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ベーゼンドルファーを弾くVol.6 レクチャーコンサート「ピアノの歴史探訪の旅」
第1楽章ピアノ誕生:最初のピアノはどんな形?
2006/07/01 金沢21世紀美術館シアター21
1)ブル/イン・ノミネ(In Nomine(Musica Britanica no.12)
2)バッハ,J.S./2声のインヴェンション第1番,第4番
3)バッハ,C.P.E./ロンドハ短調,Wq.59-4
4)バッハ,C.P.E./ソナタホ短調,Wq.59-1
5)バッハ,C.P.E./ジルバーマンクラヴィーアへの別れ
6)スカルラッティ,D./ソナタニ短調K.9
7)バッハ,J.S./フランス風序曲ロ短調BWV.831(抜粋)
8)(アンコール)モーツァルト/メヌエットト長調,K.1(5種類の楽器による聞き比べ)
●演奏
岩渕恵美子(チェンバロ*1,4,7-8;クラヴィコード*2,5,8;初期フォルテピアノ*3,6,8;ヴァージナル*8;ピアノ*8)
梅岡俊彦(調律,お話))
Review by 管理人hs
この1週間はすでに2回,演奏会に出かけていたのですが,金沢21世紀美術館でも面白そうな企画のレクチャーコンサートが行われるということで出かけてきました。この美術館では所蔵しているベーゼンドルファーを使って「ベーゼンドルファーを弾く」というピアノ演奏会シリーズを行っています。今回は「ピアノの歴史探訪の旅」と題した4回シリーズの中の第1回目でした。このシリーズでは,いろいろな時代のピアノ音楽を4回シリーズで聞いていくことになります。

今回は,チェンバロ奏者の岩渕恵美子さんを招いて,梅岡俊彦さんの解説を交えながら,ピアノの前身の楽器の聞き比べを行いました。このシアター21というホールは残響は少ないのですが,内装が真っ黒ということもあり,演奏に非常に集中できます。今回のような音の小さな楽器の生の音を耳を澄まして聞くには最適の場所といえます。楽器の配列は次のようになっていました。

5.ピアノ
 4.初期フォルテ・ピアノ  2.チェンバロ
  3.ヴァージナル       1.クラヴィコード

正確な楽器の進化は分かりませんが,1・2・3→4→5という感じで登場して来たのではないかと思います。こういった楽器を一同に見ることができる機会はめったにありません。特にこの中では,近年の研究を基に復刻された初期フォルテピアノがいちばんの目玉でした。会場入口に貼ってあった新聞記事によると,久保田彰さんが復刻されたもので,日本に3台しかないとのことです(その他は,浜松の博物館と関西にあるそうです)。

この5種類の楽器を弾き分けてのレクチャーコンサートということでしたが,中心は1.クラヴィコード,2.チェンバロ,4.初期フォルテピアノの比較でした。

まず,チェンバロ独奏でブルという作曲家の曲が演奏されました。400年ほどに作られた作品で,これ見よがしのドラマ性とは全く別の次元の落ち着きのある響きを楽しむことができました。今回使われたチェンバロは,18世紀フレンチタイプチェンバロでした。胴体が黒,蓋の内側が赤,その上に金色の中国風の装飾が施されており,輪島塗を思わせるようなデザインでした。

続いてクラヴィコードが演奏されました。この辺の楽器の区別についてはほとんど知識を持っていなかったのですが,チェンバロとクラヴィコードは”全く別物”ということが実感できました。このクラヴィコードの音量ですが,本当に小さなものでした。チェンバロの音量でさえ,通常のコンサートホールで聞くとかなり小さいのですが,クラヴィコードについては「ほとんど奏者自身が聞くため」というレベルの音量になります。

このクラヴィコードの”かそけき音”にじっと耳を澄まして聞くバッハのインヴェンションというのにも趣きがありました。梅岡さんのお話によると,このインヴェンション自体,クラヴィコードのために作られたという説もあるということなので,まさにオーセンティックな響きと言えます。

