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オーケストラ・アンサンブル金沢第218回定期公演PH
2007/03/17 石川県立音楽堂コンサートホール
バッハ,J.S./ヨハネ受難曲,BWV.245 
●演奏
ペーター・シュライヤー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサート・ミストレス:アビゲイル・ヤング)
アレキサンダー・ユデンコフ(テノール),多田羅迪夫(バス),ソン・ドン・クォン(バス)
ユーリア・コルパチョヴァ(ソプラノ),池田香織(アルト)
オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団(合唱指揮:佐々木正利,安藤常光),佐々木正利(プレトーク)

Review by 管理人hs  

2005年2月に行われたペーター・シュライヤーさんの指揮と独唱によるバッハのマタイ受難曲の演奏は,オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演史上に残る記念碑的な内容となりましたが,同じコンビでヨハネ受難曲が演奏された今回の定期公演は,それと対を成す見事な公演となりました。

ヨハネ受難曲は,マタイ受難曲と並ぶバッハの宗教音楽の傑作ですが,日本で演奏される機会は,マタイの方が多いようです。金沢では,ミシェル・コルボ指揮によるローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによる演奏が2003年に行われたことがありますので,それ以来の公演ということになります。今回は,同じ指揮者同じオーケストラによるマタイとの比較ということで,ヨハネ受難曲の性格をより鮮明に味わうことができました。

この”待望の公演”ですが,何と1部と2部の間に休憩を入れることなく全曲を一気に聞かせてくれました(会場の張り紙には,「本日の公演は休憩なしです。心と体の準備を...」と書いてありました)。その意図どおり,ヨハネの全体像をズシリと感じることのできた2時間でした。ただし,シュライヤーさんのテンポ設定が,最初の曲から大変キビキビとしていたこともあり,休憩なしにもかかわらず,全く疲れることはありませんでした。映画を見るのも,通常2時間ぐらいは掛かりますので,今回のような休憩なしというのも悪くはないと思いました。

この日の公演前のプレトークは,合唱指揮の佐々木正利さんによるものでしたが,非常に分かりやすくヨハネ受難曲の魅力を説明されていましたので,まず,その内容を箇条書きで紹介しましょう。

  • バッハは受難曲を5曲書いたと言われているが,残っているのはマタイとヨハネの2曲である。
  • ヨハネはバッハの生前4回演奏されており,その度に改訂されている。
  • マタイは抒情的,ヨハネは劇的と言われることがあるが,それは次のような点に表れている。(1)マタイのイエスは人間的な部分があるが,ヨハネのイエスは超人的で厳格である。(2)マタイはエピソードが沢山盛り込まれているのに対して,ヨハネはいきなりイエスの逮捕の場面から始まる。この点がまずドラマティックである。その後,ピラト,イエス,ユダヤ人たちのやりとりが掛け合いのようにスピーディに続く。
  • 内容的には,罪を担ったイエスとそれによって救われた人間たちとの対比がポイントとなる。全曲の核となる22番のコラールの内容がそのことを表現しており,それを囲む曲がシンメトリカルに配置されているのが聞き所である。
  • この22番以外にもコラールが10曲以上も含まれている。コラールは信者の気持ちを代弁するような曲である。ある意味では,今回の演奏のポイントになる。
  • 楽器編成的には,ヴィオラ・ダ・ガンバ,リュートなどを含む通奏低音のパートが充実しているのが特徴である。低音が豊かに響くのが特徴。
  • 本来は,第1部と第2部の間に説教が入るが通常の演奏会では入らない。内容的にはつながっているので,説教が入らないのならば,今回のように続けて演奏することも考えられる。第1部と第2部の間では拍手はしないで下さい。
  • 歌詞には,現在から見ると人種差別用語的な言葉が使われているが,そのまま歌う。

この日は,プレコンサートでOEK団員による弦楽四重奏(シューベルトのロザムンデの第2楽章でした)を聞いた後,佐々木先生のお話を聞き,その後,一気に2時間ヨハネに浸ったのですが,上述のとおり,この佐々木先生のお話の内容が大変勉強になりましたので,公演前の時間が大変に充実したものになりました。休日ということもあり余裕を持って音楽堂に出かけたのですが,バッハの受難曲のような歯ごたえのある作品を聞く場合には,こういうプレトークはとても重要だと感じました。

