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ラ・フォル・ジュルネ金沢「熱狂の日」音楽祭2008:ベートーヴェンと仲間たち
【213】井上道義/OEK
2008/05/04 16:30- 石川県立音楽堂コンサートホール
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」
●演奏
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサート・ミストレス:アビゲイル・ヤング)

Review by 管理人hs    
ラ・フォル・ジュルネ金沢(LFJK)2日目の公演の中では何と言っても井上さんとオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が登場したコンサートホールでの2公演が記念碑的公演となりました。「英雄」の演奏前,特別に井上さんが「岩城さんは,こういう日が来ることを待っていたのではないか」といったスピーチをされました。それもそのはずで,通常の座席は3階まで満席,ステージ上もOEKメンバー以外は全部お客さんという状態になっていました。これは感動的な光景でした。

実は私自身,このスピーチの時,OEKと同じステージ上の席に座っていました。今回,運良くステージ上の座席に座ることができたのですが,これは大変貴重な体験でした。全方向からお客さんにわっと取り囲まれている雰囲気に素直に感動しました。この場所に座っていた人の多くは,開演前に携帯やデジカメで記念撮影をしていましたが,この辺も「熱狂に免じて」か,今回は特にお咎めなしでした(もちろんストロボ撮影や演奏中での撮影は厳禁であることには変わりありません)。

恐らく,ブログなどを作っている人は私のような感じで写真を載せたくなると思います。「ステージに乗ったり,写真を撮ったり」という,「普通は,やってはいけないことを,熱狂にまぎれてやってしまう」という感覚は,このラ・フォル・ジュルネという独特なイベントの重要なポイントなのではないかと感じました。

このステージ席ですが,急遽出てきたアイデアだったようで,何と自由席でした。席が空いてさえすれば,勝手にステージ上にホイホイと上って行って座れてしまうのです(次の公演からはさすがに希望者に対して「ステージ券」を発行する形になっていましたが)。このように満席対策としてステージ上にたまたま作った座席が好評だったので,その後も続けてみたという実に大らかな対応が,ラ・フォル・ジュルネ金沢のいちばんの特徴と言えそうです。意外なところから金沢らしさが出てきた気がします。

それにしてもすごい大入りでした。ステージ上に座ってみて特によく実感できました。「英雄」の演奏の間,ずっと間立見という人もいましたが,座っている人の中にも開演前に「英雄」の演奏時間ぐらいの間,立って待っていた人もいるはずです。いずれにしても,通常の定期公演とは全く違う,まさに非日常的雰囲気の演奏会でした。

OEKの奏者たちは,ステージに入ってきた後,しばらく立ったまま待ち,コンサート・マスターが入ってきて,全員揃った状態で,お客さんに向かってご挨拶をするのが慣習になっていますが,ステージ上に座っていると思わず,一緒に頭を下げてしまいそうになりました。私だけだったでしょうか?

LFJKのお客さんは,演奏前から大変盛大な拍手を送っていましたが,この拍手の習慣も,定期公演にもそのまま残して欲しいと思います。これまで定期公演の際は,コンサート・マスターが入ってくるまで,大きな拍手は起こらなかったのですが,とりあえず5月10日の定期公演でどのように変わるか注目したいと思います。LFJKが起爆剤となって,OEKの定期会員数も増え,公演内容も盛り上がれば言うことはないと思います。

さて,演奏の方ですが,当然のことながら井上さんの表情がとてもよく見えました。第1楽章冒頭では,鬼のような顔で,「一球入魂!バン,バン」という感じで2つ和音が入った後,フッっと優しい表情に切り替わり,滑らかに音楽が流れ始めました。スピーチの延長のせいか,本当に幸せそうな表情でした。その後も音楽雑誌に載っているようなステージ写真を次々見ているように楽しむことができました。

この席に座ってみて,いつもとオーケストラの響きが違うのが大変面白かったのですが特に,ティンパニとコントラバスの音が大変よく響くことを実感しました(床が揺れた気がしました)。オーケストラというのは,ティンパニとコントラバスの築く土台の上に乗っている存在だと実感しました。

