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チューリヒ・トーンハレ管弦楽団金沢公演
2006/06/04 石川県立音楽堂コンサートホール
1)シューマン/チェロ協奏曲イ短調op.129
2)(アンコール)アタマン・サイグン/曲名不明(チェロ独奏)
3)マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」
●演奏
ヨーヨー・マ(チェロ*1,2)
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(1,3)

Review by 管理人hs
音楽堂内に掲示してあったポスターです。
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の金沢公演に出かけてきました。今回の公演には,前半,チェロのヨーヨー・マさんが登場したこともあり,会場は超満員でオルガン・ステージにまで補助席が出ていましたが,私自身は,どちらかと言うと後半のマーラーの交響曲第1番「巨人」の方を目当てに出かけてきました。

最近聞いたマーラーの生演奏では,3月に行われたチョン・ミョンフン指揮ロンドン交響楽団による交響曲第5番の演奏が何と言っても印象的でしたが,今回のジンマン指揮の「巨人」も,全く違うアプローチながら,それに劣らない強烈な印象を残してくれました。

ジンマンさんの解釈は,恐らく,楽譜に非常に忠実なものだったのではないかと思います。スコアを見ながら聞いたわけではないので憶測で言っているのですが,ArteNovaレーベルから次々と発売されている楽譜の版にこだわったレコーディングから類推して,マーラー演奏についても同様のアプローチを取っていると考えられます。第1楽章呈示部の繰り返し,ホルンのベル・アップなどもきちんと行っていましたが,何よりも演奏全体に漂う,落ち着きのある克明さは,「これが本物だ」というような客観性を感じさせてくれるものでした。

このオーケストラの音の持つクリアな響きも素晴らしいと思いました。全曲を通じて,どの部分も音が整理されおり,大変見通しの良い感じの演奏となっていました。バーンスタインの解釈に代表されるような「ドロドロとしたマーラー」も説得力はありますが,「青春の歌」と言っても良い「巨人」の場合,この日のような清潔感とキビキビとした運動性のある演奏も相応しいと思いました。カッチリと音が揃い,ギュッと引き締まった演奏を聞かせてくれる辺り,このオーケストラは,やはりドイツ系の古典的な音楽が得意なのだなと感じました。

第1楽章序奏の弱音で演奏される部分から,各楽器の音が鮮やかに浮き上がって聞こえてきました。特にカッコウの声のような合いの手を入れるクラリネットの音の鋭さが印象的でした。その後,軽快に入ってくるチェロによる第1主題にも透明感がありました。なお,序奏部では舞台裏でファンファーレを吹いていたトランペット奏者3人組がこの第1主題の時に,お揃いで入ってきました(ステージ上では,もう1人,トップのトランペット奏者がすでに孤軍奮闘していましたが)。

楽章後半では,ずらりと並んだホルンのユニゾンが惚れ惚れとするような勇壮な響きを聞かせてくれました。ここまでは比較的落ち着いたペースで進んでいたのですが,この後はペースが上がり,非常に精彩のある終結部へと繋がりました。パッと馬の手綱を緩めて,解放感を感じさせるジンマンさんの指揮ぶりも見事でした。

第2楽章もまた,非常にキビキビとした気持ちの良い演奏でした。このコンビが得意としている古典派の交響曲のスケルツォを思わせるような清潔感の漂う演奏でした。トリオのワルツとも鮮やかな対比が付けられていました。なお,この楽章では,ホルンはしっかりとベルアップして演奏していました。

第3楽章は,かなりエキセントリックな雰囲気のある楽章です。今回の演奏は,そのことをそれほど強調していませんでしたが,いろいろと面白い部分のある演奏となっていました。実演で「見て」「聞いて」楽しめる楽章だと感じました。

冒頭のコントラバスは,それほど粘らずにフレーズの最後を短く切るように演奏していました。何とも言えない朴訥さが出ていました。それに続く,いくつかのソロ楽器も全体的にさらりと演奏しており,それほど無気味さはありませんでした。チューバのソロでは,一回り小さいユーフォニウムのような楽器で演奏していました。しばらくして出てくるオーボエの対旋律の方は,とてもキレの良い鋭いを聞かせてくれました。その他の木管楽器の音も大変鮮やかでした。それでいてギラギラした感じにならないのは,このオーケストラの美点だと思います。

その後,大太鼓とシンバルが突然入ってくるのですが,ここでは1人の打楽器奏者が両方の楽器を一緒に演奏していました。つまり,チンドン屋(?)のような感じで右手で大太鼓(ちょっと小型でしたが),左手でシンバルを演奏していました。大太鼓の上にシンバルを固定してあったのですが,この楽章専用の楽器なのでしょうか。CDで聞いていると2人で演奏しているように聞こえる部分ですが,このチンドン屋風のちょっと慌てたようなチープさは曲想にとてもよく合っていると思いました。

対象的に中間部のテンポでは,じっくりとテンポを落として演奏していた弦楽器群の艶っぽい響きが印象的でした。

第4楽章は,シンバルの強烈な一撃で始まりました。その後,大太鼓重低音やら2台のティンパニの共演やら,実演ならではの迫力のある部分が続きます。第3楽章の最後は,シンバルの静かなデリケートな響きで終わるのですが,第4楽章冒頭では,ほとんどインターバルを置かず,それとはまた別に吊り下げてあるシンバルをひっぱたいて始まります。この2つの動作を連続して行うのは,神経を使うのではないかと思いました。その他にも,両手を合わせて音を出す通常のシンバルも使っていましたので,今回のシンバル奏者は,こだわりを持ってあれこれ楽器を使い分けていたようです。

