。
38a〜c レチタティーヴォと合唱 マタイ伝26-69〜75 福音史家,ペテロ,第1の下女,第2の下女,合唱II
●ペテロの否認
鶏が鳴く前に,ペテロが「イエスのことを知らない」と3度否定するという有名なエピソードのやりとりの場です。第1の下女,第2の下女に続いて,合唱も「イエスと一緒にいた」と証言しますが,ペテロはそれを否定します。

その後,外に出て号泣するのはペテロなのですが,ここでは福音史家がそのことについて語る形になっています。この部分では冷静な福音史家がその立場を脱したように,感情を込めた超高音のメリスマを交えて歌います。日本の江戸時代の浄瑠璃の語りのような感じもあります。
39 アリア 憐れみたまえ,わが神よ,したたり落つるわが涙のゆえに アルトI,ヴァイオリン・ソロ
ロ短調,12/8,自由なダ・カーポ
先のレチタティーヴォ中の「その人のことは何も知らない」と歌うときのメロディと似たメロディでアリアは始まります。ペテロの罪を自らの罪とする信徒の嘆きを歌った美しい曲です。ヴァイオリン・ソロによるすすり泣きのようなオブリガートのメロディも印象的です。
40 コラール たたえわれ汝より離れ出ずるとも 合唱I・II
イ長調,4/4
J.リスト作のコラール”Werde munter, mein Gemute"(1642)の第5詩節,旋律はJ.ショップの作(1642)
41a〜c レチタティーヴォと合唱 マタイ伝27-1〜6 福音史絵家,ユダ,第1と第2の祭司長,合唱I
●ユダの最後
イエスを売り渡したユダは,受け取った銀貨を投げ返し,みずから首をくくってしまいます。
42 アリア われに返せ,わがイエスをば! バスII,ヴァイオリン・ソロ
ト長調,4/4
イエスを売り渡したユダの後悔する気持ちを歌った曲です。また,後悔するユダをはねつけた祭司長らが非難の対象となっています。ソロ・ヴァイオリンは,泣きながら銀貨を投げ捨てるユダを示しているといわれています。
43 レチタティーヴォ マタイ伝27-7〜14 福音史家,イエス,ピラト
●ピラトの前のイエス
イエスは総督ピラトの前に立ちます。祭司長,長老からの不利な証拠に対して何も答えないイエスのことをピラトは怪しみます。
44 コラール 汝の行くべき道と,汝の心の患いとを委ねまつれ 合唱I+II
ニ調,4/4
P.シュトックマン作の受難コラール"O Haupt voll Blut und Wunden
"の第1詩節。第15曲に出てきたものと同じ曲です。
45a〜b レチタティーヴォ マタイ伝27-15〜22 福音史家,ピラト,ピラトの妻,合唱I+II
「マタイ」のレチタティーヴォの中でも特に劇的な部分です。どうみても悪人のバラバとどうみても罪のないイエスのうちどちらを放免するかを群集に尋ねると,彼らは「バラバ!」と叫びます。これはただの減7の和音なのですが,聞く人の心にぐさりと刺さるような響きを持っています。その後,「十字架につけよ」という歌詞が繰り返されます。
46 コラール さても驚くべしこの刑罰 合唱I+II
ロ短調,4/4。J.ヘールマン作のコラール"Herzliebster Jesu"の第4詩節,旋律はJ.クリューガー(第3曲と同じコラール)
47 レチタティーヴォ マタイ伝27-23 福音史家,ピラト
ピラトは「あの人はどんな悪いことをしたのか」と歌います。
48 レチタティーヴォ・アコンパニャート 彼はわれらすべての者のために善きことをせり ソプラノI,オーボエ・ダ・カッチャ
前曲でのピラトの問いに対して歌われる曲です。オーボエ・ダ・カッチャの音の動きは縛られたイエスを描写しています。
49 アリア 愛よりしてわが救い主は死にたまわんとす ソプラノI,オーボエ・ダ・カッチャ,フルート
イ短調,3/4,自由なダ・カーポ
「私の救い主は,ただ愛ゆえに死に給う」というマタイ全体の中心的メッセージが歌われます。この曲では例外的に通奏低音が入らず,宙に浮かんだような感じになります。フルートの旋律は空中をはばたく天使の群を思い出させます。
50a〜e レチタティーヴォ マタイ伝27-23〜26 福音史家,ピラト,合唱I,II
先程の47曲の続きになります。群集はますます声を大きくして「十字架につけろ」と叫びます。ピラトは効果がないことを知り,バラバを放免させ,イエスを鞭打たせます。「その血はわれらとわれらの子孫に帰すべし」という迫の力ある展開が続きます。
51 レチタティーヴォ・アコンパニャート 神よ,憐れみたまえ! アルトII
鞭打たれるイエスを見ながらも何もなすことをできない状況を歌っています。
52 アリア わが頬の涙,甲斐なしとあらば アルトII
ト短調,3/4,ダ・カーポ
前曲とこの曲では,付点音符の通奏低音が支配していますが,これは天罰が近づくことを示しています。
53a〜c レチタティーヴォ マタイ伝27-27〜30 福音史家,合唱I+II
イエスが笑いものにされる場です。これまでの群集の合唱はユニゾンでしたが,ここでは嘲笑を表すように両アンサンブルがまちまちに歌います。
54 コラール おお,血と傷にまみれし御頭 合唱I+II
ハ長調,4/4
P.シュトックマン作のコラール"O Haupt voll Blut und Wunden"の第1-2詩節。第15曲と同じコラールです。
