オーケストラ・アンサンブル金沢第175回定期公演PH
2005/02/04 石川県立音楽堂コンサートホール

バッハ,J.S./マタイ受難曲,BWV.244
●演奏
ペーター・シュライヤー指揮オーケストラ・アンサンンブル金沢(コンサートミストレス:アビゲイル・ヤング)
ペーター・シュライヤー(福音史家;テノール),エグベルト・ユングハウス(イエス;バスバリトン),クリスティーナ・ランズハマー(ソプラノ),ステファニー・イラニ(メゾソプラノ),マルティン・ペツォルト(テノール),ヨッヘン・クプファー(バリトン)
オーケストラ・アンサンブル合唱団(合唱指揮:佐々木正利),OEKエンジェルコーラス
佐々木正利(プレトーク)

Review by 管理人hs  tatsuyatさんの感想CKOさんの感想 
片町の酔っ払いさんの感想|高橋・ガチャピン・直樹さんの感想

クラシック音楽ファンの多くにとって「憧れの曲」「究極の曲」であるマタイ受難曲の演奏会が金沢で行われました。しかも演奏は,最高の福音史家と言われているペーター・シュライヤー指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)ということで,地元の音楽ファンにとっては聞き逃すことのできない演奏会となりました。

私を含め,1年ほど前からこの日を待望していたOEKファンも多いと思うのですが,その期待どおりの演奏会となりました。私自身,クラシック音楽の生演奏をいろいろ聞いてきましたが,これだけ深い感動の残る曲というのはないと改めて実感しました。この曲の味の深さは,ある程度辛抱しながらも3時間続けて聞いて初めて実感できるものだと思いました。自宅でCDを3時間聞きとおすことは至難の技ですので,生で聞いて初めて本当の素晴らしさの分かる曲とも言えそうです。

今回の演奏は,どの部分を取っても素晴らしいものでした。曲自体素晴らしいのですが,それを再現したOEK,OEK合唱団,ソリスト,そして長い曲を見事にまとめあげたペーター・シュライヤーさん。そのすべての要素が揃って実現した演奏会でした。特に今回この曲に初めて挑戦した(やはり挑戦したという言葉が相応しいでしょう)OEK合唱団には,特に大きな拍手が送られるべきでしょう。

1月30日に行われたシュライヤーさんの独唱による「冬の旅」も素晴らしい舞台でしたが,今回の「マタイ」は,地元の音楽関係者も巻き込んでいたという点でそれを上回る盛り上がりを持ったステージになりました。今回はいつもに以上に詳細にレビューしたいと思います。

■ステージの配置について
マタイ受難曲は2つのオーケストラ,3つの合唱団に独唱者が加わる大規模な曲です。ステージ上の配置がどうなるかも一つの楽しみでした。今回は次のような配置になっていました。
2005年2月4日マタイ公演の配置
第1オーケストラと第1コーラスがセットになり第1アンサンブル,第2オーケストラと第2コーラスがセットとなって第2アンサンブルとなります。この2つのアンサンブルが曲に応じて,片方だけ使ったり,両方を使ったりと多彩な変化を見せます。それに加えて,第1部では,オルガンステージにリピエーノ・ソプラノと呼ばれる児童合唱団が加わります。声が天から降ってくるような効果があります。

正面から見ると,第1アンサンブル,第2アンサンブルを底辺とし,リピエーノ・ソプラノを頂点とする,二等辺三角形のような安定した構図になります。三位一体をイメージさせる形はバッハの狙いだったのかもしれません。全員白と黒の衣装でしたので,大変厳粛な感じが出ていました。

ソリストは,この2つのアンサンブルの中間に入りました。マタイには福音史家,イエスという主要登場人物以外に,ユダ,ペテロ,ピラト提督,大祭司(歌詞の中で”ホーエンプリースター”という言葉がよく聞こえましたね),ピラトの妻...といった役が出てきます。それ以外に単独のアリアや重唱がいくつもありますので,全員を別の歌手に割り当てると10人以上の歌手が必要になります。

今回は,福音史家,イエスは専任で歌い,アリア及び端役はソプラノ,メゾソプラノ,テノール,バリトンが1名ずつが分担しました。福音史家はシュライヤーさんが指揮と兼任されましたので,結局純粋なソリストは5人ということになります。この5人が第1アンサンブル,第2アンサンブルの真ん中に座り,歌うたびに立ちあがるという形を取っていました。ステージの配置は「H型」ということになります。

