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歌劇「終わらない夏の王国」
2009/08/22 金沢歌劇座
神田慶一/歌劇「終わらない夏の王国」(新作書き下ろし)

●演奏
神田慶一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
原作,脚本,演出=神田慶一
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ブラッティ:三塚至/赤坂零:稲垣瑠美/青山光彦:秋谷直之/青山翠:新谷みづき/青山藍:山尾天乃/エリザベス:石川公美/赤坂奈緒美:直江学美/井ノ原翔:中田真由/レモン:針谷玲乃茜,その他の配役:金沢ジュニアオペラスクール等
合唱:合唱団フォレスト
美術:八木清市,衣装:桜井麗,照明:宮向隆,振付:中山芽,副指揮:辻博之,舞台監督:黒柳和夫,アドバイザー:池田卓夫,プロデュース:村井幸子
Review by 管理人hs  

2007年10月に金沢市観光会館が金沢歌劇座と改称されてから,金沢市でも市民参加型のオペラが定期的に上演されるようになってきましたが,この歌劇座の座付スクールとして2007年9月に開校したのが金沢ジュニア・オペラスクール(KJOS)です。その記念すべき第1回公演が行われました。

今回上演されたのは,KJOSの音楽監督神田慶一さんによる書き下ろしの新作歌劇「終わらない夏の王国」で,オーケストラは,オーケストラアンサンブル金沢(OEK)でした。OEKは,7月に歌劇座で,プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の全曲を演奏したばかりですので2ヶ月連続のオペラ演奏ということになります。

今回の公演ですが,予想を上回る見事な公演でした。この公演のために2年近く準備期間があったのですが,その成果が,最良の形で発揮されたのではないかと思います。もちろん,作り手側から見ればまだまだ改善すべき点は多かったとは思いますが,作品自体も書き下ろし=全てがゼロからのスタートということを考えると,「よくこれだけ立派な作品を作ることができたものだ」と感心するばかりです。

その原動力は,この作品の生みの親(原作,作曲,指揮,演出...リヒャルト・ワーグナーのような感じですね)であり,KJOSの育ての親である神田慶一さんの才能と指導力にあったと思います。神田さんの求心力の下,オペラを作りたいという金沢市民が結集した結果が,「終わらない夏の王国」として結実したと言えます。

この作品ですが,2幕構成で,全体で2時間以上かかる本格的な作品でした。セリフ的な部分も含め,すべてが音楽に乗って進みます。当初,KJOSで上演予定だったフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」を下敷きにしたストーリーとのことでしたが,日本の子供の夏休みに置き換えた発想がまず素晴らしく,「この時期にぴったり」という作品になっていました。ストーリー展開もスムーズで分かりやすく,各幕終盤に全員が登場するような大きな盛り上がりがあったので,全く退屈することはありませんでした。何もよりも「子供向け」ではなく,大人が見ても十分な見応え,聞き応えを実感できる作品になっていたのが素晴らしい点でした。

神田さんは,ウィーン国立歌劇場でクラウディオ・アバドと舞台製作を行うなど,内外でオペラ指揮者・作曲家として活躍されている方ですが,その経験がそのまま発揮されたと言えます。台本・作曲から演出・指揮までを全部1人で担当されていた点も今回の場合,プラスに働いたと思います(それにしてもすごい才能です)。

この作品については,”子どもから大人まで楽しめるファンタジーでありながら,現代社会への問いかけも行う壮大な寓話”とチラシ等には書かれていました。振り返ってみると,実際,そのとおりのお話でした。

主要な登場人物は,2つの家族の親子と,森の館に住む謎の男性ブラッティです。1つ目の家族は,赤坂家で母と子の2人暮らしです。子役の零がこのオペラ全体の核となります。もう一つの家族は,青山家でこちらの方は,父・光彦と姉妹(翠と藍)の3人暮らしです。それぞれ父と母が不在の家庭という点が,現代社会の一面を反映している点と言えます。この2家族の子供たちとその友人が家族に反発する形で,ブラッティの森の館に招かれ,夏休みが永遠に続く「終わらない夏の王国」の住民になります。そこからの脱出が後半の見所です。

