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ミュージカル「モーツァルト!」金沢公演
2011年1月30日(日)12:00- 金沢歌劇座
ミュージカル「モーツァルト!」(全2幕,日本語上演)

脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ,作曲:シルヴェスター・リーヴァイ,演出・訳詞:小池修一郎,製作:東宝
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●配役
ヴォルフガング・モーツァルト:山崎育三郎,ナンネール(モーツァルトの妻):高橋由美子,コンスタンツェ(モーツァルトの妻):島袋寛子,ヴァルトシュテッテン男爵夫人:涼風真世,セシリア・ウェーバー(コンスタンツェの母):阿知波悟美,アルコ伯爵:武岡淳一,エメヌエル・シカネーダー:吉野圭吾,コロレド大司教:山口祐一郎,レオポルド(モーツァルトの父):市村正睦,アマデ:坂口湧久 その他
西野淳指揮(株)ダット・ミュージック,東宝ミュージック(株)

Review by 管理人hs  

この冬いちばんの積雪の中,金沢歌劇座で2日連続で3回公演が行われた東宝ミュージカル「モーツァルト!」を観てきました。こういう形で,同じ内容のミュージカルが3回も上演されることは金沢では大変珍しいことなので(主催者側からすると,大きな冒険だったと思います),注目していたのですが,私が観た29日の昼公演は,大雪にも関わらず大変多くのお客さんが入っており,この企画は成功だったといえそうです。

この公演は,昨年11月から東京の帝国劇場で65公演行われた舞台をそのまま金沢歌劇座に移設したものです。主催の北國新聞の記事によると「トラック10台で金沢歌劇座に運び込み,3日半かけて作り上げた」ということで,「引越し公演」ということになります(そう考えると,3回ぐらい公演を行わないと元は取れないのかもしれませんね。)。また,今回が本当に最後ということで,「千秋楽公演」ということになります。

「モーツァルト!」は,この作品と同じプロダクションによる「エリザベート」に続くウィーン発のミュージカルの人気作品です。そのこともあり,キャストも大変豪華でした。例によって,いちばん安い席(今回は6000円の自由席でした)で観たのですが,NHKの大河ドラマに出てくるような大物が次々と出てきて,しかも,それぞれのキャラクターを存分に発揮していました。その演技を見るだけで,満足できました。

ただし,ミュージカル全体としての印象ですが,同じ音楽付きのドラマならば,私にとっては,オペラやバレエの方がしっくる来るかなぁと,10日ほど前に同じ金沢歌劇座で観たばかりの歌劇「椿姫」や昨年末に石川県立音楽堂で観たバレエ「くるみ割り人形」と比較しながら,感じました。今回のミュージカルは,モーツァルトの生涯を描いたもので,非常にテンポ良く,次から次へと熱い気持ちを込めた曲が歌われました。内容的に悪いというわけではないのですが,後半になると...正直なところ,かなり疲れてしまいました。

ミュージカルの場合,マイクを使うのが普通ですが,個人的には,よく通るベルカントの生の声の方がやっぱり良いかな,と感じてしまいます。この辺は好みと慣れの問題だとは思いますが,「いつもと勝手がちがうかな」という印象を持ってしまいました。

また,伝統的なオペラの場合,ミュージカルよりテンポが遅く,息の長い曲が多いのが普通です。「モーツァルト!」の場合,どの曲も同じぐらいにテンションが高かったので,「耳を休める暇がない」という印象を持ちました。そこが贅沢なところでもあるのですが,もう少し気を抜ける部分が欲しいなと感じました。繰り返しこの作品を観ている人は,もう少し違った鑑賞の仕方をしているのかもしれません。

この日のオーケストラは,小編成のオーケストラ+シンセサイザーというような編成でした。休憩時間にオーケストラ・ピットの雰囲気を観察してみたのですが,オペラの感覚からすると,かなり小さい編成で,効果的で効率的なアレンジがされていたのだなぁと感心しました。

ストーリーは,非常に大まかに言うと,映画または演劇の「アマデウス」からサリエリを抜いて,その代わりにモーツァルトの「才能」を象徴する分身(アマデと呼ばれる子役)を付け加えたような感じでした。「影をのがれて」という曲がテーマ曲のように何回か出てきていましたが,自分の分身からも逃れて自由に作曲をしようとするモーツァルトの生き方を描いた作品と言えます。それに親子関係,夫婦関係,親戚関係,大司教との関係などが絡んできます(少々欲張り過ぎ?)。公演ポスターやチラシは,赤色を基調にしていましたが,全部見終わった後,「これはモーツァルトの血をイメージしていたんだ」ということが分かりました。この点については,後で触れたいと思います。