こういう配置で,シュライヤーさんがどこに立つかが問題になります。合唱,アンサンブルの指揮を兼ねつつお客様に向かって歌を歌わないといけないという非常に難しい「聖徳太子的」な立場なので,どうするのかなと思っていたのですが(歌った後,クルっと回転してお客さんの方に背を向けるのかと予想していました),結果として「これしかない」という場所に立っていました。

独唱歌手たちの前に客席の方を向いて立つという形でした。つまり,四方八方からシュライヤーさんの指揮を見るという形です。シュライヤーさんが”主イエス”で会場内ないのそれ以外の人たちは(お客さんも含めて)全員,”弟子”という感じにも見えます(これが本当の「主ライヤー」(失礼しました)。譜面台も指揮棒もなしという身軽さだからこそ実現できるものです。

コンサートミストレスのヤングさんとの距離が大きくなったので,弦楽奏者は大変だったかもしれませんが,その分,通奏低音(オルガンも含め通奏低音も2セットあるとは思いませんでした。)とのコンタクトは取りやすかったし,合唱団との距離も近くなっていました。オーケストラも合唱団も指揮を正面から見られないので演奏しにくい点はあったかもしれませんが,福音史家を歌いながら指揮をする,ということを考えるとこの方法がベストだと思いました。というわけで,合唱団に指示を出すとき以外は客席から見るとシュライヤーさんはお客さんに向かって指揮をしているような形になりました。

■登場した楽器について
オーケストラの方は上述のとおり完全に2つに分けられていました。各アンサンブルの編成は次のような感じでした。

ヴァイオリン8,ヴィオラ4,チェロ1,オーボエ2,フルート2,通奏低音(チェロ1,コントラバス1,ファゴット1,オルガン1)
※細かい数は間違っているかもしれません。

この編成がもう一つあるのですが,第1アンサンブルのオーボエ(OEKの水谷さんと加納さんでした)は,オーボエ・ダモーレとオーボエ・ダ・カッチャを持ち替えていました。第2部ではヴィオラ・ダ・ガンバ(中野哲也さんという方が参加していました。ギターとチェロが混ざったような形の楽器です)1名が第1アンサンブルの方に加わっていました。

合計するとオーボエ4,フルート4が必要になりますのでOEKの定員以外の人はエキストラの人が参加していました。また,オルガン奏者2名もエキストラでした。オルガンのうちの一台は音楽堂のパイプオルガンをリモートコントロールするものだったようですが,もう一台の方には楽器に蛇腹のようなものがついていましたのでパイプオルガンではなかったようです。

今回,演奏会場の入り口付近に誰がどちらのアンサンブルに参加する人の顔写真入りのポスターが貼ってありましたが,これはできればプログラムの方にも載せて欲しかったと思いました。

■合唱団
今回の合唱は,これまでOEKの定期公演で演奏されてきた合唱曲の中でも最大規模のものになっていました。プログラムに書いてあった人数を数えると,ソプラノ38,アルト38,テノール15,バス19,児童合唱74で合計184名もの人が参加していたことになりますが,実際にはもう少し少なかったようです(翌日北國新聞に掲載されていた写真を数えると児童合唱は40名ほどでした)。いずれにしても100名を超える合唱団が参加していました。

これだけの人数をOEK合唱団だけではまかなえないので,今回は合唱指揮の佐々木正利さんが指導されている東北地方の合唱団のメンバーもかなり参加されていました。今回の演奏では男声の力強い声が印象的でしたが,この補強の効果が出ていたのではないかと思います。

■演奏について:総論
というわけで,演奏のレビューに入る前に長々と編成や参加者のことを書いてしまいましたが,このステージの形を見るだけで,期待が膨らみました。曲は,(1)合唱曲,(2)レチタティーヴォとアリア,(3)聖句のレチタティーヴォ+合唱,(4)コラールの4つのタイプに分けられ,それぞれに応じて,多彩な編成となって演奏されます。