この日の演奏者の配置は次のとおりでした。

                    合唱団
    ソプラノ      アルト       テノール     バス
             フルート(2)  オーボエ(2)  ファゴット(1)
       福音史家  ソプラノ  アルト  イエス  バス
               独唱    独唱   独唱   独唱 チェロ(3)
       第2ヴァイオリン(5)         ヴィオラ(4) コントラバス(2)
第1ヴァイオリン(6)        指揮者     ヴィオラ・ダ・ガンバ   リュート

*カッコ内は楽器の数(間違っているかもしれません)

マタイの時の配置は,オーケストラは左右対称に分かれ,オルガン・ステージには児童合唱が入り,すべての真ん中にシュライヤーさんが立つという,見た目にもかなりドラマティックな感じでしたが,今回のステージはそれに比べるととても端正で凝縮された雰囲気がありました。マタイの方は,よりオペラ的で,ヨハネの方は,より宗教音楽的な性格を持っていると言えますが,そのことがステージ上の配置にも表れていました。

前置きが非常に長くなってしまいましたが,以下,今回の公演を振り返ってみたいと思います。先に”2005年のマタイ公演と対を成す”と書いたのですが,実は,その時と決定的に違う点があります。それは,シュライヤーさん自身が福音史家(エヴァンエリスト)を歌わなかったという点です。シュライヤーさんは前回の公演で歌手としての活動を終えましたので,今回は純粋に指揮だけを行いました。アレクサンダー・ユデンコフさんという若いロシアのテノール歌手が福音史家を担当しましたが,全曲を譜面を見ずに歌ったこの方の素晴らしい声が,「シュライヤーさんのヨハネ」の最大の功労者となっていました。

福音史家は,聖句の部分を語るように歌う役割で,物理的な意味での出番の多さの意味からしても,受難曲演奏の際の最大のキー・パーソンです。その役を「世紀のエヴァンゲリスト,ペーター・シュライヤー」の目の前で歌うというのは,大変なプレッシャーだったと思います。逆に,このことは大変名誉なことでもあるとも言えます。

ユデンコフさんの声は,大変清潔で端正なのですが,声そのものに芯があり,曲の本質を射抜くような強い輝かしさを持っていました。私自身,「神」「イエス」といった言葉を聞くと「光」を思い浮かべるのですが,宇宙の闇の中心で小さくしかししっかりと光る光源のような雰囲気を持った存在感のある歌だったと思います。さらに素晴らしかったのは,この声が最初から最後まで一貫していた点です。演奏後,シュライヤーさんとユデンコフさんは,固く抱き合っていましたが,今回の演奏の素晴らしさを象徴するような光景でした。

この曲のもう一つの鍵を握っていたのが,佐々木さんのプレトークの中にも出てきた合唱団でした。今回はOEK合唱団に客演メンバーを加えた80名ほどの大コーラスでしたが,その歌も大変充実していました。曲の節目節目に出てくるコラール及び中盤のヤマ場でのイエス,ピラト,福音史家をまじえてのやり取りの中で群集役など,マタイの時以上に合唱のウェイトが高かったと思いました。コラールの方はメロディを聞いただけだとどれも同じように聞こえてしまうのですが,曲の流れの中で聞くと,その場その場に応じた表情が出てくるのが面白いところです。

2時間の大曲を締めるのが第39曲,第40曲と続く合唱とコラールなのですが,この部分での感動の満ちた歌が特に感慨深いものでした。佐々木先生のトークにもあったとおり,ヨハネ受難曲は,人間を超えた強い存在であるイエスの受難を歌った曲ではあるのですが,この部分にはイエスに対するレクイエム的な癒しの気分と抑えても抑えきれないような感情の高ぶりとがバランス良く共存していました。

そして,全体をキビキビとしたテンポでまとめ,非常に凝縮された音楽にまとめあげたシュライヤーさんの指揮が何よりも見事でした。第1曲の合唱曲から,我が家にあるカール・リヒターのCDなどとは全然違う軽やかささえ感じさせる演奏で,重苦しいバッハとは一味違った気分を持っていました。とても明確でキビキビとしたリズムの刻みの上に,オーボエやフルートといった木管楽器が鮮やかに加わってくる辺りは,生きているバッハという感じでした。その上に合唱団が力強く堂々と加わってきます。この緊張感に満ちた導入部で,音楽堂の聴衆は一気に引き込まれたのではないでしょうか?

