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アルド・チッコリーニ&OEK チャリティー・コンサート
2011年11月2日(水) 19:00〜 石川県立音楽堂コンサートホール
1)モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
2)モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番ニ短調,K.466
3)モーツァルト/ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調,K.333
4)モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番イ長調,K.331「トルコ行進曲付き」
5)(アンコール)シューベルト/クッペルヴィーザーワルツ
6)(アンコール)ドビュッシー/前奏曲集第1巻〜ミンストレル
7)(アンコール)グラナードス/スペイン舞曲〜アンダルーサ
●演奏
アルド・チッコリーニ(ピアノ)*2-7
トーマス・カルブ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター:松井直)*1-2
Review by 管理人hs  

今年の夏,オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)は,南フランスで行われたラ・ロック・ダンテロン国際ピアノフェスティヴァルに出演し,名ピアニストたちと連日共演しました。その中で,特に注目を集めたのが,アルド・チッコリーニさんとの共演でした。音楽祭のプロデューサーのルネ・マルタンさんも大絶賛したという記念碑的な演奏会。この日,金沢で再現しました。終演後,金沢で行われたリサイタル公演では「初めて?」というスタンディング・オベーションの嵐となりました。

演奏されたのは,すべてモーツァルトの作品でした。前半はOEKとの共演,後半はチッコリーニさんの独奏という変則的な構成でしたが,チッコリーニさんの個性とモーツァルトの曲の素晴らしさとが完全にマッチした,魅力溢れる演奏の連続でした。チッコリーニさんは,今年86歳とのことです。袖からピアノまで歩く様子は,確かに,とってもゆっくりでしたが,演奏が始まると,その指先からは,信じられない程,美しく瑞々しい音が溢れ,石川県立音楽堂は幸福感で満たされました。

前半は,トーマス・カルブ指揮OEKによる「ドン・ジョヴァンニ」序曲で始まりました。当初のチラシ等の情報では,ディヴェルティメントK.137となっていましたので,何らかの事情で変更になったようです。恐らく,2曲目のピアノ協奏曲第20番ニ短調と同じ調性の曲にし,前半の気分の統一感を図ったのではないかと思います。

OEKが演奏する「ドン・ジョヴァンニ」序曲を聞くのは,今年の7月に行われた,金聖響さん指揮の「ぺらぺらオペラ」の定期公演以来のことです。今回の演奏は,その時とは全く雰囲気の違う,ほの暗く,重い響きのする演奏でした。聖響さん指揮による軽快な演奏には,イタリア・オペラ的な流れるような感触がありましたが,カルプさん指揮による今回の演奏には,ドイツ・オペラ的な引き締まった強さと勢いを感じました。管楽器のバランスがちょっと悪いかなと思ったりしたのですが,弦楽器がしっかりと鳴っていたのが印象的でした。

続いて,ピアノ協奏曲第20番が演奏されました。この曲の第1楽章は,不吉な胸騒ぎという感じのシンコペーションのリズムで始まります。まず,この部分での短く切るようなリズムが印象的でした。リズムが強調されていたので,ドキリとさせるような,不整脈っぽいリアルさを感じました。カルブさんの指揮を聞くのは,今回初めてのことでしたが,要所でこだわりのある音を聞かせてくれました。

さて,チッコリーニさんのピアノですが,短調の作品にも関わらず,ピアノの入りの部分から,音が透き通るように美しく,どこか明るさを感じさせてくれました。そのタッチには,常にしっとりとした瑞々しさがあり,ただ明るいだけではない,意味深さがありました。音量の変化も極端ではなく,淡々としているのですが,それが退屈に感じられないのは,やはりそのピアノの音の素晴らしさによるのだと思います。衒いのない純度の高い歌によって,この曲の持つ「悲しい美しさ」が見事に表現されていました。

カデンツァは,お馴染みのベートーヴェンによるものを演奏していました。この部分では,また違った”色”が出ており,楽章のエンディングに向けて,スケール感が一回り大きくなっていたように感じました。「巨匠の技を堪能」といった趣きのあるカデンツァでした。