演奏は基本的には速目で,キビキビとした雰囲気を感じさせるものでした。もちろん現代楽器による演奏でしたが,弦楽器のヴィブラートはほとんど付けていない感じで,弦楽器などはさらりとした感触のある響きでした。ロマンティックに流れすぎることはなく,アーティキュレーションも短めに切るのが多い感じでした。

演奏は第1アンサンブルの方の出番が多かったようです。その通奏低音グループの迫力が素晴らしく,演奏全体の土台と推進力を作っていました。チェロのカンタさん,ファゴットの柳浦さん,コントラバスの今野さんにオルガンのハンスイェルク・アルブレヒトさんという人が加わり,柔軟かつ強靭な音を出していました。

聖書のマタイ伝をレチタティーヴォで読み進めるというのが曲のストーリー面での核になります。シュライヤーさんは福音史家の歌詞をはじめその他のパートも全部暗譜しているようで,何も見ずに歌っていました。福音史家の場合,手に本を持って読むというスタイルも様になりますが,今回のように指揮をしながらということになると,この暗譜スタイルでないと不可能なのではないかと思います。福音史家というのは元々曲全体を把握している人でないと歌えないのですが,その人が指揮もするというのは一種の理想なのかもしれません。

シュライヤーさんは基本的には淡々と歌っていましたが,後半を中心にドラマティックな場面ではシュライヤー(Schreier)さんのお名前どおり絶唱という感じで「叫んで(Schreien)」おり(ただし,とても音楽的な叫び声でした),心にグサリと来る部分がありました。レチタティーヴォに加わってくる群衆の声を担当した合唱団も素晴らしいドラマを作っていました。

レチタティーヴォとアリアは大体セットになっており,ここでは室内楽編成の伴奏になります。オーボエの水谷さん,加納さん,フルートの上石さんなど管楽器のソロとアリアとが美しく絡むシーンが沢山出てきました。それと第1アンサンブルのコンサートマスターのアビゲール・ヤングさんと第2アンサンブルのコンサートマスターの松井さんの独奏が加わる部分も印象的でした。

独唱者はいずれも粒ぞろいのドイツの若手でした。シュライヤーさんのイメージどおりの瑞々しい声の歌手を揃えていた感じです。この中から将来,さらに有名になる歌手がきっと出てくることでしょう。

この辺については各曲編でもう一度触れたいと思います。

合唱曲やコラールは,第1,第2アンサンブルがフル編成で演奏します。冒頭,第1部最後,第2部最後といったクライマックスではこのフル編成になっており,曲の聞き応えを感じさせる構成となっていました。その他,いくつかのコラールが思い出したように入ってきます。ドラマティックな展開の気分を変えたり,レチタティーヴォで歌われた内容を感動的に盛り上げたり,多彩な表情を持っていました。その他,暴力的な群集の声であるとか,グサリと心に突き刺さるような部分が沢山ありました。

同じメロディのコラールが調性と表情を変えつつもライトモチーフのように登場するのですが,これも効果的でした。これらの合唱やコラールの入る部分では,編成が大きくなりますので,音もパッと広がり空気が変わるます。リズムに安定感のあるシンプルな曲ばかりなので,たっぷりとした気分で癒されます。この「癒し効果」は実演で曲を聞きとおしたと時にいちばん実感できると思いました。何よりも常に歌に感動が満ちていたのが素晴らしいところでした。

今回の演奏ではこういった要素が過不足なく演奏されていました。曲間のインターバルも短めで,次々とドラマが進んでいくのも素晴らしいと思いました。指揮者と福音史家を兼ねることで合唱団などは歌いにくい面はあったかもしれませんが,兼任していたから曲に勢いが出てきたと思いました。いずれにしてもマタイのオーソリティであるシュライヤーさんを全員が信頼していたからこそ実現した新鮮で感動的な演奏だったと思います。

■演奏について:各曲編
この日は無料配布の通常のプログラム以外に300円で対訳を販売していました。ステージに字幕がありましたので,ほとんど見ませんでしたが,記念に買ってきました。
演奏について書いているうちに,各曲についてももっと触れたくなったので,プログラムの演奏曲リストを見返しながら,演奏順に印象的な曲を振り返ってみることにします。