55 レチタティーヴォ マタイ伝27-31〜32 福音史家
●ゴルゴダ
イエスに代わってシモンが十字架を背負う場です。ここでも十字架(Kreuz)という言葉が強調されています。
56 レチタティーヴォ・アコンパニャート しかり,まことにわれらがうちなる血肉は バスI,フルート,ヴィオラ・ダ・ガンバ
ヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏の上にフルートが途切れ途切れに単純な音型を演奏します。これは十字架を負うイエスがよろめきながら歩く様子を描写しています。
57 アリア 来たれ甘き十字架 バスI,フルート,ヴィオラ・ダ・ガンバ
ニ短調,4/4,自由なダ・カーポ
ここでも延々と続くヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏が印象的です。これはあえぎながらゴルゴダの丘に登っていくシモンを表しています。「甘い十字架」という歌詞が出てくるとおり,苦しくも甘いメロディが続きます。
58a〜e レチタティーヴォ マタイ伝27-33〜34 福音史家,合唱I+II
「ゴルゴダ=されこうべの所」に到着し,イエスは磔にされます。続く合唱歌では,「神の子ならば十字架より降り来たれ」といった歌詞が歌われます。福音史家のレチタティーヴォの後,さらにイエスを嘲る合唱が続き,最後はユニゾンの「われは神の子なり」という歌詞で結ばれます。その後,共に十字架にかけられた強殺者もイエスを罵ったという短いレチタティーヴォになって終わります。
59 レチタティーヴォ・アコンパニャート ああゴルゴタよ,禍いなるゴルゴタよ アルトI,オーボエ・ダ・カッチャ
変イ長調,4/4
オーボエ・ダ・カッチャは悲しみに満ちた表情を伝え,通奏低音には弔いの鐘の音が聞こえます。チェロのピツィカートと合わせて単純な音型が延々と続きます。十字架の辺りに静けさが訪れたことを示しているようです。
60 アリア 見よ,イエスは我らを抱かんとて御手を拡げたもう アルトI,オーボエ・ダ・カッチャ,合唱II
変ホ長調,4/4
前のレチタティーヴォと似たような感じのオーボエ・ダ・カッチャを含む序奏で始まります。イエスが十字架上で延ばした腕の中に抱かれるように信徒たちにすすめる歌です。合唱によって「どこに?」という歌詞が合いの手のように歌われます。
61a〜e レチタティーヴォ マタイ伝27-45〜50 福音史家,イエス,合唱I+II
●3時
3時頃になって,イエスが最後に「エリ,エリ,ラマ,アサブダニ」と語ります。これは「わが神,わが神,なんぞわれを見捨てたまいし」という意味です。この部分では,イエスの背後にずっと付けられていた弦楽器による伴奏が取りやめられます。その後,群集は「あれはエリアを呼んでいるのだ」「エリカが救いに来るか見ていよう」という合唱を歌います。この時点で群集は信仰に傾きつつあることがわかります。その後,イエスは息を引き取ります。
62 コラール いつの日かわれ去り逝くとき,われをば離れ去りたもうな 合唱I+II
イ短調(フリギア旋法),4/4
P.シュトックマン作の受難コラール"O Haupt voll Blut und Wunden"の第9詩節。これまで何回も歌われてきたメロディですが,これが最後になります。イエスの死の後で聞くと特別な感慨があります。
63a〜c レチタティーヴォ マタイ伝27-51〜58 福音史家,合唱I+II
そのとき,神殿の幕が上から下まで真っ二つにさけ,地震が起きます。この時の弦楽器のすさまじいトレモロが印象的です。続いて合唱が「げにこの人は,神の子なりき」と輝かしく感動的に歌います。
64 レチタティーヴォ・アコンパニャート 夕べ日涼しくなりしころに バスI
ト短調,4/4
前曲の合唱以降,音楽は安らかな感じに変って来ます。
65 アリア わが心よ,おのれを清めよ バスI
変ロ長調,12/8,ダ・カーポ(冒頭リトルネッロ抜き)
音楽はさらに安らかさとなごやかさを増します。12/8の揺れ動くリズムに乗って,流れるように曲は進んで行きます。
66a〜c レチタティーヴォ マタイ伝27-59〜66 福音史家,ピラト,合唱I+II
祭司長らのいう「われは三日ののちに甦らん」という言葉がフーガ風に歌われます。すでに復活が描かれているようです。
67 レチタティーヴォ・アコンパニャート いまや主は憩いの床に安置されぬ バスI,テノールI,アルトI,ソプラノI,合唱II
バス,テノール,アルト,ソプラノの順にソロが歌い,その間に合唱が「安らかにお眠り下さい」という告別の歌詞を歌います。
68 終結合唱 われら涙流しつつひざまずき 合唱I+II
ハ短調,3/4,自由なダ・カーポ
長大なマタイ受難曲を締める曲です。信徒たちが墓に集まってきて,一人ずつ告別の言葉を述べます。それが一つに合わさって大合唱になります。葬送の音楽ではあるのですが,そこには静かな安らぎが溢れています。全曲を聞いてきた後,この曲にたどり着いた時にはいろいろな感情を同時に味わうことができるでしょう。

(参考文献)
J.S.バッハ(作曲家別名曲解説ライブラリー;12).音楽之友社,1993
(2004/12/)