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オーケストラ・アンサンブル金沢第302回定期公演PH
2011年5月25日(水)19:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール
1)ペルト/レナルトの追憶に
2)ハイドン/交響曲第98番変ロ長調Hob.I-98
3)ルトスワフスキ/葬送曲(バルトークの思い出のために)
4)ハルトマン/交響曲第4番
●演奏
アレクサンダー・リープライヒ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:アビゲイル・ヤング)
Review by 管理人hs  

今年の5月のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)は,大忙しでした。ラ・フォル・ジュルネ金沢の公演に加え,3種類の定期公演(フィルハーモニー2回,ファンタジー1回)が行われました。それに加え,岡本真夜さんとの公演や楽団員による室内楽公演「ふだん着ティータイムコンサート」も行われます。いつも忙しいOEKですが,これだけ忙しい月も珍しいのではないでしょうか。

そのうち2回の定期公演には行けなかったので,個人的には,久しぶり(といっても1か月ぶりですが)の定期公演ということになります。今回のフィルハーモニー定期公演には,ドイツの指揮者アレクサンダー・リープライヒさんが登場しました。OEKを指揮するのは初めてのことです。

演奏された曲は,弦楽合奏によるペルト,ルトスワフスキ,ハルトマンの作品とハイドンの交響曲で,かなり渋い選曲でした。プログラムに共通するのは,どれも「追悼の音楽」ということです。どうしても,東日本大震災の犠牲者に対する追悼の気持ちを重ね合わせてしまうのですが,これは全くの偶然です。響敏也さんのプログラム・ノートによると,ポイントは「追憶と追悼」ということで,どの曲も特定の個人の死や戦争の犠牲者に対する追悼の曲になっているのが特徴です。非常によく考えられたプログラミングと言えます。「ハイドンの交響曲第98番だけは別系統?」と一瞬思うのですが,この曲もモーツァルトを追悼して作った可能性がある曲とのことです。

ハイドンの回りを20世紀の弦楽合奏の曲で囲むという構成は一見独特ですが,よくよく考えてみると,古典と現代曲をプログラムの柱にしているOEKにはぴったりとも言えます。まず,このプログラミングに感心しました。

最初に演奏されたペルトの「レナルトの追憶に」は,レナルト・ゲオルク・メリ前エストニア大統領を偲んで作曲された作品です。レナルトは,作家や映画監督としても活躍した政治家ということで,同世代の同国出身のペルトとしては,書かずには居られなかった曲なのでしょう。

この曲ですが,他のペルトの作品同様,ちょっと不思議で,静かでひんやりとした空気感に包まれたような作品でした。リープライヒさんは長身の方で,しかも大きく棒を振っていましたので,スケールの大きさを感じましたが,出てくる音は大変緻密でした。このリープライヒさんのキャラクターと曲想とがぴったりとマッチしていました。

静かだけれどもストーリー性がある,シンプルだけれども複雑,新しいけれども古風,すっきりしているけれどもどこか引っかかる...と二律背反するような性格を同時に感じさせてくれるような曲であり演奏だったと思います。

ハイドンの交響曲第98番は,実演で聞くのは初めてのことです。ペルトの時は,第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが隣り合う配置でしたが,ハイドンになると,第2ヴァイオリンが場所を移して,対向配置に変わっていました。さらに特徴的だったのは,全員起立(もちろんチェロは座っていましたが)で演奏していたことです。室内楽で全員起立で演奏することは時々ありますが,管楽器も弦楽器も含め30名以上が立って演奏するというのは,珍しいことです。当時の演奏習慣がどうだったか知りませんが,弦楽器の奏法についてもノン・ヴィブラート奏法が中心だったので,恐らく,「オリジナルに忠実」ということを目指していたのだと思います。

第1楽章の序奏部は,大げさな感じは全くなく,さりげないぐらいでしたが,響きが引き締まっており,交響曲らしい安定感を感じさせてくれました。主部に入るとさらにキレの良い音楽になりました。響きと曲の形がカッチリと整い,曲の作りが透けて見えるような演奏でした。井上道義さんのハイドンのような,沸き立つような気分はなく,全体的にクールなのですが,そのしっかりとコントロールされたバランスの良い美しさは,古典派音楽にぴったりだと思いました。さらに,全員起立で演奏していることによって,演奏全体にダイナミックさが自然に加わっていました。古典的な安定感と大胆さとが共存した演奏だったと思います。

第2楽章は,モーツァルトの死を意識して書かれたと言われている楽章です。主題は英国国歌から取られたとのことですが,それほどはっきりとはせず,楽章全体の雰囲気としては,モーツァルトの「ジュピター」交響曲の第2楽章に似ています。リープライヒさんの指揮は,ここでも落ち着いていました。重苦しい雰囲気はないのですが,所々でフッと出てくる「間」では,オーケストラの音が,大変美しくホールに響いていました。それが,モーツァルトを偲ぶ寂しさを強調してるようでした。