●第1部
冒頭のフル編成による合唱曲はかなり速いテンポで始まりました。上述のように通奏低音が充実していましたので,開始後しばらくしてバスが上向の音階を演奏する辺りも強調されていました。シュライヤーさんはかなり細かく指示を出しており,それにOEKの団員が敏感に応えていました。

合唱団も充実して引き締まった歌を聞かせてくれました。特に最後列にいた男声が充実していて,音がぐっと迫ってくるようでした(実は最初の合唱を聞いた辺りで早くも一瞬ウルっとしてしまいました。)。途中から加わるOEKエンジェルコーラスによるリピエーノ・ソプラノは,天から降ってくるような感じを期待したのですが,私の席からはちょっと音量が弱く感じました。もう少し上の階だとよく聞こえたのかもしれません。

レチタティーヴォとコラールの後,「ベタニアの塗油」の部分になります。メゾ・ソプラノのアリアを歌ったステファニー・イラニさんはとてもスマートな方でしたが,声も大変バランスの良いものでした。脂が乗っているのに引き締まっているという感じでした。このアリアでは「涙のしずく」をイメージさせるようにフルートがスタッカートで演奏するのですが,通奏低音のオルガンも歯切れ良い音を聞かせてくれて印象的でした。

ユダが裏切る場で歌われるソプラノのアリアも素晴らしいものでした。クリスティーナ・ランズハマーさんの声も充実感がありました。宗教曲に相応しい清々しい清潔感を感じさせながらも,どこか色気が感じられました。

「最後の晩餐」の場に出てくる「パンをとって食べよ」というイエスのレチタティーヴォはほとんどアリアのような感じでした。エグベルト・ユングハウスさんのイエスは,常にしみじみとした情感を感じさせてくれる素晴らしいものでした。立派なイエスというよりも人間的な苦しみをたたえたイエスという感じでした。続くアリアもソプラノでしたが,ここではオーボエ・ダモーレを含む快適なテンポ感が心地よく響きました。

オリブ山の場に出てくるコラールは,その後,5回も繰り返し出てくる,重要なものです。コラール自体はどれもバッハ作曲ではなく,当時の世俗的な曲らしいのですが,ドラマの間に挟み込まれると大変意味深く響きます。

ゲッセマネの場では,「寝てはならない」とイエスが静かに語った後,急速なレチタティーヴォに切り替わるコントラストが見事でした。ここではオーボエ・ダ・カッチャが加わり,切迫した雰囲気が出ていました。続くアリアを歌ったテノールのマルティン・ペツォルトさんの声も大変力がありました。声の艶や音量も十分で,表情も豊かでした。しかし,それでも節度を保っているのは,シュライヤーさんの統率力だと感じました。

最後に登場したバスのヨッヘン・クプファーさんのアリアも立派でした。この方もすらりとした方でしたが,歌の方も引き締まったものでした。本当に今回登場した独唱者の皆さんは粒ぞろいでした。そういう意味では強い個性が少ないとも言えるのですが,マタイのような曲の場合一人だけ突出するよりも同じレベルのような人を揃えることの方が重要だと思います。まだ有名な人はいませんがドイツ語圏の若手歌手でこれだけレベルの高い人を揃えたというのは,シュライヤーさんの力なのかなと実感しました。非常に完成度の高い独唱ばかりだったと思いました。

「イエスの逮捕」の場に出てくるソプラノとメゾ・ソプラノの二重唱のアリアなど素晴らしいものでした。両者ともヴィブラートが少なくすっきりとした声なのに心に迫ってくる力を持っていました。実力のある人が揃っていないと実現しない歌だと思いました。

続く群集の合唱は大変激しいものでした。途中で一度休符が入った後がさらに激しさを増していくのですが,ピタリと決まっており,素晴らしい緊張感がありました。

第1部最後のコラールは,第2部に向かうドラマを前にして比較的穏やかなものでした。

●第2部
第2部になると,舞台中央にヴィオラ・ダガンバの方が入っていました(エンジェル・コーラスの方はその代わり引っ込んでいました)。このヴィオラ・ダ・ガンバの活躍する曲が「カヤバの前のイエス」の場で出てきます。ちょっとぎこちない音の動きがかえって不思議な味を表していました。

