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オーケストラ・アンサンブル金沢第269回定期公演M:中村紘子デビュー50周年記念演奏会
2009/10/22 石川県立音楽堂コンサートホール
1)ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-1「月光」
2)ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」
3)ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調,op.73「皇帝」
4)(アンコール)ショパン/夜想曲第20番嬰短調ハ短調遺作
5)(アンコール)ショパン/ワルツ第6番変ニ長調op.64-1「小犬」
6)(アンコール)ショパン/幻想即興曲嬰ハ短調
●演奏
中村紘子(ピアノ)
藤岡幸夫指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:サイモン・ブレンディス)*3
プレトーク:池辺晋一郎
Review by 管理人hs  

今回のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演は,日本を代表するピアニスト,中村紘子さんが主役の"中村紘子ナイト”でした。前半が中村さんの独奏,後半が協奏曲ということで,OEKの定期公演といいつつ,OEKは完全に脇役に回っていました。定期公演を丸ごとデビュー50周年記念の中村さんにプレゼントするという異例の形でした。

演奏会前,私のような熱烈なOEKファンにとっては,「これは反則では?」という気持ちもあったのですが,今回中村さんの演奏を聞きながら,「こういうのもありかな」と思うようになってきました。50年間ずっとスターであり続けている中村さんの揺るぎのないキャリアに対する最高の敬意の表し方と言えます。

前半は,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ2曲ということで,特に異例の構成でした。数年前,ブーニンさんが定期公演に登場した時,ピアノ独奏曲で始まりまったことがありましたが(ベートーヴェンの「悲愴」ソナタで始まりました),この時は,続いてベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番が演奏されました。今回は,前半,全くOEKが出て来ませんでした。こういうケースは初めてかもしれません。

プレトークで,池辺晋一郎さんが,「OEKは,室内オーケストラという制約条件を逆手に取って,国内オーケストラの中でも特に自由なプログラムを組んでいる」と語っていましたが,確かにそう言えます。今回のように定期公演がリサイタルに変わったり,室内オーケストラの定期公演なのに合同演奏による超特大編成のマーラーに変わったり,テレビでおなじみの青島先生が出てきたり...定期公演という冠をつけた「総合的エンタテインメント」という感じです。

大都市圏のオーケストラ場合,定期公演の内容をより純化し,マニアックな内容を核にする方が各オーケストラの個性を鮮明に出せると思うのですが,金沢のような中規模都市の場合,そうするよりは,「クラシック音楽のデパート」にする方が健全という気もします。室内オーケストラとしてのOEKの演奏を全国・全世界から金沢に聞きに来る人が増えるということが理想の一つですが(ラ・フォル・ジュルネ金沢はそれに近い気もします),まずは,金沢でクラシック音楽を聞く人の裾野を広めることが重要だと思います。そういう点で,現在のような「何でもあり」の定期公演には,意義があるといえます。

というようなわけで,”定期公演”の前半は,”中村紘子ピアノ・リサイタル”ということになりました。いつもの定期公演とは違い,客席の照明が暗く落とされると,ピアノだけが置かれたステージに(なぜかティンパニも残っていましたが)緑のパステル色のドレスを着た,中村さんが登場しました。

「月光」の第1楽章は,非常に穏やかにさらりとした感じで始まりました。静かな音がコンサートホールの広い空間に気持ちよくしっかり広がっていました。どちらかというと早目のテンポによる淡白な演奏で,「ドラマの前の静けさ」といった感じでした。第2楽章へはほとんどインターバルを置いていませんでした。第1楽章よりは少し音量はアップしていましたが,まだまだ感情は抑えられており,心の中の小さなひっかかりを表現するような,ちょっときまぐれな雰囲気がありました。第3楽章では一気にスピードアップし,感情も爆発します。その速さですが,全ての音が弾き切れていない?と思わせるほどの恐るべき速さで,ちょっとヒステリックに感じられるぐらいに強弱差の激しいアクセントをつけていました。