第2楽章はもともとシンプルな楽章ですが,チッコリーニさんは,装飾音は全く入れずに,ひたすらシンプルに,噛みしめるようなテンポで純粋に音楽の美しさを聞かせてくれました。シンプルな曲を,遅めのテンポで弾いた場合,重苦しく,神経質な感じになることがありますが,この日の演奏からは幸福感が伝わってきました。今のチッコリーニさんにはこれしかない,という演奏だったと思います。暗雲が立ち込めるような気分のある中間部でも,チッコリーニさんの演奏は荒れ狂うことはなく,”世俗を超越した高僧”といった演奏をしていたのも印象的でした。さすが現役最長老(多分?)ピアニスト,という演奏でした。

第3楽章へは,ほとんどインターバルなしで,アタッカで入っていました。第2楽章が平穏さに満ちていましたので,そのシリアスさとキレの良さが新鮮でした。ここでは,86歳とは思えない若さを感じさせてくれました。この楽章も第1楽章に通じる暗さがあるのですが,最後の部分では,長調に切り替わって,華やかに終わります。チッコリーニさんの演奏には,軽やかに天上の世界に舞い上がっていくような印象があり,この名曲の凄さを改めて感じることができました。これまで,この部分については,「取ってつけたように」明るく終わると感じることもあったのですが,チッコリーニさんの演奏からは全く違和感を感じませんでした。悟ったような軽やかさが,モーツァルトの後期のピアノ協奏曲の世界にぴったりでした。

この曲は,10月27日に東京のすみだトリフォニーホールで行われた新日本フィルとの演奏会でも演奏されたようですが,東京での演奏についても感想を聞いてみたいものです。

後半はモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番と第11番が演奏されました。どちらの曲も,チッコリーニさんならではの自在に揺れるテンポ感で演奏されており,気持ちの良いファンタジーの世界に浸らせてくれました。

第13番の第1楽章の最初から,遅いのか速いのか分からないような自在に揺れ動くテンポで演奏されていたのが印象的でした。モーツァルトの音楽がステージの上で生き物になって現れたような有機的な演奏で,この曲を長年弾き込んでいることがしっかり伝わってきました。チッコリーニさんのピアノの濁らない美しさはここでも同様でした。前半以上にクリアさと明るさを増していたような気がしました。

第2楽章も,速いのか遅いのか?サラリとしているのか深いのか?この際,どっちでも良いか...というチッコリーニさんの音の世界が広がりました。第3楽章は慈しむような雰囲気で始まった後,上品かつ華麗に全曲を締めていました。

他の曲でもそうだったのですが,チッコリーニさんは,全3楽章をほとんど一続きで演奏していました。そのことにより,お客さんの方も緊張感を切らすことなく,モーツァルトのソナタの小宇宙に入り込むことができました。

最後に演奏された,お馴染み「トルコ行進曲」付きの第11番の方も第1楽章の変奏曲から次々とファンタジーが沸き上がってくるような魅力的な演奏でした。各変奏のコントラストはそれほど極端には付けられていませんでしたが,そのさり気なさが品の良さとなって感じられました。ちょっとロマンティックな香りも漂うチッコリーニさんらしい演奏だったと思います。

美しさと同時に堂々とした風格のある第2楽章の後,第3楽章「トルコ行進曲」と続きますが,これもまた今のチッコリーニさんならではの演奏でした。ニュアンスの変化が至るところに付けられており,非常に個性的なのですが,それが大変自然で無理がありません。何よりも速いパッセージでの音の軽やかさが素晴らしく,聞いていて悲しくなるほどでした。

両ソナタとも協奏曲の時以上に,テンポは揺れているのに,全然心が乱れているようなところはないのが,チッコリーニさんの到達した境地なのだと思います。モーツァルトの曲のいちばんの魅力と言っても良い,明るい音の中にフッと翳りがはしる部分での何とも言えない柔らかさも絶品でした。張りつめた緊迫感や奇を衒おうという作為は皆無。なのに個性的。そういう演奏でした。もちろん,ちょっと危ないかな?という箇所はあったのですが,チッコリーニさんのピアノは全く動じることはありません。演奏のすべてがチッコリーニさんの魅力につながってしまうような演奏でした。