続いて「イエスは死に値する」という暴力的な歌が続きます。この部分のアクセントの激しい歌と続くコラールの対比がここでも見事でした。

その後,シュライヤーさんの見せ場が出てきます。「ペテロの否認」の場です。ペテロが強い声で否定した後,通奏低音が鶏の声をイメージさせる音を出していたのは今回の通奏低音のアルブレヒトさんのアイデアなのかもしれません。その後,「外に出て泣いた」という部分を超高音のメリスマで歌います。さすがにこの音を出すのは苦しそうで,シュライヤーさんの年齢を少し感じさせましたが,それがまたはかない味となって感じられました。この部分は,お客さんを「泣かせよう」という感じではなく,比較的あっさりと歌っていました。イエスの死の部分までクライマックスを取っておこうとしていたのではないか,と思いました。

続くアルトのアリアも大変有名なものです。ここではアビゲイル・ヤングさんのヴァオリン・ソロが本当に素晴らしいものでした。この部分は,よく「すすり泣くようなヴァイオリン」と言われますが,そういう感じはなく,ヴィブラートの少ない軽く透明な音で純粋な情感を聞かせてくれました。アルトの落ち着いた独唱と一体となって,自然な悲しさを表現していました。

続くコラールがそれに追いうちをかけるような優しいものでした。前の曲で泣くのを抑えていた人も緊張感の解けたこの曲では泣いてしまったかもしれません。

「ユダの最後」の場のアリアでは,今度は第2アンサンブルのリーダーの松井直さんのヴァイオリン独奏が大活躍します。こちらの方はより技巧的で,どこかブランデンブルク協奏曲を思わせるような華やかさがありました。

その後,「ピラトの前のイエス」の場になります。ここではまず,群集が極悪人のバラバを許してしまう部分の合唱が強烈でした。「バーラ,バー」とゆっくりと力強く歌い,聞く人の心にぐさりと刺さりました。寝ていた人(?)もこの一声で目を覚ましたのではないかと思います。

この部分のアリアは例外的に通奏低音なしでフルートとオーボエ・ダ・カッチャの伴奏だけではかなく歌われます。上石さんのフルートの音が特に印象的でした。

続いて「十字架につけろ」という恐ろしい合唱が続きます。この部分の盛り上がりも素晴らしいものでした。その後の受難コラールはとても強く歌われており,心に迫るものでした。

いよいよゴルゴダの場になり,イエスにかわってシモンが十字架を背負う部分になります。ここでもヴィオラ・ダ・ガンバが登場し,はかなさを感じさせてくれます。ヴィオラ・ダ・ガンバは音量が小さい楽器ですので,この部分は室内楽的な雰囲気もありました。

その後の「ああゴルゴダよ」で始まるアルトのレチタティーヴォ〜アリアでは,オーボエ・ダ・カッチャのくすんだ響きが嵐の前の静けさのような気分を感じさせてくれました。アリアの部分では,合いの手に「どこに」という合唱も加わり,不思議な穏やかさを出していました。少しエキゾティックな感じもあり,ずっと浸っていたいと思いました。

「3時」の場は,全曲のクライマックスだったと思います。イエスが「エリ,エリ,ラマ,アブサダニ」と語るのですが,それを福音史家のシュライヤーさんがドイツ語でもう一度繰り返します。これが「シュライヤーさん自身の最後の歌」という感じで切実に響きました。今回の福音史家の歌はここにクライマックスがあったと感じました。「ペテロの否認」の部分では比較的さらりと歌っていましたが,この部分はたっぷりと最後の言葉を聞かせてくれました。「イエスの死」を人間の死と感じさせてくれる歌でした。その後の受難コラールも感動的でした。ここはア・カペラで歌われており,心に染みました。

イエスの死後,地震が起きる部分は非常に速いテンポで演奏されました。通奏低音の見せ場でした。その後「この人は本当に神の子だったのだ」と堂々と歌われます。これもまた感動的でした。合唱についてはこの部分にクライマックスがあったと感じました。

以降はクールダウンするように安らかな気分の曲が続きます。そして,最後の合唱曲になります。この曲は最初比較的速いテンポで堂々と歌われた音,後半は静かな気分になります。「イエスの死」の悲しみと後悔をぐさりと突きつけてくれるとともに,その死の重さを聞き手すべてが引き受けないといけない,というメッセージを残してくれるような重みのある歌でした。