このクラヴィコードとチェンバロのいちばん大きな違いは,タッチによって音量に変化を付けることができる点です(ヴィブラートも掛けられるそうです)。チェンバロは大正琴同様,弦を弾いて音を出す楽器ですが,クラヴィコードは弦を叩いて音を出します。ただし,ピアノのような強靭なハンマーなどが付いているはずはなく,本当に繊細な割り箸の先端のようなもので弦を叩く構造になっています。

「クラヴィコードは音量に変化を付けられるんですよ」と梅岡さんが言った後,実際にその変化を聞かせて頂いたのですが,かそけき音がさらに小さくなったのには驚きました。クラヴィコードはピアノの前身の楽器と言えますが,「ピアノの前身は,”ピアニシモ”だったんだ」と実感した次第です。

もう一つ,ヴァージナルと呼ばれる楽器の音も聞かせてもらいました。こちらは,チェンバロよりも同じタイプの楽器ですが,もっと弦楽器的で素朴な響きがしました。大きさはクラヴィコードよりは一回り大きかったのですが,形態できるぐらいの大きさでした(今回のクラヴィコードは,モーツァルトが旅行の時に使ったのと同じぐらいの大きさで,実際はもっと大きいものも使われていたそうです)。

その後,チェンバロ,クラヴィコード,初期クラヴィコードの演奏をカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの作品で比較しました。C.P.E.バッハは,1714年生まれ,1788年に没したで大バッハの息子です。ハイドンよりもう少し上の世代の作曲家ということになります。

後半はまず,スカルラッティのソナタが初期フォルテ・ピアノで演奏されました。スカルラッティの曲については,ピアノで演奏されることもあれば,チェンバロで演奏されることもあります。今回演奏されたニ短調K.9の曲は,憂いを含んだ曲ですので,あまり威圧的に響かないフォルテ・ピアノの響きはぴったりでした。

最後は,岩渕さんの専門であるチェンバロ独奏で,バッハのフランス風序曲の抜粋が演奏されました。この曲は,「序曲」という名前が付けられていますが,「管弦楽組曲」同様,実際は組曲です。その中から5曲ほどが演奏されました。こうやって比較してみると,チェンバロの音がいちばん大きな音に聞こえました。これまでチェンバロという楽器については,「ピアノの前段階の楽器」という印象を持っていたのですが,チェンバロ自体,完成された楽器であることを再認識しました。

アンコールでは,モーツァルトの初期の作品を5つの楽器で聞き比べました。今回のプログラムの構成は,同様の聞き比べを何回も繰り返しているような感じで,少々冗長なところもありましたが,この5つの楽器による比較というのは非常に楽しめました。クラヴィコードから順に聞いていったのですが,やはりチェンバロとピアノが楽器としての到達点であると感じました。

演奏会の後には楽器の鍵盤を自由に触らせてもらえるというサービスもありました。私自身も触ってみたのですが(生まれて初めての経験です),本当に軽いキーでした。鉄で出来たフレーム,象牙で出来たキー,頑丈なピアノ線...というピアノとはやはり次元が違うと実感できました。モーツァルトやバッハが作曲する時に使ったこれらの楽器の音を聞きながら,もしかしたら現代人の耳は大きく強い音に毒されているのではないかと感じたりもしました。8月に行われるシリーズ第2回では,現代ピアノとフォルテピアノとの比較が中心になるようですが,こちらも面白そうです。今後の展開に期待したいと思います。

PS.このシリーズは,石川県立音楽堂で行われている「ピアノの翼コンサート」と似た切り口ではありますが,こちらの方がよりアカデミックな感じです。共通するのは,どちらも価格が1000円程度だという点です。現在,行われている「ゲント美術館展」のチケットがあれば,さらに割引になります。展覧会と併せて楽しむにも丁度良いイベントです。(2006/07/02)

演奏会のポスターです。相変わらずセンスの良いポスターです(美術館主催なので当然ですが)。
21世紀美術館の外観です。
休憩中に楽器の近くまで寄って,梅岡さんから説明を受けているところです。
こちらは終演後です。初期フォルテピアノの復刻版の間近まで寄って触ることができました。現在のピアノと白鍵と黒鍵が逆です。
クラヴィコードです。折りたためば持ち運べそうな大きさでした。これぐらいの大きさならば,個人的に1台欲しいですね。
チェンバロの蓋を閉めた写真です。こうやってみるとまさに漆器のようです。