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ファジル・サイ・ピアノリサイタル
2010/07/06 金沢市アートホール
ヤナーチェク/ピアノ・ソナタ変ホ長調「1905年10月1日街頭にて」
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第17番ニ短調op.31-2「テンペスト」
プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調op.83「戦争ソナタ」
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
(アンコール)サイ/ブラック・アース
(アンコール)ガーシュイン/サマー・タイム
●演奏
ファジル・サイ(ピアノ)
Review by 管理人hs  

トルコ出身のピアニスト,ファジル・サイのリサイタルを聞いてきました。ラ・フォル・ジュルネ金沢を除くと,金沢で外国の有名ピアニストのリサイタルが行われる機会は比較的少ないのですが,今回のサイさんの演奏は,冷たい狂気と同時にジャズに通じるようなノリの良さを感じさせてくれる,大変独創的でスリリングな内容でした。

まず,演奏曲目が魅力的でした。ヤナーチェク,ベートーヴェンのテンペスト,プロコフィエフの第7ソナタ,展覧会の絵と並ぶプログラムは,サイさんの技巧の冴えと魅力を最大限に引き出してくる,聴き応えたっぷりのものでした。サイさんのタッチは硬質・強靭で,音楽に没入するような演奏には,凄味が漂っていました。

最初にヤナーチェクのピアノ・ソナタ「1905年10月1日街頭にて」が演奏されました。サイさんは,かなりカジュアルな衣装で登場し,無造作と思えるほど,気負いなくスッと演奏を始めました。自在に揺れ動くような演奏からは,聴衆に対して悲しげなメッセージを語り掛けてくるような訴求力を感じました。次第に演奏は熱を帯びるのですが,熱くなることはなく,不思議にひんやりとした感覚が残りました。第1曲目にして,「早くもクライマックスか!」と思わせるような鮮烈な打鍵の連続も印象的でした。エキゾティックな気分といかにもアウトローといった醒めた気分を持った演奏で,ヤナーチェクの作品のムードに大変よくマッチしていました。

続くベートーヴェンのテンペストでも,サイさんが袖から登場し,ピアノに向かうとすぐ,全く神経質になることなく,演奏を始めました。他の曲でもそうでしたが,演奏開始部分の自然さはサイさんの演奏の特徴だと思います。テンポも速目で,意表を突くような浮遊感がありました。ただし,演奏に対する没入の度合いはもの凄く,最初の左手だけで演奏するアルペジオの部分などでは,右手で指揮をするような動作を見せていました。その後,テンポが速くなる部分では,暴力的なほど容赦のない強靭さ,速さで演奏が一気に流れていきました。有無を言わさぬ個性的な演奏を貫くあたり,異端ピアニストの代表格であるグレン・グールドに通じる部分があると感じました。

展開部に入っても,弱音から強烈な音へのびっくりさせるような切り替えを聞かせるなど,悪魔に取りつかれたような狂気を感じました。ベートーヴェンの演奏としては違和感を感じたのは確かですが,随所に「もしかしたらこちらが本物かも」と思わせるような迷いのなさがあり,説得力を持った演奏となっていました。

第2楽章は遅いテンポにも関わらず,どこか不気味な軽やかさがありました。途中何度も執拗に「タタタタ」という音型が出てくるのですが,それが非常に不吉に響いていました。最終楽章は,速目のテンポで演奏され,大変ノリの良い推進力がありました。しかし熱くなり過ぎることはなく,ここでも常にニヒルなクールさが漂っているのが個性的でした。

前半最後に演奏されたプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番は,実演で一度聴いてみたかった曲です。この日演奏された曲の中では,いちばんサイさんの感性に合った作品だと思いました。これまでの2曲同様,引き締まった強靭さを持った打鍵が素晴らしく,ピアノという楽器の打楽器的魅力を存分に感じさせてくれました。ただし,重苦しさよりも軽さを感じさせてくれる演奏で,”悪魔の高笑い”といった趣きがありました。途中に出てくる弱音で演奏される抒情的な部分は,強烈な打鍵と見事なコントラストを作っていました。

