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ピアノ・エチュード大観:1830年代のエチュード史(前編) 第1景 フェルディナント・ヒラー
2010/09/28 石川県立音楽堂 交流ホール
ヒラー/6つのエチュード組曲op.15
(アンコール)ヒラー/妖精の踊りop.9
●演奏
金澤攝(ピアノ)
Review by 管理人hs  

金沢在住のピアニスト,金澤攝さんによる新シリーズ「ピアノ・エチュード大観:1830年代のエチュード史」の第1回目を聞いてきました。知られざるピアノ曲を次々と発掘し,演奏していく金澤攝さんの活動は,大変地道なものですが,最近,NHKのテレビ番組で金澤さんの活動が取り上げられたことをきっかけとして,ようやく全国的にも注目を集める存在になりつつあるようです。

# 私が最近観たのは次のNHK金沢放送局制作の番組です。
http://www.nhk.or.jp/kanazawa/program/001/gimon/2010/10-07-06.html

これまで金澤さんの活動を支援してきた人からすると「何を今更」という部分もあると思いますが,「知られざる曲を多くの人に広めたい」という金澤さんのモットーからすると悪くないことだと思います。

私自身,金澤さんのお名前を初めて聞いてから25年ぐらいになりますが,スタンスが全く変わりません。ここまで一貫していると,「尊敬」を通り越して「あきれる」という感じでもありますが,唯一無二の誰も真似ができない存在になりつつあるのは確かだと思います。

今回から始まった「ピアノ・エチュード大観」というシリーズも金澤さんならではの企画で,ロマン派時代の知られざるエチュードを数回に分けて演奏していくという意欲的な内容です。その最初に取り上げられたのが,フェルディナント・ヒラーという作曲家による,6つの組曲形式によるエチュード集(24のエチュード) Op.15という作品でした。この曲が演奏されるのは,非常に珍しいことだと思いますが,第1回目に取り上げただけあって,大変聞き応えのある作品でした。最初に曲名を見た時は,「6つのエチュード組曲」とだけ書いてありましたので,それほど長くはないのかな,と予想していたのですが,全部で1時間以上掛かるもの凄い作品でした(正確な演奏時間は分かりませんが,開演が19:00,終演が20:30頃,10分の休憩が2回でしたので,やはり1時間は掛かっていたことになります。)。

まず,この作品の構成と概要を,今回配布されたリーフレットを基づいて,ご紹介しましょう。

・出版:1834年,パリのJ.Delahanteから出版(ヒラーが22歳の時に出版)
・献呈:ジャコモ・マイアベーア(当時,最も有名だったグランド・オペラの作曲家)

第1組曲
1)Allegro energico イ短調
2)Allegro con fuoco ニ短調
3)Andante religioso イ短調
4)Molto vivace ホ短調
5)Allgretto grazioso ハ長調
6)Allegro maestoso ホ長調

第2組曲
7)Andante poco agitato 変ホ短調
8)Molto vivace ロ長調
9)Lento ma non troppo 変イ長調
10)Allegro moderato 変ホ長調

第3組曲
11)Con forza ma non troppo vivace ハ短調
12)Andante ヘ短調
13)GIGUE Molto vivace ジーグ ハ長調

第4組曲
14)Agitato 嬰ヘ長調
15)Moderato イ長調
16)Andante con espressione 変ニ長調
17)Vivacissimo 嬰ヘ短調

第5組曲
18)Allegro con grazia ト長調
19)Molto adagio ロ短調
20)Allegro enerugico ニ長調

第6組曲
21)Moderato 変ロ短調
22)Molto allegro ヘ長調
23)Allegro con grazia ト短調
24)Prestissimo 変ロ長調

「6つの組曲」と言えば,バッハのパルティータや無伴奏チェロ組曲を思い出しますが,それらと違うのは,組曲ごとに曲数が違っている点です。各組曲は,調性,様式,形式の点で緩やかなまとまりを作っており,第2,3,4,6組曲は,各組曲の第1曲と終曲の主音が共通しているなど,始まりと終わりが調的に枠付けられています(上田泰史氏による配布された解説による)。

曲の印象は,「さまざまな作曲家のスタイルが万華鏡のように現れる」という解説文のとおりでした。シューマン風に響いたり,ショパン風に響いたり,リスト風に響いたり,さらにはプロコフィエフなどを思わせるような曲があったり(これは金澤さんの奏法のせいかもしれませんが),バッハ時代に逆戻りしたような曲があったり,ピアノ音楽のありとあらゆる要素が詰め込まれた,大変多彩な24曲ででした。こういう作品を1830年代(ヒラーの20代前半!)に書かれたというのが驚きです。10代にして「博学のヒラー」と呼ばれたとのことですが,それももっともなことです。