主部は落ち着きのあるテンポで堂々と演奏されました。第2主題は,マーラー特有の抒情性たっぷりの部分ですが,ジンマンさんの指揮は,情緒に溺れすぎることはなく,哲学的な気分を感じさせてくれました。底知れぬ深みがありました。

楽章の後半は,各楽器のクリアで引き締まった音の饗宴となり,大変聞き栄えがしました(この曲のこの楽章以上に聞き栄えのする曲というのも少ないと思います)。何と言っても金管楽器群の活躍が目立つ部分ですが,弦楽器や木管楽器の輝きに満ちた音色もそれに負けない迫力がありました。クリアに吠えるヴィオラ,木管楽器群が一体になったときの輝くような音色など,各楽器がそれぞれに力強い主張を行っており,エネルギーに満ちたクライマックスを築いていました。

とはいうものの,楽章の最後で目立っていたのは,やはり何と言ってもホルンでした。楽譜に書いてあるとおり,クライマックスの聞かせどころでは,「ホルン,全員起立!」という感じで8人の奏者が立ち上がり,勝利の凱歌を聞かせてくれました。奏者の立場からすると,この部分で立ち上がるのは,相当気恥ずかしい気分があるかもしれませんが,視覚的な効果は満点です。金沢でマーラーの「巨人」が演奏されること自体珍しいことなので,「滅多に見られない光景を見られたものだ」と得した気分になりました。

最後は,その高揚感と輝きを維持したまま,ビシっと締めてくれました。この曲は相当大きな編成なのですが,ジンマンさんの指揮のチューリヒ・トーンハレの演奏には,弛緩したような部分が全然ありませんでした。このコンビは,ベートーヴェンの交響曲全集などをはじめ,CD録音の面で快進撃を続けていますが,その好調さを裏付けるような見事な演奏だったと思います。

前半のヨーヨー・マさんとの共演も素晴らしい演奏でした。演奏された曲は,数年前,OEKと共演した時と同じシューマンの協奏曲だったのが少々残念でしたが(せっかくの機会なので,できれば別の曲も聞いてみたかったと思いました),相変わらず音楽が自然にあふれ出てくるような自在な演奏を聞かせてくれました。

この曲の編成は,マーラーの時よりはかなり小さく,コントラバスは4人でした。そのせいもあって,冒頭からすっきりとした爽やかな音楽が流れてきました(ちなみに,この日のオーケストラの配置は前半後半ともに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向き合う対向配置でした。下手から第1ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロ,第2ヴァイオリン。その後ろにコントラバスという並びでした)。これはこのコンビの音の作り出す特色でもあると思います。その上にヨーヨー・マさんのくっきりとした音楽が乗ってきます。シューマンのチェロ協奏曲については,「渋い曲」というイメージがありますが,今回の演奏は,もっと瑞々しい気分を感じさせてくれる演奏になっていました。

ヨーヨー・マさんは,前回のOEKとの共演の時同様,演奏中,オーケストラの各奏者とアイ・コンタクトを取りながら楽しげに演奏していました。天衣無縫に演奏しているようでいながら,仲間と室内楽を演奏するようなまとまりの良さを感じさせてくれる演奏でした。

第2楽章になると,この仲間意識がさらに前面に出てきました。この楽章の前半は,オーケストラの首席チェロ奏者とのしみじみとした二重奏になるのですが,ヨーヨー・マさんは,ほとんどずっとこの奏者の方を向きながら演奏していました。ステージ上には何とも言えない幸福感に満ちた空気がありました(演奏後,このお二人は何度も何度も抱き合って,健闘を称えあっていました)。

楽章の後半は,かなり情熱的な気分がありました。地味な曲の中から起伏のあるドラマを引き出す力は素晴らしいと思いました。

第3楽章はテンポが速くなります。ここではヨーヨー・マさんの,キレの良い技巧を楽しませてくれました。ヨーヨー・マさんのチェロ演奏には,楽器が体の一部になってしまっているような滑らかな洗練味が常にあります。その体全体を使っての演奏は,すっきりとしていながら,ダイナミックで,大変聞き応えがありました。

この日はマーラーの交響曲がメインということで,後半,アンコールは演奏されませんでしたが,前半はヨーヨー・マさんのチェロ独奏で非常に味わい深い小品が演奏されました。アタマン・サイグンという20世紀前半のトルコの作曲家による作品ということで,西洋音楽とは全く次元の違う響きに,最初は戸惑いましたが,だんだんと「これはシルクロードのイメージだな」と親しみが沸いてきました。正確な曲名は分からないのですが,ヨーヨー・マさんならではの選曲だったと思います。優しさとエキゾティズムを併せ持ったとても印象的な作品でした。

というわけで,この日は,大勢のお客さんの熱気に包まれて,チューリヒ・トーンハレ管弦楽団とヨーヨー・マさんの演奏を楽しむことができました。特にこのオーケストラについては,私自身,名前を聞いたことがあるだけで,CDでもほとんど聞いたことがなかったのですが,ジンマンさんの下で実力を伸ばしているオーケストラだということを実感できました。まさに”旬”の組み合わせでした。(2006/06/05)