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ミステリアス・メンデルスゾーン第1夜:コンサート&シンポジウム
2009/12/14日 石川県立音楽堂交流ホール
■コンサート
1)メンデルスゾーン/歌の翼にop.34-2
2)メンデルスゾーン/賛美歌「天には栄え」
3)メンデルスゾーン/賛美歌「ご覧,イスラエルの守護神は」
4)メンデルスゾーン/無言歌集〜ないしょの話op.19-4
5)メンデルスゾーン/無言歌集〜ヴェネツィアの舟歌op.30-6
6)メンデルスゾーン/無言歌集〜春の歌op.62-6
7)メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第6番ヘ短調op.80
8)(アンコール)メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第3番ニ長調op.44-1〜第3楽章
●演奏
木村綾子(ソプラノ*1),若林顕(ピアノ*1,4-6),ゲヴァントハウス弦楽四重奏団*7-8
朝倉喜裕指揮石川県合唱連盟特別合唱団*2-3,澤田和美(ピアノ*3)

■シンポジウム「今何故メンデルスゾーンなのか・・・」
パネリスト:クルト・マズア(指揮者,フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金会長),ラルフ・ヴェーナー(音楽学者,ザクセン芸術文化アカデミー会員),ピーター・ウォードジョーンズ(英国メンデルスゾーン学者),星野宏美(立教大学文学部教授),井上道義(オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督)

Review by 管理人hs  

12月14日と15日の2日間は,今年生誕200年となるメンデルスゾーンにちなんだ「ミステリアス・メンデルスゾーン」というイベントが石川県立音楽堂で行われました。メンデルスゾーン・イヤーの「締め」といった感じになります。その1日目は,コンサート&シンポジウムということで,前半に声楽,合唱曲,器楽曲,室内楽曲の演奏が行われた後,指揮者のクルト・マズアさん,井上道義さんとドイツやイギリスから来られた音楽学者2名を交えてのシンポジウムが行われました。

何と言っても,名指揮者のクルト・マズアさんを間近で見られるということで出かけて来たのですが(2日目のコンサートのチケットがあれば,この日は無料で入場できる,ということもありました),前半のコンサートも楽しめました。特に,「世界最古の弦楽四重奏団=ゲヴァントハウス弦楽四重奏団」によるメンデルスゾーンの弦楽四重奏は,緻密さと緊迫感のある見事な演奏でした。

演奏会は,OEKの岩崎ゼネラル・マネージャーの司会で進行しました。最初にソプラノの木村綾子さんとピアノの若林顕さんが登場し,イベント全体のテーマ曲のような感じで「歌の翼に」が歌われました。会場の最前列にはマズア夫妻をはじめ,後半に出演するメンデルスゾーンの専門家の方々が顔を揃えていましたので,大変緊張されたと思いますが,大変じっくりと,この名曲を聞かせてくれました。

続いて,ステージ上に石川県合唱連盟の特別編成合唱団(先日の「メサイア」公演に出演した,北陸聖歌合唱団のメンバーとかなり重なっていた気がします)の皆さんが登場し,朝倉喜裕さんの指揮で,賛美歌が2曲歌われました。

最初に歌われた「天には栄え」は,クリスマス・シーズンによく流れている曲ですが,この曲もメンデルスゾーン作曲だとは知りませんでした。今回は,日本語の歌詞で歌われましたが,恐らく,ずっと以前から日本の曲のような感覚で歌われてきた曲なのだと思います。言われてみれば,この親しみやすさはメンデルスゾーンらしいですね。曲中,合唱団に加わっていた朝倉あづささんによる鮮やかなソプラノ独唱がありました。この構成もゴスペルっぽい感じがあり,とても良いと思いました。もう1曲の「ご覧,イスラエルの守護神は」の方は,初めて聞く曲でしたが,ピアノ伴奏も加わったこともあり,よりドラマティックで,流れるように歌われました。

次に無言歌が3曲演奏されました。意外に演奏会のプログラムとして取り上げられることは少ない曲だと思います。最初に演奏された「ないしょの話」は,前の曲の残像が残っていたせいか,賛美歌のように響きました。「ヴェネツィアの舟歌」というのタイトルの無言歌は何曲かありますが,今回演奏されたのは,いちばん有名なものだと思います。途中に出て来る哀愁のあるトリルが印象的でした。最後に演奏された「春の歌」は,ピアノの発表会などでもよく聞かれる,「超」の付く名曲です。若林さんは,大変ゆったりと穏やかに演奏しており,サロン風音楽の気分がよく出ていました。考えてみると,無言歌集というのは,今回の会場の交流ホールのような場所で演奏するのに丁度良い作品だと思いました。

# 交流ホールをカフェとして開放し,その間,ずっと無言歌を演奏し続ける,という企画はどうでしょうか?喫茶「無言歌」というのは,実在したかもしれないですね。

前半の最後は,ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が登場し,メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を演奏しました。今回演奏されたのは,プログラムには,第1番変ホ長調と書いてありましたが,どうみても変ホ長調の曲ではありませんでした。後で我が家にあったCDで確認してみたのですが,多分,第6番だったと思います。今回の日本ツァーで他の都市では,第6番を演奏していましたので,その点でも辻褄が合います。

