ベーゼンドルファーを弾くVol.6 レクチャーコンサート「ピアノの歴史探訪の旅」
第4楽章「究極のピアノ“クラヴィコード”:クラヴィコードで聴くバッハ」
2006/09/01 金沢21世紀美術館シアター21 |
バッハ.J.S./平均律クラヴィーア曲集第2巻,BWV.870〜893
●演奏
大井浩明(クラヴィコード),梅岡俊彦(調律,お話) )
金沢21世紀美術館でシリーズで行われてきたレクチャーコンサート「ピアノの歴史探訪の旅」も最終回となりました。今回は「究極のピアノ“クラヴィコード”:クラヴィコードで聴くバッハ」と題し,クラヴィコードでバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の全曲を演奏しようというチャレンジングな内容となりました。演奏はクセナキスなどの現代曲のピアノ演奏でも知られている大井浩明さんでした。
そもそも,この曲集の全曲が生で演奏される機会自体多くありません。平均律の第2集となるとさらに機会が減り,それをバッハが愛した楽器クラヴィコードで聞くとなると,さらにさらに珍しいことになります。この楽器の音量については,シリーズ第1回で実感済でしたので,その"かそけき音"に2時間以上耐えられるだろうか?という不安はありましたが,好奇心の方が勝り,出かけることにしました。
楽器の音量の方は「さすが”究極のピアノ=ピアニッシモ”」ということで,予想どおり本当に小さな音だったのですが,予想に反して退屈することは全くありませんでした。曲が進むにつれてその音量に慣れ,会場のお客さんの集中力も後半に行くほど高まっていくような気がしました。
一言でいうと静かさが段々と快感になってきました。演奏前に解説の梅岡さんが「だんだんと耳が慣れてきて耳の感度がよくなりますよ」と最初に語られていましたが,その通りでした。実際に耳が良くなったわけではないのですが,静かな雰囲気に耐えることができるようになり,その範囲内での微妙な変化を味わうことが面白さになってきました。最近の冥王星騒動と関連付けて言うと,真空状態の宇宙空間でバッハを聞いたらこういう感じかなと思わせるような原始的で神秘的な雰囲気もありました。
クラヴィコードという楽器ですが,解説の梅岡さんの話によると(この日はクラヴィコードとの音量の差がつかないようにマイクなしで話されていました。また,客席の方もクラヴィコードを取り囲むような配置になっていました),バッハがもっとも愛した楽器とのとこです。チェンバロとは違い,弦を叩いて音を出すのですが,その叩き方はピアノのメカニカルな力強さとは比較にならないほど繊細なものです。それでもタッチによって音量を変えることができますので,家庭内で演奏するような場合に最もそのよさを味わうことができます。演奏している人自体がいちばん楽しめるのがこの楽器です。
今回の会場のシアター21は,残響は少ないものの,密閉された箱のような小さな空間ですので,クラヴィコードの音を味わうには丁度良い場所でした。真っ黒な内装ですので,演奏に集中することができました。静かな曲が延々と続く曲の場合,聴衆にとっても演奏者にとっても,この集中力を維持できるかどうかがいちばん重要なことになります。この会場には無駄なものがなく,しかも美術館という洗練された雰囲気を持った場所ですので,クラヴィコードを聞くことだけを純粋に楽しむことができました。今回の演奏が,”拷問”ではなく,”充実した静かな時間”となったのは,まずこの会場のお陰ということもあると思います。聴衆のマナーもとても良かったと思います(お客さんの方も「覚悟を決めた」方ばかりだったということもあると思います。ピアニストの金澤攝さんも聞きに来ていらっしゃいました。)。
24曲全曲を後から振り返ってみると,確かに同じような曲ばかりが続いていた印象があるのですが,1曲1曲に浸っているその時々には,前の曲との違いがはっきり感じられました。この「多様性と統一感」が静かさの中に漂っている雰囲気も,宇宙空間に漂う24個の惑星といった感じでした。
演奏された大井さんはピアニストとしてよく知られていますが,クラヴィコードも演奏される方だとは知りませんでした。この曲集については,私自身,第1曲の冒頭の部分ぐらいしかきちんと覚えていないのですが,この日の演奏はとても自由な気分を持った演奏でした。我が家にあったヘルムード・ヴァルヒャの太古のCDのガッチリとした雰囲気と比べると,テンポも速く,コンパクトな感じでした。
チェンバロだともう少し金属的でちょっと神経質な感じの音になるのですが,この日の大井さんのクラヴィコードの音は,最初はその音の小ささに戸惑ったものの,次第に耳にしっくりと馴染んできて,飽きることがありませんでした。まさにパーソナルという感じの音でした。4曲単位で短いインターバルを入れ,大井さんが「次はニ長調,ニ短調...」と説明した後,演奏を続けていましたが,「一体今私はどこに?」という自体にならなかったので,ありがたい配慮でした。
上述のとおり,各曲の違いというのは,音量の小ささもあり,それほど鮮明に出ないのですが,それでも調性によって気分が変わることが実感できました。「ニ長調は輝かしい,ト長調は軽やか...」という具合に,一般的に♯,♭の少ない調性ほど,性格が単純で,聞いていてほっとする所があると思いました。
この演奏会では,クラヴィコードの音を2時間以上聞き続けることで,静けさの魅力を堪能できました。バッハのクラヴィーア曲の世界というのは,騒音の溢れる現代社会では,なかなかじっくりと味わうことができません。現代人は騒音に毒されていると言えます。今回の企画は,そういう意味で得がたい経験をすることのできた演奏会でした。これからも,時にはこの静かな世界に立ち戻ってみたいと感じました。
PS.4回シリーズ中,8月30日に行われた第3回目以外は全部参加できました(この日は金沢蓄音器館でモーツァルトを聞いていました)。展覧会のチケットを見せて美術館内で買うと入場料が900円になったのですが,この価格設定も良かったと思いました。
PS.この日は演奏時間の関係で午後6時開始でした。そのためもあり,夕食抜きで聞くことになりました。今回は,上述のとおり,お腹の音が鳴ると近くの人に聞こえてしまうぐらいの静かさだったので,どうなるか不安だったのですが...何と隣の人(多分)のお腹の音が聞こえてきました。この日の演奏会は,あらゆる面で”禁欲的”な演奏会となったようです。
PS.この日もう一つ面白かったのは,プログラムに載っていた,大井さんの執筆による「平均律と吉本漫才」についての文章でした。作曲家の吉松隆さんの書く文章と似たところがありますねが,堅苦しいフーガを楽しむためのツボが軽いタッチでまとめられていました。今度は,この文体のような語り口でのトーク入りコンサートなどに期待したいと思います。
プログラムに書いてあった大井さんの以下のブログ(8月20日)にも同じ内容が掲載されていましたので,ご覧になって下さい。http://ooipiano.exblog.jp/
ちなみに大井さんのページから調律師の梅岡さんのブログへのリンクも張られていました。こちらの9月2日のページにこの日の様子が写真入りで紹介されていました。http://umeokagakki.cocolog-nifty.com/blog/
(2006/09/02)
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この日のポスターです。

今回も休憩時間と終演後は楽器を間近で見ることができました。

間近で見るクラヴィコードの鍵盤です。弾きこなすのは大変とのことです。大井さんお疲れ様でした。 |
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