■演奏後
全曲が終わった後,私自身はすぐに拍手をする気にならないぐらいでした。次第に拍手が大きくなり,それが延々と続きました。当然シュライヤーさんに対する拍手は大きかったのですが,聞いていた人は恐らく「すべてが良かった」と感じたのではないかと思います。

とりわけ合唱団に対する拍手が大きいものでした。OEK団員が引っ込んだ後も合唱団のために拍手が続いていました。最後に向かうにつれて感動に溢れた合唱を聞かせてくれたOEK合唱団の歌は,会場で聞いていた私たち聴衆の感情を反映したのかもしれません。そういう意味では,演奏者と聴衆が合わさって3時間を越える演奏会を完成させた,と実感できた演奏会でした。

さすがに3時間以上もバッハを聞いていると,なかなか頭の中から曲が離れません。時々,マタイの終曲のイントロが頭の中に鳴り響きます。この日は夜10時ぐらいまでかかる大変長い演奏会になりましたが,それだけの深さを残してくれました。聞いた人にとっては大きな財産となったのではないかと思います。素晴らしい演奏会でした。

PS.この日のプレトークは合唱指揮の佐々木正利さんでした。1月上旬に聞いた話のダイジェスト版という感じでしたが,「シュライヤーさんは一体どの位置で歌うでしょう?」などと演奏に対する期待を盛り上げてくれるものでした。今回の合唱の指導は大変だったと思いますが,今後もまた佐々木さんの合唱指揮でバッハの声楽付の大曲を聴いてみたいものです。2005/02/05)


Review by tatsuyatさん  

随分ご無沙汰しております。私もシュライヤー指揮OEKのマタイを聴きました。

私の生のマタイ体験はこれで3回目で、以前シュライヤー/聖トーマス教会/ゲヴァントハウスoの演奏も聴いたことがあったのですが、今回も素晴らしい演奏で、キリスト教の信仰とは無縁な私でも、素直に「マタイ受難曲」の世界へ、そしてバッハの音楽の世界へと没入できました。「憐れみたまえ」のヴァイオリン・ソロも、「愛ゆえに救い主は死なんとす」のフルート・ソロも、ひたひたと心に沁みました。

シュライヤーの指揮は、やはり以前と同じように昨今の古楽演奏を意識してか、速いテンポでしたが、歌詞の意味を大事にして、ここぞという所で思いを込めたドラマのある演奏でしたね。さすがに声は衰えたかもしれませんが、充分に感動的な歌唱で、特にエヴァンゲリストがイエスの最後の言葉を翻訳する部分は、胸を抉るような訴え掛けがありました。ソリストも若手がいたようでしたがレヴェルが高く、合唱団も頑張っていました。こんな素晴らしい演奏でマタイ初体験をできた人は幸せです。

金沢はキリスト教に限らず、昔から信心深い土地柄と聞きます。
今回の演奏会も盛況だったようで、これが今後、OEKによる「ロ短調ミサ」や「クリスマス・オラトリオ」へとシリーズ化されることを望みます。
(2005/02/05)


Review by CKOさん  

マタイ 効いて来ました(誤字ではなく)

まず なんといっても シュライヤーさんですね
協奏曲でいえば弾き振りですが、歌い振りが貫禄十分でこの人でなければできないような気がしました。

合唱 ほんとよかったです。最初のコラールで涙でそうになりました。
ベートーベンが第9交響曲で悟ったように 人の声は偉大です。
偉大な声を作り上げ、難曲を歌いきった合唱団のかたがたに脱帽です。

OEKではとくに、アルトのアリアでのヤングさんのバイオリンに改めて
感銘しました。なんていうか宝ですね、金沢の。

ソリストの皆さんの中では、特にアルトの方とバスの方が印象に残りました。

みなさん おっしゃるようにこの曲は 宗教曲であることを超えていると思いました。

人類の生み出した最も価値あるもののひとつを金沢で体験できたことを
不思議でもあり、すばらしいことだと思います。

最後に合唱団のかたがたが退出し終わるまで拍手が続いていたことを記しておきます。(2005/02/05)