随所で,気合と自信がこもったガツーンという感じの一撃を聞かせてくれるのは,中村さんの得意技ですが,お客さんに対するアピール力が非常に高い演奏でした。1〜3楽章が一体として捉えられていたこともあり,ベートーヴェンの音楽の持つドラマ構成が非常によく分かりました。「もっと穏やかな音楽でも良いのでは」と感じた人もあるかもしれませんが,誰もが目も耳も離せなくなるような演奏でした。中村紘子さんは,レコーディングも沢山残していますが,やはりライブの人だなぁと実感しました。

次の「熱情」は,「月光」の第3楽章の路線をさらにスケールアップしたような演奏でした。穏やかな落ち着きのある表情とそれが一転して感情が爆発する部分とが激しく交替します。音楽が停滞せず,畳み掛けるように音楽が前に進んでいきます。楽章後半に出て来る,「運命の動機」の強調の仕方などには,この曲を弾き込んで来た年季のようなものを感じました。

第2楽章は一転して穏やかな楽章になりますが,ここでも停滞することはなく,音楽は前へ前へと進みます。デビュー50周年記念公演といいつつ,枯れた感じは全くなく,常に積極的な姿勢が感じられるのが,スターピアニストとしての中村さんの凄さだと思います。

第3楽章は,「熱情」というよりは「熱狂」でした。楽章の最初の部分からかなりのスピードで演奏しており,めくるめくような熱気を持っていたのですが,コーダの部分では,それをさらにスピードアップしており,崩壊直前の限界に迫る積極性がここでも感じられました。音楽度の完成度を考えれば,「安全運転」を考えても良い部分だと思うのですが,それを許さない辺りに中村さんの信念の強さが感じられました。個人的には,「そこまで速くなくても...」と思ったのですが,すべてのお客さんにアピールすることを意識した,一瞬も目を離すことのできないスリリングな演奏となっていました。

後半の「皇帝」は,OEKが近年特に頻繁に演奏している協奏曲です。いちばん近いところでは,今年のニューイヤーコンサートとその後の全国ツァーでアリス=紗良・オットさんと共演しています。また,2008年のラ・フォル・ジュルネ金沢の最終日の公演で,小山実稚恵さんと共演しています。

今回の中村さんとOEKとの共演ですが,「皇帝」というよりは,「女王」というニックネームの方が相応しいような堂々たる演奏でした。曲の最初のカデンツァ風の部分から自在さと華麗さがあり,「ツボを外さない・期待を裏切らない」充実感がありました。中村さんの演奏は,ここでも機械のように正確に演奏するよりは,生き生きした曲の流れを重視していたと思います。

前半の「月光」「熱情」では,少々強引で気まぐれなところも感じられたのですが,「皇帝」では,藤岡幸夫さん指揮のOEKがしっかりとした曲の流れを作っており,よりがっちりと引き締まった立派さが感じられました。中村さんは,常にオーケストラの方をしっかりと睨んでおり(表情は見えませんでしたが),挑みかかるような雰囲気で演奏していましたが,そのせめぎ合いの中で,演奏をさらに熱いものにしていました。楽章後半で冒頭のカデンツァが再現してくるあたり,さらに熱気を増しており,「待ってました」という感じの高揚感がありました。

第2楽章は,非常に落ち着いたテンポで演奏されました。何よりもキラキラとした音が美しく,スター・ピアニストとしてのプライドの高さと余裕に満ちた上品さとが自然に結び付き,何とも言えぬ気品のある音楽となっていました。この部分は,「皇帝」というよりは,「王妃」といった感じでした。

第3楽章は,渾身の演奏でした。前半同様,非常に積極的に曲に切り込んでくる演奏でしたが,曲のスケールが大きい分,ここでもオーケストラとガップリ四つに組んだ迫力が感じられました。曲の後半に行くほど,熱く前面に出ており,聞き手の心も次第に熱くするような感動がありました。