舞台は,次のような形でシンプルなものでした。非常に大勢の登場人物が歌い踊る作品ということでで,舞台中央は広く空けられていました。


ドラマの背景となる森は,合唱団が持つ「木=ダンボールで作成?」で表現してました。これがとても効果的でした(その名も合唱団フォレスト,本当の木のようにかすかに動くのが良いですね。シェイクスピアの「マクベス」を見ている感じ?)。不気味さと同時に,子供たちを暖かく見守っているような雰囲気をシンプルに表していました。実際,KJOSの保護者の方々も参加していたようで,プログラムに書かれていたお名前などを見ていると,「家族でオペラ参加」という方もいらっしゃったようです。こういう雰囲気も市民参加のオペラならではです。

物語は,2つの家族の日常シーンから始まります。夏休みが始まったばかりにも関わらず,両家族とも家族内に鬱屈した空気があることが端的に描かれます。セリフ部分もすべて歌われたのですが,もちろんモーツァルト時代のオペラのようなレチタティーヴォではなく,どちらかというと現代音楽のシュプレッヒシュティンメに近い気がしました。通常の会話のような自然さはないのですが,その淡々とした不自然な空気が現代の家族の様子を描くのに不思議と波長があっているように思えました。「この作品は,単なる子供向けのファンタジーではないな」とこの部分を聞いて直感しました。

まず,赤坂家の零の方ですが,いつも母が不在で,孤独に過ごしています。このオペラの最初のセリフが,零の「ただいま」「おかえり」という自問自答でしたが,これだけで,状況を端的に伝えているのが見事でした。零役の稲垣瑠美さんは,一貫して無表情でミステリアスなムードを出していました。声は大人の歌手に比べると当然細いのですが,しっかりホール全体に届いており,役柄に相応しい強さを感じさせてくれました。

神田さん作曲の音楽には,「音楽的過ぎず,ドラマティック過ぎず」というバランスの良さがありました。ミュージカルほど流麗な感じはありませんでしたが,とても聞きやすいものでした。各歌手の歌詞もはっきりと聞こえました。これは歌手の発声が良いことに加え,音楽面でも歌詞と大音量の伴奏が重ならないような工夫がされていたからではないかと思います。

もう一方の青山家の方は,父と2人の子供が絡むシーンで始まります。この部分で,父から藍にオルゴールを渡すシーンが出てきましたが,ここで流れるオルゴールの音(もちろんオーケストラが演奏するのですが)が一種ライトモチーフのように使われていました。そのシンプルで可愛らしいフレーズは,青山家の家族のつながりの象徴のように大変印象的に響きます。ただし,どこか儚げで繊細です。その後,父親と喧嘩をした2人は家を出ます。この2人の姉妹は,ヘンゼルとグレーテルのイメージを踏襲していたような感じです。

姉妹を演じていた新谷みづきさんと山尾天乃さんは,零が「強さ」を持っていたのに対し,「優しさ」と「機転」を持っていました(零とあわせて「知・情・意」?)。この2人の澄んだ声はとても清々しく,オペラ全体の雰囲気に爽快さを加えていました。

この2家族は,舞台上ではシンメトリカルに配置されていました。各家に入っていく動作も,下手奥から上手前方へ,上手奥から下手前方へという対角線を意識した動きになっており,ダイナミックさと同時に,幾何学的な冷たさのようなものを漂わせていました。

その後,それぞれの友人と絡み,子供らしいネタや動作が次々と出てくる,いかにも子供向けオペラらしいシーンになります。この部分では,ガキ大将的なキャラクターとかガリ勉的なキャラクターなどが出てきますが,分かりやすい反面,ちょっとステレオタイプな感じもしました。「ガリ勉」の方はドラマ全体を通じて,笑いを取る役割でしたが,個人的には,「好きで勉強するなら,悪くはないのでは?」と思っているので,少々いじられすぎで可愛そうかな,とも思いました。

続いて,家出した2人とレモンとが出会います。レモンは,藍と同年代の不思議な雰囲気を持った少女で,2人を森の奥の王国へ誘います。オペラもファンタジーの世界へと入って行きます。ここで,藍がレモンにアメ玉を渡すのですが,これもまたドラマ後半の伏線になります。

この部分で,レモンと2人の少女による,3重唱が出てきます。独立した曲になるほどではなかったのですが,オペラ全体の中で,キラリと光るようなオペラらしい部分だったと思います。子供たちの澄んだ声を聞きながら,その巧さと度胸にすっかり感心しました。

零とその友人の方も,不思議な少女たちと出会い,森の中の王国へと誘われます。この少女たちは,「早く家に帰りなさい」と尋問するおまわりさんをグルグル取り囲んで煙に巻くのですが,この部分のスピード感も不思議な魅力を持っていました。こういう形で,日常的で現代的な世界とメルヘン的な世界とが徐々に融合していきます。