Review by 片町の酔っ払いさん  
本当に素晴らしかった。
私も合唱団の方が退出し終わるまで、拍手していました。
その内容については皆さんの投稿のとおりですので、私の席から
気のついたことを投稿します。
2名の女性ソリストの方は、OEK合唱団のコラールや合唱の場面で
椅子に座っておられるときでも、いっしょに歌っておられました。
特に54曲や最後の68曲は真剣に歌っておられたようです。
クリスチャンなんだなあ、と思いました。
終わった直後、シュライヤーさんとステファニー・イラニさんは
少し涙ぐんでおられたようです。
それほどすばらしい公演だったということでしょう。
私も何度か涙する場面がありました。
このようなすばらしい公演、もう聴けないでしょうね。
でも、もう一度聴きたいというのが率直な感想です。(2005/02/05)


Review by 高橋・がちゃぴん・直樹さん  

 土曜の夜出発した夜行バスのなかで、コンサートの余韻に浸りながら仙台に帰って参りました。
 金曜の日中と土曜日は思いっきり時間がありましたので、県立美術館、21世紀美術館、ライトアップ兼六園、甘海老祭り・・・等々金沢を堪能しちゃいました。
 能楽堂がオフだったのがとても残念。
 このような文化の集積があってこそのOEKなのだ、と改めて感じた次第です。
 
 さて、かなり高いレヴェルの予想を更に上回るマタイに感動しまくりでありました。
 我が仙フィルの本拠地からするとジェラシーを感じる程のステージの広さで、余裕を持った配置が出来た事が先ず羨ましいですね〜。
 シュライヤーを要にした2つのオーケストラと合唱団は、視覚的に十字架をイメージさせた、と睨みました。(盛岡勢はT、Uとも入ったようです)
 第1曲はオーセンティックを意識した、アクセント、アーティキュレーション、フレージングと軽味。(全曲に一貫したコンセプトとは行かなかったようですが)
 東独時代のライプティヒやドレスデンとはまったく別物ですね。
 ガット弦を使っていた方もいたかも知れませんが、私が確認した範囲ではスティール弦で現行ピッチ。
 コーラスの皆さんが持っていた楽譜の色からするとベーレンライター版のように見えましたがどうでしょうか。
 
 シュライヤーさんは序盤こそ特に低いポジションでの荒さが覗きましたが、スピントのかかる第2部に向け、うなぎのぼりに好調に。
 本当に歌い手引退が勿体無い。
 
 それにしても、エヴァンゲリストを演じながらのシュライヤーさんの合図(指揮)に対するオーケストラの反応の素晴らしい事。
 プログラムを持ち帰れなかったのでお名前がわかりませんが、ポシティフ・オルガンのお二人の(特に第1オケの)功績が大きいのでは。(シュライヤーさんと来日した?)
 音楽的にも、また大きな身振りでオーケストラをリードしました。
 この日のリーダーはこの方で、シュライヤーさんの第2指揮者と言ってよかったでしょう。
 また、通奏低音でのチェロのエモーショナルな訴えかけは感動、でありました。(お二人とも)
 アリアで伴奏されたソリストの皆さんは勿論、イエスのナンバーでの円冠のように包み込むストリングスの押さえた感動も見事でした。
 
 ソリストはこのように粒ぞろいというのは得がたいことです。
 男性低音のお二人はどちらがイエスでも・・・という美声!クプファーさんは既に名のある方ですね。
 中でも、メゾのイラニさんの全身で訴えかける演唱は深く心に残りました。
 
 しかし、なんと言ってもこの日の感動の根源は合唱でしょう。
 ペテロの否認や、群集が犠牲にバラバではなくイエスを選択する場面等々、内包するドラマは勿論の事、様々に歌詞、和声を変え顕われる受難コラールでのそれぞれのニュアンス、グラデュエーションの絶妙の表出。
 その積み重ねこそが感動に繋がった事でありましょう。
 合唱指導の佐々木先生のお力でしょうか。
 今一つ残念だったのは児童合唱。うまい、きれいを乗り越えた訴えかけがあれば・・・2年生、3年生でそれを望むのは・・・
 今後のご発展をお祈りします。
 
 この日のマタイは金沢初演ということですが、日本のマタイ演奏史に残る一つと確信します。
 また金沢に御伺いさせていただくのを愉しみにしますね〜。
 では、では。(2005/02/06)