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ルドヴィート・カンタ・チェロ・リサイタル
2007/02/15 石川県立音楽堂コンサートホール
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第1番ヘ長調,op.5-1
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第2番ト短調,op.5-2
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第3番イ長調,op.69
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第4番ハ長調,op.102-1
ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第5番ニ長調,op.102-2
(アンコール)Jezek/Dark Blue World
ルドヴィート・カンタ(チェロ),ノルベルト・ヘラー(ピアノ)
Review by 管理人hs  
↑この日の公演のポスター

↑音楽堂の入り口には雛人形ともう一つ女の子の人形が飾られていました。

オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の首席チェロ奏者のルドヴィート・カンタさんは,毎年1回ぐらいのペースでリサイタルを行っていますが,その回数も11回となりました。今回は,石川県立音楽堂コンサートホールで,一晩でベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲を演奏するという意欲的なプログラムでした。ピアノは,カンタさんと頻繁に共演されている,チェコのピアニスト,ノルベルト・ヘラーさんでした。

「ベートーヴェンを一晩で...」というのは,どこかで聞いたことのあるフレーズですが,石川県内でこのような形でベートーヴェンの曲をまとめてきく機会など滅多にないことですので,連日の演奏会となりましたが,出かけてきました。石川県立音楽堂の方でコンサートホールでリサイタルが行われるのは比較的珍しいことですが,のびのびとした響きが広い空間に広がり,大変気持ちよく感じました(今回,2,3階席は使っていなかったようでした)。

このお二人は大変親しいようで,過去何回も共演されていますが,今回の全曲演奏にも,高い技術と自信を持った職人二人による味わい深いベートーヴェンの世界といった趣きがありました。曲は,1−2−休憩−3−4−5と番号順に演奏されました。各曲ごとに拍手は入ったものの,途中の休憩以外では袖に引っ込むことはなく,一気に5曲を聞かせてくれました。演奏会は6時から始まったのですが,終演時間はアンコールと休憩時間を含めても8時15分頃でしたので,全体の演奏時間は2時間に満たないぐらいでした。「全曲演奏」というと,「聞くのは疲れるかな」という印象を持っていたのですが,通常の演奏会+α1曲ぐらいの感覚で疲労感なく聞くことができました。

こういう全曲一気に聞かせるようなプログラムの場合,各曲ごとの構造と同時に,曲の間にもつながりを感じることができます。このベートーヴェンのチェロ・ソナタの場合は,まさにベートーヴェンの作曲家人生の縮図を見るようなシンメトリカルな構成となっています。

プログラムにも表が付いていましたが,次のように区分できます。
  • 1番・2番・・・1796年(26歳)−初期
  • 3番・・・・・・1808年(38歳)−中期
  • 4番・5番・・・1815年(45歳)−後期

このような傾向は,ピアノ・ソナタ,弦楽四重奏曲,交響曲についても言えますが,チェロ・ソナタの場合,5曲ということで,いちばんコンパクトに全体像を知ることができるジャンルとなっています。また,ベートーヴェンの交響曲については,「奇数番号=力強い」「偶数番号=穏やか」という印象がありますが,このチェロ・ソナタについてもそのような特徴が当てはまるのが面白い点です。

今回,この「初期−中期−後期」という3部構成で休憩が入るのかなと思っていたのですが,後半の方は,3−4−5を一気に聞かせる形になっていました。このことによって,この3曲の並び自体が,3楽章のソナタのようになって感じられました。ソナタ全曲>3〜5番>個別のソナタ という形で,ロシアの民芸品のマトリョーシカをみるような重奏構造になっているような印象を持ちました。これも全曲を通して演奏することによって感じられる発見でした。

以下,各曲ごとの特徴を紹介しながら演奏についても触れてみたいと思います。

■第1番ヘ長調,op.5-1/第2番ト短調,op.5-2
第1番と第2番と同じ時期に作曲されており,両曲とも第1楽章の前に立派なアダージョの序奏を置いた2楽章構成となっています。緩徐楽章が少ないというのがベートーヴェンのチェロ・ソナタの特色なのですが,この序奏がその代わりを担っているところがあります。

「初期の作品でも充実している」という点では,交響曲,ピアノ・ソナタ,弦楽四重奏曲と同様ですが,前期の作品については,後期の作品に比べるとピアノのパートの比重が大きいのが特徴です。今回のノルベルト・ヘラーさんの音は大変粒立ちの良いもので,古典派の曲に特に相応しいと思いました。急速な部分での珠を転がすような流れの良さが魅力的で,カンタさんとの息もぴったりでした。

カンタさんのチェロはいつもどおり優雅なもので,全般に速目のテンポで軽やかに演奏されていました。ヘラーさんのピアノと合わせて,サラリと若々しさを感じさせてくれました。

この2曲では,第2番の方がより魅力的に感じました。第1番の方はチェロの音の鳴り具合が少し悪い気がしましたが(今回は,1階の後ろの方の席で聞きました),第2番の方は,短調で始まることもあり,よりしっとりとした艶やかな雰囲気がありました。第1楽章の主部に入る前に非常にゆっくりとした間をおいていましたが,この辺の呼吸も大変味わい深いものでした。第2楽章はとても速いテンポで名人芸を聞かせてくれましたが,あまりにもサラリと演奏されるので,名人芸と感じさせないほどでした。