オーケストラとは何か?ということも,今更ながらよくわかった気がしました。結局のところオーケストラというのは,精密機械だと思います。各楽器の奏者が実に精密に職人技的に音を出す仕事をしています(これはOEKの素晴らしさなのかもしれませんが)。

そしてやはり指揮者の力はすごいと思いました。指揮者の表情の変化や指揮棒の動作に応じて「精密機械」は動いたり動かなかったりするのです。たまたま整理券配布の待ち時間の間に読んでいた本の中に「自由ほど怖いものはない。人間は何かに従いたがる」というような文章があったのですが,指揮者という存在は,オーケストラの中で唯一自由な存在といえます。その反面,常に”怖さ”に立ち向かっているとも言えます。指揮者とオーケストラ奏者の間にある,自由と従属との力学的関係というのは,中々面白いものがありそうだ,などと考えながら聞いていました。

第1楽章は,文字通り”ヒロイック”な王道を行くような演奏でした。客席からはどう聞こえていたかは分からないのですが,恐らく,4月29日のオープニング公演同様,キビキビとしたリズムが強調されていたのではないかと思います(ステージ上からだと,すべての部分でリズムの切れの良さを感じました)。ちなみに呈示部の繰り返しは行っていませんでした。どんどん前に進みたかったのだと思います。非常に雄大な音楽に浸っている気がしました。

コーダ付近に出てくるトランペットが演奏する高揚感のあるメロディの部は,演奏解釈上のチェックポイントですが,今回は思い切り「ドーミドーソ,ドミソソー,シーレシーソ,シーレソソー」と最後までしっかりと演奏していました。この日のようなおめでたい席(?)では,これが正解だと思いました。

楽譜どおりだと,このメロディは途中で消えてしまうのですが,「ベートーヴェンは本当はこう続けたかったはず」と20世紀の大指揮者たちは,メロディを補って演奏してきました。いつもは汁をあまりつけないソバの「通人」が,死ぬ前に「一度で良いからソバに汁をたっぷりつけたのを食べてから死にたかった」と語ったという教訓的笑い話がありますが,この部分などには,そういう心理と共通する感覚があるのではないかと思いました。

第2楽章は,非常に遅いテンポで演奏されたました。確か岩城宏之さんが亡くなった翌月のOEK名古屋公演で,井上さんが岩城さんの代役としてこの曲を演奏していますが,井上さんのスピーチにあったとおり,岩城さんを偲ぶ気持ちやここまで20年のOEKの歴史の回顧...そういう,思いを実感させてくれる葬送行進曲の演奏でした。これは,いつの間にか20年もOEKを聞いてきたことになる私の勝手の思い込みかもしれませんが,中間部で少し明るくなる部分などは,OEKの過去の業績を振り返っているようで,特に感動的に響きました。

第3楽章は,快適なテンポのスケルツォでした。今回はホルンの後方に座ったこともあり,大々的にホルンの音が聞こえてきましたが,「お見事」の一言でした。演奏後,3人の奏者ががっちり握手し合っていましたが,会心の出来だったのだと思います。

第4楽章は,また井上さんの表情が鬼のような形相になり,嵐のように始まった後,多彩な世界が広がりました。変奏曲形式ということで,井上さんの表情の変化どおり,ドラマドラマの連続でした。やはりここでも,コーダ直前でホルンが豪快に歌い上げる部分が実に爽快でした。この箇所も第1楽章末のトランペット同様,「ソバに汁をたっぷり」の部分だと思います。

終演後の井上さんのうれしそうな表情を見ながら,「言うことなし!」と実感しました。ステージ上で聞いたことも含め,一生記憶に残る演奏になりました。(2008/05/08)

コンサートホール
ワルトシュタイン


これは邦楽ホール前ですが,何とコンサートの整理券待ちの列がここまで伸びていました。


今回はステージ席に座ることができました。もちろん生まれて初めてのことです。


合唱団のような感じですが,すべてお客さんです。


写真を撮っている方もかなりいました。

今回も満席です。こういう客席を見るのは気持ちの良いものです。

※うれしくなってステージ上からの写真を掲載してしまいました。人の顔は分からないように縮小して掲載しましたが,問題がありましたらお知らせ下さい。