暗い情熱を秘めたような第2楽章は,やや速目のテンポで演奏されました。美しさと同時にどこか冷めたユーモアを感じさせるような味わいがありました。第3楽章は,前楽章からほとんど休みなしで連続的に演奏されました。延々と7拍子のリズムが続く独創的な楽章で,いかにもプロコフィエフという面白さがあります。サイさんの技巧の冴えは素晴らしく,余裕を持って楽しんでいるような雰囲気さえありました。終盤に近づくに連れて,音楽の興奮度は増し,それに連れて狂気も増していきます。ここでは,クラシック音楽の枠組みを越えた,フリー・ジャズに近いような自由自在の開放感がありました。ピアノの音は非常に金属的で,サイさんの手が2,3本増えたような迫力のある打鍵が延々と続きました。それでいて,最後まで全体を見通すような落ち着きが感じられたのは,心憎いばかりでした。

後半は,「展覧会の絵」が演奏されました。この曲もかなり無造作に始まり,冒頭のプロムナードからグイグイと力で押していくような演奏の連続でした。やや一本調子でうるさいかなと感じる部分もあったのですが,最後の「キエフの大門」に一気に向かっていくようなスケール感は圧巻でした。

サイさんは,グレン・グールドばりに,鼻歌まじりで演奏します。弱音主体の曲では,特によく聞こえるのですが,「古い城」などでは,この鼻歌が意外なほど(?)良い味になっていました。その他,ピアノの弦を押さえながらつや消しのような音を出したり,独特の技が良いスパイスになっていました。

「ブイドロ」では,大変重苦しい演奏で,辛い労働を暗示するような暗さがありました,「殻をつけたヒヨコの踊り」は,反対にもの凄く速い演奏で,キレの良く鋭い打鍵のデモンストレーションのようでした。「バーバヤガーの小屋」は,ELPのロック版ではありませんが,曲自体の持つ暴力性をストレートに出しており,まさに異端児という感じの演奏を聞かせてくれました。

最後の「キエフの大門」は,「これでもか,これでもか」と大変ダイナミックに盛り上がったのですが,対照的にクライマックス直前での静かに鳴る部分も印象的でした。大変たっぷりと演奏しており,「ここまでの乱暴お許しください」といった感じの祈りの気分に溢れた音楽になっていました。今回,サイさんは,スラヴ系の曲を中心に演奏しましたが,やはり共感の度合いが特に強いのではないかと思いました。最後の最後の部分での力がこもった重量感のあるトリルも迫力満点でした。

盛大な拍手に応えて,アンコールは曲が2曲演奏されました。最初の曲は,非常にエキゾティックなムードのある曲でした。最初は何の曲だろう?と不思議だったのですが,「展覧会の絵」にも出てきた,ピアノの弦を押さえる技法を聴きながら,「これはサイさんの自作に違いない」と分かりました。終演後,出口に掲示されていた表示を確認すると,やはり,サイさん自身による作品で,「ブラック・アース」という曲でした。どこか中近東の雰囲気のある,印象的なフレーズが何度も執拗に繰り返されるうちに,どんどん濃い世界に引きずり込まれてしまうような魅力的な作品でした。

もう1曲のアンコールも最初は,はっきり分からなかったのですが,曲が進むうちに,サマー・タイムのメロディが出てきました。「展覧会の絵」でも,裏拍を強調するような部分があったので,サイさんの演奏には,ジャズ・ピアノに通じるものがあるなぁと思っていたら,最後の最後に本物のジャズが演奏されました。他の曲同様,華やかに技巧を聞かせてくれましたが,その何物にも囚われない精神こそ,ジャズ的だと思いました。

数日前に,石川県立音楽堂で,守屋純子さんによるジャズ講座を聴いたばかりだったのですが,サイさんの演奏を聴きながら,改めて,ジャズとクラシックについては区別する必要はない,と実感しました。「異彩ファジル・サイ」の評判どおりの演奏会でした。(2010/07/08)

関連写真集
会場前のチラシ


アンコール曲目の掲示



この日はサイン会が行われました。サイさんは,立ったままサインをされていました。


自宅から持参した,「春の祭典(ピアノ2台盤)」のジャケットに頂きました。

ちなみにこの録音ですが,サイさんが一人で2人分を演奏しています。