このストーリーですが,歌とセリフだけで伝えるには,なかなか難しい内容だと感じました。私の場合,オペラにしてもそうですが,ほとんど歌詞は聞かずに音楽と演技の雰囲気だけを味わうようにしています。「モーツァルト!」についても,モーツァルトの生涯の話ならば,エピソードについては大体分かっているので,「フィーリングで分かるだろう」ぐらいに思っていたのですが,登場人物が多かったこともあり,きちんとセリフや歌詞を聴いていないと,ストーリーが分からない部分がありました。例えば,ヴァルトシュテッテン男爵夫人やコロレド大司教がどういう人物で,お互いにどういう関係にあるのか?モーツァルトの死の部分では何が起こったのか(遠くの席から見ていたこともあると思いますが)?モーツァルトの妻はなぜ出て行ったのか?...プログラムに書いてあったストーリーを読めば,理解できたので,もう少しストーリーとキャラクターをきちんと頭に入れてから観れば良かったかなと少々後悔しています。

前置きが長くなってしまいましたが,今回,公演プログラムを購入しましたので(私の座席の価格の1/4ぐらいの値段で,結構高かったのですが...),そこに書いてあったシーン順に振り返ってみたいと思います。

第1幕は,プロローグとして,1809年のウィーン聖マルクス墓地(モーツァルトが埋葬された墓地)の場から始まりました。モーツァルトは,1791年に亡くなっていますので,死後18年ということになります。暗闇の中,舞台の下手付近で数名の人物が何かやっていましたが,実は,このシーンが何を意図していたのかよく分かりませんでした。

その後,モーツァルトの少年時代の天才性を示す場になります。モーツァルトの子ども時代を演じる子役がピアノを弾き,神童時代のモーツァルトが描かれます。ある意味,この時代がモーツァルトの絶頂期だったとも言えます。この場では,ヴォルフガングの父のレオポルドやヴァルトシュテッテン男爵夫人が出てきて,歌を歌います。

レオポルドの市村正親さんは,今年の大河ドラマ「江」の明智光秀役で,さんざん信長にいじめられて可愛そうなぐらいなのですが,このミュージカルでも苦悩する父といった役柄でした。市村さんについては,個人的には,いまだに劇団四季の印象が強く,若々しい印象を持っていたのですが,こういう渋い雰囲気もしっくり来るな,と思いました。貫禄のある歌でした。

男爵夫人役の涼風真世さんの方は,前半・後半ともに,登場の仕方としては,歌劇「魔笛」の夜の女王のような感じで,ほとんど演技はせず,突然登場して1曲歌って,すぐに引っ込むという感じでした。これは大物でないと務まらない役だと思います。動きの多い展開の中で,時々,ふと立ち止まってじっくり音楽を聞かせてくれるようなところがありました。存在感と品位を感じさせる,美の象徴と言っても良いような立ち姿と歌を聞かせてくれました。

次の場から,モーツァルトは一気に成長し,山崎育三郎さんに 交代しました。面白かったのは,通常とは違い,子役がそのまま舞台に残り,ずっとモーツァルトと行動を共にしていた点です。感覚としては「ゲゲゲの...」目玉親父のような感じです。モーツァルトの中に,他人からは見えない,神童的な才能が,ずっと残っており,実は,その部分が作曲をしていたという設定です。後からプログラムを見て気づいたのですが,今回のモーツァルトの役名は,”ヴォルフガング・モーツァルト”となっていました。通常は”ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト”と呼ばれていますので,”アマデウス”の部分だけ抜けています。ずっと,くっついていた子役は,”アマデ”という名前でしたので,モーツアルトを”ヴォルフガング”の部分と”アマデウス”の部分に分け,2人が一体となって,モーツァルトを演じていたことになります。この発想は,とても面白いと思いました。

ヴォルフガング役はダブルキャストでした。私の観た昼公演は,山崎育三郎さんでした。髪は長髪で,「ラ・フォル・ジュルネ」のポスターにそのまま出てきそうなスニーカー履きで登場しました。その雰囲気どおり,若いエネルギーに溢れた歌を聞かせてくれました。

ヴォルフガングの歌う曲は,ロック調の曲が多い気がしましたが,前衛的という感じはなく, どちらかと言えば,往年のウィーンのピアニスト,フリードリヒ・グルダ辺りが好きそうな,ちょっと泥臭い感じの”伝統的ロック”という感じでした。クラシック音楽との取り合わせとしては悪くなく,いかにもミュージカル風に,率直に感情を伝えるのに,相応しい雰囲気を作っていたと思います。ミュージカル全体のトーンとしても,この”ウィーン風(?)ロック”がベースにあったような気がしました。実のところ,一度聞いただけでは,各曲のメロディは覚えられなかったのですが,熱気を帯びた音楽が次々と続いており,ハマれば抜けられない音楽なのかなと感じました。