シュライヤーさんは,ステージ袖からの出入りの時の動作などは,よっこいしょという感じでかなりゆっくりとしていたのですが,そこから出てくる音楽は大変新鮮でした。シュライヤーさんは,エヴァンゲリストとしてこの曲を熟知していると思うのですが,合唱やオーケストラの各パートの細かい音の動きに至るまで繊細なニュアンスが付けられておりすべてに血が通っていました。

こういう生き生きした気分を作っていたのは,やはりシュライヤーさんの意図にぴたりと反応していたOEKの力によると思います。第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリンなど弦楽器は少なめで,通奏低音を担当する楽器の方が充実していましたが,アリアを中心とした各曲での歌手に寄り添うようなデリケートな演奏は,室内オーケストラならではだと思います。特にいくつかの曲に出てくるオーボエやフルートの音の瑞々しさが大変印象的でした。

このように,全曲が一体になったようなバランスの良さと凝縮された強靭さを感じさせてくれる演奏だったのですが,その特徴が特に凝縮されていたのが,中盤の「ピラトの尋問」の部分でした。まさに息も尽かせぬ展開となっていました。私自身,ドイツ語が聞き取れる訳ではないのですが,それぞれの言葉が生きたものになっており,聞き手を捕らえて離さないようなところがありました。

ここでも合唱が素晴らしい効果を挙げていました。罪のないイエスを有罪にし,バラバを釈放する群集心理を思わせるような怖さが,ここでもメリハリの利いた声で表現されていました。マタイの時もそうでしたが,強い言葉が畳み掛けるように飛び交うような部分は言葉は分からなくても圧倒されます。

今回のイエス役の多田羅さんの声には悟り切ったような落ち着きがあり,この熱狂したような群集心理の中でも動じない軸のような存在となっていました。ピラト役のクォンさんの声にもローマ総督らしい貫禄がありましたが,こちらの方には「本当にバラバの方を許してもよいのか?」という人間的な苛立ちのようなものが感じられました。クォンさんは,ピラト役以外に通常のアリアも歌われていましたが,そこではとても若々しい気分を感じさせてくれました。

ソプラノのコルパチョヴァさんとアルトの池田香織さんはアリアのみの登場でしたが,全体の基調を作っていたエヴァンゲリストのユデントフさんの凛とした声とのバランスがとても良いと思いました。どちらも清新な声なのですがアリアの方は,ストーリー展開の念を押したり,少し気分を変えたりするような役割がありますので,緊張感に満ちた展開の中でのオアシスのような働きをしていました。リュートとヴィオラ・ダ・ガンバが通奏低音に加わるアリアも数曲ありましたが,その脱力した感じも大変印象的でした。

池田香織さんは,年末「メサイア」公演をはじめ,金沢ではすっかりお馴染みの歌手ですが,毎回とても安定した歌を聞かせてくれます。イエスの死の部分では,癒しに満ちた歌を聞かせてくれてとても印象に残ったのですが,その後半からはどこか明るい感じになり,イエスの復活が暗示されることになります。受難曲といえば重いとばかり思っていたのですが,このイエスの死から埋葬に至るあたりの曲に漂う,不思議な明るさも大変魅力的でした。

今回の演奏は,こういういろいろな要素を含んだ曲を本当に凝縮された形で聞かせてくれました。ユデントフさんをはじめとした清新さのあるソリスト,多彩な表情に満ちた合唱,そして全体をしっかりと支えたOEK―そのどれもが素晴らしかったと思います。その中心にあったのが,シュライヤーさんのこの曲に対する情熱だったと思います。今回の演奏は,シュライヤーさんによって命を吹き込まれた2時間のドラマでした。曲の終わった後の拍手が少し早かったのが唯一残念な点でしたが,ヨハネ受難曲の持つ多彩な世界を堪能できた演奏会でした。

PS.とはいえ,休憩なしだと少々水分不足になりました。イエスが「われ渇く」と言った辺りでは,「私も...」と心の中で思ったりしました。

PS.今回は字幕付きで演奏されましたが,それ以外にも対訳が配られていました。この対訳がとても分かりやすいものでした。我が家にあったCDの対訳は大変堅い訳だったのですが,今回の演奏ならば初めて聞く方でもよく理解できたのではないかと思いました。
(2007/03/18)

今回のサイン会


↑ペーター・シュライヤーさんのサインです。このCDはシューベルトの「白鳥の歌」なのですが,SchubertのSchwanengesangをSchreierさんとSchiffさんが共演しているというものすごい語呂合わせのCDです。


↑左からコルパチョヴァさん,池田香織さん,ユデンコフさんのサインです。



↑左から多田羅さん,クォンさんのサインです。多田羅さんの漢字のサインは,幾何学的なデザインのようで格好良いですね。