金澤さんの演奏からは,「こんなにすごい曲があるんだ」と曲を発掘し広めようとする使命感が感じられました。楽しんで聞くというよりは,悲壮感のようなものさえ漂っていましたが,そこがまた金澤さんの演奏の魅力です。ただし,金澤さんの基本的なスタイルは,あくまでも自然体です。大げさな表情づけは無く,無愛想と言って良いほど淡々としています。きっと金澤さんは,どの曲についても同じスタンスで臨んでいると思うのですが,楽譜だけを睨み,その中から最大の演奏効果を引き出そうといった演奏姿勢が感じられました。

技巧的に見ると,音楽コンクールに出場する若手ピアニストの研ぎ澄まされたような演奏とは比較できないものですが,楽譜に挑みかかるような姿勢からは,何とも言えない切実さが伝わってきました。技巧的な部分になればなるほど,スリリングさと同時に不思議な説得力を持って迫ってくるところがあります。演奏される金澤さんも相当の体力を使うと思いますが,聞いているお客さんの方もその演奏に巻き込まれ,一緒になって演奏をしているような感覚になってしまいます。今回のリーフレットには,「鬼才。金澤攝」と書かれていましたが,色々な面で,そう呼ばざるを得ないピアニストと言えます。

といった演奏でしたので,長大な作品にも関わらず,全く退屈することはありませんでした。金澤さんは,第1組曲の最初の部分から,「前置きなしにいきなり」という感じで,率直に演奏を始めました。同じような音型の繰り返しが目立つ点は,エチュードらしいのですが,それが段々と狂気のように感じられてくるようなところがありました。第1組曲の終曲は,大変輝かしい演奏で,シューマンの交響的練習曲を思わせるような雰囲気があるのが面白いと思いました。

第2組曲は,第1組曲よりは健康的な感じがしました。程よく甘い歌もあり,シューベルトの曲を思わせるような聴きやすさもありました。ただし,最後の曲では技巧的な輝かしさが前面に出てきて,やはり特異な雰囲気なるのは,ヒラーらしいところでしょうか。

ここで10分間の休憩が入りました。

第3組曲は,フーガとジーグの楽章が入り,バロック音楽の組曲を思わせるようなところがありました。落ち着きのあるフーガの後,対照的にジーグがせわしなく始まるのですが,金澤さんの演奏には,何かに追い立てられているような切迫感があり,非常にスリリングでした。ただし,こういった部分については,もっと別のアプローチで聞いてみたいな,という気もしました。

第4組曲は,第3組曲とは対照的にロマン派の曲らしい大変気持ちの良い新鮮な響きで始まりました。ショパン的と言っても良いと思いますが(ヒラーはショパンの親友だったそうです),まさに別世界でした。こういった感覚は,全曲連続演奏だからこそ味わえるものです。この曲でも終曲の異様な激しさが印象的で,「金澤さんならでは」の演奏に浸ることができました。

再度,10分間の休憩が入った後,第5組曲と第6組曲が演奏されました。この2曲もいろいろな要素が詰まっていましたが,明るさの中に妙なひっかかりがあったり,うごめくような不気味さがあったり,独特の世界を持った音楽となっていました。

第6組曲の最後の曲は特に激しい曲で,プロコフィエフか?山下洋輔か?(さすがにそこまではハチャメチャではありませんでしたが)と思わせるような大胆さがありました。それでいて,最後の最後の部分は意外に爽やかに終わったり,これもまた面白い曲でした。

というわけで,一度聞いただけでは全貌を把握できないような幅広さを持った音楽でしたが,凄さは強く実感できました。世界的に見て,ヒラーの作品がどれぐらい「知られていない」のかは分からないのですが,今回の演奏をきっかけにリバイバルして欲しい作曲家であり曲だと思いました。

最後に,金澤さんの短いトークが入った後,ヒラーの妖精の踊りという小品がアンコールで演奏されました。ショパンのマズルカを思わせるような可愛らしさと透明感のある曲で,アンコールにはぴったりの作品でした。

この日は,金沢市アートホールでの,小林美恵さんと清水和音さんによるデュオ・リサイタルという選択肢もあったのですが,凄い作品を凄い演奏で聞けたということで,とりあえずは,こちらを選んで良かったかな,と思いました(逆にアートホールの方に行っていても同じことを思っていたかもしれませんが...)。

PS.この日は,ビデオカメラで演奏を収録していました。近年,金澤さんは,「ピティナ・ピアノ曲事典」としてYouTubeで演奏を多数公開していますが,この日の演奏も同様の形で公開されるのかもしれません(楽しみです)。ちなみに,次のような演奏も公開されていました。



http://www.youtube.com/watch?v=WDyi6uAroKM

「妖精の踊り」かと思ったら「妖怪の踊り」でした(大違いですね)。

(2010/09/29)

関連写真集


今回の公演のポスター


充実の解説。黄色が今回のプログラム,白色がヒラーの6つのエチュード組曲の解説,水色がシリーズ全体の構想です。


アートホールの前に掲示してあったチラシです。こちらも聞いてみたかったのですが...