モーツァルトの姉ナンネルは,高橋由美子さんでした。高橋さんは,非常に暖かな雰囲気を持った方で,後半に出てくるウェーバー家とは対照的に,まじめな雰囲気を醸し出していました。高橋さんは,大河ドラマ「篤姫」の時に大奥の老女役を演じていましたが,その雰囲気とは全然違う,気持ちの良い歌を聞かせてくれました。

この辺までは,モーツァルトの生地のザルツブルクの場でしたが,その最後にコロレド大司教役の山口祐一郎さんが登場しました。山口さんについては,いまだに大河ドラマ「利家とまつ」の佐々成政の印象を持っていたので(鹿児島県出身の方ということで,「篤姫」の時は,島津久光役でしたね),そのチョンマゲの雰囲気とは全然違う,堂々たる大司教ぶりに驚きました。まず,声量が豊かで,周囲を圧倒するような,スケール感がありました。

この公演の舞台は,帝国劇場そのままの豪華なもので,ステージの上にもう一段高い段がありました。このセットがとても効果的でした。その上に山口さんが乗ると,大司教の威圧感がさらに増し,有無を言わさぬ空気が漂いました。さすが,という演技と歌でした。今回登場した,個性的なキャラクターの中でも特に強烈なキャラクターだったと思います。

ヴォルフガングは,その後,マンハイム旅行に出かけ,ウェーバー家と後に妻になるコンスタンツェと知り合います。両者との関係は,後半さらに密接なものになりますが,その片鱗をここで見せることになります。ヴォルフガングは,マンハイムに続き,パリにも出かけ,就職活動を行うのですが,既にかつての神童時代の栄光は通じなくなっており,お金を使い果たします。しかも旅行中に母親を亡くしてしまい,失意の中,ザルツブルクの大司教の下に逆戻りということになります。ここで破天荒な劇作家シカネーダと出会い,さらに,ヴァルトシュテッテン男爵夫人の勧めもあり,ウィーンに出て行くことにします。これがモーツァルトにとって,大きな転機になります。

ウィーンの場では,怪しげな退廃的なムードたっぷりのセットの中,シカネーダがコミカルなパフォーマンスを見せる場が何といっても印象的でした。シカネーダ役の吉野圭吾さんは,シリアスなシーンの多い展開の中,コミカルで軽妙な雰囲気と華やかで明るい雰囲気を作っており,お見事でした。山口祐一郎さんと並んで,特に強い印象を残してくれたのがこの吉野さんでした。ミュージカルに,こういうコメディ担当俳優が登場し,期待どおりの活躍を見せてくれると,一気に作品は盛り上がりますね。

そして,コンスタンツェと再会し,意気投合します。この役はSPEEDの島袋寛子さんでした。この作品でのコンスタンツェのキャラクターについては,今ひとつ,よく分からず,ちょっと印象は薄かったのですが,島袋さんの歌自体は,大変表情豊かで,聞き応えがありました。

大司教は,ウィーンでもモーツァルトの邪魔をするのですが,モーツァルトは,それを振り切り,自分の影(=アマデ)からも逃れて,ウィーンで自由に活躍することを夢見ます。ここで歌われるのが「影を逃れて」です。ほの暗いムードを持った,ちょっと演歌っぽい感じの曲で,ミュージカル全体のテーマとなるような曲でした。この曲で第1幕は終わりました。

というような感じで,第1幕を観ただけで,見ごたえたっぷりでした。登場人物の中では,山口祐一郎さん演じる,権力の象徴のような大司教役のキャラが強烈でした。途中,馬車で移動する場面では,突如トイレに行きたくなり,キャラを一変させる,マンガ的表現を舞台化したようなコミカルなシーンもあり(これはオリジナルにもある?),大いに盛り上げてくれました。

25分の休憩の後,第2幕が始まりました。最初の場面は,第1幕の冒頭と全く同じシーンでした。

続いて,モーツァルトのウィーンでの活躍を表すシーンとなります。個人的には,この部分でもっとモーツァルト自身の音楽を聞かせてほしいと思いました。モーツァルトが人気作曲家として活躍していたウィーンでの絶頂期がやや分かりにくかった気がしました。

この辺で,ピアノを宙吊りにするシーンがありました。ピアノ線でピアノを吊っていたのでしょうか?おおっという感じの場面でした。

コンスタンツェと結婚した後,ヴォルフガングは,ウェーバー家にたかられるようになります。このウェーバー家の「厚かましい」キャラクターはなかなか面白かったのですが,正直なところ,なぜ,ヴォルフガングとコンスタンツェが結婚することになったのかについては,「?」と感じました。この辺は,バランス的に,コンスタンツェ役の島袋さんの印象が地味だったことによるのかもしれません。その後,すぐにコンスタンツェは,ヴォルフガングから離れていったので,ますます,「?」でした。続いて,父レオポルドも亡くなり,モーツァルトの人生はどんどん暗転していきます。