さて今回の演奏ですが,大変音の密度が高く,音の絡まり方が鮮やかに目に見えるような演奏でした。後半のシンポジウムの中で,マズアさんがこの弦楽四重奏団について,熱く語っていましたが,ライプツィヒの音楽院伝来の同じメソッドで勉強したメンバーによる演奏ということで,パート全体としての音色の統一感もあります。ライプツヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団自体も大変歴史のあるオーケストラですが,その核となる遺伝子を引き継いでいる弦楽四重奏団と言えます。もちろんメンバーの交代はありますが,メンデルスゾーンの生誕200年の演奏会で,この「メンデルスゾーンの遺伝子」に触れることができるのは,大変意味のあることだと感じました。

今回演奏された短調の弦楽四重奏曲ですが,曲の雰囲気としては,シューベルトの「死と乙女」に似た雰囲気がありました。交流ホールは,もともと残響が少ないのですが,両端楽章の緊迫感のあるムードにはよく合っていたと思います。同時代のシューベルトの弦楽四重奏曲に比べると,メンデルスゾーンの曲は,演奏される機会が非常に少ないので,生誕200年をきっかけに,再発見されて欲しい曲だと思いました。

その後,拍手に応え(マズア夫妻が立って拍手を送っていました),アンコール曲が演奏されましたが,この曲は,翌日の演奏会での掲示によるとop.44-1の弦楽四重奏曲の第3楽章とのことでした。メンバーが英語で語った「38」という数字は聞き取れたのですが,1838年にゲヴァントハウス四重奏団が初演?したゆかりの作品とのことです。

後半は,5人の関係者(マズアさんの奥さんは通訳として参加)がステージ上に並び,シンポジウムが行われました。一応,星野さんが司会ということだったのですが,途中から井上道義さんが話の流れを作っていたようなところがありました。この井上さんを中心にあれこれ盛り上げようとしていたのですが,やはり通訳を介してのやり取りということで,丁々発止という感じにはならず,予想以上に時間がかかってしまいました。井上さんとしては,「本音に迫るトーク」にしたかった感じでしたが,やはり,少々内容的に堅かったかもしれません。終了時刻が9:30近くになったこともあり,結構疲れてしまいました。

メモを取りながら聞いていたのですが,次のような話がありました。

●メンデルスゾーンの再発見について
  • いろいろなタイプの曲を一度に聞ける,今回のようなコンサートは理想的。
  • メンデルスゾーンについての知識は,ここ数年で一気に増えた。完全な作品目録を目指して新全集を作ったが750曲になった。
  • メンデルスゾーンの多彩さについて近年知られるようになった。特に語学と画才が有名。乗馬,水泳などスポーツも得意だった。メンデルスゾーンは,裕福な家庭に生まれ,豪邸に住んでいたため,研究者にとって貴重な資料が沢山残っている。与えられた才能も豊かだったが,非常に勤勉であり,厳しい教育を受けた人である。

●なぜオペラを書かなかった?
  • 良い台本に巡り合わなかったのが不運だった。ジングシュピールはいくつか書いている。
  • 最後に「ローレライ」というオペラを作っていたが完成しなかった。ただし,オラトリオ「エリア」は,実質オペラと言っても良い。

●ゲヴァントハウス弦楽四重奏団について
  • 世界最古のオーケストラの代表者による伝統のある弦楽四重奏団である。ボウイングが共通するなど,大きな音楽ファミリーの一部と言える。ゲルハルト・ボッセさんの弟子,カール・ズスケさんの息子さんなど,伝統が継続している。ただし,現在はその最後の世代である。今後は,その均質性について影響があるだろう。
  • 金沢のようなムラ社会にいろいろな人入ってきているOEKのような形は面白いと思う。ただし,伝統=特徴を失ってはいけない。伝統を外部の人が受け継ぐのが良いのでは?

●バッハの影響は?
  • ライプツィヒにある2つのバッハの像は,メンデルスゾーンが寄贈したものである。音楽としては,初期のコラールなどに影響の後が見られるぐらいだが,それよりもバッハの音楽を復活させたことの方が意義があった。
  • 当時は同時代の曲だけを演奏するだけだったが,メンデルスゾーンの時代以降,過去の曲が再発見されるようになった。メンデルスゾーンも,バッハだけでなく,ヘンデルも再発見している。

●メンデルスゾーンの作風について
  • 同時代のベルリオーズやショパンに比べると保守的なのでは?
  • フィンガルの洞窟のような序曲は,未来的である。交響詩と名付ければ,新しい時代の最初となっただろう。
  • 無言歌などはメンデルスゾーンの大発明である。
  • コラールの中には,シェーンベルクにつながるような斬新な和音を使っている。

●ユダヤ人差別について
  • メンデルスゾーンはユダヤ人であったため,音楽活動に関しては葛藤があっただろう。それを表に出さず,より高いレベルを目指したのがメンデルスゾーンらしいところである。

●新全集について
  • 発表されていなかったものが大半だる。世界中に散逸していたものを丹念に集めたもので,これまで発表されなかった作品を沢山含んでいる。

●マズアさんのライプツィヒでの30年について
  • ライプツィヒ時代は,結束力の下,家族と感じることができた。
  • この時,「OEKのメンバーを増やしたら...」というマズアさんの言葉がありましたが,井上さんは「ありえない」と明言されていたのが,印象的でした。
(2009/12/19)

関連写真集

イベントの立看です。


イベントのポスター


「メンデルスゾーンとマズーアの対話」と題したパンフレットを配布していました。メンデルスゾーン生誕200年を記念して,フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金日本支部が作成したものです。


交流ホールのモニターには,メンデルスゾーンの肖像などが投影されていました。


金沢大学の学生作成によるメンデルスゾーンの人生についてのポスターが展示されていました。


シンポジウムは,こういう感じで行われました。