アンコールは3曲も演奏されました。そのうち2曲は,ラ・ロック・ダンテロンと同じアンコール曲で,フランスの放送局が収録したビデオ映像を見た金沢の聴衆にとっては,最高のプレゼントになりました。

最初のシューベルトのクッペルヴィーザーワルツは,今年のラ・フォル・ジュルネ金沢でミシェル・ダルベルトさんも演奏していた曲です。たっぷりと暖かな音に浸らせてくれる,幸福感たっぷりの演奏でした。

2曲目に演奏されたミンストレルは,ユーモアたっぷりでした。チッコリーニさんは,一見無骨な雰囲気なのですが,ステージ上の動作の随所で茶目っ気をようなものを感じさせてくれました。そういうチッコリーニさんのキャラクターそのまんまの演奏でした。ちょっとよろよろとしたような無骨な奏法が,他のピアニストには真似できないような独特の語り口を持っており,とても面白い味わいを出していました。

この2曲は,チッコリーニさんのお得意のアンコールのようです。そういう曲を集めた小品集のCDでも出してくれれば,是非聞いてみたいものです。

ラ・ロック・ダンテロンの時は,この2曲で終りだったので,今回もこれでお開きかなと思ったのですが,何ともう1曲演奏してくれました。2曲目を弾き終え,袖から再度登場した後,腕時計を見るような動作をしたので,「今日はもう弾かない」ということかと思ったのですが,その後,人差し指で「1」と示し,「もう1曲」演奏してくれました。こういう動作の一つ一つが憎めません。

3曲目に演奏されたのは,「まだこんなに力が残っていたのか!?」という感じのグラナドスのアンダルーサでした。挑みかかるような速いテンポで始まった後,曲の後半で音の美しさを際立たせる,というような魅力的な演奏でした。

これで会場はさらに沸き,金沢では非常に珍しいスタンディング・オベーションとなりました。今年4月に仙台フィルとOEKが石川県立音楽堂でチャリティ合同演奏会を行った時以来の光景だと思います。金沢で行われたピアノ・リサイタルで見るのは,私自身初めてのことです。

ラ・ロック・ダンテロンでのルネ・マルタンさんの大絶賛については,「本当かな?」と思う部分もあったのですが,チッコリーニさんの実演に接して,「本当だ!」と実感できました。今回の演奏会は,まず,海外公演での共演がきっかけで金沢との繋がりが出来た後,さらに,東日本大震災の被災者のためのチャリティーコンサートという条件が加わり実現したものです。そういう偶然の積み重ねが生んだ演奏会だったと言えます。そういったことも含め,石川県立音楽堂での演奏会史に残る印象的な演奏会となったのではないかと思います。

PS. 終演後,楽屋口で数名の方と待っていたところ,中に入れて頂き,チッコリーニさんからサインを頂くことができました。後半に演奏されたピアノ・ソナタを収録した新譜CDにサインを頂いたのですが,このCDを聞くのも大変楽しみです。 (2011/11/03)

関連写真集


公演の立看板


アンコールの案内。2曲目については,「ミンストレル」という呼び名の方が一般的だと思います。

今回はサイン会はありませんでしたが,楽屋口で頂くことができました。

会場で買った,チッコリーニさんの最新CDに頂いたのですが,このCDがなかなか面白いものでした。

次の写真のようにパッケージ全体が美術作品っぽくなっています。ラ・ドルチェ・ヴォルタというレーベルでしたが,面白い方向性のCDだと思います。

チッコリーニさんが「いないいないんばぁ」みたいなことをしています。

これが観音開きになっており,さらに開くと,次のような感じです。

このページには,「アルド・チッコリーニ 85歳の彼は,若い頃から弾き続けているモーツァルト作品に愛情のまなざしをそそぐ」と書かれていました(日本語対訳付き)。

パッケージ全体にアクセル・アルノーという人の写真が使われています。