その中で,フランス革命が起こり,市民階級向けのオペラが出てくる...といった時代背景が描かれます。ここで歌劇「魔笛」のシーンが出てきます。映画「アマデウス」でも,「魔笛」は印象的に使われていましたが,本物のモーツァルトの音楽を聞いて,「もう少し聞いてみたい」と思ったりしました。

最後の場は,仮面を付けた黒装束の男がレクイエムの作曲依頼に来る,という映画「アマデウス」でもおなじみのシーンになります。この役は,市村さんが演じており,ヴォルフガングの父親に対する悔恨の情を象徴していたようですが...見た感じは,「オペラ座の怪人登場!」といった趣きがありました。

そして,モーツァルトの死の場面になります。何と,これまで寄り添ってきた,アマデがヴォルフガングを刺すという形になっていました。アマデの力を借りず,レクイエムを作曲しようとしたが,結局,神童としての才能から逃れなかったということになります。アマデの姿は他人からは見えませんので,外からみると,自殺ということになるのでしょうか。モーツァルトの内面の葛藤を「見える化」したということで,ちょっとドキリとしました。大胆なアイデアだと思いました。

ただし,この部分を観た瞬間は,実は何が起こったのかよく分かりませんでした。観終わった後,振り返りながら,「そういうことだったのかな」と気づきました。そういう点で,「やや消化不良」という感覚が残りました。もう一度,じっくりと観て,色々な葛藤をしっかり堪能してみたいと思いました。

カーテンコールでは,次々とキャストが登場し,シリアスな気分から一転して,華やかな雰囲気に包まれました。本編では,苦悩の表情を見せ続けていた市村さんのコミカルな仕草など,カーテンコールならではの楽しさで,盛大な拍手で会場は盛り上がりました。

今回の作品については,上述のとおり,個人的には,少々馴染めない部分もあったのですが,何よりも生演奏に合わせてミュージカルを楽しめるというのは,良いものです。金沢歌劇座の改修を契機として,オーケストラ・ピットを使った,大規模なミュージカルを金沢でも定期的に上演していって欲しいものだと思いました。

日本のミュージカルは,熱烈なリピーターに支えられているのが特徴だと思います。この日も日曜日の昼公演ということで県外からの熱烈なお客さんが多かった印象があります(千秋楽ということもあったと思います。)。今後,金沢歌劇座が,国内のミュージカルの拠点のひとつになれるかどうかについては何ともいえませんが,終演後の盛り上がりを見る限りでは,その可能性を感じさせてくれる舞台だったと思います。

PS.金沢歌劇座ですが,今回は,ロビーが狭いと感じてしまいました。この前の「椿姫」の時は,あまり気にならなかったのですが,休憩時間は,トイレ待ちの長い列ができ,休憩用に座れる椅子が全然残っていませんでした。今日は厚着の人が多かったので,クロークも欲しかったですね。

PS. シカネーダ役の吉野圭吾さんのことが気になり調べてみたところ,1995年に金沢で行われた,(今はなき)音楽座のミュージカル「とってもゴースト」に出演しており,私自身,この公演を観ていたことが分かりました。「へぇ,そうだったのか」と,大変懐かしい気分になりました。

PS. この公演の翌日,北陸本線,北陸自動車道ともに大雪のために不通になったはずなのですが,出演者・スタッフの皆さんは無事帰れたのでしょうか?気になるところです。

PS.余談ですが,「エリザベート」については,ずっと「エリーザベト」かと思っていました。恐らく,「エリーザベト」の方がオリジナルの発音に近いと思うのですが...日本語的には「エリザベート」の方が自然なようです。
(2011/02/02)

関連写真集


公演のポスター


雪の金沢歌劇座


入口付近


入口横で,関連グッズを販売していました。


ダブル・キャストの役の出演者を示す掲示


公演プログラム。金沢公演専用のプログラムで,In Kanazawa と書かれていました。


カーテンコールの最後に,ヴォルフガング役の山崎さんと,アマデ役の坂口さんによる舞台挨拶がありました。私は2階席から降りて,入口横のモニターで見ていました。はっきりと映っていませんが...



この日は,車で劇場まで来ました。21世紀美術館に駐車しました。以下,「雪の金沢写真集」です。

21世紀美術館の地下駐車場です。「展覧会を観たこと」にして,セルフで割引の処理をすれば,最初の30分は,割引にできます。ただし,今回は4時間ぐらい停めていたので,1000円以上かかってしまいました。


雪の石川橋


雪のしいのき迎賓館


雪の広坂通り


雪の金沢市役所


雪の金沢21世紀美術館の光庭



雪の21美&オブジェ


雪の21美
歌劇座はすぐ隣です。