その後は,森の中の館の場が続きます。ここでは,ダンスシーンや合唱シーンがふんだんに登場し,大きな盛り上がりを作ります。「ここでは永遠に夏休みが続く」ということを象徴するように,ラテン系のリズムに乗って,輪になって踊るシーンが出てきますが,このシーンは壮観でした。ステージいっぱいに子供たちが踊り,クラシック音楽とミュージカルが融合したような楽しいムードで会場が満たされました。

この部分をはじめ,森の中のシーンでは,ソプラノの石川公美さんの演じる,エリザベスというブラッティの補佐役的な女性が随所に登場します。石川さんの声はとてもよく通る声で,子供たちの合唱の中にエリザベスの声が鋭く加わると一気に興奮度が高まります。この使い方も非常に巧いと思いました。

王国は,主人のブラッティの魔力で成り立っています。水晶玉をのぞくと,各子供たちの家の現在の様子が見えたりするのは,メルヘン的ですが,その中には,子供たちの代わりにブラッティが用意した人形が"子供”として収まっています。これは,ちょっとSF的な設定です。ブラッティが人形や動物に金粉を振りかけると,それらが動き出すシーンも出てきましたが,この辺りもファンタジーのムード満点でした。

館には5つの扉があるのですが,1番目から3番目が海や砂漠や森に通じており,4番目は「決して開けてはならぬ」というブラッティの仕事部屋に通じています。5番目は子供たちがいた世界に通じているのですが,開けた人間を燃やしてしまうことを説明され,子供たちは,自分たちが元の世界に戻れなくなったことを悟ります。そして,明るい音楽の裏に徐々に謎めいた暗さが出てきています。

ブラッティは,石川県出身のバリトンの三塚至さんが演じていました。子供たちの敵役ということになりますが,悪とも善とも言いがたいキャラクターで,どこか人懐っこい魅力がありました。

第1幕の最後部分は,このオペラ全体のテーマ曲的な合唱となります。「ぼくらの夏休みは永遠に続く」という大変力強い歌です。曲が進むにつれて,子供たちがしっかりとした足取りで一歩ずつステージ前方に移動し,それに応じて照明も明るくなります。この部分は大変印象的でした。このオペラのクライマックスの1つだったと思います。私自身,「夏休み」という言葉自体に,「明るいけれども切ない」ムードを感じてしまうのですが,このようなストレートな歌を聞くだけで,ウルっとなってしまいました。それだけ力を持った歌であり演奏でした。

第2幕は,王国の中でのいろいろなトラブル,零が王に就任,王国からの脱出,実世界側からの助け,その葛藤...とアドベンチャーゲームのような展開になります。

まず,最初に,零が1人で森を散策中,トゲで指を切り,その指の血を頬に塗るというシーンが出てきます。この後,零に王としてのカリスマ性が備わりますので,大変重要な部分なのですが,例えば指を切った瞬間にそれを表現するような音楽が鳴るなど,「オペラならでは」の説得力を感じました。今回,A4 4ページの「Story Guide」というワープロで印刷されたリーフレットをプログラムとは別に配布されたのですが(それで,このように細かくストーリを書くことができます),単に文字で読むのとは違った臨場感を感じることができました。

次の場面では,子供たちの寝室シーンで争いごとが起こった後,それを仲裁するような形で,零が王国の王になることを宣言します。零は,前半から孤立した雰囲気と意思の強さを漂わせていたのですが,後半に入り,さらにカリスマ性を増していましたので,「納得」というシーンでした。この就任により,ブラッティの計画(?)は完遂に近づいたことになります。

続くエピソードでは,家に戻りたいと泣き出した藍をなぐさめようとする翠と翔(ボーイフレンド的な存在)と,王に就任して零に反乱しようという3人組とが夜の館の中で絡むシーンとなります。その成り行きで,4番目のブラッティの仕事場の扉を開けて中に入ることになります。これはこのオペラ全体に言えることですが,各エピソードが非常にうまく並んでおり,説明的なセリフがなくても,ストーリーが前へ前へと進んでいきます。