第3楽章は,古楽奏法を意識したキビキビとした演奏でした。これは全曲を通じてそうだったのですが,この日のOEKの音は,特に美しく磨かれていたと思います。硬質でクールな響きを聞いているだけで,幸せな気分になりました。トリオもまた,念入りな演奏でした。ハイドンと言えば,素朴という印象もあるのですが,現代性を感じさせてくれる演奏だったと思います。

第4楽章は軽快に始まりました。ここではトランペットの強奏が祝祭感を感じさせてくれました。最終楽章に仕掛けのあることの多いハイドンの交響曲ですが,この曲でも,コンサートミストレスのアビゲイル・ヤングさんがソリストのように活躍する部分が出てきたり,最後の最後の部分で,チェンバロのソロが登場したり(初演の時はハイドンが演奏したとのことです),やはり一ひねりありました。そういった部分での穏やかな表情も印象的でした。のどかさよりは,「知的な遊戯」といった感じになっていたのが,リープライヒさんらしさだと思います。

このように,各楽章や各部分ごとの描き分けがとても面白く,オーセンティックであると同時に現代的な感性を持ったハイドン演奏でした。このところ,OEKは,定期公演で様々な指揮者とハイドンの交響曲を取り上げていますが,それぞれにちがったアプローチで水準の高い演奏を聞かせてくれるので,毎回楽しみです。

後半は,再度弦楽合奏だけによる演奏になりました。

ルトスワフスキの葬送曲は,バルトークを追悼して作られた作品です。そのせいか,曲のムードがバルトークの「弦楽,打楽器とチェレスタのための音楽」辺りと似ていると思いました。バルトークの曲は激しさと同時に堅固な様式感を持っていますが,この曲についても聞いていてシンメトリカルな構成感を感じました。前半,暗い気分がひたひたと盛り上がった後,中間部では,動きが大きくなり,クライマックスで何かが軋むような凄い音になりました。深い悲しみを感じさせるような音楽でしたが,それでも全体としては明快で自信に満ちた安定感を感じさせてくれたのは,リープライヒさんの指揮の力によるのかもしれません。最後は再度静かになり,チェロが何かを語りかけるように終わったのも印象的でした。

演奏会の最後は,ハルトマンの交響曲第4番でした。この曲は,ファシズムや帝国主義の犠牲になった人々に対する鎮魂の祈りの曲とのことです。演奏会の最後ということもあり,ルトスワフスキの曲より規模の大きい,3楽章からなる作品です。第1楽章は特に規模が大きく,懐かしい表情と暴力的な響きとが共存するようなスケールの大きさがありました。第2楽章は,不協和音満載の激しいスケルツォで,バルトークの音楽を思わせるような気分がありました。最後の第3楽章は「追悼のアダージョ」ということでしたが,それほどしんみりした感じではなく,予想以上に動きがありました。

ただし,この曲ですが,魅力的な部分はあったものの,ルトスワフスキを聞いた後だと,さすがに重〜く感じました。楽章が進むにつれて,どんどん重さがのしかかってくるようで,正直なところ,聞いていて疲れてしまいました。それがまた,この曲のすごさなのだと思います。

今回の演奏会は,小編成にも関わらず重い曲が多かったのですが,ハイドンの曲を組み合わせることで,その重さをうまく中和していていました。このバランス感覚も素晴らしいと思いました。リープライヒさんは,金聖響さんなどと同世代ということで,これからのクラシック音楽界の中心になっていく指揮者だと思います。是非,OEKの定期公演に再登場してもらい,いろいろな曲を聞かせて欲しいものです。リープライヒさんが芸術監督を務めるミュンヘン室内管弦楽団の金沢公演にも期待しています。

PS. 今回のプレトークは,響敏也さんによってカフェコンチェルト前で行われました。その代わり,プレコンサートはありませんでした。次回からはどうなるのでしょうか?

PS. 演奏会当日の5月25日は,リープライヒさんの誕生日とのことでした。休憩時間にステージ投影されているスライドにお祝いのメッセージが書かれていました。(2011/05/28)

関連写真集


入口の看板。リープリヒさんは,ちょっと映画スターのような雰囲気のある方でした。


5月13日に行われたOEKの第300回記定期公演の写真がロビーに飾られていました。


いつの間にか,音楽堂とJR金沢駅がつながっていました。雨の日でも百番街から来やすくなったのではないかと思います。



サイン会で,リープライヒさんからサインを頂きました。