■第3番イ長調,op.69
あらゆるチェロ・ソナタ中,最高傑作と言われている作品です。作品番号的に見ても,交響曲第5番op.67,第6番「田園」op.68に続く番号で,まさに「傑作の森」の真っ只中の作品です。私自身もこの曲ならば過去数回実演で聞いたことがあります。カンタさんの演奏でも確か聞いたことがあると思います。

カンタさんの音は,冒頭から大変輝かしく,前半よりはさらにスケールの大きな音楽を聞かせてくれました。このメロディは大変大らかで,チェロの魅力に溢れているのですが,大仰になり過ぎないのがカンタさんの特徴です。第2主題の方は非常に繊細で,高音の弱音を切なく聞かせてくれます。この伸びやかさとデリケートさという2つの世界を過不足なく楽しむことができました。

第2楽章は,スケルツォ風の楽章で,お二人の息の合った名人芸を楽しむことができました。機械的な冷たさはなく,行書風の勢いの良さのある音楽でした。第3楽章の最初の部分にはゆっくりとした序奏がありますが,その後は流れの良い音楽が続きます。その自然な緩急の変化がここでも見事でした。カンタさんもヘラーさんも淡々と勢いのある音楽を作り出していましたが,そのことによって全体的にはさらりとした表情を持ちながら,非常に聞き応えのある深みを感じさせてくれる音楽となっていました。

■第4番ハ長調,op.102-1/第5番ニ長調,op.102-2
第4番と第5番は,後期の入口に立っているような感じの作品です。作品番号的には,交響曲第8番の少し後,ハンマークラヴィーア・ソナタよりは少し前という位置になります。第28番のピアノ・ソナタとほぼ同時期に作られていることになりますが,第4番の方は,この曲同様,幻想曲的な雰囲気を持っています。演奏時間的にも5曲の中でもいちばん短く,後半のプログラム中では,第3番と第5番の間の間奏曲といった位置づけのように感じられました。

ハ長調の曲ではあるのですが,途中,短調になる部分も多く,後半に入る前にじっくりと聞かせるようなアダージョの部分もありますので,わび・さびの世界に通じる,渋みを感じました。というわけで,カンタさんとヘラーさんの持つ渋い雰囲気にぴったりの曲でした。

第5番の方は,最終楽章にフーガが入るスケールの大きな曲で,演奏会を締めるのに相応しい曲でした。この曲になって初めて,第2楽章に本格的な緩徐楽章が入るのですが,この部分が特に印象的でした。後期のピアノソナタ,弦楽四重奏の世界に通じるような素晴らしい祈りの歌になっていました。シンプルな音の中から限りない深さを伝えてくれる演奏でした。

両端の第1楽章,第3楽章は,ガッチリした気分を持っていました。特に,ゴツゴツとした感じの第1楽章には大変力感がありました。第3楽章の方は,ベートーヴェンの後期の作品の特徴であるフーガとなります。この部分は,この日のプログラム全体のクライマックスとなっていました。華やかに盛り上がるわけではないのですが,次第にスケール・アップしていき,最後に大きな全体像を見せてくれるような立派さを感じさせてくれる演奏でした。

この演奏会は,約2時間に渡る演奏でしたが,カンタさんとヘラーさんは,全く疲れを見せることなく,ライブならではの高揚感を持ちながらも,最初から最後まで一定のペースでじっくりと音楽を聞かせてくれました。このお二人のコンビネーションが素晴らしく,最初に書いたように,職人芸的なまとまりの良さと味わい深さを持った演奏となっていました。

今回のベートーヴェン全集については,東京と大阪でも同様の演奏会を行うのですが,CD録音も昨年の夏にチェコで既にスタジオ録音済とのことです。こちらの方は3月末に発売とチラシには書いてありましたが,この録音の方も楽しみです。

最後にアンコールとして,Jezekという恐らくチェコかスロバキアの作曲家によるジャズ風の曲が演奏されました。カンタさんが,「前半もベートーヴェン,後半もベートーヴェン,とても難しいプログラムでした。」と日本語で語られた後,この曲を粋に演奏されました。重いベートーヴェンの後でしたので,とてもリラックスして楽しむことのできた演奏でした。

今回の公演は,カンタさんのファンクラブである「カンタさんを囲む会」主催で行われたのですが,毎年毎年,次々と新しいレパートリーを聞かせてくれる企画力が素晴らしいと思います。カンタさんの演奏だけではなく,それを支えるサポーターの皆さんの活動にも感謝したいと思った演奏会でした。(2007/02/18)

今回のサイン会


↑カンタさんのサインです。このプログラムは,東京公演,大阪公演と共通するもののようです。


↑会場で1000円で売っていたヘラーさんのCDのジャケットにサインを頂きました。ガブリエラ・デミトローヴァというヴァイオリン奏者とのモーツァルト・ヴァイオリン・ソナタ集のCDです。ヘラーさんは,ここでは,ハンマークラヴィーア(オリジナル楽器?)を演奏されているようです。とても心地よい音を楽しむことができました。