ブラッティの部屋の中には,たくさん人形が座っています。しばらくしてブラッティが戻ってきたので,子供たちは物陰に隠れますが,すぐに見つかってしまいます。約束を破った6人に対して,王として罰を下すように零にブラッティは言います。零が杖を掲げると,閃光がきらめき6人の子供たちが倒れますが,いちばん小さな藍だけはレモンの陰に隠れていたために難を逃れることができます。ここで前半に出てきたアメ玉が効いて来ます。そのお礼にかばってくれたのです。さらに,レモンは館から外に通じる秘密の脱出口を教えてくれます。藍は天窓に向かってハシゴを上り,そこから実世界に戻ります。

このようにスリリングな展開が続くのでのすが,こういう速い展開が可能なのは,舞台前面に取り付けられた簡単なカーテン状の幕があるからです。これをサッと締めて,逆の方向から開けると,別のシーンになっているといったことが可能です。簡素なセットを生かした,見事なアイデアだったと思います。

さて,ドラマの続きですが,藍が実世界に戻ったことにより,各家族に派遣されていた「代用品の人形」がただの人形に戻ってしまいます。各家族とも「子供がいない,子供がいない」と騒ぎ出し,赤坂家の父親の光彦を中心に保護者たちが館に乗り込みます。

しかし,ブラッティの魔法の息のかかった館の中では,一般人は子供たちを助けることはできず,彼ら自身も「子供たちはここにいない」と魔法に掛けられてしまいます。この場面では,すべての人形がブラッティの操る人形のようになっている様子が描かれますが,その様も壮観で,会場全体も神田さんの作るマジックに掛けられた感じになりました。

ここで人形化された翠のポケットから例のオルゴールの音が聞こえてきます。この音によって,皆が我に帰ります。この「音のマジック」もオペラならではです。文章だけではピンと来なくても,前半に流れてきたメロディが印象的に再現してくると,非常に感動的に響き,「納得」という感じになります。

その後は,脱出劇となります。ここでの”光彦対ブラッティ”の大人同士の対決シーンと,5番目の炎の扉を開けて,子供たちが脱出するシーンとがオペラ全体のクライマックスです。光彦役のテノールの秋谷直之さんの声はとても真摯で格好良く,この対決シーンをとてもヒロイックなものにしていました。ここでもドラマと音楽と照明とがぴったりと合っいました。特に炎の扉に飛び込む場は,ちょっとワーグナーの楽劇のクライマックスを思わせるようなムードがありました(生で観たことはないのですが)。「これぞオペラ」という場面だったと思います。

OEKの編成については,よく見えなかったのですが,打楽器がかなり入っており,トロンボーンなども加わっていたようです。物語に相応しいSF映画的な壮大なスケール感を感じさせてくれる演奏でした。特にこの部分での怪しい雰囲気は,ドラマを大きく盛り上げていました。

このクライマックスで,零が「私には待つ人がいない」と言って,光彦,翠,藍たちを逃します。このセリフには,グッと来ました。この自己犠牲的なセリフは,ブラッティも動かし,「君にも待っている人がいる」と言って,零も扉の外に出します。これでブラッティの作った王国は滅んでしまいます。続いて,ブラッティ自身が操り人形だったことを示すかのように,大きなハサミでブラッティの頭上の紐を切り取る動作が入ります。この辺は,どういう解釈をするのか迷うのですが,ブラッティ自身が操られていたということになるのでしょうか?いろいろと深読みができるのもこのオペラの面白さだと思います。

その後,さらに感動的なクライマックスが続きます。場面が変わり,各家族との再会シーンとなります(「炎の扉に飛び込んで大丈夫?」という心配もありましたが,ブラッティが脅していただけだったのか,魔力がなくなったからなのか,特に問題はなかったようです。)。扉から飛び出してきた子供とそれぞれの親が手に手をとって喜びあい,明るく家路につきます。この部分では,第1幕切れの合唱がもう一度出てきましたが(多分),その時とは違った清々しさを感じました。

そういう中,零とその母の直江学美さんの演じる奈緒美だけはなかなか顔を合わせようとしません。他の子供たちが去った後,2人だけが残り,夕暮れ風の照明の中,「ただいま」「おかえり」というセリフが交わされ,2人が抱き合います。後から気づいたのですが,このオペラの最初と最後のセリフは同じだったんですねぇ。娘が発する「ただいま」に対する,母親の「おかえり」という返事。このセリフを求めての2時間だったと言えます。そして,オペラのテーマが家族のつながりの大切さにあったことが見えてきます。シンプルにして深い作品だと実感しました。

「Story Guide」を見て,物語を振り返っているうちに,レビューがとんでもなく長くなってしまいましたが(ほとんど曲目解説になってしまいました...),それだけ,見所の多い内容のある作品だったと言えます。