曲の最後のティンパニとの一騎打ちのような部分は,この曲の大きな聞き所の一つですが,お馴染みのベテラン奏者,菅原淳さんとの絡みということで,「50年お疲れ様でした」といった一仕事終えた後のような何とも言えない安堵感が漂っていました。その後に続く,「締め」のパッセージも鮮やかに決まり,幸福感に満ちたものになっていました。

この日の会場は,ほぼ満席で,演奏後,盛大な拍手が続きました。演奏後,第2ヴァイオリンの首席奏者の江原さんがいなくなったなぁ,と思って見ていたら,赤いバラ(多分)の花束を持って再登場し,中村さんに贈呈されました。もう1つ花束の贈呈がありましたが,こちらは音楽堂からのプレゼントだったのかもしれません。

この真っ赤な花の色が,今回のポスターの赤ときっちりとシンクロしており,50周年の祝祭感を一層盛り上げていました。中村さんは,花束から一輪抜いて,指揮者の藤岡幸夫さんに,もう一輪抜いて,コンサートマスターのサイモン・ブレンディスさんにプレゼントしていましたが,歌劇「カルメン」の一場面を見るような楽しさがありました。

この花束に対して,中村さんからのお返しのような形でアンコール曲が演奏されました。いずれもお得意のショパンの曲でしたが,何と何と3曲も演奏されました。前半から合わせると合計6曲を演奏されたことになります。”50年に一度の中村紘子ナイト”を締めるのに相応しいアンコールとなりました。

最初に演奏されたのは,夜想曲第20番遺作でした。映画「戦場のピアニスト」で使われて以来,近年,この曲は,本当によくアンコールで演奏されるようになりましたが,ベートーヴェンの時とは一味違った,ほのかな悲しみに満ちた情感たっぷりの演奏でした。続いて,小犬のワルツ,さらにもう1曲,幻想即興曲と,自由自在,乗りに乗った上機嫌な演奏を一気に聞かせてくれました。

アンコール・コーナーでは,OEKメンバーは退出し,指揮者の藤岡さんだけがステージに残っていましたが,藤岡さんにとってもめったにない経験だったのではないかと思います。燕尾服を着て,赤いバラを持って傍らに控えて,演奏を聞いているあたり”イケメン・ホスト”といった趣きでもありました(変な比喩で失礼しました)。

今回の公演は,いつもオーケストラ音楽ばかりを聞いている定期会員に対して,ピアノ・リサイタルも良いものですよ,とお薦めをする良い機会になったような気がします。また,OEKのファン層とは少し違う中村さんのファンをOEKの方に呼び寄せる機会にもなったと思います。終演後,中村紘子さんのサイン会が行われたのですが,いつもにも増して長い列になっていました。デビュー50周年記念ツァーを行っている中村さんにとっても,その中村さんと一緒に歩んできたファンにとっても思い出深い演奏会になったのではないかと思います。

PS. 今回,演奏された曲目ですが,10月上旬に石川県立美術館で聞いた鶴見彩さんの演奏会のプログラムと似たところがありました。この時は,本割で「熱情」が演奏された後,アンコールとして,夜想曲遺作+幻想即興曲が演奏されましたが,ピアノの王道を行く構成と言っても良いのかもしれません。

PS. 指揮者の藤岡幸夫さんが定期公演に登場するのは初めてだと思います。この藤岡さんですが,ひいおじいさんが金沢出身の国文学者・藤岡作太郎です。これを機会に,また定期公演に登場してもらいたいと思います。ちなみに,藤岡さんの公式サイトに次のような記事と写真が掲載されていました。
http://www.fujioka-sachio-fan.com/fromsachio/fromsachio.htm(10月23日の記事)
http://www.fujioka-sachio-fan.com/report/report20091022.htm
(2009/10/24)

関連写真集
&サイン会

入口の立看


サイン会の案内。この日は,デビュー50周年記念のパンフレットも販売していました。


ピヒラーさん指揮のOEKと共演した「皇帝」のCDにサインを頂きました。


サイン会の列はまだまだ続いていました。音楽堂の外から見た写真です。分かりにくいですが,いちばん右側の背中向きになっているのが中村さんです。



我が家にあった,中村さんの著書です。