この作品は,「夏休み」という非日常的な時間を利用して,時間の止まった非現実的な空間に向かう子供たちの冒険物語と言えます。その背景には,家族同士のつながりが希薄化した現代社会の歪みが潜んでいます。その歪みの象徴が王国の王となる零なのですが,考えようによっては,歪みから子供たちを救おうとしているのがブラッティといえます。怪しい詐欺師のようでもあり,誘拐犯でもあり,宗教の教祖のような感じもします。結局,一体何物なのか最後まで謎のままですが,単純に悪人と言い切れない,善悪が混ざったような複雑さを持っています。そのキャラクターが,オペラ全体をとてもミステリアスなものにしていたと思います。

最後は,現実の家族の絆の復活によって,ブラッティの世界に打ち勝つのですが,この2つの世界のせめぎ合いというのは,意外にも村上春樹の「1Q84」あたりと似た気分があるのではないか,と思ったりしました。いずれにしても,非常に深読みをしたくなるような感触を持った作品でした。

こういった理屈っぽい見方以外にも,SFファンタジーとしても楽しむことができるし,ミュージカル的な要素もありました。この盛り沢山で贅沢な気分をしっかり盛り上げていたのが,衣装であり照明でした。これだけ多くの登場人物の衣装を揃えるのは大変なことだったと思いますが,この作品をファンタジーらしくしていたのが,イマジネーションに満ちた衣装の数々でした。非常に豪華で見ごたえがありました。照明の力も絶大で,簡素なセットを瞬時に別世界に変えていました。

そう考えると,やはりこれは総合芸術としか言いようがありません。ダンスシーンの沸き立つような華やかさ,手作りの絵本のような背景の絵も良かったし,人形に扮していた子供たちのメイクアップも面白かった...一つの作品の周りに多様なイマジネーションと才能が集結した,大変密度の濃い作品だったと言えます。そして,この作品が1回だけの上演で終わってしまうというのが何より贅沢なことです。

恐らく,部分的には手直しする余地はあると思いますが(例えば,場面転換のときに間が空いた部分などは,もう少し改善できるかもしれません。拍手が入るべき箇所だった?),是非「金沢の夏の定番」として,いつか再演して欲しいものです。

この作品は,お客さんに対してだけではなく,出演者の皆さんにも大きな満足感を与えたと思います。KJOSの活動が今回のような立派な成果を生んだことは,画期的なことだったと思います。金沢の新しい文化の基盤になる可能性を秘めている気がします(ただし,続けることもなかなか大変だと思います。)。KJOSの皆さんに心から感謝すると当時に,今後の活動に注目したいと思います。ありがとうございました。

PS. 書き忘れていましたが,終演後のカーテンコールでのマナーもお見事でした。前月の「トゥーランドット」同様の熱い拍手に対して,出演者の皆さんは,とても気持ちの良いマナーで応えていました。今回,「親戚の子供が出るから」「友達が出るから」といった理由で,初めて,オペラを見る人も多かったと思うのですが(受付の花束の多さにもびっくり),こういう公演を繰り返すうちに,自然にオペラを見る方のマナーも身についてくるのではないかと思いました。何回もカーテンコールを繰り返すうちに,最後は,子供らしく,皆,会場に向かって力強く手を振っていましたが,この姿を見て,今回の上演の素晴らしさを確信しました。良い光景でした。
(2009/08/25)

関連写真集

21世紀美術館


金沢歌劇座の外観。開場前から列ができていました。


歌劇座恒例の縦型の看板


ステージを映すモニター


衣装・道具などを準備する様子を撮影したビデオをロビーで流していました。


ダンボールで出来た木も入口付近に飾られていました。


衣装などの「メイキング」の写真集


こちらも「メイキング」の写真集です。公演パンフレットにもこういった写真が掲載されていました。


ダンボールでできた木と公演のポスターです。


公演のポスターです


ものすごい数の花束が届けられていました。


公演パンフレットとチケットとStory Guideのリーフレット

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終演後は,すっかり夕方になっていました。歌劇座のお隣の21世紀美術館の夕方の風景を見たくなり,ふらりと立ち寄ってみました。

ガラスに夕陽が映っています。


逆光です。このコーナーは近年出来たようです。


おなじみタレルの部屋です。あまり夕空にはなっていませんでした。


こちらもお馴染みの「雲を計る男」です。


現在,「未来の横尾忠則」という展覧会を行っています。